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一章 海の国へ

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 そして狩りの日当日。カリバン・クルスの噴水広場にはたくさんの人が詰めかけていた。この日のために宿をとってよその町から見物にやってくる人も多くいて、大通りは人でごった返していた。

 ルイは劇場の屋上から噴水広場を見下ろした。巨大な劇場のてっぺんから見ると、詰めかけた民衆は虹色の豆粒のようだ。

 広場では楽団が音楽を奏で、踊り子たちが踊っている。そこへ劇場の小高い入り口から王太子候補たちが出てきて、民衆の前に姿を現した。彼らを一目見ようと詰めかけていた人々は歓声をあげた。

 ルイは目をこらして一列に並んだ王太子候補たちを見下ろした。全員で十九人いるはずだが、十人程度しかいない。

「カリバン・クルスにいる王太子候補はこれだけってことか」

 ここからでは顔を見ることはできないが、紺色の頭があることはわかった。ライオルが手を上げると、民衆の最前列に陣取っている女性陣が沸き立った。

「はは」

 ルイは思わず笑っていた。きっと手を振りながら笑顔を向けてやったのだろう。

「外面いいもんな、あいつ」

 裏切られるまで信用しきっていたルイは複雑な気持ちになった。

 そうこうする間に、黄色い花びらをたっぷり積んだかごを持った兵士が四人、ルイの両隣で準備を始めていた。ルイも慌てて姿勢を正して腰の剣を抜いた。

「合図でばらまけ!」

 ルイの少し後ろに立つ兵士が叫んだ。

「用意……まけ!」

 兵士たちが花びらを広場に向かって撒き始めた。ルイは風を起こして黄色い花びらを空高く舞い上げた。青い海の透けるエラスム泡の空に黄色い花の渦が上っていき、噴水広場から大きな歓声が聞こえてきた。

 無事に任務が完了し、ルイは安堵の息をはいた。号令をかけた兵士はルイのところに来て言った。

「お見事でした、魔導師どの」
「どうも」
「さあ、下りて祭りを楽しんでください。いろいろ催しがありますよ」
「ありがとうございます」

 ルイは兵士たちと別れ、はしごを使って劇場の裏手に下りた。ちょうど誰もいなかったので、裏口から外につながる階段の影に座りこんだ。緊張したせいもあり、想像よりはるかに疲れてしまった。

 しばらくそこで休んでいると足音が近づいてきて、階段の上からひょいと誰かがのぞきこんだ。

「やっぱりいた」
「ライオル……」

 ライオルは苦笑して階段を下り、ルイのところに回りこんだ。ルイは急いで立ち上がったが、ふらついてライオルに抱きとめられた。

「派手に舞い上げてるなあと思ったけど、無理してたな」
「もっと早くから準備させてくれれば、もうちょっとできたんだよ」
「いやこれで十分だ。皆喜んでたよ」
「ならよかっ……」

 言い切る前に口を口でふさがれ、魔力を流しこまれた。文句を言おうとしたら舌に侵入された。

「んっ、ふぁ」

 口の中を舌でかき回され、思わずライオルの腕にすがりついた。ライオルはルイの後頭部に手を当てて深く口づけた。くちゅりと水音を立てられ、恥ずかしくてたまらなかった。ライオルは最後にルイの下唇を吸って離れていった。ルイは早鐘のように鳴る心臓を手で押さえつけた。

「よくなったか?」
「あ、その……」
「まだ足りないか?」
「いや大丈夫!」

 ルイは慌ててライオルから離れ、周囲を見回した。

「こ、こんな外で困る」

 誰もいなかったが、誰かが通りかかったらと思うと死にそうになった。

「外で、ねえ」

 ライオルは喉を鳴らして笑った。冷静になってきたルイは、ライオルが無地のシャツと地味な灰色の上着を着ていることに気がついた。

「あれ、さっきまで衣装着てなかった?」
「はは、ちゃんと見てくれてたんだな。着替えてきたんだよ。あんなのずっと着ていられないだろ」
「でもこのあとも挨拶とか顔見せとかするんじゃないのか?」
「いや、俺の役目はこれで終わりだ。さあ、祭りに行くぞ」

 ライオルはルイの手を引いた。

「行くってどこに? お前なんてすぐ目立つから無理だろ!」
「人目を気にするならむしろ人ごみに混じったほうがいいぞ。大丈夫、誰も見やしないから」

 ライオルはそのままルイを大混雑の大通りまで連れて行った。二人はあっという間に人の波に飲みこまれた。楽団の演奏と、曲に合わせて踊る人たちの笑い声と、それを眺める人たちの合唱が入り混じり、かなりうるさかった。

「こっちだ」

 ライオルはルイの手を離さなかった。ここではぐれたら一生再会できなそうなので、ルイはおとなしくライオルについていった。

 ルイはいつ人々がライオルに気づくかとドキドキしていたが、祭りを楽しむ人たちは隣の人が誰かなんて気にも留めていなかった。役人も街の人も兵士も関係なく歌い踊っている。

「お前にはこの国を好きでいてもらわないといけないからな」

 人ごみを歩きながらライオルが言った。

「打算的なことで……」
「お、あれだ! 見えるか?」

 ライオルが指さした先には大きな人だかりがあった。ルイは背伸びをして、人々の肩ごしに彼らが見ているものをのぞきこんだ。

 人だかりの中央には簡易的な柵が設けられ、その中に二頭の獰猛そうな四足獣がいた。片方は黒毛でもう片方は赤毛で、どちらの獣もルイの頭くらいの大きな角が鼻先に生えている。

「なにあれ!」
「ドルクシーだ。草食だけど狂暴だから、出会ったら逃げろよ」
「そんなのを街中で!?」
「大丈夫。ほら、調伏師がいるだろ」

 人ごみでよく見えなかったが、確かに二頭の獣の後ろにはそれぞれの調伏師らしき男が立っていた。調伏師が合図すると二頭は突進して互いの角をぶつけた。ごつんと鈍い音が響き、観衆がわっと叫んだ。

「なるほど、調伏師の獣の戦いか。こんな間近でやるなんてすごいな」
「だろ?」

 ドルクシーの戦いは迫力があり、ルイは固唾をのんで見守った。二頭は何度も角をぶつけ合い、そのたびに歓声があがった。ついに黒いドルクシーが強烈な頭突きを赤いドルクシーにお見舞いし、勝負がついた。調伏師がそれぞれの獣を下がらせ、割れんばかりの拍手が起こった。

 見終えるとライオルは再びルイを連れて歩き出した。

「今度はどこに行くんだ?」
「決闘があるから見に行こうと思ったんだけど、ちょっと遠いんだよなあ……」
「海の人って戦わせるの好きだな……」
「そうだ、魔導師のショーを見に行こう」

 ライオルは方向転換して闘技場に向かった。闘技場は大通りを過ぎたところにある、劇場より大きな円形の建物だ。入り口から入らないと観客席に行けないのだが、観音開きの大きな扉は固く閉ざされていた。

「閉まってるよ?」
「予約制だからな。大丈夫、こっちから入れる」

 ライオルは入り口の横の細い通路に入っていった。どう見ても従業員用の通路だ。通路の先には小さな扉があり、濃灰の軍服を着た兵士が一人見張りに立っていた。兵士はライオルを見るとあっと声をあげた。

「隊長! なにしてるんですかこんなところで」
「ちょっと用事があって。中に入らせてくれ」
「え、仕事ですか?」
「いや、用事」

 兵士は戸惑っていたが、ライオルの後ろにいるルイを見て、決死の表情で首を横に振った。

「だ、だめです」
「なんだ俺の言うことが聞けないのか」
「で、でも……用事って、個人的に遊びに来たんじゃないんですか……?」
「そうだけど」
「ほらあ!」
「休日に警備なんてさせて悪かったな。あとで守衛の奴らに文句言っておいてやる」
「え? いえ、別にこれくらいなんてことないですけど……」

 ねぎらいの言葉をかけられて兵士が気を緩めた隙に、ライオルはルイの腕を引いて兵士の横を突破した。

「あっ!」

 ライオルは素早く扉を開けて中に入り、ルイも引っ張りこんだ。

「だめですってー」

 困り顔の兵士の鼻先でライオルは扉を閉じた。

「よし」
「よくないと思う……そういうの職権濫用って言うんだぞ」

 ライオルはルイの言葉を無視して通路を進んだ。観客席は闘技場の内側に階段状にずらりと並んでいて、中央の円形の舞台でショーが開催されていた。すでにショーは始まっていて観客席は満員だったため、二人は一番上の通路に立ってショーを眺めた。

 見たことのない不思議なショーだった。舞台の上に球状の大きなエラスム泡が浮かんでいて、水で満たされた内部をひらひらした水着を着た踊り子たちが音楽に合わせて踊っている。踊り子たちは一糸乱れぬ隊列を組み、万華鏡のように花開いたりして優雅に泳いでいた。そこへ魔導師たちが様々な光と氷の粒を投入して色とりどりに輝かせ、言葉を失う美しさだった。

 曲が終わるたびに拍手喝采が巻き起こった。ルイも一緒になって拍手した。こんなに楽しい気分になったのは久しぶりだった。子供の頃、初めてイオンが誕生日を祝ってくれたとき以来かもしれない。

 ルイは時間が経つのも忘れてショーに見入った。最後の演目が終わると今日一番の喝采が起こり、何重にも響いて空に吸いこまれていった。ルイも手が痛くなるほど拍手した。

 ふと隣を見ると、ライオルに穴が開くほど見つめられていた。ルイは自分がずっと子供のように笑ってはしゃいでいたことに気づいて表情を引き締めた。それでもライオルはルイから目を離さなかった。

「……なんだよ」
「いや……お前もそうやって笑うんだなと思って。まともに笑ったことなかっただろ、お前。リーゲンスにいたときからずっと」
「そうか?」

 ルイはそんなことはないと思ったが、言われてみれば心から笑ったのは数年ぶりかもしれなかった。ライオルはルイの頭をくしゃりとなでた。

「笑ってろ」
「なんだよそれ」

 ライオルの手をのけようとすると、ひょいとかわされてしまった。



 ショーを見終わった二人は、にぎやかな大通りに戻って食事をしたり、大道芸を見たりして過ごした。人々の熱気は夕方近くになっても冷めることはなかった。

 きょろきょろしながら歩いていたルイは、突然目の前にたくさんのお菓子がのった大皿を差し出されて足を止めた。香ばしいにおいのする焼き菓子だった。おいしそうだがどこか不思議なにおいがする。

「おひとつどうぞ!」

 皿を持っているのはにこにこした年配の女性だった。ルイが戸惑っていると、ライオルが気づいてやってきた。

「お、ロンロ焼きじゃないか」
「そう、焼きたてよ! お兄さんもどうぞ召し上がれ」
「ありがとう。それでは」

 ライオルはロンロ焼きを一つもらって口に入れた。

「うん、うまい。ルイも食べてみろ」
「はあ」

 ルイもおそるおそる一つつまんでかじってみた。甘かったが少ししょっぱさもあり、とてもおいしいお菓子だった。

「なにこれ! さくさくなのに口でとろける!」
「うまいだろ?」
「うん、おいしい! 甘い菓子なのに塩も入ってるのか。だから不思議なにおいがするんだな。お姉さん、これどこで買えるんですか?」

 ルイがたずねると女性は嬉しそうに後ろの店を指さした。

「あの角の店よ! 私の店だから今度ぜひ買いにきてね」
「もちろん行きます。ありがとう」

 ルイが礼を言うと、機嫌をよくした女性に両手にあふれるほどのロンロ焼きを持たされた。ルイはもらったロンロ焼きを口に放りこみながら歩いた。

「祭りって楽しいな!」
「だろ」

 ライオルはロンロ焼きをほおばるルイを見つめ、目を細めてほほ笑んだ。

 人波に沿って移動していると、いつの間にか噴水広場に戻ってきていた。やぐらが立てられ、大きな焚火が灯されている。これから夜の部が始まるのだ。

「いた!」

 人ごみをかき分けてテオフィロが走ってきた。

「探しましたよ! こんなに出歩くなら先に言ってください!」

 テオフィロはどうやらルイとライオルをずっと探していたようで、大層おかんむりだった。祭りの空気に呑まれているルイとライオルは、にこにこしたままテオフィロに頭を下げた。

「悪かったな」
「ごめん、探してくれてたんだね」
「そうですよ! で、今までなにしてたんですか……いや、いいですわかりました」

 大量のロンロ焼きを抱えて口をもぐもぐさせているルイを見て、テオフィロは怒る気も失せたようだった。

「さすがに危機感がなさすぎます……あなた本当に国王でした?」
「ごめんって」

 テオフィロはあきれて肩を落とした。だが、ルイとライオルが同じ菓子をつつきながら楽しそうにしているのを見て、ふっと笑みをこぼした。

「さあ、帰りましょうか」
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