風の魔導師はおとなしくしてくれない

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後日談2 星の見えるところ

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 刺される、とルイが覚悟したときだった。男の後ろから二本の腕が伸びてきて、男を羽交い締めにした。黒ずくめの男は介入者によって投げ飛ばされた。地面に激突した衝撃で、男の手からナイフが飛んでいった。

「おとなしくしろ悪党め!」

 すんでのところでルイを危機から救ったのは、黒髪の青年だった。服装からしてパーティーの参加者だろう。彼はうつ伏せに倒れた男にのしかかり、手足を押さえつけた。

 青年は逃げようともがく男の後頭部を殴りつけた。男はうめき声をあげてもがくのをやめた。その隙に青年はポケットからハンカチを取り出し、男の両手を背中で縛って拘束した。どうやら男は気絶したようで、そのまま動かなくなった。

 青年は茂みに倒れたルイを助け起こした。

「大丈夫ですか?」
「は……はい」

 青年の手で立たされたルイは、彼の顔をじっと見つめた。見覚えのある顔だ。癖毛の黒髪によく日焼けした肌の、男臭いが端正な顔つきの青年だ。体格が良く、派手な衣装をなんなく着こなしている。

「アドルフェルド……?」
「はい、殿下。お久しぶりです」

 アドルフェルドはルイににこりと笑いかけた。

「お怪我はございませんか?」
「あ……うん、だいじょ……テオフィロ!」

 ルイはテオフィロのことを思いだし、急いで茂みの影に駆けこんだ。そこにはテオフィロが先ほどと同じ姿勢で倒れていた。

「テオフィロ!」

 ルイは膝をついてテオフィロを抱き起こした。テオフィロは蒼白な顔でぐったりとしていたが、ルイが何度も呼びかけるとうっすら目を開いた。

「……るいさま……?」
「テオフィロ! 無事か!?」
「う……ちょっと、腕を切られたようです……」

 テオフィロは顔をしかめて左手で右腕を押さえた。暗くてよくわからないが、右腕をナイフで切られてしまったようだ。

「倒れたときに頭を打って、気を失ってしまっていたようです……ルイ様、お怪我は……?」
「俺はなんともないよ。あの男は捕まったからもう大丈夫だ。すぐ手当しよう」

 ルイはテオフィロを抱えて運び、小径に置かれた魔導ランプのそばに横たわらせた。明るいところで見ると、テオフィロの右腕は前腕部が切り裂かれて服が真っ赤に染まっていた。切りつけられてとっさに腕を出してかばったのだろう。

「ひどい……」

 ルイはハンカチを取り出し、傷口をぎゅっとしばって止血した。テオフィロは歯を食いしばって痛みをこらえた。

 アドルフェルドは宮殿のほうに向かって大きく手を振って叫び、助けを求めた。庭にいた人が気づいたようで、遠くのほうが騒がしくなった。

「すぐ救援が来ます」

 アドルフェルドはルイの隣にしゃがみこんだ。

「もう大丈夫ですよ、殿下」
「うん……なんでテオフィロがこんなことに……」

 ルイは縛られた男をちらりと見やった。男は髪がぼさぼさで破れた靴をはいていて、とても清潔そうには見えない。闇夜に紛れるためか黒い上着と黒いズボンを着ていて、荷物らしきものは持っていない。

「俺にもなにがなんだか……」

 テオフィロがか細い声で言った。

「物音がしたからのぞいたらその男がいて、目が合ったら急に襲いかかってきたんです……」
「そうなんだ……なんでこんなところにいたんだろう……」

 ルイは男に襲いかかられたときのことを思いだして身震いした。アドルフェルドが来なければ、ルイもやられていただろう。

 ルイは急に頭がくらっとして平衡感覚を失った。後ろに倒れかけたルイを、アドルフェルドが慌てて抱きとめた。

「殿下! 大丈夫ですか?」
「ご、ごめん……へいき……」
「俺がついてますから、安心してください。さぞ怖かったでしょう」

 アドルフェルドはルイの肩を抱いて優しくなぐさめた。ルイはテオフィロを傷つけられてすっかり動揺してしまっていた。震えるルイをアドルフェルドが守るように抱き寄せた。

 ばたばたと近づいてくる足音がして、騒ぎを聞きつけた人が数人駆けつけてきた。

「何事ですか!」

 声を張り上げたのは、先頭を走ってきた紅色の髪のきれいな女性だった。重たいドレスの両端を持ち上げてここまで走ってきたらしい。

「悪漢が庭に紛れこんでおりました。すでに俺が捕まえましたが」

 アドルフェルドが縛られた男を指さして言うと、女性の顔つきがさっと険しくなった。

「こんなところに……? 閣下、あの者を捕らえてください」
「はい、トリシュカ様」

 女性の隣にいた男は縛られた男に歩み寄り、気絶していることを確認すると肩に担いで宮殿のほうに戻っていった。トリシュカはドレスが汚れるのもいとわず、横たわるテオフィロのそばに座った。

「あの者にやられたんですか?」
「ナイフで切られたそうです」

 アドルフェルドが答えた。

「なんてこと……ヘリク、うちの医者を呼んできて。早く!」

 トリシュカが叫ぶと、ヘリクと呼ばれた青年は駆け足で来た道を戻っていった。

 そのうち、ほかの客や警備の兵士たちもやってきて、静かな夜の庭は松明の明かりとざわめきでいっぱいになった。テオフィロは兵士の手によって応急処置を施された。ルイはアドルフェルドに支えられながら、テオフィロのそばに座っていた。

「王太子殿下、まだ危険かもしれません。どうぞ中にお戻りを……」
「うるさい、そこをどけ!」

 制止する声にかぶせるようにライオルの叫び声がした。人垣が割れ、ライオルが姿を現した。

「テオフィロ!」

 ライオルはまっすぐテオフィロに駆け寄り、片膝をついてテオフィロの顔をのぞきこんだ。テオフィロは力なく目を閉じていたが、ライオルの声に気づいて目を開けた。

「ライオル様……」
「変なやつに襲われたって!?」
「はい……」
「怪我の具合は?」
「右腕を切られました……」
「そうか……顔色が悪いな、失血が多いみたいだ」

 ライオルは眉間にしわを寄せてルイを見た。

「お前は怪我しなかったんだな?」
「うん、大丈夫」
「そうか、ならいい。……誰か医者を、サーマンを呼んできてくれ!」
「医者ならもう呼びましたわ」

 ライオルが叫ぶと、間髪入れずにトリシュカが答えた。ライオルは意外そうにトリシュカを見つめた。

「こちらにいらしていたのですか」
「はい。庭に出ていたところ、叫び声を聞いて駆けつけました。すでにうちの医者を手配しましたのでご心配なく。この方を襲った者は将軍閣下に身柄を渡しました」
「そうでしたか。迅速なご判断、感謝します」

 ライオルが礼を言うと、トリシュカは小さく足を折って礼を返した。

「ところで、この方々はライオル様のお知り合いなんですか?」
「そうです。うちの従者のテオフィロと、俺の婚約者のルイです」
「あら……こちらの方がルーウェン様でしたか。お会いしたことがなかったもので、失礼しました」

 トリシュカはルイを見て軽く目を見開いた。ルイはようやく彼女がエンデュミオの妹のトリシュカ王女だと気がついた。トリシュカは今までリーゲンスに来たことがなかったので、名前は知っているものの顔は知らなかった。理知的で落ち着いた雰囲気の美女だ。エンデュミオとは全然似ていない。

 トリシュカがお辞儀をしたので、ルイも黙ってお辞儀を返した。今は挨拶の言葉を交わしている余裕などない。トリシュカは値踏みするようにルイを眺めていた。

 そうしているうちに、トリシュカが手配した医者が到着した。テオフィロは医者に付き添われて宮殿に運ばれることになった。

「俺も一緒に行こう。ルイ、お前も来い」

 立ち上がったライオルはルイに向かって手招きした。ルイも立ち上がろうとしたが、肩に乗ったままのアドルフェルドの手がそれを許さなかった。

「殿下は俺がお連れします。どうぞ従者の方を心配してさしあげてください」

 アドルフェルドが言った。ライオルはいぶかしげにアドルフェルドを見下ろした。

「失礼ですが、あなたは?」
「アドルフェルド・ハウカと申します」
「……ああ、あなたが……」

 ライオルは切れ長の目をすっと細めた。

「ルイを気にしていただけるのはありがたいが、俺の婚約者は俺が守りますので」

 ライオルは少し声を低めてきっぱりと言い切った。ルイは肩に置かれた手をそっと握っておろさせた。

「助けてくれてありがとう、アドルフェルド……テオフィロが心配だから、俺も行ってくるよ」

 ルイが言うと、アドルフェルドはすっと立ち上がり、ルイに手を差し伸べた。

「わかりました。お気をつけて」

 ルイはアドルフェルドの手を借りて立ち上がった。

「ありがとう」
「いえ。また日をあらためて会いに行きますね」
「うん」

 ライオルはじっとアドルフェルドを見ていたが、ルイがやってくるとルイの背中に手を置いて歩きだした。ルイはライオルが早くこの場を離れようとしている気がした。

「ギレット! 行くぞ!」

 ライオルは歩きながら声を張り上げた。小径の奥で一人きょろきょろしていたギレットは、こちらに背を向けたまま手を上げて言った。

「先に行け! すぐ追いかける!」
「……わかった。気が済んだら来いよ」

 ライオルはそれ以上引き止めようとはしなかった。
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