婚約破棄にも寝過ごした

シアノ

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3.ライオールの朝は早い

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 俺、ライオール・バタンテールの朝は早い。

 朝日が出る頃に起きだし、鍛錬と勉強のノルマをこなし、朝風呂で汗を流す。それから朝食を食べ、従姉妹であり公爵家の一人娘エルミーヌ・バタンテールの本日の予定を確認して、絶対に本人がやらねばならない予定とそうでもない予定を振り分け、どれくらいの睡眠時間を捻出出来るかを決める。エルミーヌは睡眠時間が減っては生きてはいけないからだ。
 そうこうしている内にそろそろエルミーヌの起きる時間になっていた。

「エルミーヌ様、朝でございます!起きてください!エルミーヌ様!」

 今朝もメイドが青筋を立てて怒鳴りながらエルミーヌの寝室のドアを激しく叩いている。毎朝恒例のこれはかなりうるさいが、エルミーヌはこれくらいでは絶対に起きない。耳元で怒鳴っても無駄であるのは俺もよく知っている。一度耳元で大砲撃ったらどうなるか試したい。こいつのことだからそのまま寝ていそうだが。

「俺が代わる」
「ライオール様、申し訳ございません。よろしくお願いいたします」

 俺は毎朝のことながら、エルミーヌの寝室のドアを強引に蹴破って勝手に寝室へと入った。

 エルミーヌは無意識に、というか寝ながら寝室に結界の魔法を張っている。こいつは本当に無駄な才能の塊なのだ。
 無意識のくせに俺のようなそこそこ魔法が扱える人間でなければ破れない強い結界だから、メイドがどんなに怒鳴っても、丸太でドアを破ろうとしたとしても起きない。現に寝室のドアはかなり立派で重厚なドアだが傷だらけで、かなり大きな凹みもある。ブチ切れたメイドがドアを破ろうと武器を持ち出した名残だった。多分エルミーヌは気付いてもないだろう。なお、そのメイドはドアに大きな傷を付けたことで責任を取るべく辞職を願い出たが、エルミーヌを起こす以外にはとにかく有能なために受理されず、今もドアの前で青筋を立てている。

 エルミーヌの睡眠は、本人が満足して目を覚ますまでどうにもならない。とはいえエルミーヌは睡眠時間がどれだけあっても満足なんて絶対にしないから、本人に任せたら毎日確実に遅刻だろう。それで俺の出番なのだった。

 本来俺は、いつか嫁にいくだろうエルミーヌの代わりに、公爵家を継ぐ存在としてこの家に養育されていた。外付けの予備パーツみたいなものだ。
 バタンテール公爵にはエルミーヌしか子供が出来なかった。婿を取って女公爵にさせる案もあったようだが、王太子と年齢が近く、見た目も良く育ったエルミーヌには嫁がせて王妃にさせた方が旨味がでかいとでも思ったのだろう。
 しかしお生憎様、とばかりにエルミーヌはめちゃくちゃな女だった。普通の女の子が喜ぶことで喜ばず、興味を持たず、エルミーヌはただひたすら寝てばかりいた。
 そのくせ、頭がよく、魔力も豊富で発想力もあるという才能の塊だ。俺なんて、ひたすら努力し続けて、結果が出せなきゃいつ別の外付け予備パーツがやってくるのかわかったもんじゃないってのに。
 そうしたら、エルミーヌを起こす専用の仕事として職を得てやろうと目論んでいる。はっきり言って俺ほど早くしっかりとエルミーヌを起こせるやつはいない。公爵本人にも無理だった。実の母の公爵夫人にさえ、泣きながらこの子を起こすのは無理だとお手上げされてしまうほどに寝汚い。

 エルミーヌの寝室に入った俺はスヤスヤと安らかに眠るエルミーヌを見下ろした。白く小さな顔、静かに閉ざされた長い睫毛、すっと通った鼻筋に上品そうな小さな唇。毎日よく寝ているから肌もツヤツヤで吹き出物ひとつないし、外にもあまり出ないから透けるような白い肌だしで、とにかく文句なしの美少女だ。寝ている間は、と付くけど。眼を開いても本当にとにかく美少女ではあるのだが、飛び出す言葉がとにかく尋常ではない。俺の名前、ライオールもライと略すのは全部言うのが長くて面倒くさいからだと俺は知っている。
 そんなめちゃくちゃな女だ。

 それでも、俺はこいつが好きだった。

 俺はエルミーヌの幸せのために公爵家を継ぐことも了承したし、エルミーヌのためならなんでもする。俺はエルミーヌと結婚出来ないとしても。
 俺が、そう決めたのだ。

 白い頰にちょん、と触れる。勿論全く起きる気配もない。

「……おい、起きないとキスするぞ、この馬鹿」

 起きるはずもない。
 俺はちょっと溜息を吐いてから、エルミーヌに激しく揺さぶった。

「おい、起きろ!この馬鹿!」

 さすがに激しくガクガクと揺さぶり、布団を引っぺがして小脇に抱えて運搬すれば目を覚ます。

「うー……う……ん、ね、むー」
「いつもだろ!おら、起きろ!」

 小脇に抱えたエルミーヌをメイドに引き渡して、エルミーヌは身支度。
 俺は他のメイドにエルミーヌの朝食を用意させた。エルミーヌの鞄に今日使う教科書や教材が揃っているかもチェックする。それから馬車の用意をさせ、曜日や季節、昨今の道路事情からどの道が渋滞をするのかを予想し、どのルートで学校へ向かうのが一番早いかを考えて指示を出す。
 俺、もしかして執事とかやったらいい線いくんじゃないだろうか。



「ねえ、紐パンって人に履かせてもらえるから楽でいいよね」

 馬車の中でうつらうつらしながらそんなとんでもないことを言ってくるエルミーヌ。
 何を言っているのだお前は。

「お前、パンツまで履かせてもらってるのかよ……」

 さすがに俺もちょっと引いた。それを従兄弟とはいえ同い年の男に言えてしまうエルミーヌにだ。羞恥心とか何か色々欠落しているとしか思えない。この紐パン女め。

 もうすぐ学校というあたりでエルミーヌはノロノロと動き出し、カロリーフレンドとかいう流動食を吸った。

 エルミーヌが開発したこの流動食は凄まじいものだった。特許を取って独占販売すればひと財産どころじゃないほど儲かるだろう。だが、こいつは書類を書くのが面倒、審査会とかヤダ、寝てたい。と作り方も一切惜しまず全公開した。
 公爵もさすがに勿体なさそうにしていたが、これもノブレス・オブリージュであり、公爵家の名誉に、ひいては王妃になってからの大きな武器になると俺が説き伏せた。

 俺としては流動食でもなんでも、エルミーヌがちゃんと食事をするのが嬉しかったから、ぶっちゃけなんでもいい。
 食べるのも億劫がって、食事中に寝てしまうせいでろくに食べない頃のエルミーヌは本当に痩せていて不健康だったが、カロリーフレンドのおかげで今では健康的な細身と言えるくらいをキープしている。やるじゃん、カロリーフレンド。俺にとってもお前は友だ。
 ちなみに小脇に抱える際に体重を確認しているのは内緒だ。それでもまだ今も折れそうなほどに華奢だ。もう少し太っても小脇に抱えて運搬出来るように俺も筋力をつけるように日々努力している。倍くらいまでならいけるな。


「ねむ……」
「そろそろ目は開けとけ」
「うん……」

 学校では抱えて運搬が出来ないから俺は半分寝ているエルミーヌの手を引いて移動する。
 エルミーヌは本当に色白でほっそりしている。一応学校には病弱という設定で通している。突然力尽きて寝たりするからだ。
 俺はその病弱な公爵令嬢の護衛っぽいやつ扱いだろう。エルミーヌにちょっかいかけそうな男にはガンを飛ばし、エルミーヌをいじめそうな女にもガンを飛ばした。

 エルミーヌを席に座らせてから、自分の教室へと戻ろうとする俺の前に、女生徒が立ち塞がった。

「あーん、やっと一人になったぁ!ねえ、アナタ、ライオール・バタンテールよねぇ?次期公爵の。ねえ、私の目を見て……」
「誰だお前、もう予鈴なるぞ」

 俺は無視して自分の教室へと走った。
 残された女はぽかんとしていた。本当になんだったのだろうか。
 それからもその女に何度か声をかけられたが、特に用もなさそうだったのでその都度無視した。毎回側に連れている男が違う。つまり取り巻きもたくさんいるようだから男には不自由していないだろうに。本当に意味が分からない。

「攻略対象なのに、なんで塩対応なのよぉ!おかしいわよ!このクソゲー!」

 言っていることも意味不明だった。
 意味がわからん女は、俺にはエルミーヌだけで十分だ。キャパオーバーしてしまう。


 昼休み、俺は中庭に向かう。
 エルミーヌがスヤスヤと眠っているベンチに誰も近付けないように見張りをしていた。
 ベンチに寄りかかって木漏れ日を浴びながら安らかな寝息を立てているエルミーヌはこれ以上ないほどに綺麗だった。絵画のように綺麗なエルミーヌの寝顔を見ていいのは今のところ俺だけだ。

 俺は懐中時計を取り出して時間を確認する。あと10分。
 昼休みが終わるまで、ゆっくりエルミーヌの寝顔を見て寝息を聞いているこの時間が一番の幸せだった。


「むにゃ、ライ……すき……」

 俺もだよ、という言葉は飲み込んだ。
 俺はエルミーヌを幸せにすることでしか幸せになれない外付けの予備パーツだ。

 今日は天気がいい。エルミーヌが眩しくないように少し移動して影を作る。天気のいい日は日傘を用意してさしてやったほうがいいかもしれない。

 幸せそうに寝息を立てるエルミーヌが愛しくて、俺は微笑んだ。




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