風の魔導師はおとなしくしてくれない

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三章 魔力を食べる魚

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 二人が屋敷に戻ろうと歩いていると、道のすみで一人の男がうつぶせに倒れていた。破れたコートを着ていて荷物もなく、カリバン・クルスには不釣り合いな風体だ。居合わせた買い物客たちが取り囲んでいるが、怪しんで誰も近寄ろうとはしない。

 ルイはライオルの制止も聞かず、倒れた男に駆け寄って肩を揺すった。

「大丈夫? ねえ」

 男の指がぴくりと動いた。苦しそうなうめき声をあげながら、男は顔を傾けてルイを見上げた。赤錆色の髪の若い男だった。げっそりとやつれた顔で唇が紫色になっていて、見るからに具合が悪そうだった。

「ひどい顔色だ。病人か? しゃべれるか?」
「その……」
「なに? どこが悪いんだ?」
「……たぶん、ずっとなにも食べてないから……」
「え?」

 ルイは面食らったが、持っていたバスケットの中からロンロ焼きを一つ取って差し出した。

「じゃあこれ食べる?」

 焼き菓子を見ると、男は体を起こしてその場に座った。

「くれるのか?」
「どうぞ」

 男はぱっと破顔してルイからロンロ焼きを受け取り、においをかいだ。

「ああ、うまそうだな。嬉しいよ」
「それはよかった。でもなんでこんなところで……」
「きみ、なんて名前?」
「え? ルイだけど」
「ルイ、ありがとう。俺はハルダートだ」

 ハルダートはにこにこしながらルイに話しかけた。

「とても心のきれいな少年だな。ここまで来たはいいけど、体が動かなくなってしまって困ってたんだ」
「それは大変だったな。というか、お腹がすいてるんじゃないのか? それ食べたら?」
「食べるよ。それより、きみはここに住んでるのか?」

 急に元気になったハルダートは、ルイに興味を持ったようだった。様子をうかがっていたライオルは、ハルダートの前にしゃがんで目線を合わせた。

「そんなことはどうでもいいんだよ。お前のほうこそどこに住んでる? ここまで来たって言っていたが、どこから来たんだ?」
「え?」

 ハルダートはきょとんとしてライオルを見つめた。

「どこでもいいじゃないか」
「よくない。カリバン・クルスの住人ではないな? 通行証を見せろ」
「通行証ってなに?」

 ハルダートが聞き返すと、ライオルはハルダートを取り囲んでいた買い物客たちに声をかけた。

「誰か、守衛師団を呼んできてくれ。不法滞在者だ」

 会話を聞いていた一人の男性がうなずいて走って行った。ライオルは再びハルダートに向き合った。

「それで、お前はなんのためにここに来たんだ?」
「仕事のためだけど……」
「仕事を探しに来たのか? まったく、最近そういう奴が多くて困るんだよな。どうやって入り口の検問を突破した?」

 ハルダートはもごもごとごまかし始めた。分が悪いと思ったのかさっと立ち上がろうとしたが、すかさずライオルがハルダートの肩をつかんで座らせた。

「逃げるな。ここにいろ」
「……もう、わかったよ。言うとおりにするよ」

 ハルダートはおとなしく地面に腰を下ろし、ルイからもらったロンロ焼きを口に入れた。

「ああ、これおいしいな! ルイ、きみは料理が上手だ!」
「買ったものだけど……」
「そうなのか? でも久しぶりにおいしいものが食べられて嬉しいな。その海みたいな青い服がよく似合うね……いててて」

 ライオルはハルダートの肩をつかむ手に力をこめた。

「無駄口たたく前に俺の質問に答えろ!」
「まあまあ……」

 ルイは無一文のハルダートがなんだか気の毒だった。

「あとは警ら兵に任せればいいじゃないか。はい、ライオルも食べなよ」

 ルイがロンロ焼きを一つ差し出すと、ライオルは眉間にしわを寄せたまま受け取って食べた。ハルダートはその様子をじっと見つめていた。

「きみたちは仲がいいんだなあ。恋人なのか?」
「はあ!?」

 ルイはすっとんきょうな声をあげたが、ライオルはぶっきらぼうに言った。

「そうだ。だからこいつに声をかけるな。うっとうしい」
「いやあの……」

 ルイが否定するより前に、二人組の兵士が息せき切って到着した。ライオルは立ち上がるとハルダートを指さした。

「通行証を持たないよそ者だ。身元を確認してほしい」
「わかりました。通報ありがとうございま……タールヴィ隊長!?」

 ライオルに気づいた兵士たちは背筋を伸ばして敬礼した。

「今は仕事中じゃないからそんなことしなくていい」
「あっはい、失礼しました」
「それより早くこいつを連れてけ」
「はい」

 兵士たちはハルダートの両脇に立ち、腕を片方ずつつかんで拘束した。ハルダートは興味深そうにライオルを見つめるばかりで、なんの抵抗もしなかった。

「ではこれで失礼します」
「あ、ちょっと待て。劇場通りの道具屋が怪しいものを売ってたからあとで調査してくれ」
「え? あ、はい。そうします」

 兵士たちは体に力の入らないハルダートを引きずって歩き出した。ハルダートは引きずられながら首だけで振り返った。

「ルイ、またね!」

 ハルダートは嬉しそうに笑って言った。ルイは呆然と見送りながら、少し手を振ってやった。

「……変な奴だったなあ」
「そう思うならもう少し警戒心を持ってくれ……具合の悪いふりして近づく強盗もいるからな」
「そっか。気をつけるよ」

 野次馬が三々五々去っていく中、ルイとライオルも屋敷に戻った。



 屋敷で二人の帰りを待っていたテオフィロに、ルイはお土産だと言って焼き菓子がたくさん入ったバスケットを渡した。

「こんなに買ったんですか! はは、本当に甘いものがお好きですね」
「たくさんあるからみんなで分けてくれ。執事と使用人と警護の兵士全員分あると思うよ」
「みんな喜びます」

 テオフィロはバスケットを受け取り、お茶の支度をしに行った。ルイはライオルと一緒に庭に置かれたテーブルセットに座り、お茶の用意ができるまで買った品物を試してみた。

 燃える紙と水を弾く紙は、魔力をこめれば簡単に使うことができた。爆発する紙は結構威力があるので、手の上で爆発しないように気をつけて扱う必要があった。震える紙の用途がいまいち想像できなかったが、震えている状態で皿の上に置くとこすれて耳障りな音を出したので、防犯装置に使えそうだった。

 いろいろな紙で遊んでいるうちに、テオフィロが熱いお茶と一緒にロンロ焼きを持ってきてくれた。

「さあ、どうぞ」
「ありがとう」
「お前も一緒に食べろよ」

 ライオルは空いている椅子を指さしてテオフィロに言った。

「え? いいんですか?」
「ルイがみんなのためにって買ってきたんだから、お前も食べていいに決まってるだろ」

 テオフィロは喜んで自分のカップを取りに行き、ルイとライオルと一緒に休憩した。ルイはお菓子を食べながら、爆発する紙を風で飛ばしてみた。ひらひらの紙は飛ばしにくく、庭木に引っかかって爆発した。

「あっ」

 衝撃で結構太めの枝が折れてしまった。

「おい、俺の屋敷を壊すな」
「ごめん……。やっぱりゾレイの紙の鳥でないとうまくいかないな」

 アクトール魔導院を囲む壁に放った大量の紙の鳥は、すべてルイの意志通りに飛んでいった。ゾレイが紋章を描き足して使い魔にしていたからできた芸当だった。

「そういえば」

 ルイはふと思いついた。

「あの店でアンドラクスにかけられた黒い枷と、アクトールに出た黒い魚、どっちも同じように霧散して消えたな。アクトールの襲撃もアンドラクスの仕業なんじゃないか?」
「それは十分ありうると思う。最近変な魔導がらみの事件が多いんだ……単独犯ではないだろうな」

 ライオルの言葉に、テオフィロは心配そうに言った。

「それで最近ずっと忙しいんですか?」
「まあな」
「ホルシェードもそうですが、ちょっと働き過ぎですよ。もっと休まないと……」
「わかってるよ。どっかの誰かが面倒なことに首突っこまなければ、少しは楽になるんだけどなあ」

 ルイはライオルと目を合わせないようにしながら、六つ目のロンロ焼きに手を伸ばした。
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