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七章 エリトの目的
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しおりを挟む「どうした、震えてるぞ」
スイの右腕をつかんでいる男がせせら笑った。スイはなにも答えられなかった。
スイは二人の男に両脇を固められて泉の縁に連れて行かれた。精霊たちが不思議そうにそろそろとスイのほうへ近づいてくる。これで終わりだ。そう思うと土壇場で怖くなってきた。
スイを泉の中に入れようと、男がスイの背中を押した。その瞬間、スイは渾身の力で腕を引っ張って拘束を逃れた。
「あっ!」
スイはがむしゃらに逃げ出した。しかし数歩も行かないうちに捕まって地面に引き倒されてしまった。
「このやろ! 今さら逃げようとすんな!」
「離せ!」
「おとなしくしやがれ!」
スイは必死になってもがいたが、何本もの腕がスイの体を押さえつけて身動きが取れなくなった。押さえつける手がこの半分だったとしてもスイは振り払うことができない。逃げ出してみたものの、ただの悪あがきにしかならなかった。
「馬鹿が! ここで逃げようとすることがお前が精霊族だっていう証じゃねえか!」
頭上で男が怒鳴った。そんなことはわかっているが、逃げ出さずにはいられなかったのだ。スイは奥歯を噛みしめた。
ふと、蹄が地面を蹴る重々しい音が響いてきた。馬だ。スイは地面にうつ伏せに倒されたまま顔だけを上げた。
騎士団の団服を着た男が木立の間から馬を駆って姿を現した。背の高い、金糸の髪の美貌の男。
「……エリト!!」
その姿を見てスイは胸が打ち震えた。エリトは周囲に目を走らせて瞬時に状況を把握すると、馬から飛び降りて腰の剣を抜いた。
「そいつを離せ!」
エリトが怒鳴った。精霊族狩りは突如現れたエリトに唖然としている。
「エ……エリト・ヴィーク騎士団長だ……!」
エリトににらみつけられ、スイに群がっていた男たちは波が引くように後じさった。目的のためならば手段をいとわない彼らもさすがにエリトは怖いらしい。しかし、スイをあきらめきれない一人の若い男がナイフを取り出した。
「邪魔するな!」
「おい、やめろ!」
若い男は仲間の制止も聞かず、ナイフでエリトに切りかかった。エリトは若い男の斬撃をひょいとかわして剣の柄で喉元を殴りつけた。若い男は地面に倒れてえづきながら痛みにのたうち回る。
「この場で全員殺したっていいんだぞ」
若い男の苦悶の声を聞きながらエリトがぎろりと男たちを睥睨する。ほかにエリトに刃向かおうとする者はいなかった。
「武器を捨てろ」
エリトが言うと、男たちは地面にナイフやら棍棒やらを投げた。スイは立ち上がるとエリトに駆け寄ってその広い胸板に飛びついた。エリトは右手に剣を握ったまま左手をスイの背中に回した。大きな手のひらの温度を感じた。
スイはエリトに会えた嬉しさで目頭が熱くなった。
「来てくれたんだ……」
「ああ。間に合ってよかった」
「どうしてここがわかったんだ?」
「そのピアスだよ」
「ピアス……?」
エリトはスイの右耳の金色のピアスに触れた。エリトにもらってから肌身離さずつけているピアスだ。
「このピアスには、触れながら俺の名前を呼ぶと俺に届く魔法がかかってる」
「えっ!?」
「いやがられて外されたら困ると思って、あえて言わなかったんだ」
エリトが笑う。スイはあっけにとられた。魔法のピアスだったなんて全然知らなかった。そういえば、森の中をさまよっているときにエリトの名を呼んだ夜があった。ただの独り言だったのだが、それが遠征中のエリトに届き、エリトを呼び戻したのか。
「そろそろ言おうと思ってたんだけど、必要なかったな。お前はちゃんと俺を呼んでくれた」
エリトは嬉しそうに言い、スイの頬についた土を指先で優しく拭った。
「まさかこんなに早くばれるとは思ってなかったけどな。本当に間に合ってよかった……。俺はこのときをずっと待ってたんだからな」
「待ってた……?」
エリトは目を細めて底の見えない笑みを浮かべた。
「このときのために、俺は騎士団長になったんだ」
スイは急に背筋が寒くなった。エリトの言っている意味がわからない。
「騎士団も精霊族を追ってたのか?」
ファロルドを人質にした男が両のこぶしを握りしめて口を挟んできた。エリトは視線だけを男のほうに向ける。
「なら、俺たちと一緒じゃないか……! 先に捕まえたのはこっちだぞ。あとから来て横取りするつもりか!?」
「横取り? ふざけんな。こいつはとっくに俺が見つけて保護してるんだ。あとから来て奪おうとしてるのはそっちだぞ」
「待ってくれエリト」
スイは慌ててエリトの腕をたたいた。まだ完全に精霊族だとばれたわけではない。今ならまだ間に合うかもしれない。
しかしエリトはスイの呼びかけを無視し、左手の指をぱちんと鳴らした。すると泉の表面が震え始めた。震えはだんだん大きくなり、泉の水が水滴になって次々と空に向かって持ち上がっていく。まるで雨が降る様子を時間を戻しながら見ているようだ。
スイは泉の水が空に吸いこまれていく様子を不思議な気分で見上げた。こんな魔法は初めて見る。
ふと、スイの頬にぱたりと水滴が落ちた。雨だ。空は晴れているのに、雨が降ってきた。
泉の周囲に静かに雨が降り注いだ。冷たい雨がスイやエリトたちを濡らしていく。
スイは男たちが自分に釘付けになっていることに気がついた。まさかと思って自分の両手を見ると、白く淡い光を帯びていた。慌てて髪を一房つまんでみると銀髪になっている。精霊の棲む泉の水を使って雨を降らせたせいだ。
男たちは憑き物が落ちたような表情でスイの姿に見入っている。雨はすぐに止んだが、まだスイの姿は戻らない。静寂が辺りを包みこんだ。にわかに土が匂い立つ。
「確かにこいつがお前らの探してた精霊族だ」
エリトがこともなげに言う。
「でも、こいつは五年前に俺が奴隷商人から助けて保護してる。これからは王国騎士団の保護下に置く。こいつに手を出そうとする奴は騎士団が全力でたたきつぶす」
誰もなにも言わなかった。スイはエリトに正体をばらされた衝撃で言葉もない。エリトを見上げると、エリトはうっとりとした表情でスイの銀髪を指で梳いた。
「……エリト……きみが騎士団長になったのって、まさか、おれを保護するためなのか……?」
「そうだよ。お前を守る立場として、王国騎士団の長が一番ふさわしいだろ?」
精霊族だとばれて付け狙われているところを助けた騎士団長がスイを保護する。確かにエリトがそうすることに異論を唱えられる人はいないだろう。王国最強をうたわれる騎士団長は、精霊族の保護者として最も適している。
「さあ、デアマルクトに帰ろう。四年もかかっちまったけど……やっと一緒に俺の家に帰れるな」
エリトの目は奈落の底のようだった。黒い瞳の中に暗い喜びをたたえている。それはオビングで見たものと同じだった。エリトの目的は四年前からなにも変わっていなかった。
木立の向こうから馬の足音がいくつも近づいてきて、騎乗したフラインや騎士団員たちが次々とやってきた。先頭を率いていたフラインは、エリトのそばに立つ銀髪のスイを見て驚愕の表情になった。
「え……? スイ……?」
ほかの団員たちも銀色に輝くスイを惚けたように見つめている。エリトはスイの肩をつかんで言った。
「精霊族を保護した。デアマルクトに戻るぞ」
「……スイが精霊族……?」
「そうだ。ここにいる奴らがスモルバで人質とって暴れた連中だ。スイは俺が連れてくから、お前はこいつらを連行しろ」
「……おい、お前、スイが精霊族だって知ってたのか?」
「ああ」
「…………」
フラインはひどく落胆した様子で肩を落とした。
「……なぜ俺にも黙ってた? 言ってくれればよかったのに……」
「こいつの身の安全のためだったんだ。しょうがねえだろ」
エリトはそう言うと自分の馬にスイを乗せ、精霊族狩りを全員捕らえるよう部下に指示した。団員たちはエリトの命令でようやくスイから視線をそらして動き始めた。精霊族狩りはあっという間に一人残らず縛り上げられた。
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