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選定の儀4
しおりを挟む夕日が沈み、残照も完全に消え去る頃、選定の儀が始まることを示す鐘の音が響いた。
花壇を照らすライトアップはあるものの、篝火のような辺りを照らすための強い光はなく、庭園内にはどことなく薄暗く怪しげな雰囲気が漂っていた。
それは吸血鬼の花嫁を決めるという趣向にはある意味で相応しいのかもしれない。
月の王の花嫁候補は白いドレスを着用するというのも理にかなっているとエレノアは気がついた。このように薄暗い庭園内でもドレスの白さが目立ち、そこに令嬢がいることを主張している。余程迂闊な人間でもなければぶつかったりはしないだろう。
エレノアはその迂闊な人間であるシェリーから解放され、隅の方で白いネクタイを付けた召使いから受け取った飲み物に口を付けていた。
シェリーは煌びやかな白のドレス姿でメアリー・リーズと共に庭園に戻り、今はエレノアから離れた場所で楽しそうな笑い声を立てている。彼女の声は高く澄んでおり、薄暗い庭園内でもどこにいるか分かりやすい。逆にいえばエレノアはシェリーを避けやすく、かつおとなしくしている限り、シェリーもエレノアがどこにいるか気が付かないだろう。もう忘れているかもしれない。いや、忘れていて欲しいとさえ思った。
エレノアはシェリーが恐ろしくはあるが、害したい訳ではない。ただ、いないように扱ってくれた方がいい。
叩かれたり、怒鳴られるのは嫌だった。エレノアが嫌いだというのなら、遠ざかるからそのまま放っておいて欲しい。どうせならエレノアはただ道端の石ころになりたい。踏まれても蹴られても痛みなど感じない存在に。亀のように甲羅の中に引っ込んで、何も考えず夢も見ないで微睡んでいたい。
エレノアの望みはそれだけだった。
隅の方でぼんやりとするエレノアは見ていなかったが、その頃、庭園の中央には見目麗しい守護吸血鬼達もコウモリ姿で飛来し、続々と集まっていた。音楽が奏でられ、月の王や太陽の王である王太子オズワルドが挨拶をしたりと、言葉を交わしたりと華やかな宴の様相となっていた。
花嫁候補の令嬢達も、1人ずつ月の王へと挨拶を終わらせ、もう間も無く花嫁を指名する段階になっていた。
「……恐れ入ります。エレノア・バロウズ様でいらっしゃいますね」
「は……はい」
白いネクタイの召使いに問われ、エレノアはぶるりと震えた。
「この後、月の王によるご指名がありますので、どうかこちらにお越しください」
「……はい……」
とうとうこの時が来てしまったようだ。エレノアの手は小刻みに震え、ルカーシュからもらったペンダントに縋るように握った。
エレノアの兄が言っていた通り、月の王の花嫁は最初からエレノアに決まっていたのだ。
だとしても、ルカーシュ以外の吸血鬼に血を吸われるのは嫌だった。逃げられるものならこの場から逃げ出したい。
「さあ、お急ぎください。もう時間がありません」
しかしエレノアは召使いに強く促され、それに逆らうことすら恐ろしくなり、おとなしく従うことしか出来なかった。
もう逃げ出すには遅すぎたのだ。
エレノアの足は雲を踏むようにふらふらと頼りなく、美しいはずの花壇が色褪せていき急速に現実感が失せて行く。
瞳は何も映さず、ただ問われたことにだけ反応するように心を閉ざしていた。
庭園の中央はエレノアが居た隅の方よりもランプの数が多く、月のない新月の夜でも明るく照らしている。
トルコランプにも似た、モザイクガラスの華やかなランプがいくつも飾られ、ズラリと立ち並ぶ美しい守護吸血鬼達を照らしている。
その中央には赤い石の付いたステッキを持った月の王らしき男が威風堂々としていた。
闇色の黒い長髪を後ろで結び、吸血鬼の特徴である赤い目と美しい面差しの男である。
彼は守護吸血鬼と何事かを話しているようだが、心を閉ざしたエレノアの頭には入って来なかった。
「貴方がエレノア・バロウズ嬢ですね。顔色が優れないようですが、ご気分でも悪いのですか?」
召使いに指定された場所で突っ立っていたエレノアに、殊の外優しい声が掛けられる。
ゆるゆると顔を上げると、煌びやかな衣装を着た、何処と無く見覚えのある青年がいた。
淡い色の金髪に青い瞳、月の王の怜悧な美しさとはまた違う整った面立ちで、少し垂れた目が優しげである。常に口角が上がり、微笑んでいる顔に見えるからかもしれない。
「はじめまして。私がオズワルドです。最初のご挨拶がこのような場所で申し訳ありません。早速ですが、時間があまりありません。エレノア嬢は今日のことを聞いていますよね?」
やはり彼が王太子オズワルドであるらしい。王太子だというのにやや腰が低いようにも見える。上背があるのに、エレノアと目線を合わせるために腰を折り曲げ、優しげに微笑んだ。大人の男性には特に恐怖を感じるエレノアであったが、その仕草が威圧的ではないことに、エレノアは少しだけホッとした。
「……はい。詳しくではありませんが……兄から伺っております」
「それは良かった。もう間も無く貴方の名前が月の王から呼ばれます。貴方は……そのままでいいので、彼の前まで行って、手を差し出してください。その手を月の王がお取りになります」
「……分かりました」
「やはり、少し顔色が良くないようですが、風にでも当たりすぎましたか?」
オズワルドの手が伸び、エレノアの頰に触れる。その指が温かいのが不思議であった。
それは冷たいルカーシュの指ではないのだと気が付いて、エレノアは後退った。
「だ……大丈夫です」
「ああ、緊張しているのかな。あまり表舞台に立ちたがらない、控えめでおとなしい気質だとバロウズ公爵や夫人からも聞いています」
「……私の、両親、から……?」
「ええ、出来は良いけれど、人前に出るのは苦手なのだと伺っていますよ」
両親はオズワルドに何を吹き込んだのか。エレノアにはいつも不出来だ、愚図だと言っていたのに、オズワルドの話すエレノアは別人ではないだろうか。
「でも大丈夫。何も難しいこともありませんし、庭園は暗く中央の明るい場所からは人の姿も見えにくい。ただ、前へ進み、手を差し出すだけで構いません。すぐに私も出て行って貴方のフォローをしますから」
「はい……」
オズワルドは、エレノアの様子がおかしいのを、ただ緊張しているだけだと思ってくれたらしい。安心させるようにか、優しく微笑むがエレノアの閉ざした心には響かない。
「さあ、行ってらっしゃい」
オズワルドはエレノアの背中を押した。またぼんやりとして聞いていなかったが、どうやら月の王は決められていた通り、エレノアの名を呼んだらしい。
エレノアは絶望に心が真っ暗になりながら、機械的に歩を進め、ランプの明かりで輝かしいその中央まで辿り着いた。
目の前に月の王が立っている。
その姿は漫画で読んだ時と同じだとエレノアは感じた。
それならば、漫画と同じようにシェリーを選んでくれたら良かったのに。
しかしエレノアは言われていた通り、機械的に手を差し出した。エレノアにはもう自発的に逆らうことなど出来はしない。前世でも今世でも他人から踏みにじられることしかなかったエレノアは、誰かに言われた通りに動くことが最も苦痛が少ないと知っているのだから。
「エレノア・バロウズ……? む、お前……その臭い……貴様は!?」
月の王はエレノアの姿を見て差し出した手を取るどころか、急に激昂し手にしていたステッキを振り上げた。
声を上げることすら出来なかった。
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