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五章 風の吹く森

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 海王軍カリバン・クルス基地に、軍の司令官たちが会議のため集まった。オヴェン軍司令官を筆頭に、守衛師団師団長、騎馬師団師団長、海中師団師団長が参集している。ほかにも副司令官や参謀長など、軍全体の意志決定に関わる幹部たちが勢揃いしている。こぢんまりとした会議室の中で、彼らはそれぞれ決まった椅子に座っている。

 今回の会議では、そこに騎馬師団第一部隊隊長と第九部隊隊長が呼ばれていた。ライオルとギレットは会議室の中央に立ち、椅子に座った上官たちに囲まれていた。ギレットはあちこちから視線を向けられながら、キリキアでの出来事をとつとつと語った。アンドラクスが魔族だと名乗ったことを聞き、クント師団長は大きくうなった。

「魔族の襲撃とは、一体何年ぶりでしょうなあ」
「およそ百六十年ぶりかと。ヴァフラーム隊長」

 オヴェン軍司令官が言った。

「はい」
「アンドラクスは仲間の存在を示唆したのですね?」
「そうです。当然知っているだろうと言った口ぶりでした。どうやってこの国に来たか聞きましたが、それもよく知っているはずだろうと言われました。なにを根拠にそう言ったのかはわかりませんが」
「彼らには心がないですからね。口ぶりでその思惑を推し量るのは難しいでしょう」
「心がないわりにはずっといらいらして怒ってましたけど。変わった魔族だったんですかね」
「どうでしょうね。それよりどうやってこの国に来たかですが、海中師団の報告では海の国とあちら側を隔てる防壁に問題はありません」

 オヴェンがちらりと海中師団師団長を見ると、彼は黙ってこくりとうなずいた。

「あちらから渡ってきた形跡がないのにどうやってこの国に入りこんだのか、突きとめないとなりません。防壁を越えずに来るルートを開拓されてはたまりませんから。海中師団は防壁とその周囲の点検を行ってください」
「わかりました」

 海中師団師団長は短く答えた。

「タールヴィ隊長とヴァフラーム隊長はアンドラクスの捜索を頼みます。いいですね」

 ライオルとギレットは声をそろえて返事をした。オヴェンに退室を命じられ、二人は会議室を出た。



 屋敷に戻ったライオルは、ルイとホルシェードとテオフィロを部屋に呼んで会議の内容を話した。テオフィロは特になにも言わず、三人のためにお茶を用意している。ホルシェードは驚きのあまり言葉を失っている。ルイは誰も聞かないのでライオルにたずねた。

「魔族ってなに? 海の国の人はみんな知ってるのか?」
「……そうか、お前は知らないよな」

 ライオルはルイが地上の人間だということを失念していたようだった。

「この海を渡ったところに、お前たちの住んでいる陸地とは別の陸地がある。そこに住んでいるのが魔族だ。見た目は俺たちと変わらないが、古代の魔術が使えて、俺たちみたいな人間の魔導師よりずっと強い魔力を持っている。アクトール魔導院を覆った術も、アンドラクスが見せた夢も、全部魔族のなせる技だ」
「別の大陸が海の向こうにあるのか?」

 世界に大陸は自分たちの住んでいるところだけだと教わってきたルイにとって、常識の根幹が揺らぐ話だった。

「ああ、そうだ。信じられないだろ? 昔地上の人間に伝えたことがあったが、信じてもらえなかった。信じる者もいたが、今度は海を渡って向こうの大陸の資源を得たいと言い出されてしまってな。魔族は危険だからやめろと言っても聞く耳をもたなかった。大陸の存在は信じても魔族の脅威は信じなかったんだ。そして、海の国が新大陸の資源を独占する気だと糾弾され、大きい争いに発展してしまった。結局、俺たちは真実を知った地上の人間たちを殺さざるを得なくなった」
「ザンロフ戦争のことか……」

 歴史の授業で習った、海の国と地上の国との戦いのことに違いなかった。その頃まだリーゲンス国は存在すらしていなかった。多数の犠牲者を出したザンロフ戦争に地上の国は敗退し、海の国は自分たちの国の上――すなわち海を地上の国が渡るのを永久に禁じた。今でもすべての船は大陸の近海しか航行することができない。

「そう、戦争になったんだ。でも魔族の国に手を出して滅ぼされるよりはましだっただろう。それくらい魔族は危険な連中だ。俺たちは奴らが海を渡ってこないよう常に監視している。海中師団の主な任務はそれだ」
「魔族と交流はしていないのか?」
「一切ない。無理なんだよ、話をすることが。奴らには礼儀というものがない。お前もアンドラクスと話したならわかるだろ?」
「……簡単に俺を殺そうとしたな、確かに」

 二杯目のお茶を作っていたテオフィロは辛そうにルイを見た。ルイの顔のあざはまだうっすら残っている。

「魔族には心がないとも言われてる。他人を慈しんだり愛したりできない生き物だ。だから、家族と幸せな時間を過ごすようにという暗示を全員いっぺんにかけたんだと思う。誰もが家族に愛されるわけじゃないのに、それがわからなかったんだろう」
「……そうだね」
「ルイ、海の国の役割を知っているか?」
「役割?」
「俺たちは防波堤なんだよ。広い海を渡ってわざわざこちらまでやってくる魔族はほぼいないが、たまにはいる。魔族の手が地上の国まで届かないよう、ここで食い止めるのが俺たちの役割だ。昔の戦争で地上の人間をあやめてしまったことへの罪滅ぼしなんだよ」

 千年前の悔恨をずっと忘れずにいる海の国の人々の意志の強さに、ルイは感服した。

「……きみたちはそれをひた隠しにしたまま、ずっと戦ってきたのか。誰も感謝しないのに……」
「下手に喋るとろくなことにならないというのは身に沁みているからな。海の人間なら誰でも知っているが、不吉な話だから子供に伝承するときくらいしか口に出さない。お前もよそで軽々しく魔族のことを話すなよ」

 ルイは海の人間は危険だから手を出すなと言い続けてきた、地上の人間たちの浅はかさを知った。


 ◆


 ルイの傷が癒えた頃、クント師団長から指令が下った。カリバン・クルスを南に下ったところにある海の森を調査してほしいとの依頼だった。昔から存在する海の森だが、覆っているエラスム泡が年月とともに鉄のように固くなっていて、今まで誰も足を踏み入れることができなかった。ところが最近の潮流の変化でエラスム泡が軟化し、人が立ち入れるようになった。

 エラスム泡を通り抜けられることに気づいた海中師団の兵士が中に入ったところ、その海の森の木々はひとりでにざわめいていた。風の吹く森だったのだ。

 クントはルイを含む魔導師隊すなわち第九部隊と、未知の森で危険が予想されるため、第一部隊に調査任務を与えた。ライオルとギレットはお互いに四班ずつ人員を割いて調査団を結成した。

 新しい魔導の発見が期待されるため、王宮魔導師会からも二人の王宮魔導師が派遣されることになった。ライオルが調査団を率いるため、最近きな臭いことの多いカリバン・クルスにはホルシェードが隊長代理として残った。

 出発の朝、ルイは海王軍のマントを羽織ってカリバン・クルスの入り口に集合した。入り口の門に面する広場は海水のにおいがたちこめている。海馬車に乗って外からカリバン・クルスにやってきた人々は、馬車に乗り換えて町中にどんどん吸いこまれていく。馬車馬の蹄鉄が石畳を踏む音が幾重も響いている。これから外に出ていく海馬車は列をなし、守衛師団の検問を待っていた。

 ルイはカリバン・クルスに来て以来、初めてここから外に出る。ここに来た当初は塔かどこかに軟禁される生活を想定していたので、こうして普通に町の外に出させてもらえる喜びをしみじみと感じた。

 ルイは海王軍の海馬車に荷を積みながら、海馬車の前につながれた水棲馬を観察した。馬と名がついているが、見た目はサンショウウオに近く、ひらべったい体躯の生き物だ。つるつるした皮膚で、長く太いしっぽを持ち、手足に水かきがついていて海中を俊敏に移動できる。陸上でも走れるが遅い上に左右に大きく揺れるので、もっぱら海中の移動に使われる。知能も高く、今は命令を待ってじっと静かにしている。

 ルイがまじまじと水棲馬を眺めていると、ゾレイと中年の落ち着いた雰囲気の王宮魔導師がやってきた。

「一緒に来る王宮魔導師ってゾレイだったのか」

 ルイが声をかけると、ゾレイはゆるむ口を押さえられない様子でルイに耳打ちした。

「無理言って代わってもらったんだよ。ライオル様とギレット様と一緒に行ける任務なんて、そうそうないでしょ」
「あ、そういうこと……」
「お近づきになれる絶好のチャンスだからね。楽しみで昨日は眠れなかった!」
「ピクニックかよ」

 ゾレイは嬉しそうにルイを肘でこづくと、ライオルのところに行って挨拶をした。

「おはようございます、ライオル様。王宮魔導師のゾレイです」

 ライオルは笑顔でゾレイに向き合った。

「おはよう。きみがゾレイか。ルイから話は聞いてるよ。アクトールが襲撃された折の一番の功労者じゃないか。あのときはルイを助けてくれてありがとう。きみが一緒に来てくれるなら心強いよ」
「そ、そんな、とんでもにゃいです」

 ゾレイはライオルにほめられて真っ赤になった。いつもの自信たっぷりの姿からは想像もできないくらい動揺している。ライオルに握手を求められ、ゾレイは震えながら手を差し出した。

「道中よろしくお、お願いします」
「よろしく。長旅になると思うけど、大丈夫か?」
「はい! そのつもりで支度してきました。僕はどの海馬車に乗ればいいでしょうか?」
「王宮魔導師どのは二人とも俺と同じ海馬車に乗ってもらうつもりだ。ほかの隊員もいるからちょっと狭いけど……」
「ええっ、ライオル様と一緒に行けるんですか!? あっ、狭いくらい全然問題ないです! うわあ、どうしよう……」

 ゾレイはライオルと握手したまま感激に身を震わせた。ルイは愛想を振りまきっぱなしのライオルにいらだった。これから遠征だと言うのに、まるで緊張感がない。

「おい、ゾレイ」

 ルイはずかずかと二人に歩み寄り、ライオルしか見えていないゾレイに言った。

「ギレットにも挨拶しなくていいのか? あっちにいるぞ」

 ルイは少し向こうにいるギレットを指さした。ギレットはゾレイと一緒に来た王宮魔導師と話をしている。ゾレイははっと我に返った。

「あ、そ、そうだね。ではライオル様、ちょっと失礼します……」
「ああ」

 ゾレイはライオルにぺこりとお辞儀をすると、小走りに去っていった。ルイはちらりとライオルを見上げた。ライオルは先ほどまでのきれいな笑みを消し、口角をつり上げてルイを見下ろしていた。

「……なににやついてんだよ」
「別に」

 愛想のかけらもない返事が返ってきた。ルイはふんと鼻を鳴らした。

「あーあ、本当はこんなやつだってわかったらゾレイも幻滅するだろうなあ」

 ライオルがにこにこして優しい言葉をかけるのは、初対面の人にいい印象を植え付けるためでしかない。素のライオルの自分勝手さと強引さを知っているルイは、ライオルの態度に無性に腹が立った。気をよくしたゾレイから、あとでライオルについてまたいろいろと聞かされるに違いない。

「お前も俺と一緒の海馬車がよかったか?」

 ライオルがにやにやしながら言った。ルイは眉尻をつり上げた。

「はあ? 俺はカドレック班長たちと一緒のほうがいいけど。お前と一緒なのは家だけでじゅうぶんだ」
「はは、そうだな。また帰ったらな」

 ライオルはそう言うと出発の準備作業に戻った。ルイはなんだか釈然としなかった。
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