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六章 遠い屋敷

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 途中の分かれ道で、目をこすりながら追ってきた兵士たちとはち合わせた。ルイはさっとナイフを取り出すと自分の首筋に当てた。三人の兵士はルイの奇行に立ち止まった。

「取引しよう。俺が戻るから、ほかの三人は逃がしてやってくれ。さもないとここで首をかき切る」

 ルイは自分だけは無傷で捕らえろと言われているはずだと考えていた。そしてそれは当たっているようだった。兵士たちはその場を動けずにいる。

「わかったよ。言う通りにするから、その危ないものを渡せ」

 一人の兵士はそう言ってルイに手を差し出した。ほかの二人は距離をとりながらルイを取り囲んでいく。

「この町から去ってくれるんだな?」
「……ああ、そうするよ。だから早くナイフを渡せ」

 兵士は辛抱強くルイに手を差し出し続けている。ルイはそっとナイフを下ろし、兵士に渡した。

「ちっ、面倒かけやがって……魔導師だなんて聞いてねえぞ」

 兵士は砂が入ったせいで真っ赤になった目でルイをにらんだ。

「ごめんね。痛かったよね」

 ルイは素直に謝ったが、兵士たちはぶつくさ言いながらルイを馬車に乗せた。


 ◆


 ルイは再び丘の上の屋敷に戻り、フラオルテス伯爵の待つ部屋に通された。椅子に座っていた伯爵は、ルイが部屋に入るなりまなじりをつり上げて歩み寄り、握りしめていた杖でルイの側頭部を殴った。ルイは絨毯の敷かれた床に横ざまに倒れた。

「どうしてあなたはそんなことをするんだ!」

 伯爵は口角泡を飛ばして叫び、倒れたルイの背中に杖を振り下ろした。ルイは鋭い痛みに悲鳴をあげた。

「うあっ!」
「こんなに愛しているのにどうして離れていこうとするんだ! 私にはあなたしかいないのに!」

 伯爵はルイの背中に何度も杖を振り下ろした。ルイは歯を食いしばって痛みをこらえた。

「はあ、はあ……」

 伯爵は杖を取り落とし、膝をついてルイの肩をつかんで仰向けにした。ルイはこめかみと背中の痛みをこらえつつ、悲痛にゆがんだ伯爵の顔を見上げた。伯爵は今日は髪の毛を巻いておらず、金茶の髪をただ耳にかけている。起き抜けにルイがいないことを知らされ、それどころではなかったのだろう。

「申し訳ありません……あなたを傷つけたいわけではないのです……。あなたがいなくなったと聞いて、どうしようもなくなってしまって……」

 伯爵は今し方ルイを殴ったその手で、ルイの顔を優しくなでた。頭を殴られたせいかはたまた風邪がぶり返したのか、ルイは意識がもうろうとしていった。



 はっと気がついたとき、ルイはベッドの上に寝かされていた。体が熱くて目の前がぼうっとしている。体を起こそうとすると、殴られたこめかみがずきりと痛んだ。

「寝ていてください」

 伯爵の声がした。寝たまま横を向くと、ベッド脇の椅子に座る伯爵と目があった。

「夜中に抜け出したりするから、また具合が悪くなったんですよ」

 ルイは黙ってゆっくり上半身を起こした。体にかけていた毛布がずり落ち、ルイは自分の格好を見下ろした。ポーグに着ていった黒の上着とズボンではなく、淡い黄緑色のシャツと白のズボンを身につけている。さらさらとした絹でできた上等のシャツだった。

「本当は今日は朝からずっと一緒にいられるはずだったのですよ。頼んでおいた服も届いたのでお見せしようと思っていたのに、あなたのおてんばのせいで予定が狂ってしまいました」

 伯爵は機嫌を直したらしく、いつも通り朗らかに笑っている。伯爵は毛布をはぎとり、ルイの全身をなめ回すように眺めた。

「よくお似合いです。さあ、怪我の具合を見せてください」

 伯爵はベッドに膝をついて乗り上げてきた。シャツのボタンを外されていき、ルイは慌てて伯爵の手をつかんだ。

「せ、せっかく着たのに……」
「ふふ、あなたは本当にかわいらしいですね。服を贈るのは着せたあとに脱がしたいからに決まってるじゃないですか」

 伯爵はくすくすと笑った。

「男をご存じないですね。明るいうちからこんなことをするのは恥ずかしいですか? ……恥ずかしがるあなたがよく見えるので、私は好きですよ」

 ルイの背筋に悪寒が走った。熱っぽいせいで視界がうるみ、体が言うことをきかない。伯爵はルイに覆い被さり、ルイの腫れたこめかみにキスをした。


 ◆


 ヴェンディは兵士がいなくなったあとも、怖くて茂みの中から出られずにいた。ルイに託されたお金の入った袋を握りしめ、ぶるぶると震えていた。太陽が高く上がり、隠れているヴェンディのすぐそばを何回か人が通り過ぎた。ヴェンディはそのたびに息を潜めて堪え忍んだ。

 大股で歩く足音がヴェンディの前を通り過ぎた。だが、道の向こうから呼びかける声がして足音が止まった。

「港に行ってみようぜ! 海馬車が来たんだって!」
「ええー?」

 足音の主は声をかけてきた人物のほうへ引き返していく。

「もうそんな時期だっけ?」
「いや、それが予定にないんだよ! お役人がなんか慌ててたよ!」
「へえ、なんだろうな?」

 二人分の足音は連れ立って去っていった。ヴェンディは震えながらお金の袋を鞄にしまい、おそるおそる茂みを抜け出した。そこは町外れの裏通りで、誰もいなかった。ヴェンディはよたよたと足音が消えた方向に向かって歩き出した。

 ポーグの町はざわついていた。家族や友人と喋りながら、港のほうへと人が流れている。ヴェンディもそれに混じって港へ向かった。

 港には人だかりができていた。朝よりだいぶ数の減った漁船の向こう側に、大きな黒い海馬車が二台停まっている。一台分のスペースしかないので、手前の一台は港に乗り上げていた。海馬車につながれた水棲馬たちは興奮してせわしなく鳴いている。ヴェンディは笑う膝を叱咤し、人混みをかきわけて走り出した。

「止まれ!」

 不意に近くで怒鳴り声がして、ヴェンディや周囲の人々はびっくりして振り向いた。そこにはルイを連れて行った兵士とは別の兵士がいて、まっすぐヴェンディを見据えていた。

 ヴェンディは帽子を深くかぶり直そうとして、帽子を茂みの中に忘れてきたことに気がついた。慌てて逃げ出したが、いくらもいかないうちに腕をつかまれて地面に引き倒された。

「おとなしくしろ!」

 兵士は暴れるヴェンディを地面に押さえつけた。ヴェンディは恐怖で大きな声を出せなくなった。

「た、助けて……」

 ヴェンディはかすれた声で周囲の人々に助けを求めた。しかし、集まった町人たちは何事かと行方を見守るばかりで、誰も手を差し伸べてはくれなかった。ヴェンディは顔をくしゃりとゆがめ、子供のように泣き声をあげた。泣くと大きな声が出せた。ヴェンディは大きく息を吸って叫んだ。

「ライオル・タールヴィ様にルーウェン様から伝言です! ライオル・タールヴィ様に伝えてください! おねがい!」

 最後の言葉はほとんど悲鳴だった。兵士はヴェンディの口をふさいだが、ヴェンディの声は港じゅうに響き渡った。

「道をあけろ!」

 鋭い声がして人垣が割れた。ヴェンディは涙にかすむ目で、海王軍の軍服を着た男が自分を見下ろしているのを見た。海の国の兵士はかがんでヴェンディの顔を確かめ、背後に向かって叫んだ。

「ライオル様! 黒髪青目の少年です!」

 走ってくる足音がして、紺色の髪の長身の青年が姿を現した。身なりのいい美形の青年だ。ヴェンディは海の国の兵士たちの手で立たされ、目の前の青年を見上げた。

「き、来てくれたんですね!」

 ヴェンディは涙と鼻水にまみれた顔でライオルに近寄った。

「ルーウェン様が! 僕を逃がすために捕まって屋敷に戻されたんです! 早く助けてください!」
「ああ、今すぐ行く。よく知らせてくれた」

 ヴェンディを取り押さえていた兵士を、ライオルは飛ぶ鳥も射殺さんばかりの眼光でにらみつけた。彼は海王軍の兵士に逆に取り押さえられて顔を引きつらせている。

「お前はフラオルテス伯爵の手の者だな」

 ライオルはきびすを返すと海馬車のほうへ歩き出した。

「ホルシェード、馬を出せ!」
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