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終章 二人だけの秘密
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しおりを挟む開きっぱなしの入り口からストゥーディが駆けこんできた。
「ライオル様! 敵襲です!」
ライオルは顔をひっこめて乱暴に窓を閉め、ベッドのそばに戻った。
「わかってる。全兵外に出て屋敷を守れ。ストゥーディ、先に行って指示を頼む。絶対に敷地内に奴らを入れるな。俺もすぐに行く」
ライオルはそう言ってベッドに立てかけていた剣を手に取った。ストゥーディはうなずくが早いか部屋を飛び出していった。そばにいたホルシェードは驚いて言った。
「ライオル様も中にいてください! まだ怪我が治ってないんですから!」
「もう治ってる。行くぞ」
ライオルはシャツ一枚と薄手のズボンという格好のまま、剣を握りしめて走り出した。ホルシェードは急いであとを追った。部屋にはルイとテオフィロだけが残された。
テオフィロは恐怖に青ざめ、震えながらベッドの脇でうずくまっていた。外からはがつんがつんと天井を壊す恐ろしい音がひっきりなしに響いてくる。次第に音は大きく派手になり、ばりんとひときわ大きな音がした。遠くから叫び声が聞こえてきた。
テオフィロはおそるおそる窓に近づいて外の様子をうかがった。天井の一部が破壊され、エラスム壁に穴が開いていた。エラスム壁が壊れても、その内側をエラスム泡が覆っているので海水がなだれこんでくることはない。だが、柔いエラスム泡は人も魔獣も簡単に通過させてしまう。その天井の穴から魔獣が顔を出し、巨躯をねじこんで中に入ってきた。
「うわっ!」
テオフィロは思わず悲鳴をあげた。中に入ってきたのは、巨大なバッタのような形をした異形の化け物だった。翼を持たないのに自在に空中を滑空してカリバン・クルスの街に降りていく。天井の穴からさらに何匹もの魔獣が次々と侵入してきた。
どす黒いトカゲのような魔獣が一体、こちらに向かって飛来してきた。長いしっぽを持っていて、しっぽの先端が刃物のように鋭くとがっている。テオフィロは慌てて窓から離れ、ベッドのそばに戻った。
ずんと鈍い地響きがして屋敷が揺れた。魔獣が着地したのだ。外が騒がしくなり、魔獣との戦いが始まったようだった。
ギャアと鈍い叫び声がして、部屋が暗くなった。窓の外に魔獣が張りついていて、でっぷりとした腹部に窓が覆われている。
テオフィロはとっさにルイの上に覆い被さった。次の瞬間、魔獣の腹に押された窓ガラスが粉々に砕け散った。テオフィロはベッドに乗り上げてルイの頭を両手で抱えこんだ。
「大丈夫ですよルイ様、俺が守ってあげますからね!」
テオフィロは目をぎゅっと閉じ、恐怖に震えながら叫んだ。魔獣は屋敷の壁をはって移動していたが、矢の雨に襲われて地面に落下した。テオフィロはそれでもなおルイを強く抱きしめていた。
ふと、ルイの腕が動いてテオフィロをそっと抱きしめ返した。テオフィロは驚いて目を開けた。ルイは目を閉じたままテオフィロの背中に腕を回している。
「ルイ様……?」
テオフィロはおずおずと語りかけたが、ルイは変わらず眠り続けている。テオフィロが体を起こすと、ルイの両腕はあっけなくベッドの上にぱたりと落ちた。
「ルイ様……」
テオフィロはベッドからおりてまじまじとルイの顔を見つめた。その表情に変化はない。
ばたばたと廊下を走ってくる音がして、ライオルが戻ってきた。
「テオフィロ! 無事か!?」
続いてホルシェードもやってきた。テオフィロはこくりとうなずいた。
「はい、大丈夫です」
「怪我はないか?」
「はい」
ライオルはほっとした様子でベッドに歩み寄った。
「屋敷を襲った魔獣は倒したからもう大丈夫だ。でかいやつだったが、知能は低かったから魔族と比べればそこまで脅威じゃない。図体がでかいだけのただの獣だ。ストゥーディの隊がいれば屋敷の守りは大丈夫だろう」
「そうですか」
「一体が相手だったらの話だけどな。これに何百とこられたら、さすがにカリバン・クルスも落ちるだろう……一刻も早く扉を閉じなければ」
ライオルはそう言って窓辺に立つホルシェードのほうを見た。ホルシェードは割れた窓を確かめて言った。
「ガラスを割られてしまいましたね……すぐに板でふさぎましょう」
「そうだな」
「ライオル様」
テオフィロは窓辺に行こうとしたライオルを呼び止めた。
「あの、さっきルイ様が俺のこと抱きしめてくれたんです」
「……えっ?」
ライオルとホルシェードは急いでルイの枕元に駆け寄った。
「起きたのか!?」
「いや、目覚めてはいないみたいなんですけど……ガラスが割れたとき、ルイ様にこうかぶさったら、両腕が動いて俺を抱きしめ返してくれたんです」
ライオルはルイの頬に手を当てて顔をのぞきこんだ。
「……眠ったまま、無意識に手が動いたのか?」
「たぶんそうだと思います」
「じゃあ、もうすぐ起きるんじゃないですか?」
ホルシェードが喜色を浮かべて言った。ライオルはルイの顔を見つめながらうなずいた。
「そうかもな。こいつのことだし、テオフィロを守ろうとしたのかもな」
「そうだったら嬉しいな……」
テオフィロはほんのり笑みを浮かべて呟いた。
翌日、再び魔獣がカリバン・クルスを襲った。ライオルたちは今度は魔獣を一体も屋敷の敷地に入れることなく撃退した。ほかの魔獣は海王軍がすべて殲滅した。
それから数日後、ライオルは海王軍に復帰し、扉を閉じる作戦のため出立することになった。すでにクント師団長率いる第一陣がカリバン・クルスを出発している。王太子の地位を得たため師団長と同等の指揮権を有するライオルは、第二陣を率いて作戦に参加する。
出発の朝、ライオルは眠るルイの顔を目に焼き付けるように、時間をかけてたっぷりと眺めた。ルイの顔には赤みが差すようになり、今はただ穏やかに眠っているように見える。
「行ってくる。お前はゆっくり寝て待ってろ」
ライオルはそう言ってルイの額にキスを落とした。そして、ライオルはカリバン・クルスを発った。
◆
ルイはがちゃりとドアが開く音を聞いて目を覚ました。目の前がかすんでなにも見えなかったが、数回瞬きをすると視界が戻ってきた。
まず目に飛びこんできたのは、自分の部屋の見慣れたベッドの天蓋だった。頭を傾けてドアのほうを向くと、テオフィロがすぐそばで椅子に座ってぼんやり窓を眺めていた。その後ろで、サーマンがドアを開けて部屋に入ってきたのが見えた。
ルイと目が合ったサーマンはその場で立ち止まり、目を見開いた。
「ルイ……!?」
サーマンの声を聞いたテオフィロもルイの顔を見て、サーマンとまったく同じ表情になった。
「ルイ様! 起きたんですか!」
テオフィロは飛び上がるようにして椅子から立ち上がった。サーマンは小走りにベッドに駆け寄ってきて、テオフィロと一緒にルイの顔をのぞきこんだ。
「よかった、目を覚ましたんだね!」
「よかったです! ルイ様、俺のこと見えます? 聞こえてますか?」
ルイは二人ともそんなに慌ててどうしたのと言おうとしたが、声を出そうとすると喉が痛んで咳きこんでしまった。サーマンは水差しを持ってきてルイに水を飲ませた。
「ゆっくり飲みなさい。ずっと眠りっぱなしだったから声も喉に張り付いてしまったね」
ルイは寝たまま水差しの水をちびちびと飲んだ。喉が潤うと声が出せるようになった。
「サーマン先生、テオフィロ……」
ルイが言うと、二人は感激した様子だった。
「はい! ルイ様、俺はずっとそばにいましたよ!」
「このときを待ちかねたよ。具合はどうだい? どこか痛いところはないか?」
サーマンにたずねられ、ルイは記憶をまさぐった。長いこと眠っていたようだが、二人がこれほど喜んでいる理由がわからない。
ルイは部屋を見回し、ライオルがいないことに気がついた。ライオルはどこと聞こうとして、最後にライオルと会ったときのことを思いだした。自分は王太子選定の儀を襲撃したハルダートにさらわれ、魔族の住む屋敷に監禁されていたはずだ。ハルダートにもてあそばれ、苦痛で心が限界を迎えたのを最後になにも覚えていない。自分の上にのしかかるハルダートの顔をまざまざと思いだし、ルイは真っ青になって震え始めた。
「俺……あいつ、あいつが……」
これもハルダートの術で、ルイを安心させるための罠なのではないか。本当はまだあの屋敷につながれていて、目の前にいるのは姿を変えたハルダートなのではないだろうか。寝ているあいだにルイの記憶を読み取り、化けているのかもしれない。
「やめて……いやだ……俺に触るな……!」
ルイは肘をついて体を起こし、ベッドの奥に逃げこもうとした。
「ルイ、大丈夫だよ! きみはもう安全だ! カリバン・クルスに帰ってきたんだよ! ライオル様がきみを助け出したんだ!」
サーマンが両手を広げて言った。だが、ルイは目の前にいるのが本物のサーマンだという確信が持てなかった。気を許したとたんに襲われそうな気がして、ルイはぽろりと涙をこぼした。
「こっちに来るな……もうやめて……もういやだ……!」
ルイは怯えてぽろぽろと泣きだした。テオフィロはルイの様子に言葉を失っている。ルイは震えながら部屋をぐるりと見回した。
「ここ、どこ……?」
「ライオル様のお屋敷だよ。きみの部屋じゃないか」
サーマンが優しく言った。ルイはサーマンとテオフィロの顔を交互に見た。二人ともルイを心配そうに見つめている。
急にとてつもない疲労感に襲われ、ルイはそのまま意識を失った。
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