風の魔導師はおとなしくしてくれない

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六章 遠い屋敷

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 ルイは久方ぶりに食べる肉料理に舌鼓を打っていた。ルイとヴェンディはポーグのとある食堂に入り、朝食にありついていた。ルイは女将さん特製の挽肉のパイを注文し、付け合わせの腸詰めやマッシュポテトと一緒に食べた。

「これこれ、俺が食べたかったやつ!」

 ルイは満面の笑みであつあつのパイを口いっぱいにほおばった。甘辛いソースのしみた挽肉はやわらかく、噛めば噛むほど肉汁があふれ出てくる。ぷりぷりの大きな腸詰めもたまらないおいしさだった。

「おいしい……しあわせ……」

 ルイはこれをお土産に持って帰ってライオルにも食べさせてやりたかった。ライオルは今頃なにをしているのだろうか。さすがのライオルも、今のルイほどの豪華な朝食は食べていないに違いない。ルイは優越感に浸ってにやにやと笑った。

 ヴェンディもお腹を空かせていたので一心にパイをむさぼっていた。だが、食べながらも視線だけはせわしなく周囲を見回している。

「あの……こんなことしていて大丈夫なんでしょうか?」
「なに言ってるんだ、一晩中歩いて疲れただろ? まずはお腹を一杯にしておかないと、なにもできなくなってしまうぞ」

 ルイはパイのかけらを胸ポケットに入れた。ポケットの中で眠っていたフェイは、たちまちもぞもぞ動き出してパイのかけらを食べ始めた。

「どうだヴェンディ、おいしいだろ?」
「はい、とてもおいしいです。こんなの初めて食べました」
「だろ?」

 女将さんはおいしそうに食べるルイたちを見て機嫌良く笑った。

「そんなに気に入ってくれてありがとね」
「全部とてもおいしいですよ」

 ルイはナプキンで口を押さえて女将さんに笑いかけた。

「家にいる弟たちにも持っていってあげたいので、もう二切れいただけますか?」
「もちろんよ。仲のいい兄弟なのね」

 女将さんはルイとヴェンディを兄弟だと思っているようだった。追加の注文を受けた女将さんはナプキンに二切れのパイを包み、おまけにりんごとパンも一つずつ入れてくれた。ルイは牛乳も一瓶買い、ヴェンディに代金を支払ってもらって食堂を出た。

 二人は人目を避けてカロルとフリッグの待つ浜辺の小屋に戻った。カロルとフリッグは疲れきって小屋の中で眠っていた。ルイは二人に挽肉のパイと牛乳を渡して食べさせ、港で仕入れた話を聞かせた。二人は海馬車が当分来ないと知ってがっかりしたようだった。カロルは休んで少しは元気になったようだが、パイを半分も食べられず、代わりにりんごをかじっていた。

「こんな場所で寝かせるわけにはいかないな。体によくない」

 ルイはすきま風だらけの小さな小屋を見上げて言った。

「俺は宿を探してくる。きみたちはここで休んでいてくれ。もし追っ手が迫ってきたら、海の中に隠れてやり過ごすんだ」
「僕も行きます」

 ヴェンディが勢いよく立ち上がった。

「でもきみも少し休んだほうが……」
「いえ、大丈夫です」

 ヴェンディは頑として譲らなかった。ルイは彼の申し出をありがたく受けることにして、二人で町中に戻った。

 ヴェンディは屋敷でもらった給金を持ってきていたが、その額はわずかで、先ほどの食事で半分になってしまっていた。ルイは伯爵の屋敷から持ち出してきた青い宝石のはまった指輪を取り出して、ヴェンディに見せた。

「これを使えばしばらくの宿賃になるんじゃないか?」
「!? よ、よく持ってこられましたね……じゅうぶんすぎるくらいだと思います。では質屋に行きましょう。さっきそれらしい看板を見かけました」
「質屋?」
「あ……ご存じないですよね。こういう品物を担保にお金を貸してくれるお店です」

 ルイはヴェンディに指輪をしまうよう言われてふところに戻した。ヴェンディはルイを商店街の外れにある質屋に連れて行った。潮で汚れた壁のさびれた店で、看板は出ているもののヴェンディに言われなければ店だと思わなかっただろう。

 店の中には老婆が一人で座っていた。老婆は入ってきたルイとヴェンディを無遠慮にじろじろ眺めた。ヴェンディはルイから指輪を受け取り、老婆に見せた。老婆は虫眼鏡を持ってきて指輪をためつすがめつ眺めた。

「あんた、これどこで手に入れたの?」
「兄さんの持ち物だよ。もともとは両親のものだけど」

 ヴェンディはルイを示して平然として言った。老婆はふうんと言い、指輪をひっくり返して裏側までじっくりと確かめた。

「今手元にある金でよければ、換えてやるよ」

 老婆は指輪を自分の胸ポケットにしまいこむと、机の下にかがみこんでお金のつまった袋を取り出した。ヴェンディは袋の中を確かめて眉をひそめた。

「……さすがに少ないよ」
「今の手持ちはこれだけなんだよ」
「嘘。もっとあるでしょ」
「手間賃と口止め料を差し引いたら、こんなもんだろ」
「別に盗品じゃないのに……。じゃあここにあるものもいくつかもらっていくよ。それくらいいいでしょ」

 ヴェンディは老婆が迷っているあいだに、棚に並んでいる質流れの品を素早く選んでひょいひょいと取っていった。

「これだけあればいいかな。さあ兄さん、そのお金をしまって。行きましょう」
「あ、うん」

 ルイはヴェンディと老婆のやりとりを見ているだけで、なにも言えなかった。ヴェンディは問屋で働いていただけあってたくましかった。ルイは金のつまった小袋をふところにしまって質屋を出た。ヴェンディは質屋の脇の小さな道で、指輪の対価の品々をルイに見せた。

「すみません、二束三文にしかなりませんでした。でも次の海馬車が来るまではなんとかなるでしょう」
「ありがとうヴェンディ。きみがいてくれてよかった」

 礼を言われたヴェンディははにかみながら笑った。ヴェンディが選んだ道具は鞘に入った大きめのナイフと小刀、帽子が三つと肩かけ鞄に、なにに使うかわからない道具が二つだった。ルイは大きめのナイフをもらってベルトに差し、ヴェンディは鞄にほかの品物を入れて肩にかけた。二人は帽子をかぶって黒髪を隠した。

「さて、あとは宿だな」
「そうですね。追っ手が来る前に宿に引っこんでしまいたいですね」
「でも宿の中も探されるだろうな」
「そうですよね……四人だと怪しまれるから、二人ずつ宿帳に記入するのはどうでしょう? あとは追っ手が来たときだけどこかに身を隠すとか」

 二人は話しながら宿屋を探して町を歩いた。港町なのだから宿くらいありそうなものだが、なかなか見当たらない。船着き場のほうも探そうと歩いていたところ、前方から剣を携えた兵士が三人やってくるのが見えた。道行く人々を呼び止めては顔を確認している。ヴェンディはひっと息をのんだ。

「大丈夫だ、落ち着け。気にしていないふりをしろ」

 ルイは立ち止まってしまったヴェンディの背中を押して歩かせた。帽子をかぶっているから、遠目では逃げ出した少年たちだと気づかないだろう。ルイは早足で歩き、ヴェンディの腕をつかんで脇道にそれた。

「ずいぶん早く追いかけてきたな……! あの変態、必死かよ」

 角を曲がって兵士たちが見えなくなると、ルイとヴェンディは細い道を走り抜けた。ちらりと後ろを振り返ると、兵士の一人が走ってきてルイたちのいる脇道をのぞきこんだところだった。かなり距離があったのに、悟られてしまったらしい。

「いたぞ!」

 兵士が叫んだ。ルイとヴェンディは全速力で逃げた。兵士は三人ともルイたちを追って走ってきた。

「走れヴェンディ! 振り返るな!」

 ルイはヴェンディの背中を押すと立ち止まって振り返った。兵士たちは土煙をあげて疾走してくる。ルイは手に入れたばかりのナイフを抜いて空を切った。突風が起こって地面を覆う細かい砂が舞い上がり、追っ手を包みこんで足を止めさせた。

「うわあっ」

 兵士たちは目を砂にやられて手で顔を覆った。ルイはその隙にヴェンディを追いかけた。

 逃げるうちにいつの間にか港から離れてしまっていた。ほかにも追っ手は放たれているはずで、そのすべてをかいくぐってカロルたちのいる小屋まで戻るのは絶望的だった。

 ヴェンディは疲れてきて、足がもつれて転びかけた。これ以上走り続けるのは無理そうだった。ルイはヴェンディを灌木のあいだの茂みに押しこんだ。

「わっ!」
「これを持っていろ」

 ルイはヴェンディの手に金の入った袋を押しつけた。

「俺が追っ手を引きつけるから、連中がいなくなるまでここに隠れてやり過ごすんだ。次に海馬車が来たらライオル・タールヴィ宛に伝言を頼む。俺は丘の上の屋敷にいるから迎えに来てほしいと伝えてくれ」

 ヴェンディは驚いてルイの腕をぎゅっと握りしめた。

「だめです、あそこに戻ったらだめです!」
「全員では逃げ切れない。頼む、ヴェンディ」

 ルイは青々とした茂みの中にヴェンディを無理やり隠し、来た道を走って戻った。
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