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七章 エリトの目的
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しおりを挟む「よし、今からデアマルクトに帰投する」
エリトはスイの後ろに騎乗し、馬を歩かせて森を出た。泉から離れるとスイの姿は元に戻った。精霊族狩りの男たちは一列に並ばされてエリトの後ろを歩いていく。その周囲をフラインたちが囲み、逃亡しないよう見張りながら馬を進めていく。
デアマルクトへ戻る道中、スイはエリトからここにたどり着くまでの経緯を聞いた。エリトがスイの声を聞いたのは、遠征から帰還する途中の野営地にいるときだったそうだ。魔法の力でエリトはスイの居場所がデアマルクトの外であることと、森の中に一人でいることを知った。エリトは緊急だと言って隊列を急がせ、スイのところに向かった。
可能な限り馬を走らせ、エリトたちはデアマルクトの隣町であるスモルバに到着した。すると騎士団に気づいた町の住人らが助けを求めてきた。なんでもデアマルクトの精霊族狩りがここまでやってきて、市場で暴れ回ったあげく人質を取って精霊族が来ないと殺すと言っているそうだ。そこでエリトは初めてデアマルクトで精霊族が出たと大騒ぎになっていることを知った。
エリトは市場に向かい、騒ぎの現場に駆けつけた。しかしすでに精霊族狩りは去ったあとで、そこには破壊された屋台と多数の怪我人が残されているだけだった。エリトは人質となっていた青年ファロルドに話を聞いた。ファロルドは涙ながらに、スイ兄ちゃんが俺を助けるために捕まって連れて行かれた、兄ちゃんを助けてくれ、と訴えた。エリトはフラインに被害の確認と怪我人の手当を命じると、単身森に向かい、男たちに取り押さえられているスイを見つけた。
それを聞きながらもスイは心ここにあらずだった。いろいろなことが起きすぎて頭の中が真っ白だった。
◆
デアマルクトに到着すると、正門をくぐったところでちょっとした騒ぎに遭遇した。外に出ようとした商会の荷馬車三台の積み荷を精霊族狩りの一団がひどく荒らし、怒った商会の人たちと口論になったらしい。荷馬車の周りに荷物が散乱し、それを踏みつけて双方が胸ぐらをつかみ合って言い争っている。憲兵が止めに入っているが人数が足りず抑えきれていない。
エリトは彼らのところに行き、馬上から怒鳴った。
「おいやめろ! 無意味だ!」
商会の人と精霊族狩りたちはエリトに気がつくと慌てて互いの服をつかんでいた手を離した。憲兵は騎士団の帰還を知って泣きそうな顔になった。
「ヴィーク団長! ようやくお戻りで!」
「大変なことになってるみたいだな」
「はい。精霊族を探すごろつきが大量に沸いて出ていて、もう我々の手には負えなくてっ……」
「わかった。心配するな、それも今日で終わりだ」
門前の広場には憲兵やデアマルクトに出入りする人がたくさん集まっている。彼らはエリトを見ると一様に安堵の表情を浮かべた。
エリトは手綱を操作して集まった人々のほうへ馬を向かせ、大声で叫んだ。
「精霊族は我々王国騎士団が保護した! もう探す必要はない!」
息をのむ音とどよめきが群衆のあいだを駆け抜けた。
「精霊族を探そうとするあまり人を殴ってその財産を傷つけた愚か者は全員逮捕する! こいつらのようにな!」
エリトは縛って連れてきた精霊族狩りたちを指さした。人々は突然の宣言に動揺していたが、この混乱が収束するとわかり笑顔に変わっていった。騎士団を賞賛する声が響き始める。
人々はエリトの馬に黒髪の青年が同乗していることに気がついた。まさかあの人がそうなのか、とさきほどとは少し違うざわめきが広がり始める。注目されていることに気づいたスイは慌てて下を向いた。それを見たエリトは左手で己のマントの端をつかみスイの顔の前に持ってきて、スイをマントで覆い隠した。
「上官どの、憲兵隊本部に行って司令部に伝えてくれ。祭りは終わりだ」
エリトは襟章をつけた憲兵に告げた。憲兵は一礼すると部下を引き連れて走っていった。
広場が落ち着くと、エリトはゆっくりと馬を歩かせていった。エリトが近づくと人垣が自然と割れて道を作った。一人の男が、騎士団が帰還したぞ精霊族を保護してくれた、と嬉しさをにじませて叫びながら大通りのほうへ駆けていく。
エリトは大通りを進み、そのあとをフラインたちが続いた。スイはエリトのマントの中に隠れながら道行く人々が噂する声を聞いた。エリト様だ、じゃああの連れてる人が精霊族だ、などと言っている。
「精霊族の方、どうかお顔を見せてください!」
誰かが興奮した声で叫んだ。スイはエリトの左腕にしがみついたまま聞こえないふりをした。エリトもかけられる声をすべて無視して進んでいった。
「……スイ?」
繁華街を抜けて中央へ向かう坂道にさしかかったところで、聞き慣れた声がかけられた。
「守手たちだ。別れを言いたいか?」
エリトが言う。別れ。スイがその言葉の意味を図りかねているうちに、エリトは馬を止めて左腕をそっとおろした。
視界が開け、黒いローブを着た守手の集団が目の前に飛びこんできた。一番前にいるのはガルヴァとジェレミーだ。仕事に行く途中だったのか、ニーバリとその配下の守手たちもいる。ニーバリたちはエリトが後生大事に連れているのがスイと知って口をあんぐりと開けている。
「ガルヴァ、ジェレミー」
スイはエリトの腕を支えにして身を乗り出した。ガルヴァとジェレミーは不安げにスイとエリトを見上げる。
「ごめん。結局また戻ってきちゃった」
「なんで……? 逃げなかったのか?」
「逃げようとしたけど、精霊族狩りがデアマルクトの外にもいてうまくいかなかったんだ。せっかくいろいろ手伝ってもらったのに悪い」
スイは無理やり笑顔を取り繕った。二人は痛々しそうにそれを見つめる。
スイは二人の後ろにいるニーバリに目を留めた。そして、エリトが言わんとしていたことをようやく理解した。
「ニーバリさん、急にいなくなってすみませんでした。おれ、守手はやめます」
ニーバリは困惑して周りの守手たちを見回したが、助け船を出せる人はいなかった。
「やめる……? というかお前、本当に精霊族なのか……?」
「そうです。ずっと隠して暮らしてたんですけど、ばれちゃったのでもう守手は続けられないです。だからやめます。今までお世話になりました」
スイはぺこりと頭を下げた。
「ガルヴァ、借りを返せなくてすまない。ジェレミー、おれのために走り回ってくれてありがとう。二人には本当に感謝してる」
スイはガルヴァたちのほうに傾けていた体を再び正面に戻した。
「……さよなら」
スイがそう言うと、エリトはスイを再びマントで覆って馬を歩かせ始めた。スイはエリトのマントの中で涙ぐんだ。もうあの輪の中には戻れない。
途中でエリトはフラインたちに先に騎士団本部に戻るよう言い、みんなと別れて道をそれた。しばらく歩くと静かな区画にたどりついた。雑踏のざわめきはもう聞こえてこない。木の葉が風にこすれる音とエリトの馬の足音だけがする。
「着いたぞ」
ようやく馬が止まり、スイは一軒の家の前でおろされた。
「ここは……?」
「俺の家だ」
「えっ!? この豪邸が!?」
エリトの家はとんでもなく豪華な建物だった。二階建てで立派な門と鉄製の門扉が備わっている。天井が高いようで窓は大きく縦長で、軒には彫刻が施されている。庭には手入れの行き届いた灌木が植わっていた。オーブリーヌ家の屋敷とまではいかないが、一人で暮らすには広すぎる家だ。
周囲は静かな住宅街で同じ通りにはきれいな家がたくさん並んでいるが、エリトの家が一番大きい。
「三年前に大規模な魔獣討伐の褒賞として国王陛下から賜った家だ。なかなか立派だろ?」
「立派すぎるだろ……」
こんなところに住んでいるのならスイの部屋を見て狭いと言うはずだ。スイは今さらながら納得した。
エリトは前庭の馬止めに馬をつなぎ、玄関扉を開けて中に入った。家の中もこれまた豪華だった。
玄関ホールでエリトがマントを脱いでいると、奥の扉が開いて茶髪の男が歩いてきた。右目に眼帯をしたなかなかの美丈夫だ。
「あれ、団長! 早かったですね!」
「まあな」
「そちらの方は?」
「今話題の精霊族だよ。今日からここに住まわせるから」
「……はい?」
眼帯の男が状況を理解しきらないうちにエリトはスイを連れて二階に上がり、一つの部屋の中に入った。そこは居心地の良さそうな広い居室だった。窓からは陽光がさんさんと差しこみ、奥には寝室と浴室がついている。スイはぼうっと書斎机や本棚などの調度品を眺めた。
「ここが俺の部屋だ。今日からお前もここで暮らせよ」
エリトはそう言うとスイを抱きしめた。
「お前がいつ来てもいいように、お前のための服とか本なんかを揃えておいたんだ。こうしてまた一緒に暮らせるときをどれだけ待ったことか……。これからは俺がずっと守ってやるからな」
エリトはスイにキスを落とすと、この上なく満足そうに笑った。その笑顔を見て、スイはエリトからずっと感じていた薄ら寒いものの正体を見た気がした。エリトは初めからスイが精霊族であることをばらし、保護するという名目で自分のところにつなぎ止めておくつもりだったのだ。今度こそスイがどこにも逃げないよう、逃げ場をなくして。
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