ストロベリームーン・セレナーデ

ukon osumi

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第15話「遠ざかる日常」

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 朝の浜辺は、風が強かった。
ヨウジは、潮の香りに満ちた海辺を歩きながら、昨日の夜のようこの言葉を思い出していた。
 ──「私たち、共犯なのかもしれないね」
 共犯――
 それは冗談のように発された言葉だったが、ヨウジにとっては、奇妙な重みを持って響いた。
 彼女と自分が共有している“感覚”は、事件の核心に近づいている手応えのようなものだった。
 そしてその中心には、やはりあの三人がいる。
 横沢サリー、高崎亮二、君島葵。
 その三人の間には、明らかに“仕事の関係”だけではないものがあった。
 親密さ、緊張感、そしてあの日、ようこが目にした“密会”という一瞬の事実。
 ――恋、か。
 ヨウジは、そう呟きそうになるのを飲み込んだ。
 この事件の背後には、「感情」がある。
 それも、まっすぐな恋ではない。
 誰かが誰かを独占しようとし、誰かが誰かに置き去りにされ、それが渦となって事件を飲み込んでいった。
 歪んだ恋。
 嫉妬。
 憎しみに近い執着。
 そうしたものが、この事件の“起点”ではないかと、ヨウジは思い始めていた。
 その日、ロケは午後からの予定だった。
 ヨウジは控室の裏で、セット設営の進行表を確認していた。
 そこに、ようこの姿があった。
 彼女は、記録ノートをめくりながらスタッフと静かに会話をしていた。
 その仕草に迷いはない。現場にすっかり馴染んでいるようにも見える。
 だが――彼女の表情には、どこか疲れのようなものが滲んでいた。
 以前のような、イサムと一緒に笑う姿は、もう見られなかった。
 その後ろから、イサムがやってきた。
 「ようこ、昨日の夜さ、メシ行こうって言ったのに、どこ行ってたの?」
 無邪気な声。だが、その“無邪気さ”が、どこか浮いている。
 ようこは顔を上げず、ただ「ごめん、ちょっと……」とだけ答えた。
 イサムは不満げに肩をすくめ、「まぁ、今日の夜また誘うよ」と言い残して離れていった。
 その背中を、ようこは一度も見送らなかった。
 ヨウジは、ふたりの間に流れる空気を、ひと目で感じ取った。
 ようこは、もうイサムを見ていない。
 けれど、イサムはまだ“恋人でいられる”と思っている。
 そのずれが、あまりにも痛々しかった。
ヨウジは、ようこが今どこを見ているのか、気づかぬふりをしていた。
彼女はまだイサムと恋人関係にある。
けれど、もうイサムを見てはいない――そのことだけは、痛いほど伝わってきた。
そんなことを考えてしまう自分に、ヨウジはわずかに苦笑した。
同時に、ふと心をよぎったのは、葵のことだった。
 彼女の視線。サリーの香水を見つめる執着。
 そして、サリーがいなくなったあとの現場での立ち居振る舞い。
 あれは、単なる新人女優の“代役”ではない。
 サリーの“代わり”になろうとしていた。
 彼女の存在そのものを、手に入れようとしていたように――。
 「ヨウジさん」
 声に振り返ると、ようこが近づいていた。
 「さっき、イサムに声かけられたでしょ。……もう、返事するのが疲れちゃった」
 その言葉は、苛立ちでも怒りでもなかった。
 ただ、疲労感と、決着の気配を帯びていた。
 「別れ話は、しないのか」
 「言っても、彼、わかんないと思う。ただ、“いつも通り”でいたいだけだから。
 たぶん、もう私たち、自然に終わるんじゃないかな」
 ようこは、夕方の空を見上げた。
 陽はまだ沈まないが、空の色が少しずつ深まっていた。
 「なんかね……今日、サリーさんの写真見てて思ったの。
 “終わる”って、なにも死ぬことだけじゃないんだなって。
 心が離れるのって、すごく静かなのに、ちゃんと“終わり”なんだなって」
 ヨウジは、その言葉の重みを噛みしめていた。
 ようこが“過去”から歩き出しているのが、はっきりとわかった。
 そして彼女は今、目の前の“何か”に向かおうとしている。
 ――事件の核心へ。
 それとも、自分の隣へ。
 その日、ロケ地にはどこか重たい空気が漂っていた。
 陽射しは強く、スタッフたちの動きに張り詰めた緊張はなかったはずなのに、
 ヨウジには、誰もが何かを抱えて沈黙しているように見えた。
 撮影現場の一角。
 君島葵が、控室の椅子に腰かけてセリフを見直していた。
 身につけていたのは、サリーがかつて着ていた水着に似たデザインの衣装だった。
 その姿を見たとき、ヨウジの中に、言葉にできない違和感が湧き上がる。
 「サリーの代役」としての立場を超えて、“なにか”を模倣している。
 立ち居振る舞い、笑い方、スタッフへの口調。
 それらのすべてが、まるで“役”ではなく、“誰か”になろうとする行為に見えた。
 彼女の視線がふと、遠くのテントの方を見やる。
 そこには、高崎亮二の姿があった。
ふたりの目が合ったようには見えなかった。
だが、なにかを共有しているような静かな間があった。
設営の進行に問題がないか確認していたヨウジは、ふと現場の空気に目を留めた。
――やはり、ふたりの間には何かがある。
 サリーの死。
 そして、それに続くようこの“事故”。
 すべてが、偶然の連鎖では片付けられない。
 昼休憩に入り、スタッフが散り始めたとき、イサムがようこのもとに近づいた。
 ヨウジもその場にいた。
 「ようこ、ランチ行こうよ。オススメのプレートランチ屋、教えたじゃん?」
 イサムの声は明るく、あくまでも“恋人としての距離感”を崩していない。
 だが、ようこは軽く首を横に振った。
 「今日は、ちょっと……食欲ないから」
 「また? 最近ずっとそうだよ。俺のこと、避けてる?」
 「そんなことないよ」
 ようこはそう言ったが、目線は合っていなかった。
 イサムは、それでも軽く笑って肩を叩いた。
 「じゃあ、終わったら部屋寄ってよ。ちょっと話したいことあるし」
 ようこは返事をしなかった。
 イサムが去ったあと、彼女はしばらくその背中を見つめていた。
 けれど、その目には、もはや“愛情”も“迷い”もなかった。
 ヨウジは、その姿を遠巻きに見ていて、はっきりと確信した。
 ――ようこは、もう彼の隣にはいない。
 別れの言葉を口にする必要すら感じていないのだろう。
 もう、心がそこにいないことを彼女自身が受け入れてしまっている。
 それは、静かで、だが確かな終わり方だった。
 ヨウジは現場の資料バッグに入れていたメモ帳を開き、ひとつの言葉を書き込んだ。
 「恋」
 そして、その下に、もうひとつ。
 「嫉妬」
 事件の中には、確実にこの感情がある。
 誰かの想いがねじれ、ぶつかり、誰かを排除する方向へ動いた。
 その始まりが、どこだったのかはまだ見えない。
 でも――
 「誰かが、誰かを、いなくなってほしいと思った」
 その想いが、サリーを殺した。
 午後の撮影準備が始まり、スタッフたちが再び集まり出す。
 その中で、君島葵が現場の中央に立ち、カメラマンの指示に頷いていた。
 表情には一切の緊張も乱れもない。
 むしろ、自然すぎるほどに。
 ヨウジはその姿を見て、心の奥に、うまく形にできない“不安”が広がっていくのを感じていた。
 ようこが狙われた“あの日”。
 現場の裏で、葵がどう動いていたか。
 監視カメラの記録には写っていなかった。
 だが、機材の配置を記録していたスチール写真の中に、偶然その姿があった。
 それを思い出すと、背筋にうすら寒い感覚が走る。
 午後の光が傾き始めた浜辺で、
 ヨウジは、静かに、そして確実に思っていた。
 この事件は、“恋”によって歪められた。
そして今も、その歪みの中で、誰かが“次の動き”を始めようとしている。
その誰かが誰なのか。
誰が次に動くとしても、ようこがその矢面に立たされることだけは、あってはならない。
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