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第7話「月の証言」
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リハーサルが終わった後の照明チェックは、思った以上に時間を食った。
夜のロケ地は音がよく通る。ざわつく波の音にかき消されぬよう、スタッフは一人一人が声を潜め、しかし確実な連携で機材を片づけていた。
「ここ、まだ残ってますよ」
石田が指差したのは、舞台裏の岩場近く――照明機材の仮設位置だった。仮設とはいえ、設置と解体には手間がかかる。撮影の度に移動させるのではなく、現場に一時保管しておくこともある。特に、夜の再撮が前提にあった今回のスケジュールでは。
ヨウジは頷き、控えめに礼を言った。「ありがとう。あの……ちょっとだけ、いいかな」
「はい?」
静かな足音で近づいたのは、制服姿のようこだった。リハの合間に一度着替えたのか、シャツの袖が少し折れている。
「あなた……その日、見たって言ってましたよね。サリーさんが誰かと、一緒にいたって」
石田は一瞬目を泳がせたが、すぐに思い出すように口を開いた。
「ああ……ええ、見ました。たぶん……あれは、あの晩のことです」
「場所は?」ヨウジが重ねて尋ねる。
「えっと……岩場の方に向かって歩いていくのが見えました。暗かったけど、顔は、はっきり――見えた気がします」
「誰と一緒だったかは?」
「それが……よくわからなくて。男の人でした。背はそんなに高くなくて、黒っぽいシャツだったような」
ようこがそっと息を吐いた。
「そのときの時間、覚えてますか?」
「時計は見てなかったんですけど……たぶん、夜の10時とか11時ぐらいだったと思います」
「それって、撮影が終わった後?」
「そうですね。みんな機材の整理を始めてて、僕は道具の確認で戻ってて……そのとき、ふと振り返ったら、見えたんです」
ヨウジは石田の目を見ていた。
誠実で、嘘をついている様子はない。ただ、記憶を辿っているだけに見える。
「どっちの方向でした?」
「えっと……北のほうです。岩場のあたり」
ようこが軽く顔をしかめた。
石田は慌てて付け加える。「でも……そんなに確かじゃないです。距離もあったし……暗かったし。あ、でもサリーさんだとは思ったんです。髪が……あの、ふわってしてたから」
「そのとき、現場に照明は?」
「いや……もう消してました。予備灯も一部だけ。だから、向こうからの光だったと思います。あっちの方向、ホテルとかあるから」
ヨウジはその“光”という言葉が気にかかった。
ようこも同じことを考えていたのか、少しだけ言葉を切ったあと、静かに訊いた。
「……それって、“見えた気がした”ってことですか?」
「はい……そうかもしれません。遠くだったし。でも、あの髪型は、きっと彼女だったと……」
そのあと、石田は申し訳なさそうに頭を下げた。「あまり役に立たない証言で、すみません」
ヨウジは首を振った。「いや、ありがとう。すごく参考になった」
ようこと目を合わせながら、彼はその場を離れた。
夜の海風が、少しだけ強くなっていた。
「……変だと思わない?」
「うん。というか、ひっかかる」
ようこは、髪を押さえながら視線を遠くに向けた。
「私、そのとき――たしか照明の確認で別の場所にいた。だけど、石田さんの証言が本当なら、サリーさんは誰かと“外にいた”ことになる。録音のタイムスタンプと、合わない」
「それに……」
ヨウジは声を落とした。「誰が、石田に“それを見せた”んだろうな」
その場にはいなかったはずの光――
顔が見えるほどの光源が、そこにあったというなら。
それは偶然なのか、それとも――。
スタッフたちが去った会議室に、ヨウジだけが残っていた。
テーブルの上には、現場のスケッチ、報告書、そして数人分の簡易な聞き取りメモ。
――サリーが最後に目撃されたのは、午後九時すぎ。
撮影現場から南の海岸へ向かう途中、誰かと一緒にいたという声もあれば、「一人だった」とする証言もある。
証言の整理を進める中で、矛盾と沈黙が交互に浮かび上がってくる。
誰が何を見たのか、誰が本当のことを言っているのか。
それはまだ、誰にもわからなかった。
部屋の扉が軽くノックされた。
「ヨウジさん」
スタッフのひとりが顔をのぞかせた。
「現地警察から連絡が入りました。明日、関係者への事情聴取を本格的に始めるそうです」
「わかった」
ヨウジはうなずき、立ち上がった。
控室に置いたままのファイルを取りに行こうとしたとき、もうひとつ声が飛んできた。
「ようこさん、今ホテルに戻ったそうです。少し疲れてるみたいで……部屋で休むと」
「ありがとう。……伝えといて、“無理はしなくていい”って」
スタッフが退室し、再び静けさが落ちる。
ヨウジは机に残されたメモを一枚手に取り、ふと考える。
事件の輪郭は、まだ遠い。
だが明日から、順に話を聞く機会が与えられる。
その中で、何が出てくるか――誰が何を、どう語るのか。
カレンダーを一瞥し、ヨウジは深く息をついた。
夜は長い。まだ、始まったばかりだ。
夜のロケ地は音がよく通る。ざわつく波の音にかき消されぬよう、スタッフは一人一人が声を潜め、しかし確実な連携で機材を片づけていた。
「ここ、まだ残ってますよ」
石田が指差したのは、舞台裏の岩場近く――照明機材の仮設位置だった。仮設とはいえ、設置と解体には手間がかかる。撮影の度に移動させるのではなく、現場に一時保管しておくこともある。特に、夜の再撮が前提にあった今回のスケジュールでは。
ヨウジは頷き、控えめに礼を言った。「ありがとう。あの……ちょっとだけ、いいかな」
「はい?」
静かな足音で近づいたのは、制服姿のようこだった。リハの合間に一度着替えたのか、シャツの袖が少し折れている。
「あなた……その日、見たって言ってましたよね。サリーさんが誰かと、一緒にいたって」
石田は一瞬目を泳がせたが、すぐに思い出すように口を開いた。
「ああ……ええ、見ました。たぶん……あれは、あの晩のことです」
「場所は?」ヨウジが重ねて尋ねる。
「えっと……岩場の方に向かって歩いていくのが見えました。暗かったけど、顔は、はっきり――見えた気がします」
「誰と一緒だったかは?」
「それが……よくわからなくて。男の人でした。背はそんなに高くなくて、黒っぽいシャツだったような」
ようこがそっと息を吐いた。
「そのときの時間、覚えてますか?」
「時計は見てなかったんですけど……たぶん、夜の10時とか11時ぐらいだったと思います」
「それって、撮影が終わった後?」
「そうですね。みんな機材の整理を始めてて、僕は道具の確認で戻ってて……そのとき、ふと振り返ったら、見えたんです」
ヨウジは石田の目を見ていた。
誠実で、嘘をついている様子はない。ただ、記憶を辿っているだけに見える。
「どっちの方向でした?」
「えっと……北のほうです。岩場のあたり」
ようこが軽く顔をしかめた。
石田は慌てて付け加える。「でも……そんなに確かじゃないです。距離もあったし……暗かったし。あ、でもサリーさんだとは思ったんです。髪が……あの、ふわってしてたから」
「そのとき、現場に照明は?」
「いや……もう消してました。予備灯も一部だけ。だから、向こうからの光だったと思います。あっちの方向、ホテルとかあるから」
ヨウジはその“光”という言葉が気にかかった。
ようこも同じことを考えていたのか、少しだけ言葉を切ったあと、静かに訊いた。
「……それって、“見えた気がした”ってことですか?」
「はい……そうかもしれません。遠くだったし。でも、あの髪型は、きっと彼女だったと……」
そのあと、石田は申し訳なさそうに頭を下げた。「あまり役に立たない証言で、すみません」
ヨウジは首を振った。「いや、ありがとう。すごく参考になった」
ようこと目を合わせながら、彼はその場を離れた。
夜の海風が、少しだけ強くなっていた。
「……変だと思わない?」
「うん。というか、ひっかかる」
ようこは、髪を押さえながら視線を遠くに向けた。
「私、そのとき――たしか照明の確認で別の場所にいた。だけど、石田さんの証言が本当なら、サリーさんは誰かと“外にいた”ことになる。録音のタイムスタンプと、合わない」
「それに……」
ヨウジは声を落とした。「誰が、石田に“それを見せた”んだろうな」
その場にはいなかったはずの光――
顔が見えるほどの光源が、そこにあったというなら。
それは偶然なのか、それとも――。
スタッフたちが去った会議室に、ヨウジだけが残っていた。
テーブルの上には、現場のスケッチ、報告書、そして数人分の簡易な聞き取りメモ。
――サリーが最後に目撃されたのは、午後九時すぎ。
撮影現場から南の海岸へ向かう途中、誰かと一緒にいたという声もあれば、「一人だった」とする証言もある。
証言の整理を進める中で、矛盾と沈黙が交互に浮かび上がってくる。
誰が何を見たのか、誰が本当のことを言っているのか。
それはまだ、誰にもわからなかった。
部屋の扉が軽くノックされた。
「ヨウジさん」
スタッフのひとりが顔をのぞかせた。
「現地警察から連絡が入りました。明日、関係者への事情聴取を本格的に始めるそうです」
「わかった」
ヨウジはうなずき、立ち上がった。
控室に置いたままのファイルを取りに行こうとしたとき、もうひとつ声が飛んできた。
「ようこさん、今ホテルに戻ったそうです。少し疲れてるみたいで……部屋で休むと」
「ありがとう。……伝えといて、“無理はしなくていい”って」
スタッフが退室し、再び静けさが落ちる。
ヨウジは机に残されたメモを一枚手に取り、ふと考える。
事件の輪郭は、まだ遠い。
だが明日から、順に話を聞く機会が与えられる。
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