風の魔導師はおとなしくしてくれない

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終章 二人だけの秘密

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 テオフィロは毎日ルイの体を拭いたり着替えさせたりして、かいがいしく世話をした。サーマンはそんなテオフィロを見て、少しは休まないとだめだと言って無理やり部屋から追い出した。テオフィロはその日一日休むことになり、代わりにホルシェードがルイのそばに付き添った。

 ホルシェードがベッド脇に座ってルイの顔を眺めていると、ドアがノックされた。ホルシェードが返事をすると、使用人に連れられてゾレイが入ってきた。いつものアクトールの黒いコートを着ている。ゾレイはホルシェードに気づくとぺこりと頭を下げた。

「こんにちは、ホルシェードさん。ルイのお見舞いにきました」
「……ありがとう」

 ゾレイはぐるりと部屋を見渡すと、そっとベッドに歩み寄った。ベッドに寝かされたルイの顔を見て、ゾレイは眉間にしわを寄せた。

「ルイ……?」

 ルイの真っ白な顔は、病人にしても異様な色だ。ゾレイは小声でホルシェードにたずねた。

「あの……怪我したんじゃないんですか……?」
「怪我じゃない……カルガリ症だ。そんなに小声で喋らなくても、ルイは起きない」

 ゾレイの顔が驚愕に染まった。

「カルガリ症……!? ルイが!? なんで!?」

 ホルシェードは魔族に連れ去られたルイの身に起きたことについて、ゾレイに説明した。ゾレイは真っ青になって何度も首を横に振った。

「いやいや、そんな……ルイにかぎって、そんなことになるはずがない……」

 ゾレイは嘘だと言ってもらいたそうにホルシェードを見つめた。だが、ホルシェードは暗い顔で目を伏せた。ゾレイはぽかんと口を開けたまま震え始めた。

「……そんなの、おかしいですよ……そんなことあっちゃいけない……」

 ゾレイはベッドの上に身を乗り出してルイの顔を見下ろした。

「ルイ……ねえ、きみにはいっぱい話したいことがあるんだけど……」

 ルイは応えない。

「きみ、フルクトアトの商人の息子だって言ってたのに、本当はリーゲンスの王子様だったんだ? オヴェン様の話を聞いて、本当にめちゃくちゃ驚いたよ……」

 ゾレイは口端をゆがめてかすかに笑った。

「でも、きみは買い物の仕方も知らなかったし、妙なところで無知だったよね……。どんな金持ちの息子だよと思ってたけど、王子様なら納得できるよ」

 ゾレイはそこで言葉を切り、ルイが返事をするのを待った。たっぷり時間をかけて待ち、ルイが目を覚まさないことがわかると、ゾレイは顔を手で覆ってうめき声をあげた。

 そのとき、ドアが開いてサーマンが入ってきた。

「おや……お客さん?」

 サーマンはゾレイを見て言った。ゾレイはゆっくりと顔を上げ、サーマンをぼうっと見つめた。サーマンはゾレイに近づき、ゾレイのコートに留めつけられた襟章に目を留めた。

「王宮魔導師の方でしたか」
「あ……はい」

 ゾレイはサーマンに会釈をした。

「ルイの友人のゾレイです。あなたは……」
「医師のサーマンです。タールヴィ家にお仕えしています」
「医師……」

 ゾレイは少し考えたあと、サーマンに一歩近づいた。

「あの……僕の家は薬草店です。僕は薬草の調合が得意です。カルガリ症は薬でよくなるものではないですけど……効きそうな薬を作って持ってきます」

 ゾレイがそう言うと、サーマンの疲れた顔が少し明るくなった。

「本当ですか。王宮魔導師の力が借りられるのはありがたいです」
「僕にできることならなんでも協力します」
「ありがとう、ゾレイ」

 ホルシェードが言うと、ゾレイは小さく首を横に振った。

「いえ……ルイのためになにかしてやりたいだけです。薬ができたらまた来ます」


 ◆


 次の日、ギレットとユーノが見舞いにやってきた。ユーノはベッドのそばにひざまずき、眠るルイの手をとってそっと握りしめた。

「ギレットに聞いたわ。ルイ、辛かったね……でもよく帰ってきてくれたわ……」

 ユーノは優しくルイに語りかけた。ギレットはユーノの後ろに立ち、厳しい表情でルイの顔を見下ろしている。

「あなたみたいな優しい人をひどい目に遭わせるなんて、本当に許せない。ライオルも怪我しちゃって……早くよくなって、また一緒におしゃべりしましょう。私、待ってるからね」

 ユーノはルイの手を両手で包んだ。

「あなたも待ってるのよね、ギレット」
「ああ……」

 ギレットは小さくうなずいた。

「……早く起きろ、ルイ。お前がいないと、あの馬鹿がどうしようもなくなっちまうだろうが……」

 かすれた声には悲痛さが混じっていた。ユーノとギレットは、返事をしないルイの顔を長いこと見つめていた。


 ◆


 ライオルの怪我は数日のうちにかなりよくなっていた。まだ剣を握ることはできないが、家の中を自由に動き回れるくらいには回復していた。ライオルはルイの部屋に入り浸るようになり、時間が許す限り眠るルイを見つめて過ごしていた。

 ライオルのそばには必ずホルシェードかストゥーディ隊長が付き従っていた。ハルダートがいつ何時ライオルを狙ってこないとも限らないので、警戒を怠ることはできない。今のライオルは戦うことができないので、とくに注意が必要だった。ライオルを心配したマリクシャがタールヴィ地方軍の援軍を寄こしたので、屋敷の警備は二倍に増やされている。

 ライオルとホルシェードがルイの部屋で静かに過ごしていると、ドアが開いてカドレックが少し緊張した面持ちで入ってきた。その後ろにファスマーが続き、さらに第九部隊の隊員たちがぞろぞろと入室してきた。

「お前ら……」

 ライオルは椅子の背もたれにひじを置いて振り向いた。

「そんな大勢でなにしに来たんだ」
「療養中の隊長に隊の様子をご報告にあがりました」

 カドレックが敬礼して言った。

「報告ならお前一人でじゅうぶんだろ。なに大所帯で押しかけてるんだ」

 ライオルはあきれて言ったが、カドレックたちがベッドを凝視しているのを無視することはできなかった。

「……こっちに来て、ルイを見舞ってやってくれ」

 第九部隊の隊員たちはおそるおそるルイのベッドに近寄った。全員でベッドを取り囲み、目を閉じて横たわるルイを見つめた。

「まだ目を覚まさないんですか……」

 ファスマーがぽつりと言った。

「ああ、まだ変わりはない」
「…………」

 ファスマーはショックを受けたようだった。快方に向かっているなにかしらの変化を期待していたのだろう。だが、ルイは魔族の隠れ家で発見されたときと同じく、真っ白な顔で死んだように眠り続けている。無情な現実を突きつけられ、隊員たちはうなだれた。

「それで、報告は?」

 ライオルが言った。カドレックは慌てて報告した。

「リブシクで新たに一名の魔族を発見し、撃破しました。魔族は負傷していてかなり弱っていたので、こちらの被害はありませんでした」
「ハルダートの行方は?」
「……まだ捜索中です」
「そうか。厳しいな……」
「隊長のお怪我はどうですか?」
「もうほとんど治った。もうすぐ隊に戻るから、それまで報告を頼む」
「はい」

 ライオルは心配そうな顔をぶら下げた部下たちをぐるりと見回した。

「ルイの様子が気になるなら、お前たちも一緒に来てもいい。お前たちがうるさくしてたら、ルイも起きるかもしれないしな」

 ライオルの言葉に、カドレックたちは喜んで礼を言った。報告を終えたカドレックたちは、ルイにまた来るからなと声をかけてから部屋を出て行った。


 ◆


 さらに数日が経った。ライオルがいつものようにルイの部屋で過ごしていると、ノックもなしに突然ドアが開かれた。ルイの薬の準備をしていたテオフィロは、驚いてスプーンを床に落とした。

「ライオル様、大変です!」

 部屋に飛びこんできたのは屋敷を警護する兵士だった。椅子に座っていたライオルは即座に立ち上がった。

「どうした」
「海中師団からの急報です! 魔族の捜索中に、複数の魔獣を確認したとのことです!」
「なんだと?」

 ライオルは目を見開いた。

「ついに扉が開かれたか」
「そのようです。魔獣は王都に向かって海の中を進んでいるとのことです。まもなくここにやってきます!」

 テオフィロは青ざめてぱっと口を手で覆った。ライオルは苦々しい表情で舌打ちをした。

「ちっ……テオフィロ、お前はルイのそばにいろ。絶対に外に出るな」

 テオフィロはこくこくとうなずき、ルイの枕元にしゃがみこんだ。そのとき、ばりばりとなにかを破るような大きな音が外から響いてきた。ライオルは窓辺に駆け寄って窓を開け放ち、身を乗り出して空を仰いだ。

 カリバン・クルスを覆うエラスム壁の天井の上に、得体の知れない巨大な生き物が乗っていた。巨大な生き物――魔獣は節のある足で天井を蹴って中に入ろうとしていた。エラスム壁にはすでにいくつも亀裂が走っていて、蹴られるたびに耳障りな音を立てて割れていく。

 ライオルが見ているうちに、別の魔獣が二体やってきて天井にはりついた。その二体も手足を使って天井を壊し始めた。

「カリバン・クルスの丈夫なエラスム壁を、あんな簡単に傷つけられるのか……」

 ライオルは魔獣の力の強さを目の当たりにして息をのんだ。どの魔獣も海王軍の海馬車くらいの大きさがある。人一人くらい丸呑みにできそうだ。
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