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選定の儀6
しおりを挟むエレノアは意識を失い、青白い顔で倒れている。
月の王はエレノアの心を折ったことで機嫌良く喉の奥で笑い声を立て、とどめを刺そうと再度ステッキを振り上げた。
月の王に慈悲があるとすれば、エレノアの意識がない内にとどめを刺そうとしたことだろうか。
彼の幾人もの同胞がルカーシュに殺されていた。正しくはルカーシュを殺そうと追った守護吸血鬼がルカーシュに返り討ちにあっていたのだが、月の王からすれば数少ない大切な同胞達であったのだ。
吸血鬼の数はそう多くはない。人間のように子を産み数を増やしていくものではない。時折変わり者の吸血鬼が人間の女に子供を産ませることもあったが、必ずしも吸血鬼になるとは限らない。数代後に突然吸血鬼が生まれることもある。
ほとんどの吸血鬼は自然発生する。魔力の吹き溜まりに長い年月をかけて発生し、更に長い年月をかけて成長をする。発生した同胞は早い内に回収し、守護吸血鬼として月の王の手足となるべく教育をする。
しかし、そのはぐれ吸血鬼は、ある程度成長するまで見つからないまま逃げきっていたらしい。一度は対話を試みたが、言うことを聞く様子もない。どうやら吸血鬼の血を引く人間から発生したタイプのようだった。その育ての親を月の王が殺したと詰り、酷く暴れた。人間と関わり過ぎた吸血鬼にはままあることであった。
これでは守護吸血鬼には不向きと判断し、処分することにした。こうなれば同胞ではない。ただの魔物……害獣のようなものだった。
吸血鬼は魔物の中でも比較的強い存在であったが、それは成体だけの話であり、成体になる前にかなりの数が死ぬ。このアテマ国では守護吸血鬼として集め、魔物を狩る役割を与えていたから他より多い方である。
しかしこの2年ほどで20人近く居た吸血鬼は10人にまで減っていた。たった2年である。数百年、時に千年を越えて生きる吸血鬼もいるというのに。
それをしたのははぐれの吸血鬼である。かつて、月の王が傷を負わせながらも逃してしまった若い吸血鬼。同胞を失う毎にどれほどの後悔が襲っただろう。
しかしその後悔の日々もこれでようやく終わる。
まだ明るい内にこちらが油断していると踏んだのか襲ってきたはぐれの吸血鬼を返り討ちにした。奴は強かったが、守護吸血鬼全員でかかれば多勢に無勢。年若い守護吸血鬼が一人犠牲になるほどであったが、とどめの杭を心臓の核に打ち込んだ。
そして目の前の魔女の命を断てば全て終わる。この女が自分のものだというマーキングの臭いを付けている、つまり奴の大切な女なのだから、多少の溜飲も下がることだろう。
月の王がそう考えた時、間に駆け寄る影があった。
「……ちょっと、何よ! いくらなんでも酷すぎるじゃない!」
気絶したエレノアの前に、シェリーが飛び出して、月の王から庇うように手を広げた。
「シェリー、危ないわ! 戻って!」
「いいえ、私、こういうの我慢ならないのっ!」
シェリーの名が離れた場所から呼ばれる。シェリーの身を心配したメアリー・リーズであった。
しかしシェリーはエレノアをその背に庇ったまま、あの大きな目でしっかりと月の王を睨んだ。
「エレノアが高慢ちきでいけ好かないからって、いくらなんでもやり過ぎよ! 貴方、月の王なんでしょう? 私達を守護してくれるのでしょう!? なのに、なんでこんな酷いことをするのっ!?」
「うるさい、どけ。我らの流儀に口を出すことは許さない」
「いいえ、退かない! だってエレノアを殺す気でしょう。そんなこと私が許さないわ!」
「許さない……だと……誰がそのような。……いや」
月の王はシェリーをマジマジと見た後、そのステッキを降ろした。
シェリーの体内に眠るその豊富な魔力量に目を見張ったのだ。シェリーの体からは芳醇で甘そうな匂いが漂っている。同胞が減った今、シェリーのような強い血を得て更に強くなれば数の減った現状をしばらくの間凌ぐことも可能だろう。
「……娘、お前の名は?」
「私? ……シェリーよ。あっ、でも退かないったら!」
「ふむ、面白い。その気の強さ、気に入ったぞ」
手を広げ、エレノアを庇ったままのシェリーに向かい、月の王はニヤリと笑った。
「先程のは何かの間違いだ。この娘、シェリーこそ我が花嫁とする!」
高らかとそう宣言し、その決定にシェリーは慌てたような声を上げる。
「ええっ! なんでぇ! どうしてそうなるのよーっ!」
「この我に噛み付くなど、並大抵の魔力や精神力では出来ることではないぞ、娘。それが出来るお前こそ、我が花嫁に相応しい……そうだろうお前達?」
「はっ、その通りです。我が君よ!」
月の王に付き従っていた守護吸血鬼達は迎合した。
「太陽の王、オズワルドよ。その穢れた血の女は今は殺さぬ。魔女として異端審問でもなんでもするといい。その代わり、このシェリーこそが我が花嫁だ。良いな?」
先程、月の王に軽々と吹き飛ばされ、介抱されていたオズワルドは、召使いに両側を支えられ立ち上がる。
「……月の王たる貴方の決めたことでしたら……」
オズワルドは渋々と言った様子でそれを受け入れる。月の王の機嫌を損ねるわけにはいかない。
「しかしこのやり取りはまずい。なんとか出来ますか」
「ふん。そこの女共には軽い暗示を掛けておいてやろう。効きが悪い者はそちらでなんとかせよ」
元はと言えば最初から花嫁を決めてあったやらせだった。しかしそれを公表する訳にもいかない。そうであれば月の王の決めた相手こそが真実の花嫁である。
そしてこの国では守護吸血鬼のおかげで他国よりも少しだけ安全に暮らせるのだ。彼らのへそを曲げることはよろしくない。互いに同意ある契約とはいえ、守護吸血鬼が役目を降りると言い出したら強制する術はなく、オズワルドも急激に人数を減らす彼らにも危機感を抱いていた。
平民の娘1人差し出して機嫌を取れるというのなら、喜んで差し出す。
倒れ伏したエレノアにチラリと目線をやる。
月の王がこの娘を殺せというなら公爵家の令嬢でも殺す。生かしておいてはいつ何時蒸し返して来るかも分かりはしない。月の王の機嫌を取るためにも適当にでっち上げて処刑になるだろうが、このオズワルドに面倒ごとを持ってきたのだ。せめて少しでも利用しなければ割に合わない。
オズワルドは算段を巡らせ、エレノアを運び出すために召使いに耳打ちする。召使いは治療師を呼び、担架を持ってくるために庭園から出て行った。
「そんなぁ、わ、私が月の王の花嫁!?」
「すごいわ、シェリー! おめでとう!」
月の王の突然の凶行に恐れをなして見守っていた令嬢達は、月の王の暗示により、一瞬ぼんやりとしていたが、平民であるシェリーがまるで物語のような花嫁への大抜擢をされたことに沸き、歓声を上げた。
青白い顔で運ばれていくエレノアには誰一人として見向きもしなかった。
しかし細部の違いはあれども、エレノアは選ばれず、主人公であるシェリーこそが月の王の花嫁に選ばれる筋書き通りであることは、今は心を闇に閉ざされたエレノア以外知る由もない。
「……ルカーシュ……」
エレノアの意識は戻らない。
彼女は運ばれ、治癒魔術を受けて体の傷は癒えたものの、心の傷は癒えるはずもない。
だから、エレノアが意識のないままにルカーシュの名を呼んだ時、その手のひらの中の血赤珊瑚のペンダントが小さく瞬いていることに気付くことはなかった。
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