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六章 嗤う人妖族
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しおりを挟む「へっくしょおぉい」
スイは派手なくしゃみをした。頭が割れるように痛む。体がほてっている。
「うー……」
スイはベッドの中で寝返りをうった。あの夜、ずぶ濡れになったせいで風邪を引いてしまい、翌日から寝こむはめになった。熱が高く、三日経った今もベッドから起き上がれない。
スイはベッドに横たわったまま窓ごしに空を見上げた。あれから雲一つない良い天気が続いている。スイのどんよりとした気分とは対照的だ。
誰かが部屋の扉をノックした。スイは重たい頭をゆっくりと持ち上げ、のろのろと起き上がって扉の鍵を開けた。
「よう。元気そうだな」
ガルヴァがスイの部屋に入ってきた。スイは無言で椅子に腰かけた。
「これ、頼まれてた熱冷まし。ロニーのとこで買ってきてやったぞ」
「ありがと……」
「あといつものパンとサンドイッチと、レモン」
ガルヴァはテーブルの上に買ってきたものをどんと置く。
「代金は心配すんな。お前と違って金あるから」
「そりゃどうも」
スイは丸薬を受け取ると口に放りこんで水で流しこんだ。
「ついでにロニーから街の話も調達してきたぜ」
ガルヴァも椅子に座り、買ってきたサンドイッチを一つ手に取った。
「あの雨の夜の喧嘩のことは噂になっちまってるみたいだな。特にヴィーク団長とフェンステッド隊長のファン界隈では、お前のことも話題に上ってる」
ただでさえ気分が悪いのに、スイの気分はさらに沈みこんだ。ガルヴァはサンドイッチを食べながら話した。
「ヴィーク団長が事件にしなかったから大ごとにはなってないけど、その分いろんな噂が出回ってるっぽい。喧嘩を目撃した人が喋ったんだろうな。でも事情を理解しきってるわけじゃないから、あることないこと噂になってる感じだな」
「最悪……」
「幸い、お前の名前や顔はばれてねーよ。ただ、守手らしいってことは一部に伝わってる」
「まあ……あのとき守手のローブを着てたからな……」
「だから噂の内容としては、エリト様の恋人は守手の美青年で、エリト様がいながらゾール様と浮気した最低野郎、とかだな」
スイはサンドイッチに手を伸ばしかけていたが、急に食欲が失せて手を引っこめた。
「でも噂なんてすぐ消えるから、そんなに気にすんなよ。熱出して寝こんだのはむしろ正解だぞ。興味本位にこのアパートを見に来る奴が結構いるから」
「……はたから見れば、そう見えても仕方がないさ……。人妖族が催眠術を使えるなんてほとんどの人が知らないし、催眠術にかけられてゾールの恋人にさせられてたなんて誰も想像できないだろ」
「まーな」
「あと数日仕事休むわ」
「そうしろそうしろ。ニーバリさんには言っとくから」
ガルヴァはサンドイッチを一きれ食べると帰っていった。スイはベッドに戻って毛布にくるまった。
街で流れている噂話を聞いてスイは安心していた。想定していた一番最悪の事態は、ゾールが腹いせにスイが精霊族であるとばらしてしまうことだった。しかしそれはないようだ。あくまで噂はスイとエリトとゾールのもつれた関係のことだけらしい。
そんな噂なら、ガルヴァの言うとおりそのうち消えていくだろう。しばらくのあいだは周りが騒がしいかもしれないが、知らないふりで押し通せばいい。浮気男だと思われているのは業腹だが仕方がない。
熱冷ましは効果抜群だった。その日のうちにスイの熱はすっかり下がり、スイは元気を取り戻した。元気になると今度は部屋の中でじっとしているのが辛くて、二日後に仕事に復帰することにした。
守手本部に着くと、すれ違う守手たちの視線を感じた。それを無視して二階に上がり、ニーバリの執務室に入る。ニーバリはきょとんとしてスイを見た。
「高熱でしばらく休むって聞いてたぞ。もう来て大丈夫なのか?」
「はい、もうよくなりました」
「……やっぱり原因はあの雨か?」
「だと思います」
「だよなあ。あれは風邪引くって」
ニーバリは少し逡巡してから続けて言った。
「……ガルヴァが言ってたことは本当なのか? その……お前とフェンステッド隊長とのあいだにあったことについて」
「ガルヴァには全部話しました。すべて本当のことです」
「そ……そうか。そりゃ、大変だったな……」
「……そんな目で見ないでくださいよ。あれは術をかけられただけで、おれは別に好きこのんで浮気したわけじゃないです」
「だ、誰もそんなこと言ってないだろ!」
ニーバリはちょっと赤くなってスイから目をそらした。
「でもしばらくゾールと顔合わせたくないので、治安維持部隊から来た仕事はお断りさせてください」
「……さすがに気まずいか」
「まあ……」
「わかったよ。今のところ治安維持部隊からの依頼はないから安心しろ。ひとまず今日は一緒に来てくれるか? 城壁の結界のはり直しをするから人手がいる」
「わかりました」
ニーバリは立ち上がって執務室を出た。スイはニーバリの後ろをついて歩き、一階に戻って広間に入った。広間にはニーバリ配下の守手たちがすでに集合していて、ニーバリと一緒に来たスイを見てどよめきが走った。
「スイ! 熱は大丈夫なの?」
ジェレミーが真っ先に声をかけてくれた。スイは心配そうなジェレミーにほほえみかけた。
「心配かけてごめん。もう熱は下がったよ」
「よかった!」
ほかのみんなも口々に声をかけてきて、元気になってよかったと肩をたたいてくれた。エリトとゾールのことはなにも聞かれなかったので、きっとガルヴァがうまく説明してくれたのだろう。
スイはニーバリたちと作業現場に向かった。城壁の結界のはり直しなので、城壁の正門をくぐって緑岩の広場を通り抜けた。緑岩の広場を見るのは精霊祭以来で、スイはなつかしい気持ちに包まれた。馬車が一両、王城の方へ走っていくだけで、緑岩の広場は閑散としている。
スイは久々の仕事に精を出した。天気がいいので、外にいるだけでも元気になっていく気がする。
スイは考え事をしながら結界をはっていった。あれからゾールと会っていないが、エリトに殴られた傷は癒えたのだろうか。もう一度会っていろいろと話をしたい。聞きたいことがたくさんある。でも、ゾールはスイにまた会ってくれるだろうか。
ゾールはスイの数少ない友人の一人だった。だが、二人のあいだにあるのは友情だと思っていたのはスイだけだったらしい。それがとても切なかった。
それでもスイはゾールのことをきらいになれなかった。あれは精霊族の呪いなのだからきみに非はないと言って、すべてなかったことにしてまた友人に戻りたい。そんなひとりよがりで叶いそうもない願いを抱いている。
仕事が終わり、スイは一人でアパートに戻った。
「……ん?」
アパートの前に小さな人だかりができている。近づいて見ると、デアマルクトの住人と思われる男女が五名、ジェレミーを取り囲んでいた。なにか話しているようだが、ジェレミーは困惑した表情だ。
「……ジェレミー!」
なにか不穏なものを感じ、スイはジェレミーに駆け寄った。ジェレミーは走ってくるスイに気づいたが、あまりいい顔はしなかった。
「あ……」
「なにしてるんだ、こんなところで?」
スイはジェレミーを囲む人たちを順番に見た。全員スイと同じくらいの歳の頃で、見覚えのある顔は一つもない。雰囲気からしてジェレミーの友人というわけでもなさそうだ。急に現れたスイをうろんげに見るばかりで、誰も話しかけてこない。
「……知り合い?」
スイがたずねると、ジェレミーは軽く首を横に振った。
「いや。帰ってきたらたまたま会って話してただけ」
「ふうん……? なにを話してたんだ?」
「まあ、ちょっと……」
ジェレミーが口ごもる。不思議に思ってそばの男に視線を向けると、男は黙って目をそらし、そのまま去っていった。ほかの四人もそれを追うようにして立ち去っていく。
「……なんだったんだ?」
「なんでもない。とりあえず中に入ろう」
ジェレミーはスイの袖を引いてアパートの中に入り、玄関ホールで立ち止まるとスイと向き合った。
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