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後日談2 星の見えるところ
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しおりを挟む目立たないよう街の住人の服装に着替えてから、一行は離宮を出発した。ライオルとギレットも地味な茶色い服になっていたが、二人とも背が高く美形なので並んで立っていれば十分目立ちそうだった。しかし、少なくとも海の国の王太子とは思われないだろう。
一般人に扮した護衛がついてはくるが、ほかは自由にティグラノスの街を散策することができた。ルイは久方ぶりにティグラノスの街を歩いた。あちこち看板だらけで、壁には店の名前がカラフルに描かれている。目立ちたがり屋の派手な店が軒を連ねていて、ルイは目がちかちかした。店の中からはなにやら嬌声が聞こえてくる。
あまり広いとは言えない通りは観光客でいっぱいで、まっすぐ歩けないほどだった。派手な帽子をかぶった従業員が自分の店の宣伝をしてまわっている。
ときどきどこかの家紋が描かれた御者つきの馬車が通り過ぎた。どうやら昨夜のパーティーの参加者も遊びに来ているようだ。
アドルフェルドは通りを練り歩きながら、目につくものすべてをライオルとギレットに説明した。生まれ育った街なのでアドルフェルドはとても詳しかった。
一行は賭博場に入り、カードやサイコロなどの賭け事を楽しむ人々を見学した。アドルフェルドは場内をまわりながら、各テーブルで行われているゲームのルールについて得意げに語った。
次にアドルフェルドが案内したのは拳闘場だった。拳闘士の試合を観戦し、どちらが勝つか賭ける人気の娯楽だ。ライオルとギレットとホルシェードはアドルフェルドの説明を聞き、非常に興味をそそられたようだった。
「戦闘民族め……」
ルイはやれやれと首を振り、うきうきしている軍人三人のあとを追った。拳闘場は広かったが、詰めかけた観衆のせいでものすごい熱気に包まれていた。ちょうど試合の最中だったようだ。
アドルフェルドは貴族向けの二階席に案内してくれた。二階席は壁の内側からバルコニーのようにせり出していて、一階の試合場を見下ろすことができる。試合場を囲む一階席には観客がすし詰めになっていて、声援と怒号でかなりうるさかった。円形の試合場では二人の拳闘士が布を巻いた手で殴り合っている。
「おっ、あれは今人気の選手ですよ! とても強いんです」
アドルフェルドが下を指さして言った。ライオルも下を見下ろした。
「あの赤い服のほうですか?」
「そうです! 彼は今のところ負けなしなんです!」
「確かに強いですね。よく鍛えられてる……ギレット、お前勝てそうか?」
「うーん……」
ギレットは試合を凝視しながらあごをなでた。
「蹴るのはだめ、武器もだめ、頭突きも……なしっぽいな。単純なげんこつ勝負か。まあ、勝てると思うぜ」
「本当か?」
「一筋縄ではいかなそうだけど、勝てない相手じゃないな。……おっ、決まったな。勝負ありだ」
「飛び入り参加してくれば?」
「おお、やってもいいぜ」
「ホルシェード、お前はどうだ?」
「……あまり自信ないですが……隙をついて膝をつぶしてからあご下をとらえられればいけるかと」
「ご、ご冗談を……」
大まじめに話している軍人三人に、アドルフェルドは苦笑した。
「アドルフェルド、海の国の人は戦うことが大好きなんだよ」
ルイが言った。
「困ったもんだよねえ」
「は、はあ……ずいぶん好戦的なんですね……あ、殿下も軍に所属してらっしゃるんですよね? まさか殿下も拳闘に興味がおありで……?」
「いや全然。俺は腕力がないからたぶん一撃でやられると思う」
ライオルが吹き出した。
「情けない発言だな……でもまあ、自分の実力を正しく評価できてるだけましか」
「俺は風の魔導師だからいいんだよ」
ルイはそう言って階下を眺めた。試合が終わり、賭けに勝った観客が賞金の払い戻しに殺到している。
ふと、二階席の奥のほうで観戦していた女性がこちらに歩いてきた。
「おや……ライオル様ではありませんか」
ライオルは後ろを振り向いて目を丸くした。
「トリシュカ様」
「どうも。皆様おそろいですのね」
トリシュカはドレスの両端をつまみ、そっとかがんで挨拶をした。後ろに護衛らしき男二人を従えているが、昨夜のパーティーに比べてずっと簡素な格好をしている。髪も上半分を結い上げているだけだ。
「トリシュカ様も拳闘を見に来られたのですか?」
「ええ、まあ」
「へえ……。いや失礼、昨夜も思いましたが、ずいぶん意外性のある方だなと思いまして」
「お部屋にこもって読書するのも飽きたので、気晴らしですわ」
ルイはこんなところで彼女に会うとは思わず、内心かなり驚いていた。ライオルも同じだろう。王女がお忍びで来るにしては少々粗野なところだ。男たちの殴り合いを見て楽しむタイプには見えないが、確かに意外性のある王女様だった。
「ごきげんよう、ルーウェン様」
トリシュカが言った。ルイは慌てて会釈をした。
「こんにちは、トリシュカ様」
「お元気になられたようでなによりですわ。昨夜はかなり落ちこんでいらっしゃいましたが」
「あ……はい、そうですね……。もうよくなりました」
「あなたが? お怪我された方が?」
「どっちも……ですかね」
「それはようございました」
トリシュカはそう言うと、さっとライオルのほうを向いてライオルに話しかけ始めた。
二人が楽しそうに話しているのを見て、ルイはなんだか複雑な気分になった。頭のいいトリシュカは話も上手で、とても会話が弾んでいる。ライオルはどうでもいい相手との会話はいつもさっさと切り上げるが、トリシュカと話すことはいやではないようだ。
ライオルはトリシュカにアドルフェルドに街を案内してもらっていることを説明した。それを聞くと、トリシュカは期待に満ちた目になった。
「そうなんですか。わたくしはティグラノスにあまり詳しくなくて……とても広い街ですし、迷ってしまいそうです」
「でしたら一緒に行きませんか? どうでしょう、アドルフェルドどの」
「とてもよいお考えだと思います」
アドルフェルドは大きくうなずいて見せた。トリシュカは嬉しそうに顔をほころばせた。ルイは少々トリシュカが苦手だったが、王女の案内をすることはアドルフェルドにとっても名誉なことだろうと思い黙っていた。
「どこか行きたいところはございますか? 王女殿下」
アドルフェルドがたずねると、トリシュカは迷わず答えた。
「競馬を見に行きたいです」
「お、ちょうど今から皆様をご案内しようと思っていたところです。本日レースがあることをご存じだったんですね」
「はい。昨夜たまたまお聞きしたんです」
「さすがお耳が早くていらっしゃいます」
行き先も決まり、一行は馬車に乗りこんで競馬場に向かった。トリシュカも自分の馬車でライオルたちを追いかけることになった。
馬車の中でライオルはアドルフェルドにたずねた。
「競馬とはどういうものですか?」
「馬のレースです。複数の馬を走らせ、観客はどの馬が一着になるかを当てるのです。一着になると予想した馬の馬券をあらかじめ買っておき、当たったらその馬券を金と引き替えられるんです」
「ああ、水棲馬レースと同じたぐいのものか」
ルイはこくりとうなずいた。
「そうだよ。海の国では水棲馬でレースをやるけど、地上では馬でやるんだ」
「それはおもしろそうだ!」
「ライオル、水棲馬レース好きだもんね……」
競馬場は街の外れにあった。もうすぐレースが始まるようで、馬券売り場は大賑わいだった。
アドルフェルドはあっという間に人数分の一等席を用意してくれた。ルイはアドルフェルドにエスコートされて席に座り、レースが始まるのを待った。一等席は馬が走るフィールドの目の前なので、臨場感たっぷりだ。騎手が自分の馬を歩かせたり軽く走らせたりして、馬の調子を確かめている。
「あの二番の馬がよさそうだな」
隣に座るルイに、ライオルが真剣な表情で言った。
「なんで?」
「前にも教えただろ? 水棲馬の状態を見れば上がり調子のやつはすぐに分かるんだ。馬も同じだろ。あの馬は足取りが軽やかでとても元気そうだ」
「ふうん」
「いや、五番のやつだな。先日のレースで一着を取ってる」
後ろでギレットの声がした。振り向くと、ギレットは大きな一枚の紙面を持っていて、それを穴が開くほど見つめていた。ルイはそれが競馬用の瓦版だと気がついた。紙面をのぞきこんだライオルは、これから走る馬の情報が書かれているのを見つけて目を剥いた。
「おい、なんでそんなの持ってるんだ?」
「さっき売り子を見かけたから買ったんだよ」
「俺の分は?」
「は? 欲しけりゃ自分で買えばいいだろ」
「ふざけんな一人だけ抜け駆けする気か! 俺にも見せろ!」
「おい、引っ張るな! 破けるだろうが!」
ライオルとギレットはののしり合いながら額をつきあわせて一つの瓦版を読み始めた。こっちはどうだだのこれはどういう意味だだの言い合っている。アドルフェルドはほほえましそうにその様子を眺めた。
「お二方はとても仲がよろしいのですね」
「いや……以前は喧嘩ばっかりしてたんだけどな」
「そうなんですか? とても気が合ってらっしゃるように見えますが」
「うーん、嗜好は一緒なんだけど気は合わない、と思う」
「ほう。似たもの同士なので衝突しやすいということでしょうか?」
「……まったくその通りでなにも言えない……」
そうこうするうちにトリシュカもやってきた。ライオルとギレットはホルシェードに馬券を買いに行かせ、席について子供のように目を輝かせてレースの開始を待った。
レースが始まると、ライオルとギレットは馬券を握りしめて目の前を駆けていく馬に声援を送った。ルイは肘掛けに頬杖をついてレースを眺めた。
レースは二番の馬の一着で終わった。ライオルは勝利の雄叫びをあげ、ギレットは馬券を足元にたたきつけた。トリシュカはにこにこして健闘した馬に拍手を送っている。馬券は買わなかったようだが楽しめたようだ。
馬券の換金も済み、帰ろうと席を立ったときだった。突然ホルシェードが叫んだ。
「危ない!」
ルイは驚いて声のしたほうを向いた。そのとき、なにかがきしむ大きな音が頭上から響いてきた。誰かの両腕がルイを背中から抱えこみ、ぐいっと後ろに引っ張った。それと同時にガシャンと大きな音がした。
一等席の上には布製の日よけがもうけられている。その日よけを支える柱が倒れ、ついさっきまでルイが座っていた席の上に落下していた。重い円柱はルイの座っていた椅子を押しつぶしていた。
間一髪でルイを下がらせたのはアドルフェルドだった。アドルフェルドはルイを抱えたまま、唖然として倒れた支柱を見つめている。埃が辺りを舞い、あちこちからどよめきと悲鳴が聞こえてきた。
倒れて破れた日よけの下でなにかが動いた。ルイはさっきまで隣にいたライオルの姿がないことに気がついた。
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