銀色の精霊族と鬼の騎士団長

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出会い編 オビングの小さな家

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 時が過ぎ、季節は秋にさしかかっていた。スイがエリトの家に来たのが冬の初めだったので、もうすぐここで暮らして一年になる。騎士団の仕事は長引いていてまだ終わらない。

 この半年で、スイはすっかりエリトに詳しくなっていた。エリトが好きな食材や味付けは全部把握しているし、お風呂の温度の好みも酒のつまみの好みもわかる。機嫌が悪いときは黙って放っておけばそのうちなおる。考え事をしているときはウイスキーを一杯渡すとよい。エリトは強引で自分の意見を押し通すことが多いが、スイがすねているとだいたいエリトのほうが折れてくれる。

 ふたりでの暮らしはとても楽しかった。スイの行動範囲は家と近くの川くらいだったが、庭で花や野菜を育てていられればそれで満足だった。エリトがフライン以外の人と会わせようとしなくてもなんの問題もなかった。

 ある夜、エリトは夕飯の鶏肉と根菜の煮込みを食べながら険しい顔をしていた。

「スイ」
「なに?」
「明日から俺がいないあいだは家の外に出るな」

 スイはスプーンを置いた。

「言われなくても家の敷地の外には出てないよ?」
「庭もだめだ」
「え? それじゃ庭の世話ができないじゃないか。せっかく大きくなった香草が枯れちゃうだろ。じゃがいもだってもうすぐ収穫なのに。それに洗濯は?」
「フラインにやらせる」

 エリトの急な変わりようにスイは面食らった。今朝、家を出るときは普通だったのに。

「エリト、なんで急にそんなこと言うんだよ? 意味がわからないよ」
「……やっとやつらの隠れ家を突き止めたんだ」
「やつらって、きみたちが追ってた人さらい組織のこと?」

 エリトは眉間にしわを寄せてうなずく。

「そう。デアマルクトから応援部隊を呼ぶことにしたから、それが到着したら一気にたたきつぶす計画だ。もうすぐけりがつく。……でも、隠れ家を見つけたときに、こっちの偵察もやつらに見つかっちまったんだ。もしかしたら騎士団が狙ってるってことに気づかれたかもしれない。応援を呼ぶのもタイミングを考えないと、途中でばれたら一巻の終わりだ」

 エリトは額に手を当てて悔しそうに歯がみする。

「やっとここまで来たんだ、絶対に逃がさねえ……」
「……大変なことになってるんだな」
「ああ……だからしばらく忙しくなりそうなんだ。帰りが遅くなると思うし、帰れない日も出てくると思う。だから、俺が留守にしてるあいだにやつらが俺の家をかぎつけて狙ってきたらまずいだろ? しばらくのあいだは用心しないといけないんだ。わかるな?」
「うん。そういうことならわかったよ」

 騎士団の仕事が危険と隣り合わせだということは重々承知している。スイに戦う力はないが、せめてエリトの迷惑にならないように自分の身は自分で守らねば。

「エリトも気をつけてね」
「ああ、そうするよ」

 スイがすんなり了承したのでエリトは安心したようだった。



 そうしてスイは家の中でエリトを待つだけの生活になった。フラインが日持ちのする食料をたくさん持ってきてくれるようになったので、食事に困ることはなかった。家の掃除をして、食事の支度をして、エリトが帰ってこなければ一人で食べて片付けて眠る。その繰り返しだった。

 スイは庭の植物たちが心配だったが、エリトの言いつけを守って家から一歩も外に出なかった。今こうして快適に暮らせているのはエリトのおかげなのだ。多少窮屈でも文句はない。

 だが、一月経っても状況は変わらなかった。エリトはずっと帰りが遅いし、数日帰ってこないこともある。スイはエリトの仕事になにも口を出さないが、さすがに心配になってきた。鬼族は強靱な肉体を持っているが、人間なのだから怪我もするし疲れがたまれば病気にもなる。

「エリト……」

 スイは二階の小窓から外を眺めながらぽつりと呟いた。

「あ」

 庭を見下ろしたスイは、大事に育てていた花がしおれているのを見つけた。

「最近雨降らないもんなあ……」

 スイは窓に額をくっつけて周囲を見回した。庭には灌木が植わっているので外から目につきにくいし、ここは町外れなのでそもそも人通りがほとんどない。

「ちょっとくらい出ても平気だろ」

 スイは上着をはおって帽子をかぶり、肥料の袋を持って玄関の扉に手をかけた。しかし、扉は開かなかった。いくら取っ手を引っ張ってもびくともしない。

「えっ?」

 スイは扉に鍵がかかっていないことを確かめた。なのに扉は石のように固く閉ざされている。

「……あ」

 この現象には覚えがある。スイは臓腑がすっと冷える感覚に襲われた。

「……魔法の鍵だ……」

 エリトが魔法で鍵をかけていったのだ。これはディリオムと同じやり方だ。あの屋敷のスイの部屋も魔法で施錠されていて、ディリオムだけが出入り可能だった。スイはディリオムが一緒でないと部屋から出ることもできなかった。

 スイは一瞬、自分があの豪華な部屋の中にいる気がして体が震えた。両手でぎゅっと自分を抱きしめて目を閉じる。震えが治まるとゆっくりと目を開いた。ここにあるのはただの黒ずんだ木の玄関扉だ。あの部屋の扉ではない。

「ここはエリトの家だ……おれはエリトの家にいるんだ……」

 スイは何度も自分に言い聞かせた。急にあの屋敷が浮かんできて頭から離れなくなる。

「おれは閉じこめられてない……。この鍵は外からの侵入者を防ぐためのものだ……それだけだ……」

 きっとエリトは万が一鍵が壊されたときのことを想定して、より頑丈な魔法の鍵をかけていったのだろう。エリトはスイのことを信頼している。これはスイが外に出るのを阻止するための鍵ではない。

「こんな状況だからしょうがないんだ……中にいよう……」

 エリトは優しい。スイのことをいつも心配してくれている。それなのに勝手に庭に出ようとした自分がいけないのだ。

 スイは帽子を脱いでふらふらと二階に上がり、壁のくぼみに置かれた小説を手にとった。もう全文覚えるほど読みこんでいるが、もう一度最初から読み始める。なんとかしていやな記憶を追い出そうと必死だった。

 屋敷にいたころ、ディリオムは部屋から出られないスイのためにいろいろな本を買ってきては与えていた。ほかにすることもなかったので、スイは与えられる本を片っ端から読みあさった。だから学校に行っていないどころかほとんど外に出たことがない割に、スイは様々な知識を持っている。スイにとって読書は時間を忘れて没頭できる唯一の娯楽だった。



 二日ぶりにエリトが帰宅した。スイは玄関に飛んでいってエリトに抱きついた。エリトはスイにキスして抱きしめ、しばらくそのまま腕の中に閉じこめた。

「ただいま」
「おかえり。ご飯できてるよ」
「ありがとう」
「……なあ、エリト」
「なんだ?」

 スイはエリトの広い胸に顔を押しつけた。

「お前、玄関に魔法の鍵かけてった?」
「かけたけど」

 エリトはあっさり認めた。

「外は危ないからな。……待て、お前、外に出ようとしたのか?」
「あ、その……ちょっと花に水をやりたくて」
「おいこら、庭もだめだって言っただろ?」
「……ごめん」
「必要なことがあれば俺に言えよ。やっとくから」
「うん……」

 スイが気のない返事をすると、エリトはスイのあごに手をかけて上を向かせた。スイは不服そうにちょっと目を伏せている。

「そんな顔すんなって。俺がいないあいだに連中がお前を捕まえに来たら大変だろ?」
「…………」
「お前が心配なんだ。わかってくれよ」
「……わかってるよ。ごめん、もうしないから」
「ああ、そうしてくれ」

 エリトはほほ笑んで再びスイに口づけた。

「ん……」

 スイはおとなしくキスを受けた。舌を差しこまれ、くちゅりと音を立てて口内を犯される。

「ん、っあ」

 離れていた二日間を取り戻すように、エリトはねちっこくスイの唇をむさぼった。荒っぽいが気持ちよくてスイはそっと目を閉じる。

 エリトが離れていくと、たがいの口が銀の糸でつながった。エリトはスイの黒髪を優しく手ですいた。

「……お前は結構ぬけてるからな」
「なんだよ急に」
「お前がうっかり外で精霊族の姿になっちまったらと思うと怖くてさ……」
「え、そんなこと心配してたのか?」

 スイはまったく気にしていなかったので驚いた。エリトは顔に出ないだけでかなりの心配性だ。

「庭にも川にも精霊はいないから大丈夫だよ」
「でも精霊族にはわかってないことが多いんだぞ。お前だって全部わかってるわけじゃないだろ? なにかの拍子にばれたらあっという間にさらわれるぞ」
「そんなことにはならないって」

 スイはようやくエリトが過剰にスイを外に出すまいとする理由を知った。だがエリトの心配はお門違いだ。精霊は森や泉など人里離れたきれいなところに棲むので、こんな町中にいるはずがない。それにスイは精霊の声を聞くことができるので、仮にうっかり近づいてしまっても避ければいいだけだ。

「なあエリト。その心配はいらないからさ、朝に少し庭に出るくらいならいいだろ? せっかくここまで育てた花を枯らしたくな――」
「だめだ!」

 急にエリトが大声を上げ、スイはびくっと肩を震わせた。エリトはスイを腕の中に閉じこめたまま鋭い目でにらみつけた。エリトに怒鳴られたのは初めてだ。

「だめに決まってるだろ。絶対にお前を外には出さないぞ。お前は家の中のことだけやってりゃいいんだ。別に難しくないだろ?」

 エリトの剣幕に押され、スイはなにも言えなくなった。

「お前はここにいてくれればいいんだよ。ほかはなにもしなくていいから。俺が全部やってやるから」

 エリトの黒い目は奈落の底のように深い闇をたたえている。スイは背筋が凍りついた。それはディリオムの目だった。目の前の男は、ディリオムと同じ目をしている。いつもの優しい彼ではない。スイに執着するあまり閉じこめようとする歪んだ男の姿だ。

「わかったな?」

 エリトが言う。スイは小刻みに震えながら何度もうなずいた。

 怖い。エリトが怖い。大好きなエリトが違う人に見える。エリトは強引なところもあるが、スイの意にそぐわないことは絶対にしなかった。なのに今は、スイの意志などおかまいなしに無理やり閉じこめようとしている。スイになにもさせようとしない。これは完全にディリオムのやり口だ。

 いつからこんな風になってしまったのだろう。
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