風の魔導師はおとなしくしてくれない

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後日談1 噂話と謎の魔導具

追憶 城にいたころの話

 ルイが海の国に初めて足を踏み入れたときから、六年前のこと。アムルタ王の治世の元、リーゲンス国はつつましくも平穏な日々を送っていた。

 とある休日の昼下がり、リーゲンスの王都アウロラは温かい日差しに包まれていた。ぽかぽかとした気持ちのいい陽気で、人々は洗濯物を干したり、散歩しながら友人とおしゃべりしたりして過ごしていた。

 そこへイオンが馬を駆って城下へ遊びにやってきた。城のほうからやってくる高らかな蹄の音を聞いた人々は、王女を一目見ようと繰り出してきた。

「ほら早く! 王女様がいらしたわよ!」
「こっちに来るわ!!」

 アウロラに住む娘たちは家事を放り出して我先にと通りに飛び出した。イオンは艶やかな黒毛の馬にまたがり、民の前をゆったりと通っていく。

 イオンは波打つ金髪を後ろで一つにまとめ上げ、遠乗り用のジャケットとズボンに身を包んでいた。馬が一歩踏み出すたびに耳飾りの宝石がきらきらと輝いている。イオンはまぶしいまでの美貌を惜しげもなく振りまき、熱い視線を送ってくる娘たちに笑いかけた。

「こんにちは皆さん。いいお天気ね」

 声をかけられた娘たちは一様に顔を真っ赤にした。

「こっこんにちは王女様!」
「ごきげんよう王女様!」
「今日も素敵です王女様!!」
「ありがとう。よい一日をね」

 イオンは口紅を塗った赤い唇を蠱惑的に上げて軽く手を振った。イオンに付き従う二人の従者が、王女にこうべを垂れない不躾な町娘を馬上からにらんだが、彼女たちの視界には入っていない。

「はわわ……なんとお美しい……」
「どうしよう、今絶対私のこと見てくれたわよね」
「それはあんたの妄想でしょ……王女様の今日の帽子、初めて見るやつだわ。どこで売ってるのかしら。私も欲しい……おそろいにしたい……」

 麗しの王女に釘付けのまま、娘たちは興奮して囁き合った。若い男たちは、彼女たちの背後から遠巻きにその様子を見ていた。

「相変わらず王女様の人気はすげえな……」
「だな」
「あれだけ美人だもんな……」

 男たちは影からこっそりとイオンを眺めた。女神のごとき整った容貌の王女殿下。自分の恋人が王女にうっとりとしていても、もはや怒る気にもなれない。それだけイオンの美しさは別格だった。

「そういや、こないだ来たルボン騎士団の団長、王女様と剣の試合して負けたってよ」
「はあ? どれだけ強いんだよ。あんなにほっそりしてるのに」
「じゃ、あの従者たちより腕が立つのかな? あいつらいつも偉そうにしてるくせに、王女様を守れる力ないんじゃないか?」
「かもなあ。悪漢に襲われても王女様が自力で退治しそう」

 男たちはため息混じりに言った。イオンは娘たちには大人気だが、勇ましすぎて男には人気がなかった。

「そういえば、第四王子のことを知ってるか?」

 一人が言った。周りの友人たちは首を横に振った。

「知らない。どこかで聞いたことある気もするけど……どんな人なんだ?」
「第四王子はな、王女とは真逆ですごくおとなしいんだって」
「へえ。見たことあるのか?」
「いや、ない。ほとんど表には顔を出ないんだって。でも見たことあるやつによると、かなりの美少年らしい」
「ふうん。そこはさすがあの王女様の兄弟だな。でもなんで外に出てこないんだ?」
「知らない。病気がちとか?」

 男たちはアウロラの中心にそびえる白亜の城を見上げた。


 ◆


 城内の奥まった一画で、ルイは数冊の本を抱えて一人で歩いていた。書庫でおもしろそうな本をいくつか見繕い、自分の部屋に持って帰るところだった。この辺りは静かでほとんど人通りもない。

「あっ」

 突然、一番上の本がばらばらにほどけてしまい、表紙と中の紙が廊下に散らばった。古い本だったので綴じ目が緩んでいたようだ。ルイは仕方なくほかの本を床に置き、散乱した紙をかき集めた。

 ふと、廊下の向こうから話し声が聞こえてきた。城仕えの男たちが通りがかったようだ。ルイに気づいたのか一瞬話し声が途切れたが、すぐに階段を上がって行ってしまった。

 ルイは無視されることに慣れっこだったので、特に気にせず散らばった本の中身を拾い集めた。人目につくところにいてもいいことがないので、早く戻ろうと急いでいた。

「殿下、お手伝いしましょう」

 だが、思いがけず一人の男がこちらにやってきて、ルイに話しかけた。ルイがきょとんとして見上げると、そこに立っていたのは見たことのある貴族の青年だった。彼は人好きのする笑みを浮かべ、ルイのとなりにしゃがみこんで一緒に紙を集めてくれた。

「……ありがとう」

 ルイは礼を言って青年から紙の束を受け取った。ばらばらになった本は、ほどけたひもで適当にくくり直してまとめた。

「殿下、俺がお持ちしますよ」
「え……」

 ルイは本を抱え直して去ろうとしたが、青年は親切にも荷物を持とうとしてくれた。

「こんなにたくさん、重いでしょう。お部屋までですか?」
「あ、うん、部屋に持っていくつもりだけど……これくらい持てるから、大丈夫だよ」
「お一人では心配です。さあ、参りましょう」

 青年はにこにこして譲らなかった。青年に促されてルイが本を渡そうとしたとき、背後から声をかけられた。

「ルイ、どうしたの?」

 振り向くと、イオンが二人の従者と一人の侍女を連れて足早にこちらにやってくるところだった。外から帰ってきたばかりのようで、いつも馬に乗るときの格好をしている。

「王女殿下」

 貴族の青年は慌てて一歩下がり、イオンに向かって深々とお辞儀をした。けげんそうにしているイオンに、ルイが説明した。

「本が壊れて床にばらまいちゃったから、拾うのを手伝ってもらってたんだ」
「あらそう。じゃあ用事は済んだのかしら。もう行っていいわ」

 青年に向かってイオンが言った。青年ははいと一言言うとそそくさと去っていった。青年の背中を見送ったあと、イオンはルイに向き合った。

「その本はどうしたの?」
「さっき書庫から持ってきて、部屋に戻るところだったんだよ」
「お付きの者は?」
「ん……今別の仕事をしてるから。それにちょっと本を取りに来ただけだし」

 ルイはあっけらかんと言った。ルイにも従者はいるが、あまりルイの前に顔を出さない。王子とは思えないほど、ルイの周りには人がいなかった。だから、ルイは身の回りのことはなんでも一人でやるようになっていた。

「そっか」

 イオンは悲しそうに笑った。

「しょうがないわね。私が一緒に運んであげる」
「え、でも」
「いいからいいから」

 イオンは半ば無理やりルイから本を半分取り上げて歩きだした。

 二人は連れだって廊下を歩いた。イオンはさっきまで城下に行っていたらしく、歩きながら街の様子を教えてくれた。イオンが事細かに話してくれるので、ルイは自分も街を見てきたような楽しい気分になった。

 イオンは外見も中身もまぶしい素敵な姉だ。イオンがこうやってかまってくれるおかげで、ルイはいやなことがあっても城の生活を投げ出さずにいる。ルイが笑顔になったのを見て、イオンは満足そうに笑った。

 ルイの部屋の前に着くと、イオンはルイに持っていた本を渡した。

「じゃあねルイ。今度は一緒に遊びに行きましょうね」
「うん」

 ルイはイオンと別れて自分の部屋に入り、机の上に本を置いた。窓の外は雲一つない快晴だ。イオンの言っていたとおり、とても暖かくて穏やかな午後だ。

 ルイはふと思い立ち、部屋を出て母のところに向かった。母レーチェはずいぶん前から寝たきりだが、今日のように天気のいい日は体を起こしていることがある。

 母の部屋に行くと、予想通りレーチェはベッドから起き上がっていて、窓辺のソファにもたれかかって日光浴をしていた。レーチェはルイに気づくと嬉しそうにほほ笑んだ。

「いらっしゃい、ルイ」

 ルイはレーチェのそばに来て、母の手を取って手の甲に口づけた。

「今日は体調がよさそうですね、母上」
「そうね、だいぶいいわ」
「それはよかったです」

 ルイはレーチェのとなりの一人がけソファに座った。暖かい日差しを浴びているにもかかわらず、レーチェの手は冷たかった。以前よりさらに細くなり、ほとんど骨と皮だけになっている。

 だが、それでもレーチェはとても美しかった。ルイと同じ黒い髪と青い目を持った、たおやかな美女だ。パーティー会場でアムルタ王が一目で気に入り、すぐに側妃に召し上げたほどだ。

「あなたのほうこそ最近はどうなの? ちっとも自分のことを話したがらないんだから」

 レーチェが言った。ルイはあいまいに笑った。

「俺はとくに変わりはないですよ」
「十五歳に変わりないって言われても困るのよ。魔導の稽古を始めたんでしょ? それはどうなの?」
「あー……始めたばかりなので、まだ大したことはできないですよ。でも風の術が少しできるようになりました。どうも俺は風の魔力を持っているようです」
「へえ、風なの。私の故郷が風のよく吹く町だったからかしらねえ……。勉強のほうは?」
「勉強はまあ、とくに問題ないです」

 ルイはそう言ったが、レーチェは渋い顔をした。

「本当? 適当に言って母をごまかすんじゃありませんよ」
「ごまかしてないですって」
「ならいいけど……あなたは剣がだめなんだから、もっと勉学に励まなくてはいけませんよ」
「はい」
「レーチェ様」

 親子が話しているところに、レーチェの侍女が声をかけてきた。ルイが振り向くと、侍女の後ろにサルヴァトが背筋を伸ばして立っていた。どうやらルイと同じ考えで、レーチェを見舞いに来たようだ。

「叔父上」
「やあ、ルーウェン。お前も来てたんだな」

 サルヴァトは笑ってルイに手を振った。ルイは立ち上がってサルヴァトに一人がけソファを譲った。するとすぐに侍女がルイのために別の椅子を持ってきてくれて、ルイはその椅子に腰かけた。

「見舞いの品をお持ちしました」

 サルヴァトがそう言うと、彼の使用人たちが花瓶に生けられた色とりどりの花をレーチェの前に持ってきた。たっぷりの花でいっぱいの大きな花瓶は三つもあった。部屋の中が花の香りで満たされ、花が大好きなレーチェは顔を輝かせた。

「素敵だわ」
「庭園ではアガパンサスなどが満開です。でも庭園はここに持ってこられないですからね。見ごろの花をいくつか選んできました」
「私は外に行けませんから、とても嬉しいですわ」

 レーチェは花瓶を三つとも近くに置いてもらい、じっくり眺めて香りを楽しんだ。

「いつもありがとうございます、宰相閣下。私がこんな風になってしまっても、あなたは変わらず接してくださいますね」
「なにをおっしゃいますか、レーチェ様。あなたはいつも変わらずにお美しい」

 サルヴァトは優しく言った。まっすぐなほめ言葉に、レーチェは照れて口を手で隠して笑った。

 ルイはその様子を見ながら、叔父上は母上のことが好きなんだろうな、とぼんやり思った。ルイが物心つく前から、サルヴァトとレーチェは仲がよかった。姿を見せないアムルタ王より、サルヴァトのほうがルイにとって父親に近い存在だった。

 サルヴァトは城で立場の弱いレーチェとルイにいつも寄り添ってくれた。ルイもサルヴァトを父のように慕っていた。

 レーチェとサルヴァトが楽しそうに話をする様子を、ルイは考え事をしながらぼうっと眺めていた。

「ところでルーウェン、お前も年頃だし、好いた女の一人くらいできたのか?」
「へっ」

 突然サルヴァトに話を振られ、ルイは目をぱちくりさせた。どうやら恋の話をしていたらしい二人は、にやにやしてルイを見つめている。

「い、いえ、いないですよそんなの」

 ルイが慌てて答えると、サルヴァトは口ひげを震わせておかしそうに笑った。

「はは、なんだ、いないのか。いつまでもそんなんじゃだめだぞ」
「ふふ。この子はいつまでも恥ずかしがりが治らなくて……困ったものですわ」
「奥ゆかしいのもよいですが、ほどほどにせんといかんですな」
「本当に。この子はいったいどんな人と結婚するのかしらねえ」

 レーチェはルイをまじまじと見つめた。

「私はこんな体だし、早くあなたのお嫁さんを見たいわ……。ねえ、閣下? なんとかしてくださらない?」
「おや? レーチェ様、まだ気が早いのでは?」
「そんなことないですわ。そろそろ結婚相手を探し始めてもいいと思います」
「ふうん、まあ母親としては心配でしょうな。わかりました。私にお任せください」

 サルヴァトがうなずくと、レーチェはほっとしたようで表情を緩めた。

 ルイは自分の意志そっちのけでされる会話にぽかんとしていた。まだ恋愛すらしたことがないのに、結婚相手を探すと言われてもまったくぴんと来ない。なぜこんな話になったのかわからなかった。

「ルイ、婚約者が決まったら一番に私に見せてちょうだいね」

 蚊帳の外のルイに、レーチェの嬉しそうな声がかけられた。

「あ、はい……」

 ルイがよくわからないまま返事をすると、レーチェとサルヴァトは顔を見合わせて苦笑した。

「ま、レーチェ様、気長に行きましょう。焦っても仕方ないです。そのうちルーウェンにもよい人が現れるでしょう」
「お願いしますよ。この子に任せてたらいつまでたっても……」
「わかってますって。よい話があればすぐにお伝えしますから。ですからこれ以上心配されませんように」

 サルヴァトは弱っているレーチェに悩みの種を与えたくないようだった。

「そうね……。ルイ、あなたも早く素敵な恋ができるといいわね」

 レーチェは青い目を細めてほほ笑んだ。

「相手を想うあまり城を飛び出して会いに行くのもいいけど、やり過ぎると嫌われますからね。自作の歌を歌うのはやめといたほうがいいわよ」
「母上……」
「でも情熱的になるのはとてもいいことよ。男の子なんだから、恋のために命を賭けられるくらいでないとね」
「そこまでできませんって」

 ルイがあきれて言い返すと、レーチェは訳知り顔でふふんと笑った。

「あら、できるわよ。あなたに本当に好きな人ができたらね」



 おわり

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