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八章 安全で快適な暮らし
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しおりを挟む守手たちは大忙しだった。一連の精霊族狩り騒動のせいで、デアマルクトのあちこちで結界が破壊されてしまったためだ。守手は監督官も総動員で街中に繰り出し、壊された結界の修繕に当たった。
ガルヴァもさぼる暇もなく朝から晩まで働きづめだった。連日の重労働で疲労がたまっているが仕事はちっともなくならない。仕事にいそしむガルヴァの背後で、平穏な生活を取り戻したデアマルクトの住人たちが楽しそうに噂話に興じている。
「へえ、じゃあ騎士団というよりエリト様が直接精霊族を保護してるんだ。それなら安心よね。エリト様に適う人なんていないし」
「そりゃ、エリト様に正面から喧嘩をふっかけられる命知らずはいないでしょうね」
「精霊族のこと大事にしてるのねえ。精霊族ってそんなにきれいなの? あんた顔見たんじゃなかった?」
「いや顔は見てないわよ。エリト様が連れ帰ってきたときにちらっと見たけど、エリト様がマントでしっかり隠してたから細身の男の人ってくらいしかわからなかったわ」
「ふーん。でもエリト様は精霊族の美しさの虜になってしまったとか言われてるじゃない?」
「え、そうなの? 精霊はまぶしいほどの美しさを持ってるって言うけど、精霊族は珍しいってだけで人の種族の一つでしょ? 今まで正体を隠して暮らせてたんだからそんなに人間離れした姿をしてるわけじゃないと思うけどな」
「……そう言われればそうかも」
ガルヴァは仕事に集中しようとがんばったが、耳に入ってくる噂話が気になりすぎてまったく作業がはかどらなかった。
なんとか仕事を終えて一息ついていると、一人の男が近づいてきた。
「なあ、ちょっと教えてくれないか」
「なに?」
男は落ち着かない様子で声を低める。
「精霊族は守手の中にいたって本当なのか?」
「……さあ? 俺は知らないけど」
「なにも知らないのか? 守手で誰かいなくなった奴とかいないのか?」
「デアマルクトの守手はいっぱいいるからいちいち覚えてねーよ」
「でも別の守手がこそこそ話してるのを聞いたぞ。まさかあいつが精霊族だったなんてって」
「だから俺は知らねえって言ってんだろ」
ガルヴァはうんざりしてその場を立ち去ろうとしたが、男はしつこく追いかけてきた。
「頼むよ、誰にも言わないから教えてくれよ! 俺、彼女に振られるし仕事で失敗するし最近いいことないんだよ。一度でいいから精霊族を見たいんだ!」
ガルヴァは男を無視して歩き続けた。しかし男はあきらめずについてくる。
「ガルヴァ!」
そのとき、少し向こうでビリスが片手を挙げて大声を上げた。
「話がある! 早く来い!」
ガルヴァはこれ幸いとビリスのところに走っていった。男はそれ以上追いかけてはこなかった。
「誰だあの野郎は?」
「知らねー。また精霊族のことを聞かれたんだ」
「だと思った」
ビリスはふんと鼻を鳴らし、腕を組んで渋い顔をする。
「どうする? どうせいつまでも隠しておけないし、もういっそ言っちまったほうが楽になるんじゃ?」
「言ったほうが面倒になるに決まってるだろ。一目会わせろって連中が大挙して押し寄せるぞ」
「そうかなあ」
ビリスは早く言いたくて仕方がないといった様子だ。ガルヴァは深々とため息を落とす。
「ったく、あいつのあほ面を拝んだくらいで幸福になれるわけねーのによ。そんなんで幸せになれるなら俺はとっくに美人と結婚して大金持ちになってるっつの」
「だよな」
「風邪引いた精霊族様のために薬と食べ物買って持ってったりとか献身してやったのによぉ、その見返りがこの仕事の山だぜ! なのにあいつは寿退職して悠々自適に暮らしやがって」
「貢ぎ物が足りなかったんじゃねえの?」
「うるせえ。あの食いしん坊の食いたいもの全部買ってられるか」
ビリスは笑ってガルヴァの肩をたたき、自分の持ち場に戻っていった。
その後、仕事を終えたジェレミーがガルヴァのところにやってきた。ビリスに先ほどの一件を聞いたようで心配そうな顔をしている。
「大丈夫? また声かけられたんだって?」
「まーな。でもうまく追い払えたから大丈夫だよ」
「そっか……」
ジェレミーは大きな目を悲しそうに伏せた。
「スイ、大丈夫かな……」
「大丈夫に決まってんだろ。ヴィーク団長がついてるんだから」
「でもあれから一度も顔見せてくれないじゃないか。自分にできるのは守手しかないって言ってたのに、本当にこのまま辞めちゃうのかな……。最後に見たときもなんだか辛そうだったし……」
「…………。まあ、そうだな……」
ガルヴァはエリトの馬に乗ったスイのことを思い出していた。戻って来ちゃったと言って笑っていたが、その笑顔は引きつっていていびつだった。さよならと言ってエリトのマントの中に戻るときは今にも泣きそうだった。
ジェレミーはぱっと顔を上げてガルヴァの腕を引いた。
「ねえ、ちょっと会いに行ってみようよ」
「えっ? 会いにって、あいつにか?」
「うん」
「でもあいつはヴィーク団長の家にいるんだぞ? 俺たちなんか絶対入れてもらえねーよ」
「そうかもしれないけど、ちょっとだけ。ためしに家の前まで行ってみようよ」
ジェレミーは行くと言って聞かなかった。ガルヴァは渋っていたが、そのうち根負けしてジェレミーと二人でエリトの家に向かった。
ガルヴァはエリトの家に行ったことはなかったが、有名なので場所は知っていた。デアマルクトの比較的新しい富裕層が住むとある区画で一番大きな屋敷だと聞いている。
普段立ち入ることのないその区画は、木立が並んだ静かで美しい通りだった。ジェレミーは口をぽかんと開けて道の両側に立ち並ぶ豪華な家々に見とれている。
一軒の家の前でガルヴァは立ち止まった。おそらくここがエリト・ヴィークの邸宅だ。
「着いたぞ」
「ほええ……」
その立派な門構えにジェレミーはたちまち萎縮した。黒い鉄でできた柵状の門扉は二人の背丈より高い。守手であるガルヴァには敷地全体が堅固な結界で守られていることがわかった。
「さすが騎士団長の家、厳重だな。招かれざる客が一歩でも入ったら吹っ飛ばされるな」
門ごしに大きな家が見えるが、玄関は固く閉ざされていて人の気配は見当たらない。
「すごい家だね……。スイ、こんなところに住んでるんだ……」
「どうだジェレミー、満足したか?」
「え? あ、そうだった。スイに会いに来たんだった。えっと、呼び鈴はこれ?」
「あっおいっ」
ガルヴァが止めるまもなくジェレミーは門の脇に下がっている細い鎖を引いた。二人の頭上でガラガラと呼び鈴の大きな音が鳴り響く。ガルヴァは思わず姿勢を正した。
玄関扉が開いて一人の男が姿を現した。眼帯をした背の高い男だ。
眼帯の男は門扉ごしにガルヴァとジェレミーと向かい合った。探るような視線にさらされてガルヴァは思わず逃げ出したくなった。美形だしこの威圧感からして鬼族かもしれない。
「どちら様?」
「あの、僕たち守手で、スイの友達です。スイはいますか?」
「……団長からはなにも聞いてないな。悪いけど、団長の許可なしに誰も入れられないんだ」
「あ……そうですか……」
素っ気なく断られ、ジェレミーはしゅんと肩を落とした。それを見たガルヴァは駄目もとで口を開いた。
「スイ元気ですか? あれから音沙汰ないから心配してるんです。スイがデアマルクトを出奔する手伝いをしたのは俺たちだから、別れてからなにがあったのか気になってて」
「……きみたち、名前は?」
「ガルヴァ・ルモニエ、こっちはジェレミーです。ヴィーク団長に言えばわかるはずです。何度か顔を合わせてますから」
「わかった、きみたちが来たことは団長に伝えておくよ」
眼帯の男はそう言うと家の中に戻っていった。ガルヴァとジェレミーは顔を見合わせ、黙ってエリトの家をあとにした。どうやらスイは中にいるようだが、それ以上はなにもわからない。それがかえってガルヴァを不安にさせた。
歩きながらガルヴァはちらりと後ろを振り返ってエリトの家を仰いだ。どの窓も閉め切られているがカーテンは開けられている。あの部屋のどこかにスイがいるのだろうか。
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