ストロベリームーン・セレナーデ

ukon osumi

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第21話「揺れる証明」

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 ヨウジは再生ボタンを押したまま、指先でメモの紙片を押さえていた。
 スピーカーから流れるのは、あの夜の声――怒鳴り声と、笑い声に似た乾いた息。
 音は確かにここにあるのに、正体だけが、まだ揺れている。
 机の上には、星表、潮汐表、月の軌道図、そして証言のメモが並んでいた。
 どれも紙切れのはずなのに、ひとつひとつが刃物みたいに鋭い。
 噛み合わせさえすれば、嘘を切れる。
 噛み合わなければ、こちらの手を切る。
 ヨウジは録音レコーダーの画面を見た。
 「6月7日、22時13分……」
 数字は動かない。
 動かないのに、証言のほうが動いてくる。
 “その時間、サリーは浜辺を歩いていた”
 “月の下にふたりの影があった”
 “海のほうから月が昇っていた”
 ヨウジは、月の軌道図を引き寄せた。
 6月7日のワイキキ。22時台の月は南東の空。
 高くも低くもない位置で、ゆっくりと夜を渡っていく。
 なのに、証言の言葉は、まるで別の空を見ている。
 「……同じ夜じゃない」
 独りごちた声が、部屋の天井に吸われた。
 ようこは、窓際に立っていた。
 ブラインド越しの光が、彼女の頬に細い影を落としている。
 その影だけが、さっきから微かに揺れていた。
 「証言って、こんなに簡単にズレるんだね」
 ようこが言う。
 責める響きはなかった。怖さだけが、淡く残っている。
 「ズレたんじゃない。……ズラされた」
 ヨウジはメモを指先で叩いた。
 「同じ時間のはずがない証言が、同じ時間として並べられてる。偶然なら、もっと散る。これは揃えにいってる」
 ようこは机に近づき、ポーチから小さなメモ帳を出した。
 昨日見つけた引き出しの中のやつだ。
 ページを開くと、赤いペンの走り書きがある。
 “ずっと見られている気がする”
 “気配がする。照明がついてるときだけ”
 “音がする。誰もいないのに”
 “夜の空が、違って見える”
 ヨウジは、その最後の一行を見つめた。
 「夜の空が、違って見える……」
 「サリーさん、月の位置が変だって気づいてたのかもしれない」
 ようこは、ゆっくりと言葉を選んだ。
 「“空が違う”って、そういうことだよね。星とか月とか、普段気にしない人でも、何かがおかしいと感じるときがある」
 ヨウジはうなずいた。
 机の上の資料を、ひとつずつ寄せて、線を作る。
 録音の時刻。
 その時刻に、控室にいたはずのサリー。
 そして、“月の下で見た”と言われる証言。
 さらに、反射板がずれていたという現場の小さな違和感。
 「ようこさん、あの反射板の話、もう一度」
 「照明の西川さんが言ってた。『誰も触ってないのに、反射板が少しだけ角度変わってた』って」
 ようこは眉を寄せる。
 「現場の人って、そういう“ちょっとのズレ”に敏感だから……たぶん、本当」
 ヨウジは、控室の簡単な見取り図をノートに描いた。
 窓の位置、鏡の位置、ドアの位置。
 反射板が置かれるであろう位置を、薄い線で書き込む。
 「月が南東にあるなら、控室に入る光の角度はこう。影はこう伸びる」
 ペン先が止まる。
 「でも、証言は“月の真下に影があった”。つまり、月が“正面”にあった前提で話してる」
 ようこが、その線を見て目を伏せた。
 「……照明で作れる?」
 「作れる。月みたいな光は、作れる」
 ヨウジは言い切った。
 「現場にあるのは、光を作る道具と、光を嘘にする技術だ。演出のための光が、嘘のために使われたら、目撃者は“月を見た気がする”って言ってしまう」
 ようこは、静かに息を吸った。
 「じゃあ、証言者は、わざと嘘をついたんじゃなくて……“そう見せられた”可能性もある?」
 「ある。だからこそ、揺れる」
 ヨウジは録音の停止ボタンを押した。
 部屋が急に静かになる。
 「嘘をついたのか、嘘を信じさせられたのか。そこが揺れる。でも揺れても、ここだけは揺れない」
 彼は、録音のタイムスタンプを指でなぞった。
 「22時13分に、声は録れてる。これは動かない。動かないものがあるなら、動く証言は切れる」
 ようこは、メモ帳を閉じた。
 その動作が、妙に決意の音に聞こえた。
 「……警察に、渡そう」
 ヨウジは顔を上げた。
 「証拠っていうより、“矛盾の束”としてね」
 ようこは続ける。
 「あなたが言ってたでしょ。噛み合わせれば嘘が切れるって。今なら、噛み合ってる」
 ヨウジは、机の資料をまとめ始めた。
 紙を重ねる音が、規則的に響く。
 ひとつひとつが、真実の形に近づく音だった。
 そのとき、スマートフォンが震えた。
 画面には、刑事の名前。
 ヨウジは、一瞬だけようこを見る。
 ようこはうなずいた。
 「……はい」
 通話の向こうの声は、短かった。
 事情聴取の段取り。呼び出す相手。今日中に確認したい事項。
 そして最後に、低い声で言われる。
 「高崎亮二には、明日、正式に話を聞きます。君島葵についても、動きます。――あなたたちの資料、こちらでも預かりたい」
 ヨウジは、視線を落としたまま答えた。
 「持って行きます。今から」
 通話を切ると、ようこが口を開いた。
 「もう戻れないね」
 「戻らない」
 ヨウジは資料の束を抱えた。
 「揺れてるのは、俺たちの気持ちじゃない。証言のほうだ。……揺れを止める」
 ふたりは部屋を出た。
 廊下の蛍光灯が床に白い影を落とす。
 その影は、どこにも逃げない。
 踏み込めば、踏み込んだぶんだけ、形になる。
 揺れる証明は、いま、固まろうとしていた。
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