風の魔導師はおとなしくしてくれない

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後日談1 噂話と謎の魔導具

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「いてっ! おい、なんだよ急に!」

 ルイが怒って叫んでも、ファスマーはただじっとルイの顔だけを見つめている。ルイの言葉など耳に入っていないようだ。

「ファスマー! 離せよ!」

 ルイは様子のおかしいファスマーが怖くなった。ファスマーの体を押して離れさせようとしたが、どこにそんな力があったのかわからないほど強い力で押し返された。

「急にどうしたんだよ……!」
「ルイ……」

 目の据わったファスマーは、ルイに顔を近づけてきた。ルイは渾身の力でファスマーを押した。

「な、なにするんだ、やめろ!」

 ルイはわけがわからず悲鳴をあげた。

 すると、一人の兵士がやってきてファスマーの頭を後ろから殴りつけた。ごんと小気味いい音がして、ファスマーはその場に倒れて気を失った。ルイは肩で息をしながら倒れたファスマーを見下ろした。

「ど、どうも……」

 ルイは助けてくれた兵士に礼を言った。だが兵士はじっとファスマーを見下ろすばかりで返事をしない。ルイが首をかしげていると、不意に兵士の首がぐりんとルイのほうを向いた。

「ひっ」

 ルイは兵士と目があった瞬間に鳥肌が立った。その兵士も、先ほどまでのファスマーと同じ目をしていた。

 ルイは急いでこの場を離れようとしたが、その前に兵士に腕をつかまれてすぐそばの会議室に放りこまれた。誰もいない会議室は静かで薄暗い。兵士は床に転がったルイの上に馬乗りになった。軍服に手をかけられて合わせを破られ、ボタンがはじけ飛んだ。

「ぎゃあああ!」

 彼はルイを助けたのではなく、邪魔なファスマーを排除しただけだった。ルイは手足をばたつかせて抵抗した。

「誰かあああ! 助けてえええ!」

 ルイは必死になって助けを呼んだ。

 しばらくもしないうちにばたばたと足音が近づいてきて、開け放たれたままの入り口から別の兵士が姿を現した。仰向けに倒れたルイとその上にのしかかる兵士を見て、実直そうな若い兵士は目を皿のようにして叫んだ。

「うわあああ王太子の婚約者が襲われてるううう!!」
「早く助けて!」

 ルイはシャツを引っ張られて息が止まりそうになりながら懇願した。若い兵士は慌てて仲裁に入り、ルイに馬乗りになっている兵士を羽交い締めにしてルイの上から引きずり下ろした。若い兵士は結構体格がよかったので力も強かった。

 だが、ルイと目が合ったとたん、彼の動きがぴたりと止まった。

「あ、あれ……?」

 若い兵士は不思議そうにルイを見つめた。ルイはいやな予感がして急いで立ち上がった。

「おい、待て……お前まで襲ってこないよな? な?」
「も、もちろん……」

 若い兵士はうなずきながらもルイに近づいてくる。ルイはじりじりと後ずさりして会議室の奥に逃げていった。

「待て待て、言ってることとやってることが合ってないぞ!」
「はあ、そうですね、おかしいな」
「だからこっちに来るなって!」
「そうしたいんですが、なんか……体が勝手に……」

 若い兵士と彼に羽交い締めにされている兵士は、同じ目でルイを見据えている。ルイは腰の剣に手をかけたが、同じ騎馬師団の仲間に向かって抜刀することはできなかった。

 若い兵士はしばらく葛藤していたようだが、ついになにかに負けてルイに手を伸ばした。羽交い締めにされていた兵士も解放されてルイに襲いかかってきた。ルイは二人がかりで再び床に引き倒された。

「なんでえええ!?」
「すみませんすみません! 抱かせてください!」

 若い兵士は謝りながらルイのシャツを脱がしにかかった。ファスマーを殴りつけた兵士は無言でルイの両手を頭上でひとまとめにした。

 ルイは恐怖に凍りついた。どう見ても二人の様子は異常だ。なぜか助けが来れば来るほど窮地に陥っている。

 兵士に顔を近づけられ、ルイは思わず顔を背けてぎゅっと目をつむった。

「ぐえっ」

 突然、カエルの鳴き声のようなつぶれた悲鳴をあげて兵士がルイの上からいなくなった。おそるおそる目を開けると、鬼の形相のライオルが片足を振り上げた状態で立っていた。ルイの上に乗っていた兵士はライオルに蹴り飛ばされたようで、床に転がってうめいている。

 若い兵士もライオルの容赦ない回し蹴りを食らって吹き飛び、机に激突して体を丸めてうずくまった。

「ここをどこだと思ってる! 海王軍騎馬師団の総本部だぞ!」

 ライオルが怒鳴った。

「こんなところで俺の婚約者に手を出そうとするなんて、よっぽど死にたいらしいな!」

 烈火のごとく怒ったライオルは、応援を呼ぶために廊下に出ようとした。ルイは慌ててライオルの足をつかんで引き止めた。

「待ってくれライオル! 人を増やさないで! 俺に近づくとみんな変になっちゃうんだ!」
「はあ!?」
「たぶんさっきの魔導具の影響だ! 俺に誰も近づかないようにしてくれ! 頼む!」

 ライオルは眉根を寄せてルイの前にしゃがみこんだ。

「どういうことだ? 説明しろ」
「ええと……執務室で回収された魔導具を調べてたら、魔導具の中に入ってた液体が俺の顔にかかっちゃったんだ。俺はなんともなかったんだけど、カドレック班長が念のため医務室に行ってこいって言ったから、ファスマーと一緒にここまで来たんだ。そうしたら急にファスマーの様子がおかしくなって襲ってきて……」
「は? 廊下で伸びてるファスマーはこいつらにやられたんじゃないのか?」
「そうと言えばそうなんだけど、俺を助けようとして殴ったんだと思う。でも俺に近づいたせいでこの二人もファスマー同様おかしくなっちゃったんだ」
「それで襲われたってのか? 回収した魔導具の作用で?」
「そうとしか思えない……この二人とは話したこともないし」

 そのとき、騒ぎを聞きつけた誰かがこちらに走ってくる音がした。ライオルはさっと立ち上がると会議室の入り口に引き返し、やってきた兵士に人払いをするよう命じた。

「うちで回収した未認可の魔導具の誤作動だ。危険だからここから医務室までの道すべてを閉鎖してくれ。何人なんぴとたりとも立ち入らせるな」
「はい、タールヴィ隊長」

 ライオルはてきぱきと指示を下すと、会議室に転がっている二人の兵士を廊下に出してファスマーともども回収させた。そのあいだにルイは立ち上がって服装を整えた。ライオルは魔導具の影響を受けなかったようなので、ルイはほっとしていた。

 人払いが済むと、ルイはライオルと一緒に会議室を出て医務室に向かった。廊下はしんと静まりかえっていて、誰もいなかった。

 ルイが無人の医務室に入ると、ライオルは医務室の外に出てドアを閉め、衛生兵を呼んで事の次第を説明した。ルイはドアごしに衛生兵の困惑した声を聞いた。

「ええっ……そんな危険な魔導具が?」
「ああ。すぐ王宮魔導師会に連絡して詳しそうな奴を派遣してもらってくれ。ここへはしばらく誰も近づけさせるな。魔導具の効果の範囲がどれだけなのかまだ未知数だからな」
「タールヴィ隊長は? あなたも危険です」
「俺は大丈夫だ。おそらく魔力が高ければ影響しないんだろう。俺が残って見張ることにする」
「わかりました。我々は東棟の医務室にいますから、なにかあればすぐお呼びください」
「ああ」

 衛生兵が去っていくと、ライオルは医務室に入って後ろ手にドアを閉めた。

「まったく……カリバン・クルス基地の敷地内でお前に手を出されるなんて、しゃれにもならないぞ……」

 ライオルはぶつくさ言いながらルイのそばにやってきた。ルイは怪我人用のベッドに腰かけて頭をかいた。

「ごめん。来てくれて助かった」
「王太子の婚約者が襲われてるって叫び声を聞いたら、駆けつけるに決まってるだろ」
「そう言った本人も襲ってきたくらいだから、この魔導具は本当に危ないな」
「あ……そういうことだったのか」

 ライオルはルイの体に触れて怪我がないか確かめた。ルイは黙ってされるがままになっていた。ライオルは最後にルイの頬をなで、乱暴にベッドに押し倒した。

「んは!?」

 ルイは驚きのあまり変な声が出た。ライオルの鋭い目に見下ろされて冷や汗が吹き出した。

「ライオル!? さっき俺は大丈夫だって言ってなかったか!?」
「……我慢してただけだ。ちょっと抱かせろ」
「はあ!? いやいや、落ち着けって!」

 ライオルはルイの言葉を無視し、ボタンが外れたルイの軍服に手をかけた。

「やめろって、こんな魔導具に負けるな! お前は強い魔導師だろ!」
「うるさい……」
「ライオル! あっ」

 脱がす時間も惜しいと言うように性急にシャツをはだけられ、あらわになった首筋にかみつかれた。ルイは痛みにぴくりと体を震わせた。

 ライオルはしばらくルイの首筋に顔を埋めていたが、ゆっくりと顔を起こした。そのままよろりと後ろに一歩下がり、苦しげな表情でルイを見下ろした。

「くそ……俺は、ほかの奴らのようにはならない……獣みたいにお前を襲ってたまるか……」

 ライオルは歯を食いしばり、隣のベッドにどかりと腰を下ろした。自制心を総動員して魔導具の効果にあらがっているようで、ふうふうと荒い息をはいている。

 ルイは上半身を起こしてライオルを見つめた。辛い思いをしてまで自分を大事にしてくれる、その気持ちがとても嬉しかった。

「ライオル、大丈夫?」
「ああ……」
「やっぱりライオルも離れててくれ。俺自身はなんともないし、魔導具の効果が切れるまでここでおとなしくしてるから」
「だめだ。俺がいないあいだに誰かに襲われたら困る」

 ライオルはきっぱりと言った。ルイはそれ以上はなにも言わなかった。ライオルのことは心配だが、この状態で一人になるのは心細い。ライオルにそばにいてほしかった。

 ライオルは座ったまま自分の手元を見つめ、心を落ち着かせていた。

「喋ってたほうが気が紛れるか?」

 ルイが言った。ライオルはゆっくりとうなずいた。

「そうだな……なにか話してくれ」
「わかった」

 ルイは少し考えたあとに口を開いた。

「……俺たちが初めて出会ったときのことを覚えてる?」
「ああ。テンペスト寺院だったな」
「そう。きみはホルシェードを連れて突然俺がかくまわれてる寺院に現れたんだ」
「フルクトアト寺院からの書簡を携えてな。それでも最初は間者だと疑われて、なかなか中に入れてもらえなかった。ストウス司祭と話してようやく信用してもらえたんだ」
「実際間者だったけどな」
「まあな」

 ライオルは下を向いたまま自嘲気味に笑った。
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