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第9話 王子様は素直になれない
しおりを挟む放課後の喧騒が遠のいた、学園の貴賓室。
重厚の扉の向こう側では、外の身分階級とはまた異なる、閉ざされた「身内」だけの空気が流れていた。
ソファに深く身を沈めたレオンハルトは、窓の外を眺めながら、苛立ちを隠そうともせずに指先でテーブルを叩いていた。その脳裏に焼き付いているのは、あの日の回廊で自分に向けられた、あの「灰緑色の冷めた瞳」だ。
「……まだ、あの『古着』のことで拗ねているのかい? レオ」
対面に座るノアが、くすりと笑いながら声をかけた。
ノア・フェルド。今は隣国の辺境伯の息子という立場だが、レオンハルトとは幼少の折から互いの情勢を抜きにして競い合ってきた、数少ない「対等」な友人だ。
「拗ねてなどいない! 俺はただ、あの女のあまりの無礼さに腹を立てているだけだ。良かれと思って……いや、目障りだから処分に困っていたものを投げてやったというのに」
「『処分に困っていた』ねぇ。……あれ、どう見ても今期の王都で一番流行っている、最高級の令嬢用コートだったよね? しかも、絶妙な配色の」
ノアの指摘に、レオンハルトの指先がぴたりと止まった。
「……偶然だ! 倉庫の隅に転がっていたゴミ同然の代物だと言っただろう!」
「倉庫の隅に、あんなふかふかの新品が落ちているなんて、随分と夢のあるお城だ。……でもレオ、あんな派手なもの……センスが壊滅的というか、君、本当に乙女心が分かってないね」
「貴様……っ! 俺の選ん……いや、俺の拾ったものが、センスが悪いと言うのか!」
顔を真っ赤にして立ち上がるレオンハルト。その様子は、威厳ある王子というよりは、精一杯背伸びをして失敗した少年のようだった。
「そう言いながら、君の視線はあの子を追ってばかりだ。……あの子、面白いよね。僕もさっき、少しだけ彼女と過ごしたけれど」
ノアはそう言うと、わざとらしく制服の袖を捲り上げた。白磁のような生地に残る、焦げ茶色の泥の筋。それを見たレオンハルトの眉が、ピクリと跳ねる。
「……貴様、その袖はどうした。まさか、あの女の仕業か」
「仕業、なんて人聞きが悪いな。彼女がよろけたのを助けたら、少しお裾分けをもらっただけだよ。……ねえ、レオ」
ノアの瞳が、一瞬だけ遊び心を捨て、深淵のような琥珀色に沈んだ。
「今の君のやり方は、少し――いや、かなり『子供っぽい』んじゃないかな。好きな子のスカートをめくって泣かせる幼児と、大差ないよ」
「貴様……っ、言葉を選べ!」
レオンハルトが立ち上がり、激昂の炎を宿した真紅の瞳でノアを睨みつける。だが、ノアは動じない。むしろ愉しげに、ロザリーから贈られたあの「無骨な苦味」を思い出すように舌先で唇をなぞった。
「怒るなよ。僕はただ、助言しているだけさ。君がそうやって彼女を遠ざけ、傷つけている間に……彼女の本当の価値に誰かが気づいて、君の手の届かないところへ持っていってしまっても知らないよ」
「……価値だと? あんな、食うものにも困っているような没落寸前の女に、何があるというんだ」
「さあね。それは僕だけが知っていればいいことだ。……ああ、そうだ。もし君にその気が無いなら、僕が彼女を本格的に口説いても文句は言わないでくれよ? 」
ノアの挑発的な言葉が、レオンハルトの胸の奥にある、自分でも正体の分からない独占欲を鋭く抉った。
「馬鹿を言うな。俺の民だぞ」
——俺が、最初に見つけた。
自分が見下し、屈服させるべき存在だと断じたはずの女。けれど、誰よりも先に彼女の異質さに気づき、その瞳に映りたいと願っていたのは、自分ではなかったか。
ノアが去った後の静寂の中で、レオンハルトは拳を固く握りしめた。
「……何があるというんだ。あんな女に」
確かめなければならない。
彼女が学園で見せている、あの不遜なほどの誇りの源泉がどこにあるのか。彼女が帰り、心を預けている場所が、どれほど惨めで、あるいはどれほど「豊か」なのか。
「……おい。エヴァレット男爵家の屋敷の場所を調べろ。今すぐにだ」
控えていた従僕に命じるレオンハルトの声は、これまでの不器用な嫌がらせとは一線を画す、狩人のような熱を帯びていた。そこには、もはや苛立ちよりも、静かな執着があった。
ノアは振り返らず、ただ一度だけ、楽しげに笑った。
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