【完結保証】余命宣告された侯爵令嬢は、卒業までに恋をして世界を救うことになりました 〜選択の先に、運命が待っています〜

月見ましろ

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第6話 考える前に動いた結果が、これです

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 昼休みの中庭は、いつもより少し騒がしかった。魔法学園らしく、あちこちで小さな魔法が飛び交い、失敗しては笑い声が上がる。

「ねえアイリス、昨日の実技見た?」
「見た見た。あれ絶対、炎盛りすぎよね」
「結界の端が焦げたらしいわよ」
「ええ!? 夕方まで焦げ臭かったって聞いたけど」

 友人たちの話に、アイリスは楽しそうに相槌を打った。

「焦げた匂いの学園って、ちょっと嫌ね。お腹すいてる時だと致命的だわ」
「そこ!?」

 笑い声が弾む。アイリスはこの、なんてことのない平和な時間が好きだった。――なのに。
 
(……ん?)
 
 ふと、足が止まる。土の感触が、おかしい。冷たいわけでも、湿っているわけでもない。ただ、重い。靴底の向こう側で、地面が妙に黙り込み、何かに耐えているような、そんな粘りつく感覚。
 
 土属性の魔力を持つ者にとって、地面は対話相手のようなものだ。機嫌が悪ければ、その沈黙は雄弁に危機を語る。
 
「アイリス?」
「あ、ごめんなさい。ちょっとぼーっとしてたわ」
 
 冗談めかして笑うと、友人たちはそれ以上気にしなかった。
 隣を歩くルイは、いつもと変わらない足取りながら、その黄色い瞳は鋭く周囲を走らせていた。庭園を抜ける風、行き交う生徒の声。そのどれにも乱されない、頼もしい横顔。
 
「何かありましたか、お嬢様」
 
 低く抑えた声。やはり、彼は気づいていた。
 
「ううん。ただ……なんとなく、足元が変な感じがして。落ち着かないだけよ」
 
 言葉にすると、違和感は一度脇へ追いやられる。だが、靴底が石畳に触れるたび、地面がわずかに遅れて応えるような、はっきりしない歪みは消えなかった。アイリスは一歩進みかけてから、わずかに歩調を落とした。何も起きていない。それでも、このまま通り過ぎることは、彼女の直感が許さなかった。

 その頃、ギルバート・ラカル・ルクレールは、険しい顔で教師と向き合っていた。
 
「結界の記録に揺らぎがあると聞いた」
「小さなものだが、中庭付近の観測装置が微細な振動を拾っている」
 
 ギルバートは無言で頷いた。王族である以上、そしてこの場所で力を持つ者として、不測の事態を見過ごす選択肢は最初から存在しない。

 
 夜の中庭。昼に足を止めた場所で、地面がわずかに沈んでいた。真夜中の月明かりの下では、影の歪みにしか見えない。だが、アイリスがそこに立ち止まると、地中の呻きが手のひらに伝わってくるようだった。
 
「……応急処置だけ」
 
 膝をつき、土に手を当てて魔力を流す。重い。押し返されるわけでも、引き込まれるわけでもない。糸の絡まりのような魔力の滞留。それを必死に解こうとした、その時だった。
 
「何をしている」
 
 背後から落ちた冷徹な声に、アイリスは肩を跳ねさせた。
 
「ひゃっ――!」
 
 勢いよく振り返ると、月光を背負って立つ金髪の王子がそこにいた。
 
「……ギ、ギルバート殿下!? なぜここに……!」
「それはこちらの台詞だ。なぜ一人で来た」
 
 ギルバートは腕を組み、眉をひそめている。その瞳には怒りと、隠しきれない焦燥があった。
 
「気づいたからです。結界が揺らいでる。ここ、変です」
「だからといって、ただの令嬢が一人で来る必要はない。危険があるなら、俺や教師が動く。お前の義務ではないはずだ」
 
 アイリスは引かなかった。地面に置いたままの手には、刻一刻と増すプレッシャーが伝わっている。
 
「分かっています。でも、私はここに来てしまったんです。ここで何もしない方が、私は嫌です」
 
 その時、「やっぱり、来てた」と呑気な声が夜気に溶けた。
 
 木陰から姿を現したのは、ロイド・ウィステリアだ。
 
「ロイド様!? いつからそこに!」
「君が『応急処置だけ』って言ったあたりかな」
 
 さらに、石畳を叩く焦燥した足音が響く。「お嬢様!」と駆け込んできたルイは、アイリスの無事を確かめるように全身をなぞり、安堵と怒りが混ざった溜息を吐いた。

「……やっぱり」
「やっぱりって何よ!」

 思わず声が裏返る。

「まるで、監視してるみたいじゃない! そんなに私のこと好きなの!?」
「そ、そういう意味では――!」

 慌てて否定しようとするルイの声が裏返る。言葉を選ぶ余裕すらない様子に、逆に怪しさが増した。

そのやり取りを遮るように、ロイドがさらりと口を挟む。

「結果的に全員集合だね」

 場の空気を読まない、軽い調子。

「まとめないでください!」

 即座に突っ込む。この状況で“集合”なんて言葉を使われると、背筋が寒くなる。

 けれど、その軽さとは裏腹に。ロイドの視線は、最初からずっと――地面に向いていた。

 石畳の継ぎ目。沈み込んだ影。
 さっきよりも、明らかに“深く”なっている。

「でも、もうだめかもね」

 ぽつりと落とされた言葉。
 次の瞬間だった。――ぱきり。乾いた、嫌な音がした。氷が割れるような、あるいは乾いた土がひび割れるような音。
 
「……ちょっと!」

 声を上げるより早く、ロイドが一歩前に出る。いつもの飄々とした雰囲気が、すっと消えた。

「ほら、やっぱりだめだった」

 その言葉と同時に、空気がざわりと揺れる。風もないのに、夜気が波打つように歪んだ。地面の沈みが、さっきとは比べものにならないほど大きくなる。

 石畳の隙間が、わずかに軋む音を立てた。

「これは、朝まではもたないね」

 軽い口調なのに、内容は容赦がない。

 土属性を持たないはずの三人にも、はっきり分かる異常だった。地面の奥で、魔力が渦を巻いている。内側から、外へ。押し出されるように、溢れ出そうとしている。

 ――このまま放置すれば、確実に“何か”が起きる。

「下がれ!」

 ギルバートが叫び、アイリスの腕を掴んで己の背後へ引き寄せた。

「お前は逃げろ! お前が立ち向かう事態じゃない!」

 その直後、石が砕ける音とともに地面が裂けた。アイリスは掴まれた腕を強引に振りほどき、崩れかける地表へ再び膝をついた。

 空気が跳ねる。地面が、浮くように揺れる。

「今止めないと、中庭がなくなっちゃう……!」
 考えるより先に、両手を叩きつける。

 ごごっ、と低い唸りが地面の底から響いた。土が盛り上がる。ひび割れた地面の奥から、太い“根”が引きずり出される。木でも、草でもない。地中深くに絡みついていた、無骨な土の塊。それが歪みを押さえつけるように伸び、裂け目を強引に縫い止めた。

「――今だ!」

 ギルバートが叫ぶ。

「炎、抑えに回す! 次に風!」

 声と同時に、彼自身が前へ出た。
 炎が走る。焼き切るのではなく、圧をかけるように魔力を押さえ込む。続いて風が渦を巻き、噴き上がろうとする流れを叩き落とした。

「水、流します。魔力を散らしてください!」
 
 ルイが即座に応じ、根の隙間に水を走らせて余剰魔力を吸い取っていく。
 
「じゃあ、上から蓋をしようか」
 
 ロイドが指先を動かすと、即席の薄い結界の膜が全体を覆った。
 
 役目を終えた根が砂となって崩れ、地面は静かに落ち着きを取り戻す。沈黙。残ったのは湿った土の匂いと、4人の荒い呼吸だけだった。
 
「……止まったわね」
 
 アイリスは泥だらけの手を見つめた。

「……無茶だ」

 低い声が、夜に落ちた。
 ギルバートだった。怒鳴らない。それ以上の言葉も、続かない。アイリスは、ゆっくりと顔を上げる。

「分かってます」

 声は落ち着いていた。膝の力も、すでに戻っている。

「でも、後悔はしてません」

 言い切って、視線を逸らさない。その時、頬にひやりとした感触が触れた。瞬きをする間もなく、視界の端で金色が揺れる。

 ギルバートが、懐から一枚のハンカチを取り出していた。白地に細かな刺繍が施されたそれは、月明かりの下でもはっきり分かる。

 無言のまま、頬についた泥を拭う。乱暴な動きではない。制止する手でもなかった。

「……お前の行動は、理解できない」

 言葉は短い。それ以上、感情を足さない

「だが」

 一拍。ほんのわずかな間が落ちる。

「次からは、相談しろ」
「……はい」

 素直に頷いたものの、視線はハンカチに釘付けになってしまう。白かったはずの布には、はっきりと土の跡が残っている。

(これ……絶対、高いやつ……)

 そう思った瞬間、別の意味で冷や汗が滲んだ。慌てて口を開く。

「あ、あの! そのハンカチ、私が洗います! 弁償……は無理かもしれないけど!」

 ギルバートは一瞬きょとんとし、それから、ふっと小さく息を吐いた。

「気にするな」
「お嬢様、命があっただけ儲けものだと思ってください」

 ルイの至極まっとうな指摘に、ロイドが小さく笑う。

「無事でよかったね。ハンカチも」
「重点、そこじゃありませんから!」

 夜空には何事もなかったかのように星が瞬いている。怖くなかったわけではない。

 けれど、考える前に体が動いた。その事実だけが、誇らしく、少しだけ誇らしく胸に残っていた。
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