21 / 24
第21話「揺れる証明」
しおりを挟む
ヨウジは再生ボタンを押したまま、指先でメモの紙片を押さえていた。
スピーカーから流れるのは、あの夜の声――怒鳴り声と、笑い声に似た乾いた息。
音は確かにここにあるのに、正体だけが、まだ揺れている。
机の上には、星表、潮汐表、月の軌道図、そして証言のメモが並んでいた。
どれも紙切れのはずなのに、ひとつひとつが刃物みたいに鋭い。
噛み合わせさえすれば、嘘を切れる。
噛み合わなければ、こちらの手を切る。
ヨウジは録音レコーダーの画面を見た。
「6月7日、22時13分……」
数字は動かない。
動かないのに、証言のほうが動いてくる。
“その時間、サリーは浜辺を歩いていた”
“月の下にふたりの影があった”
“海のほうから月が昇っていた”
ヨウジは、月の軌道図を引き寄せた。
6月7日のワイキキ。22時台の月は南東の空。
高くも低くもない位置で、ゆっくりと夜を渡っていく。
なのに、証言の言葉は、まるで別の空を見ている。
「……同じ夜じゃない」
独りごちた声が、部屋の天井に吸われた。
ようこは、窓際に立っていた。
ブラインド越しの光が、彼女の頬に細い影を落としている。
その影だけが、さっきから微かに揺れていた。
「証言って、こんなに簡単にズレるんだね」
ようこが言う。
責める響きはなかった。怖さだけが、淡く残っている。
「ズレたんじゃない。……ズラされた」
ヨウジはメモを指先で叩いた。
「同じ時間のはずがない証言が、同じ時間として並べられてる。偶然なら、もっと散る。これは揃えにいってる」
ようこは机に近づき、ポーチから小さなメモ帳を出した。
昨日見つけた引き出しの中のやつだ。
ページを開くと、赤いペンの走り書きがある。
“ずっと見られている気がする”
“気配がする。照明がついてるときだけ”
“音がする。誰もいないのに”
“夜の空が、違って見える”
ヨウジは、その最後の一行を見つめた。
「夜の空が、違って見える……」
「サリーさん、月の位置が変だって気づいてたのかもしれない」
ようこは、ゆっくりと言葉を選んだ。
「“空が違う”って、そういうことだよね。星とか月とか、普段気にしない人でも、何かがおかしいと感じるときがある」
ヨウジはうなずいた。
机の上の資料を、ひとつずつ寄せて、線を作る。
録音の時刻。
その時刻に、控室にいたはずのサリー。
そして、“月の下で見た”と言われる証言。
さらに、反射板がずれていたという現場の小さな違和感。
「ようこさん、あの反射板の話、もう一度」
「照明の西川さんが言ってた。『誰も触ってないのに、反射板が少しだけ角度変わってた』って」
ようこは眉を寄せる。
「現場の人って、そういう“ちょっとのズレ”に敏感だから……たぶん、本当」
ヨウジは、控室の簡単な見取り図をノートに描いた。
窓の位置、鏡の位置、ドアの位置。
反射板が置かれるであろう位置を、薄い線で書き込む。
「月が南東にあるなら、控室に入る光の角度はこう。影はこう伸びる」
ペン先が止まる。
「でも、証言は“月の真下に影があった”。つまり、月が“正面”にあった前提で話してる」
ようこが、その線を見て目を伏せた。
「……照明で作れる?」
「作れる。月みたいな光は、作れる」
ヨウジは言い切った。
「現場にあるのは、光を作る道具と、光を嘘にする技術だ。演出のための光が、嘘のために使われたら、目撃者は“月を見た気がする”って言ってしまう」
ようこは、静かに息を吸った。
「じゃあ、証言者は、わざと嘘をついたんじゃなくて……“そう見せられた”可能性もある?」
「ある。だからこそ、揺れる」
ヨウジは録音の停止ボタンを押した。
部屋が急に静かになる。
「嘘をついたのか、嘘を信じさせられたのか。そこが揺れる。でも揺れても、ここだけは揺れない」
彼は、録音のタイムスタンプを指でなぞった。
「22時13分に、声は録れてる。これは動かない。動かないものがあるなら、動く証言は切れる」
ようこは、メモ帳を閉じた。
その動作が、妙に決意の音に聞こえた。
「……警察に、渡そう」
ヨウジは顔を上げた。
「証拠っていうより、“矛盾の束”としてね」
ようこは続ける。
「あなたが言ってたでしょ。噛み合わせれば嘘が切れるって。今なら、噛み合ってる」
ヨウジは、机の資料をまとめ始めた。
紙を重ねる音が、規則的に響く。
ひとつひとつが、真実の形に近づく音だった。
そのとき、スマートフォンが震えた。
画面には、刑事の名前。
ヨウジは、一瞬だけようこを見る。
ようこはうなずいた。
「……はい」
通話の向こうの声は、短かった。
事情聴取の段取り。呼び出す相手。今日中に確認したい事項。
そして最後に、低い声で言われる。
「高崎亮二には、明日、正式に話を聞きます。君島葵についても、動きます。――あなたたちの資料、こちらでも預かりたい」
ヨウジは、視線を落としたまま答えた。
「持って行きます。今から」
通話を切ると、ようこが口を開いた。
「もう戻れないね」
「戻らない」
ヨウジは資料の束を抱えた。
「揺れてるのは、俺たちの気持ちじゃない。証言のほうだ。……揺れを止める」
ふたりは部屋を出た。
廊下の蛍光灯が床に白い影を落とす。
その影は、どこにも逃げない。
踏み込めば、踏み込んだぶんだけ、形になる。
揺れる証明は、いま、固まろうとしていた。
スピーカーから流れるのは、あの夜の声――怒鳴り声と、笑い声に似た乾いた息。
音は確かにここにあるのに、正体だけが、まだ揺れている。
机の上には、星表、潮汐表、月の軌道図、そして証言のメモが並んでいた。
どれも紙切れのはずなのに、ひとつひとつが刃物みたいに鋭い。
噛み合わせさえすれば、嘘を切れる。
噛み合わなければ、こちらの手を切る。
ヨウジは録音レコーダーの画面を見た。
「6月7日、22時13分……」
数字は動かない。
動かないのに、証言のほうが動いてくる。
“その時間、サリーは浜辺を歩いていた”
“月の下にふたりの影があった”
“海のほうから月が昇っていた”
ヨウジは、月の軌道図を引き寄せた。
6月7日のワイキキ。22時台の月は南東の空。
高くも低くもない位置で、ゆっくりと夜を渡っていく。
なのに、証言の言葉は、まるで別の空を見ている。
「……同じ夜じゃない」
独りごちた声が、部屋の天井に吸われた。
ようこは、窓際に立っていた。
ブラインド越しの光が、彼女の頬に細い影を落としている。
その影だけが、さっきから微かに揺れていた。
「証言って、こんなに簡単にズレるんだね」
ようこが言う。
責める響きはなかった。怖さだけが、淡く残っている。
「ズレたんじゃない。……ズラされた」
ヨウジはメモを指先で叩いた。
「同じ時間のはずがない証言が、同じ時間として並べられてる。偶然なら、もっと散る。これは揃えにいってる」
ようこは机に近づき、ポーチから小さなメモ帳を出した。
昨日見つけた引き出しの中のやつだ。
ページを開くと、赤いペンの走り書きがある。
“ずっと見られている気がする”
“気配がする。照明がついてるときだけ”
“音がする。誰もいないのに”
“夜の空が、違って見える”
ヨウジは、その最後の一行を見つめた。
「夜の空が、違って見える……」
「サリーさん、月の位置が変だって気づいてたのかもしれない」
ようこは、ゆっくりと言葉を選んだ。
「“空が違う”って、そういうことだよね。星とか月とか、普段気にしない人でも、何かがおかしいと感じるときがある」
ヨウジはうなずいた。
机の上の資料を、ひとつずつ寄せて、線を作る。
録音の時刻。
その時刻に、控室にいたはずのサリー。
そして、“月の下で見た”と言われる証言。
さらに、反射板がずれていたという現場の小さな違和感。
「ようこさん、あの反射板の話、もう一度」
「照明の西川さんが言ってた。『誰も触ってないのに、反射板が少しだけ角度変わってた』って」
ようこは眉を寄せる。
「現場の人って、そういう“ちょっとのズレ”に敏感だから……たぶん、本当」
ヨウジは、控室の簡単な見取り図をノートに描いた。
窓の位置、鏡の位置、ドアの位置。
反射板が置かれるであろう位置を、薄い線で書き込む。
「月が南東にあるなら、控室に入る光の角度はこう。影はこう伸びる」
ペン先が止まる。
「でも、証言は“月の真下に影があった”。つまり、月が“正面”にあった前提で話してる」
ようこが、その線を見て目を伏せた。
「……照明で作れる?」
「作れる。月みたいな光は、作れる」
ヨウジは言い切った。
「現場にあるのは、光を作る道具と、光を嘘にする技術だ。演出のための光が、嘘のために使われたら、目撃者は“月を見た気がする”って言ってしまう」
ようこは、静かに息を吸った。
「じゃあ、証言者は、わざと嘘をついたんじゃなくて……“そう見せられた”可能性もある?」
「ある。だからこそ、揺れる」
ヨウジは録音の停止ボタンを押した。
部屋が急に静かになる。
「嘘をついたのか、嘘を信じさせられたのか。そこが揺れる。でも揺れても、ここだけは揺れない」
彼は、録音のタイムスタンプを指でなぞった。
「22時13分に、声は録れてる。これは動かない。動かないものがあるなら、動く証言は切れる」
ようこは、メモ帳を閉じた。
その動作が、妙に決意の音に聞こえた。
「……警察に、渡そう」
ヨウジは顔を上げた。
「証拠っていうより、“矛盾の束”としてね」
ようこは続ける。
「あなたが言ってたでしょ。噛み合わせれば嘘が切れるって。今なら、噛み合ってる」
ヨウジは、机の資料をまとめ始めた。
紙を重ねる音が、規則的に響く。
ひとつひとつが、真実の形に近づく音だった。
そのとき、スマートフォンが震えた。
画面には、刑事の名前。
ヨウジは、一瞬だけようこを見る。
ようこはうなずいた。
「……はい」
通話の向こうの声は、短かった。
事情聴取の段取り。呼び出す相手。今日中に確認したい事項。
そして最後に、低い声で言われる。
「高崎亮二には、明日、正式に話を聞きます。君島葵についても、動きます。――あなたたちの資料、こちらでも預かりたい」
ヨウジは、視線を落としたまま答えた。
「持って行きます。今から」
通話を切ると、ようこが口を開いた。
「もう戻れないね」
「戻らない」
ヨウジは資料の束を抱えた。
「揺れてるのは、俺たちの気持ちじゃない。証言のほうだ。……揺れを止める」
ふたりは部屋を出た。
廊下の蛍光灯が床に白い影を落とす。
その影は、どこにも逃げない。
踏み込めば、踏み込んだぶんだけ、形になる。
揺れる証明は、いま、固まろうとしていた。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる