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最終章 ウィルとアルと孤高の大賢者
孤高の大賢者
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ウィルとアルと孤高の大賢者
――冷たさと熱が入り交じった、私が知る世界の記憶。
幼い頃の記憶は、燃える赤い炎と悲痛の叫びの声が強く、鮮明に印象に残っている。
同族たちの焼ける匂い。
四方八方へ逃げ惑う、怒涛と悲壮をない交ぜにしたエルフたちの群れ。
『アクネリウス走って! 休まずに走るのよ! 急いで! 早く!』
幼い私の手を引く、母の切羽詰った怒声のような声を耳に聞きながら、痛いくらい強く握られた手首をつかまれて、冷たい雪の粒が皮膚を叩きつける吹雪の中、赤い景色を流すように眺めながら、覚束無い足取りでひたすら足を前へ動かしていた。
赤や青、黄色の魔力のぶつかり合いは火花を散らし、鮮血や灰色の煙が降りしきる雪と溶けるように同化していく。
幼い私は不思議に思った。
なぜ、知識を得るだけで、ここまで彼らは私たちを恐れるのだろう。
なぜ、傷つけるのだろう。
そこにはただ純粋な、知識を得るという喜びしかないはずなのに。
誰も傷つけていないのに。
なぜ、私たちエルフ族だけが傷つくのか。
徐々にぬくもりが失われていく母の手。
母は走る度に、赤い華を雪の上に散らしていった。
徐々に冷たくなっていく母に手を引かれながら、考え、考えぬいた先に見えた答えは――エルフ族を襲う彼らは、実に〝愚かで下等な生き物〟だということ。
どれほど走ったのだろう。すでに手足の感覚は、雪の冷たさで失われていて、赤紫に変色していた。
あたりは、シン、と静まり返り、ようやく追っ手から逃げ切れたのだと知った。
私の手首を引いていた母は雪の積もった地面に倒れていた。膝を折ってしゃがみこみ、母の背中を揺さ振ってみた――ピクリとも動かない。
幼い私はただ黙って母のほんのりとぬくもりの残る身体に、そっと手を添え続けることしかできなかった。
それからまたしばらくして、上空を灰色の影が通り過ぎ、再び舞い戻ってきた。
ずっしりとした巨大な体躯。鱗のような皮膚はとても硬く、通常の剣では傷つけることすら不可能だろう。背中には巨大な翼が生えており、時折、翼を広げてバサバサと風を巻き起こす。
警戒しているのかもしれない。寧ろ警戒するのは、こちら側のようにも気がするが。
変に力んでも仕方がない。
私は視線を、再び、雪の上でうつ伏せで倒れピクリとも動かない母へ戻した。
すると、ドラゴンが姿を変え、私と同じ――いや、似たような容姿の男性に変化した。真紅の長い髪を揺らして、こちらへ近づいてくる。
竜族なのだろうが、私の知る狭き世界では、それ以上のことは知り得なかった。それにしても、この男は一体、何をしにこのようなな雪が降り積もる、最北端にある氷の大地へ舞い降りたのだろう。
男はうつ伏せで横たわる母を一瞥し、続いて私を見つめた。手を差し出される。
『この先には何もない。どうだ、私と共に来るか?』
なにもない。言われて、では何故、母は私を連れて命を懸けて走ったのだろう、と考えた。
母は〝自分はもう助からない〟と知りながら。
その時になってようやくわかった。そうまでして、必死に走ったわけを。
共に逃げ延びようとしたわけじゃない。
母ははじめから〝子供だけを生かそう〟と考えていたようだ。かなり強引で無謀だが、結果的に追っ手を振り切り、ここまで逃げて来られた。たとえこの先に、何もなくても。自分の身体を盾にしながら、少しでも長く我が子を生かそうとした。
ふいに私の頭上に重みが増した。
母のそれとは異なる、熱いくらいのぬくもり。ゴツゴツしてぎこちないながらも、私の頭を撫でる大きな手はとても暖かくて、優しくて、安心できて……涙が溢れた。
『我の名は、ヴィルゴ。見ての通り、竜族だ。お前はエルフ族だな。名は?』
太い指が流れる涙を掬い、拭った。
『……アクネリウス』
良い名だ、とヴィルゴは再び私の頭を優しく撫でてくれた。
幼い頃、絶望の極寒の大地からヴィルゴというドラゴンの背に乗り、私はこの緑豊かな大地に舞い降りた。
ヴィルゴはとても私によくしてくれた。私も唯一気を許せる相手として、安心した。
父親のような存在だった。だがさすがに『養父(とう)さん、』とは口が裂けても言わなかったが。
ヴィルゴの祖国は緑と花々に囲まれ、明日の食料に困ることのないほどの豊かな土地だ。
小さな島国だが、王都ディレクトレイは多種族国家で、膨大な魔法の知識と本に溢れた国だ。
私は、自分で言うのもあれだが、探究心の強い子供だった。
一つでも知らないことがあれば、夜なべしてでも本を読み漁り、連日のように図書館に通う日々を続けるほどで、普段全く叱らない、優しい父親代わりであるヴィルゴに「いい加減に寝ろ!」と叱咤され、呆れられるほどだ。
学校にも通わせてもらえた。その道の専門家たちから教わる豊富な知識は、どれもこれも私の探究心を刺激し、納得いかなければ何度も教師の部屋を訪れ、熱弁し合いながら、それら知識力を高めていった。
とても、充実した多くの学びのある私生活。
そんな、ある日のことだった。
彼との出会いは、まさに〝運命〟だった。
――運命の出会い。
そんな青臭い言葉が当時の私には、まだあったのだ。
幸いにも、教師の間では偏見や差別を受けなかったものの、子供同士の間では相も変わらずで多種族の陰湿ないじめに合っていた。私はいつものことだと、すでに諦めていた。
殴られるのなんて当たり前。
蹴られるのなんて当たり前。
少し我慢すれば、じきに飽きて帰っていく。
彼らは私を〝恐れている〟。
エルフ族である私を。
私はされるがままに、ボロボロになった。
そして、男子生徒の手に持ったものを見て私は身構えた。
――石を投げられる!
身体はいい、当たったとしても痣になるだけだ。じきに治るだろう。痕が残ったとしても大したことではない。
だが頭だけは駄目だ。私の頭脳には、この数十年間で得た膨大な量の知識が納められている。
脳の重要な柱錐神経にダメージを与えられたら大きな損失となってしまう。それだけは阻止しなければ――私は頭を庇うように両腕でガードした。
魔法障壁を二重、三重に張り巡らせればよかったのだが、ここに至るまでに受けた身体のダメージが痛みという痛覚として邪魔が入り、上手く魔法構築ができなかった。
私は痛みと衝撃に備える。もう少しだけ耐えしのぐことが出来れば、彼らは飽きて帰るだろう。
そんな日常を過ごしていた今日、いつもと違う展開が巻き起こる。
『おい、やめろ!』
何者かが、私と衆愚の間に割り込むように入ってきた。背丈は私よりも高く、その背中は広い。
逞しい身体が、私と衆愚共の間に壁を作る。その生身の壁が、男であることは、すぐにわかった。
男は私の代わりに石を投げつけられ、瞼と額の間から血を流している。石で切れてしまったのだろう。馬鹿な男だと、私は思った。
わざわざ割って入ってきて、怪我までして……。
『何故、石を投げるんだ! 危ないだろう!』
『なんだよ、お前! 邪魔すんなよ! 俺らは悪い奴を懲らしめてんだぞ!』
『悪いやつ?』
男は、状況が読めず、ただ見上げる私の顔を見て、首を傾げる。
『……悪い奴には見えないが、』
『はっ! よく見ろよ。そいつ、エルフ族なんだぜ』
『エルフ族?』
男は不意に、何かを確認するかのように、私に手を伸ばした。咄嗟のことで、よけることができず、男は私の耳に掛かった髪を一房たくし上げ、耳を確認する。顔に熱が帯びる。男が柔らかく笑った気がした。
『たしかに、エルフ族だ。耳が尖がっている』
私は我に帰り、男の手を払いのけた。男は一瞬、驚いたような表情を見せたが、それだけだった。
払いのけたことを、気にした素振りさえみせなかった。
『だろっ! だから俺たちが悪い奴を、』
『だが、それがどうしたというんだ? オレも耳は尖がっているぞ、ほら。少し形は違うがな』
男は言いながら、自身の耳を覆っている髪をめくりあげた。
『……お前、銀狼族?』
『ああ、そうだ。お前たちは小人族だな。これ以上、彼に危害を加えるなら、俺が容赦しないぞ』
微かに怒気を含んだ声音が、小人族を萎縮させる。
『――ひっ!?』
恐怖に引きつった小人族の少年たちは、バタバタとその場から去っていった。
銀狼族の男は、彼らの様子を見て、豪快に笑っていた。
そして、徐に私の方へ振り返り、笑みを浮かべた。
『大変な目にあったな。怪我はないか? って、怪我してるじゃないか! すぐに手当てを!』
ことさら触れてこようとする、銀狼族の手を避けるようと、私は一歩後退する。
『……いつものことだから、平気だ。怪我もたいしたことない。これぐらいなら、自分で治せる』
もうここに用はない、と私が立ち去ろうとした時だった。
ふいに身体が、ふわりと浮いた――と認識した時には、私は銀狼族の男に抱き掲げられていた。
いわゆる、お姫様抱っこというやつだ。一瞬わけがわからず、動きを止めたが、私は羞恥心から男の腕から逃れようとジタバタと暴れた。だが、一向に降ろしてはくれない。
『なっ! おろせ!』
『万が一と言うこともある。それにまた、奴らが報復に来るかもしれない。家まで送ろう』
家まで送る、と言う男に、血の気が引いた。
『な、いい! 家はいい! 私は一人で帰る!』
『遠慮するな』
『遠慮じゃない! と、とにかく降ろせ! 今すぐ! 銀狼族!』
『……ヴァルマだ。お前の、名前は?』
ヴァルマ。それが男の名前。名乗られた私は、抗議の声を潜め、息を詰めて吐き出す。
『……アクネ、リウス』
ヴァルマは、私の名前を何度も舌の上で転がすように往復して、ブツブツと呟いていた。
そして、『アクネリウス、いい名前だ』そう言って、嬉しそうに笑ったのだ。
再び、顔に熱が帯びる。綺麗な笑顔だと思った。
『しっかり掴まってろ』
ヴァルマはそう言って、私に微笑みを寄越す。私は渋々、彼の首に腕を回した。落ちたくはないから。
ヴァルマが小さく、笑った気がした。
まったく、良く笑う狼だ。
お姫様抱っこされたまま帰宅すると、まずはじめにヴィルゴの驚きの表情と対面した。私はようやく地面に降ろされる。それから、ヴィルゴは笑いを堪えながら、口元を拳で押さえて言葉を発する。
『これは、なんというか……いつの間にいい男を見つけてきたんだ? アクネリウス』
私はヴィルゴの腹に肘鉄を喰らわせた。ダメージはおそらくゼロだろう。
簡潔に、ここに至るまでの経緯を、ヴィルゴに説明する。
ヴィルゴはわざとらしく咳払いをして、視線をヴァルマに戻した。
『……なるほど。息子を家まで送り届けてくれてありがとう、ヴァルマ』
『え? ……あ、はい! その……』
ん? と言葉を渋るヴァルマに、ヴィルゴと私は首を傾げた。ヴァルマは後ろ頭を擦りながら申し訳なさそうに口を開いた。
『お父さん、若いんだな、って思って。その、恋人かと……』
ヴァルマの言葉にヴィルゴは目を見開き、次いで大声で笑った。
笑い事じゃあない!
『そ、そんなわけないだろう! ヴィルゴは私の、身元引受人だ!』
『身元引受人?』
笑っていたヴィルゴは咳払いをして口を開いた。
『いや、笑ってすまない。ヴァルマ、君はとても正直な銀狼族のようだな。たしかに私は竜族で、彼はエルフ族だからね。血の繋がりはないが親子の関係だよ。君が心配するような間柄ではないから安心するといい』
安心とは、なんのことだろう? 私は意味がわからなかった。ヴァルマは照れていたけれど。
ヴィルゴの大きな手が、私の背中に触れた。
『どうか、これからも〝息子〟のことをよろしく頼むよ』
おい、二人で勝手に話を進めないでくれ。
私は抗議の声を上げようとしたが、ヴァルマの行動を見て言葉を噤んでしまう。
『は、はい! こちらこそ、よろしくお願いします!』
姿勢良く、九十度に腰を曲げて、ヴァルマはヴィルゴに頭を下げて私は火を吹くくらい気恥ずかしくてそっぽを向いた。
もういい、勝手にしろ!
私は抵抗をやめて諦めたのだった。
これが、私とヴァルマの出会いの邂逅と関係の始まりだった。
とんとん拍子で関係が始まり、それからというもの、ヴァルマはことあるごとに私の前に現れるようになった。
ヴィルゴとの言葉通り、家にも頻繁に訪れてくるようにもなった。時折、夕食を共することもある。
ヴァルマは多種族から苛められている私を、いつも助けてくれた。
次第に、私も心を許すようになり、学園内でも、二人きりで食事をしたり、研究を手伝ってもらったり、まあ、毎日がそれなりに楽しかったのは確かだ。
そしていつの間にか、私とヴァルマは、必然のようにボディーガード兼、親友という関係となっていった。
はじめてできた親友。ヴィルゴも親友に近い間柄ではあったが、やはり〝親〟という立場の方が強かったから、私にとってヴァルマは、うまれてはじめてできた友達、親友なのだ。
一度だけ、ふと訊ねてみたことがある。
『ヴァルマ、何故、君は、私にそこまで構うんだ?』
特にメリットもないはずなのに。ずっと気になっていた事柄。
『……お前を……放っておけない。実のことをいうとな、以前からお前のことは知っていた』
『え? そう、なのか?』
ヴァルマを頷いた。
『ずっと一人でいるお前が、妙に気になってな。ずっと……目で追っていた』
『……そ、それではストーカーではないかッ』
ひどいなぁ、とヴァルマは微笑しながら話を続ける。
『そんなときだ、小人族に絡まれてるいるお前を見かけたのは。正直、チャンスだと思った』
『チャンス?』
『お前と〝友達〟になれるチャンスだと思って、な』
『〝友達〟?』
『ああ、〝友達〟だ』
〝大切な友達〟。少し悲しい表情でヴァルマはそう応えた。
その頃から、今までは〝アクネリウス〟と呼ばれていた名前が〝アクネ〟と、愛称に変わった。
私たちの距離間が少しずつだが、微妙に縮まりを見せつつあった。
ヴァルマは私によく触れてくるようになったのも、たしかこの頃からだ。理由はわからなかったが、彼曰く、私に触れていると落ち着くらしい。
それは私も同じだったから、少し、いや、凄く嬉しかった。
頭を撫でたり、髪に触れたり、頬に触れたり、唇に、触れてきたり……。
しかしながら、それ以上は何もなかった。
私は一体、何を期待していたのか。
〝友達〟とは一体、なんなのか。
友達と言えば、もう一匹。
魔力の根源であるマナ。それの調査のため、私はヴィルゴと共に空間を移動したどり着いた、別の異世界。
――マナの領域。その場所は私たちが暮らしている世界とは次元の異なる世界。私たちが使用する魔法は、たった一人の女神によって齎されているという。
私は興味は沸き、あらゆる古文書を読み解き、魔法陣を構築し、そしてようやく、たどり着いたのだ。
私とヴァルマはマナの領域で、一人の少女と友達となった。
女神マナ。私たちの世界では、そう呼称されているが、実際は名前はないという。
彼女は訪れた私やヴァルマから〝マナ〟と呼ばれていることを知り、真名とした。
世界が誕生すると同時に生れ落ち、ずっと一人で生きてきたという。
見た目は幼い少女だが、その叡智は私の探究心を擽るものばかりだった。
マナの領域は世界が産まれた原点。全ての命と魔力はココから始まったのだ。
マナは領域から出ることができない。その小さな身体はガイアと一体化しているからだ。ガイアを通じて、膨大な知識はあるが、直接、見聞きしたことは誕生してから一度もない。
だからだろう、マナは私たちの話を、いつも楽しそうに笑って聞いて、ピンク色の瞳をキラキラと輝かせていた。
私たち三人は、常に一緒だった。
そんな、着かず離れずな関係を続けていた、ある日のことだった。
『アクネ、俺は決めたぞ! 俺はマジックナイトになる!』
唐突だった。いや、ヴァルマはいつも唐突だが。
ヴァルマが真剣な表情で、私の頬を両手で包み込んだ。
『マジックナイトになって、力を手に入れれば、アクネ、お前を多種族の脅威から守ることができる!』
『ヴァルマ、お前は今でも十分に強い。マジックナイトになんてならなくても、』
『いや……まだ、足りない。日に日に多種族の力が強まってきている。今のままでは、お前を守りきれなくなる』
『だが、ヴァルマ――っ!』
不意に、強く抱きしめられた。一瞬だけ息を詰める。忘れかけた呼吸をして、鼻腔からヴァルマの匂いを吸い込み、肺を満たした。
安心できる、私の大好きな匂い。
『大丈夫だ、アクネ。俺は絶対にマジックナイトになって、お前の元へ戻ってくる。約束する』
もちろん心配だったが、それは杞憂というものだった。
半年後、ヴァルマは約束どおり、私の元へと帰ってきた。
マジックナイトとなって――それから……。
『……ヴァルマ、君がいなくなってしまってから、私はずっと、一人ぼっちだ』
君が時々見せる、切ない表情が気になって仕方なかった。
君は時々、私を強く抱き締めてくれた。それは、あばら骨が軋むほど強く。
とても痛かったが、嬉しかった。
『ヴァルマ、その表情の意味を、教えてくれ。私を強く抱き締める理由を、聞かせてくれ……ヴァルマ……ッ』
その返答は永遠に帰ってはこない。わかっていても、私は今でも、親友のヴァルマに語り掛け続けている。
今では片想いだったのか、両想いだったのはわからない。
ただ、私はたしかに彼を、ヴァルマを愛していた。
それは数千年経った今でも、変わらず継続している想いだ。
しかしながら、その想いは時に、私を苦しめる。
ヴァルマはもういない。頭を撫でてもくれない。頬に触れてもくれない。その優しい笑顔を向けてもくれない。逞しい腕で抱きしめてもくれない。永遠に出来なくなってしまった。
彼を……ヴァルマを、多種族の争いが、尊い命を奪ってしまったから。
私の目の前で。
もはや、感情という想いを担うことに疲れきっていた。
だから私は切り捨てた。
四つの感情、すなわち――喜悦、憤怒、悲哀、快楽。
四つの感情を分離し、それに意思を宿させた。それらは他の生物とは異なる、感情という名の精神体。
そして私は、ヴァルマを奪った戦争そのものを起こさせた〝魔法〟を憎むようになった。
自らを形成する魔力を。世界の理を形成している、マナを――。
『アクネリウス、無事だったのね! ねえ、ヴァルマは、どこ?』
無邪気な表情のマナが頭を左右に振って、あたりを見渡して彼を探している。
『マナ……ヴァルマは、死んだよ』
『――そんなっ、』
『死んでしまった。何故だ、何故、ヴァルマが死ななくてはならなかったッ。私は魔法という叡智で、多種族の差別なき平等で平和な世界を……っ! ……そうか、魔力があるから、魔法があるから無駄な争いが起きるんだ。魔法さえなくなれば……』
支離滅裂なことを言っていることはわかっていた。しかし、
『アクネ、リウス?』
私は幼い顔立ちのマナを見つめた。不安そうな表情が、今でも私の脳にこびり付いて離れない。
『魔力の根源たるガイアの女神マナ、私と一緒に死んでくれるかい?』
『――!?』
今にして考えれば、なんて残酷な言葉だろうと思う。それでも優しい彼女は……、
『……いいよ、アクネリウス。私も一緒に、死んであげる。だって私たち〝お友達〟ですものね』
『……マナ、ありがとう。そうだ、僕らはずっと〝友達〟だ。永遠に――』
大切な友達。
私は人生で二人目の友達をも、犠牲にしようとしている。
『……アクネ……』
今でも彼の、ヴァルマの声が、私の耳に心地よく響いている。私の心を捉えて放してはくれない。
だが、それでいい。私は君に、ずっと囚われて生きていきたかったのだから。
しかしそれも、もうすぐ終わりを告げる。
もうすぐだよ、ヴァルマ。待っていてくれ。
私もすぐに君の元へ行くから……――。
――冷たさと熱が入り交じった、私が知る世界の記憶。
幼い頃の記憶は、燃える赤い炎と悲痛の叫びの声が強く、鮮明に印象に残っている。
同族たちの焼ける匂い。
四方八方へ逃げ惑う、怒涛と悲壮をない交ぜにしたエルフたちの群れ。
『アクネリウス走って! 休まずに走るのよ! 急いで! 早く!』
幼い私の手を引く、母の切羽詰った怒声のような声を耳に聞きながら、痛いくらい強く握られた手首をつかまれて、冷たい雪の粒が皮膚を叩きつける吹雪の中、赤い景色を流すように眺めながら、覚束無い足取りでひたすら足を前へ動かしていた。
赤や青、黄色の魔力のぶつかり合いは火花を散らし、鮮血や灰色の煙が降りしきる雪と溶けるように同化していく。
幼い私は不思議に思った。
なぜ、知識を得るだけで、ここまで彼らは私たちを恐れるのだろう。
なぜ、傷つけるのだろう。
そこにはただ純粋な、知識を得るという喜びしかないはずなのに。
誰も傷つけていないのに。
なぜ、私たちエルフ族だけが傷つくのか。
徐々にぬくもりが失われていく母の手。
母は走る度に、赤い華を雪の上に散らしていった。
徐々に冷たくなっていく母に手を引かれながら、考え、考えぬいた先に見えた答えは――エルフ族を襲う彼らは、実に〝愚かで下等な生き物〟だということ。
どれほど走ったのだろう。すでに手足の感覚は、雪の冷たさで失われていて、赤紫に変色していた。
あたりは、シン、と静まり返り、ようやく追っ手から逃げ切れたのだと知った。
私の手首を引いていた母は雪の積もった地面に倒れていた。膝を折ってしゃがみこみ、母の背中を揺さ振ってみた――ピクリとも動かない。
幼い私はただ黙って母のほんのりとぬくもりの残る身体に、そっと手を添え続けることしかできなかった。
それからまたしばらくして、上空を灰色の影が通り過ぎ、再び舞い戻ってきた。
ずっしりとした巨大な体躯。鱗のような皮膚はとても硬く、通常の剣では傷つけることすら不可能だろう。背中には巨大な翼が生えており、時折、翼を広げてバサバサと風を巻き起こす。
警戒しているのかもしれない。寧ろ警戒するのは、こちら側のようにも気がするが。
変に力んでも仕方がない。
私は視線を、再び、雪の上でうつ伏せで倒れピクリとも動かない母へ戻した。
すると、ドラゴンが姿を変え、私と同じ――いや、似たような容姿の男性に変化した。真紅の長い髪を揺らして、こちらへ近づいてくる。
竜族なのだろうが、私の知る狭き世界では、それ以上のことは知り得なかった。それにしても、この男は一体、何をしにこのようなな雪が降り積もる、最北端にある氷の大地へ舞い降りたのだろう。
男はうつ伏せで横たわる母を一瞥し、続いて私を見つめた。手を差し出される。
『この先には何もない。どうだ、私と共に来るか?』
なにもない。言われて、では何故、母は私を連れて命を懸けて走ったのだろう、と考えた。
母は〝自分はもう助からない〟と知りながら。
その時になってようやくわかった。そうまでして、必死に走ったわけを。
共に逃げ延びようとしたわけじゃない。
母ははじめから〝子供だけを生かそう〟と考えていたようだ。かなり強引で無謀だが、結果的に追っ手を振り切り、ここまで逃げて来られた。たとえこの先に、何もなくても。自分の身体を盾にしながら、少しでも長く我が子を生かそうとした。
ふいに私の頭上に重みが増した。
母のそれとは異なる、熱いくらいのぬくもり。ゴツゴツしてぎこちないながらも、私の頭を撫でる大きな手はとても暖かくて、優しくて、安心できて……涙が溢れた。
『我の名は、ヴィルゴ。見ての通り、竜族だ。お前はエルフ族だな。名は?』
太い指が流れる涙を掬い、拭った。
『……アクネリウス』
良い名だ、とヴィルゴは再び私の頭を優しく撫でてくれた。
幼い頃、絶望の極寒の大地からヴィルゴというドラゴンの背に乗り、私はこの緑豊かな大地に舞い降りた。
ヴィルゴはとても私によくしてくれた。私も唯一気を許せる相手として、安心した。
父親のような存在だった。だがさすがに『養父(とう)さん、』とは口が裂けても言わなかったが。
ヴィルゴの祖国は緑と花々に囲まれ、明日の食料に困ることのないほどの豊かな土地だ。
小さな島国だが、王都ディレクトレイは多種族国家で、膨大な魔法の知識と本に溢れた国だ。
私は、自分で言うのもあれだが、探究心の強い子供だった。
一つでも知らないことがあれば、夜なべしてでも本を読み漁り、連日のように図書館に通う日々を続けるほどで、普段全く叱らない、優しい父親代わりであるヴィルゴに「いい加減に寝ろ!」と叱咤され、呆れられるほどだ。
学校にも通わせてもらえた。その道の専門家たちから教わる豊富な知識は、どれもこれも私の探究心を刺激し、納得いかなければ何度も教師の部屋を訪れ、熱弁し合いながら、それら知識力を高めていった。
とても、充実した多くの学びのある私生活。
そんな、ある日のことだった。
彼との出会いは、まさに〝運命〟だった。
――運命の出会い。
そんな青臭い言葉が当時の私には、まだあったのだ。
幸いにも、教師の間では偏見や差別を受けなかったものの、子供同士の間では相も変わらずで多種族の陰湿ないじめに合っていた。私はいつものことだと、すでに諦めていた。
殴られるのなんて当たり前。
蹴られるのなんて当たり前。
少し我慢すれば、じきに飽きて帰っていく。
彼らは私を〝恐れている〟。
エルフ族である私を。
私はされるがままに、ボロボロになった。
そして、男子生徒の手に持ったものを見て私は身構えた。
――石を投げられる!
身体はいい、当たったとしても痣になるだけだ。じきに治るだろう。痕が残ったとしても大したことではない。
だが頭だけは駄目だ。私の頭脳には、この数十年間で得た膨大な量の知識が納められている。
脳の重要な柱錐神経にダメージを与えられたら大きな損失となってしまう。それだけは阻止しなければ――私は頭を庇うように両腕でガードした。
魔法障壁を二重、三重に張り巡らせればよかったのだが、ここに至るまでに受けた身体のダメージが痛みという痛覚として邪魔が入り、上手く魔法構築ができなかった。
私は痛みと衝撃に備える。もう少しだけ耐えしのぐことが出来れば、彼らは飽きて帰るだろう。
そんな日常を過ごしていた今日、いつもと違う展開が巻き起こる。
『おい、やめろ!』
何者かが、私と衆愚の間に割り込むように入ってきた。背丈は私よりも高く、その背中は広い。
逞しい身体が、私と衆愚共の間に壁を作る。その生身の壁が、男であることは、すぐにわかった。
男は私の代わりに石を投げつけられ、瞼と額の間から血を流している。石で切れてしまったのだろう。馬鹿な男だと、私は思った。
わざわざ割って入ってきて、怪我までして……。
『何故、石を投げるんだ! 危ないだろう!』
『なんだよ、お前! 邪魔すんなよ! 俺らは悪い奴を懲らしめてんだぞ!』
『悪いやつ?』
男は、状況が読めず、ただ見上げる私の顔を見て、首を傾げる。
『……悪い奴には見えないが、』
『はっ! よく見ろよ。そいつ、エルフ族なんだぜ』
『エルフ族?』
男は不意に、何かを確認するかのように、私に手を伸ばした。咄嗟のことで、よけることができず、男は私の耳に掛かった髪を一房たくし上げ、耳を確認する。顔に熱が帯びる。男が柔らかく笑った気がした。
『たしかに、エルフ族だ。耳が尖がっている』
私は我に帰り、男の手を払いのけた。男は一瞬、驚いたような表情を見せたが、それだけだった。
払いのけたことを、気にした素振りさえみせなかった。
『だろっ! だから俺たちが悪い奴を、』
『だが、それがどうしたというんだ? オレも耳は尖がっているぞ、ほら。少し形は違うがな』
男は言いながら、自身の耳を覆っている髪をめくりあげた。
『……お前、銀狼族?』
『ああ、そうだ。お前たちは小人族だな。これ以上、彼に危害を加えるなら、俺が容赦しないぞ』
微かに怒気を含んだ声音が、小人族を萎縮させる。
『――ひっ!?』
恐怖に引きつった小人族の少年たちは、バタバタとその場から去っていった。
銀狼族の男は、彼らの様子を見て、豪快に笑っていた。
そして、徐に私の方へ振り返り、笑みを浮かべた。
『大変な目にあったな。怪我はないか? って、怪我してるじゃないか! すぐに手当てを!』
ことさら触れてこようとする、銀狼族の手を避けるようと、私は一歩後退する。
『……いつものことだから、平気だ。怪我もたいしたことない。これぐらいなら、自分で治せる』
もうここに用はない、と私が立ち去ろうとした時だった。
ふいに身体が、ふわりと浮いた――と認識した時には、私は銀狼族の男に抱き掲げられていた。
いわゆる、お姫様抱っこというやつだ。一瞬わけがわからず、動きを止めたが、私は羞恥心から男の腕から逃れようとジタバタと暴れた。だが、一向に降ろしてはくれない。
『なっ! おろせ!』
『万が一と言うこともある。それにまた、奴らが報復に来るかもしれない。家まで送ろう』
家まで送る、と言う男に、血の気が引いた。
『な、いい! 家はいい! 私は一人で帰る!』
『遠慮するな』
『遠慮じゃない! と、とにかく降ろせ! 今すぐ! 銀狼族!』
『……ヴァルマだ。お前の、名前は?』
ヴァルマ。それが男の名前。名乗られた私は、抗議の声を潜め、息を詰めて吐き出す。
『……アクネ、リウス』
ヴァルマは、私の名前を何度も舌の上で転がすように往復して、ブツブツと呟いていた。
そして、『アクネリウス、いい名前だ』そう言って、嬉しそうに笑ったのだ。
再び、顔に熱が帯びる。綺麗な笑顔だと思った。
『しっかり掴まってろ』
ヴァルマはそう言って、私に微笑みを寄越す。私は渋々、彼の首に腕を回した。落ちたくはないから。
ヴァルマが小さく、笑った気がした。
まったく、良く笑う狼だ。
お姫様抱っこされたまま帰宅すると、まずはじめにヴィルゴの驚きの表情と対面した。私はようやく地面に降ろされる。それから、ヴィルゴは笑いを堪えながら、口元を拳で押さえて言葉を発する。
『これは、なんというか……いつの間にいい男を見つけてきたんだ? アクネリウス』
私はヴィルゴの腹に肘鉄を喰らわせた。ダメージはおそらくゼロだろう。
簡潔に、ここに至るまでの経緯を、ヴィルゴに説明する。
ヴィルゴはわざとらしく咳払いをして、視線をヴァルマに戻した。
『……なるほど。息子を家まで送り届けてくれてありがとう、ヴァルマ』
『え? ……あ、はい! その……』
ん? と言葉を渋るヴァルマに、ヴィルゴと私は首を傾げた。ヴァルマは後ろ頭を擦りながら申し訳なさそうに口を開いた。
『お父さん、若いんだな、って思って。その、恋人かと……』
ヴァルマの言葉にヴィルゴは目を見開き、次いで大声で笑った。
笑い事じゃあない!
『そ、そんなわけないだろう! ヴィルゴは私の、身元引受人だ!』
『身元引受人?』
笑っていたヴィルゴは咳払いをして口を開いた。
『いや、笑ってすまない。ヴァルマ、君はとても正直な銀狼族のようだな。たしかに私は竜族で、彼はエルフ族だからね。血の繋がりはないが親子の関係だよ。君が心配するような間柄ではないから安心するといい』
安心とは、なんのことだろう? 私は意味がわからなかった。ヴァルマは照れていたけれど。
ヴィルゴの大きな手が、私の背中に触れた。
『どうか、これからも〝息子〟のことをよろしく頼むよ』
おい、二人で勝手に話を進めないでくれ。
私は抗議の声を上げようとしたが、ヴァルマの行動を見て言葉を噤んでしまう。
『は、はい! こちらこそ、よろしくお願いします!』
姿勢良く、九十度に腰を曲げて、ヴァルマはヴィルゴに頭を下げて私は火を吹くくらい気恥ずかしくてそっぽを向いた。
もういい、勝手にしろ!
私は抵抗をやめて諦めたのだった。
これが、私とヴァルマの出会いの邂逅と関係の始まりだった。
とんとん拍子で関係が始まり、それからというもの、ヴァルマはことあるごとに私の前に現れるようになった。
ヴィルゴとの言葉通り、家にも頻繁に訪れてくるようにもなった。時折、夕食を共することもある。
ヴァルマは多種族から苛められている私を、いつも助けてくれた。
次第に、私も心を許すようになり、学園内でも、二人きりで食事をしたり、研究を手伝ってもらったり、まあ、毎日がそれなりに楽しかったのは確かだ。
そしていつの間にか、私とヴァルマは、必然のようにボディーガード兼、親友という関係となっていった。
はじめてできた親友。ヴィルゴも親友に近い間柄ではあったが、やはり〝親〟という立場の方が強かったから、私にとってヴァルマは、うまれてはじめてできた友達、親友なのだ。
一度だけ、ふと訊ねてみたことがある。
『ヴァルマ、何故、君は、私にそこまで構うんだ?』
特にメリットもないはずなのに。ずっと気になっていた事柄。
『……お前を……放っておけない。実のことをいうとな、以前からお前のことは知っていた』
『え? そう、なのか?』
ヴァルマを頷いた。
『ずっと一人でいるお前が、妙に気になってな。ずっと……目で追っていた』
『……そ、それではストーカーではないかッ』
ひどいなぁ、とヴァルマは微笑しながら話を続ける。
『そんなときだ、小人族に絡まれてるいるお前を見かけたのは。正直、チャンスだと思った』
『チャンス?』
『お前と〝友達〟になれるチャンスだと思って、な』
『〝友達〟?』
『ああ、〝友達〟だ』
〝大切な友達〟。少し悲しい表情でヴァルマはそう応えた。
その頃から、今までは〝アクネリウス〟と呼ばれていた名前が〝アクネ〟と、愛称に変わった。
私たちの距離間が少しずつだが、微妙に縮まりを見せつつあった。
ヴァルマは私によく触れてくるようになったのも、たしかこの頃からだ。理由はわからなかったが、彼曰く、私に触れていると落ち着くらしい。
それは私も同じだったから、少し、いや、凄く嬉しかった。
頭を撫でたり、髪に触れたり、頬に触れたり、唇に、触れてきたり……。
しかしながら、それ以上は何もなかった。
私は一体、何を期待していたのか。
〝友達〟とは一体、なんなのか。
友達と言えば、もう一匹。
魔力の根源であるマナ。それの調査のため、私はヴィルゴと共に空間を移動したどり着いた、別の異世界。
――マナの領域。その場所は私たちが暮らしている世界とは次元の異なる世界。私たちが使用する魔法は、たった一人の女神によって齎されているという。
私は興味は沸き、あらゆる古文書を読み解き、魔法陣を構築し、そしてようやく、たどり着いたのだ。
私とヴァルマはマナの領域で、一人の少女と友達となった。
女神マナ。私たちの世界では、そう呼称されているが、実際は名前はないという。
彼女は訪れた私やヴァルマから〝マナ〟と呼ばれていることを知り、真名とした。
世界が誕生すると同時に生れ落ち、ずっと一人で生きてきたという。
見た目は幼い少女だが、その叡智は私の探究心を擽るものばかりだった。
マナの領域は世界が産まれた原点。全ての命と魔力はココから始まったのだ。
マナは領域から出ることができない。その小さな身体はガイアと一体化しているからだ。ガイアを通じて、膨大な知識はあるが、直接、見聞きしたことは誕生してから一度もない。
だからだろう、マナは私たちの話を、いつも楽しそうに笑って聞いて、ピンク色の瞳をキラキラと輝かせていた。
私たち三人は、常に一緒だった。
そんな、着かず離れずな関係を続けていた、ある日のことだった。
『アクネ、俺は決めたぞ! 俺はマジックナイトになる!』
唐突だった。いや、ヴァルマはいつも唐突だが。
ヴァルマが真剣な表情で、私の頬を両手で包み込んだ。
『マジックナイトになって、力を手に入れれば、アクネ、お前を多種族の脅威から守ることができる!』
『ヴァルマ、お前は今でも十分に強い。マジックナイトになんてならなくても、』
『いや……まだ、足りない。日に日に多種族の力が強まってきている。今のままでは、お前を守りきれなくなる』
『だが、ヴァルマ――っ!』
不意に、強く抱きしめられた。一瞬だけ息を詰める。忘れかけた呼吸をして、鼻腔からヴァルマの匂いを吸い込み、肺を満たした。
安心できる、私の大好きな匂い。
『大丈夫だ、アクネ。俺は絶対にマジックナイトになって、お前の元へ戻ってくる。約束する』
もちろん心配だったが、それは杞憂というものだった。
半年後、ヴァルマは約束どおり、私の元へと帰ってきた。
マジックナイトとなって――それから……。
『……ヴァルマ、君がいなくなってしまってから、私はずっと、一人ぼっちだ』
君が時々見せる、切ない表情が気になって仕方なかった。
君は時々、私を強く抱き締めてくれた。それは、あばら骨が軋むほど強く。
とても痛かったが、嬉しかった。
『ヴァルマ、その表情の意味を、教えてくれ。私を強く抱き締める理由を、聞かせてくれ……ヴァルマ……ッ』
その返答は永遠に帰ってはこない。わかっていても、私は今でも、親友のヴァルマに語り掛け続けている。
今では片想いだったのか、両想いだったのはわからない。
ただ、私はたしかに彼を、ヴァルマを愛していた。
それは数千年経った今でも、変わらず継続している想いだ。
しかしながら、その想いは時に、私を苦しめる。
ヴァルマはもういない。頭を撫でてもくれない。頬に触れてもくれない。その優しい笑顔を向けてもくれない。逞しい腕で抱きしめてもくれない。永遠に出来なくなってしまった。
彼を……ヴァルマを、多種族の争いが、尊い命を奪ってしまったから。
私の目の前で。
もはや、感情という想いを担うことに疲れきっていた。
だから私は切り捨てた。
四つの感情、すなわち――喜悦、憤怒、悲哀、快楽。
四つの感情を分離し、それに意思を宿させた。それらは他の生物とは異なる、感情という名の精神体。
そして私は、ヴァルマを奪った戦争そのものを起こさせた〝魔法〟を憎むようになった。
自らを形成する魔力を。世界の理を形成している、マナを――。
『アクネリウス、無事だったのね! ねえ、ヴァルマは、どこ?』
無邪気な表情のマナが頭を左右に振って、あたりを見渡して彼を探している。
『マナ……ヴァルマは、死んだよ』
『――そんなっ、』
『死んでしまった。何故だ、何故、ヴァルマが死ななくてはならなかったッ。私は魔法という叡智で、多種族の差別なき平等で平和な世界を……っ! ……そうか、魔力があるから、魔法があるから無駄な争いが起きるんだ。魔法さえなくなれば……』
支離滅裂なことを言っていることはわかっていた。しかし、
『アクネ、リウス?』
私は幼い顔立ちのマナを見つめた。不安そうな表情が、今でも私の脳にこびり付いて離れない。
『魔力の根源たるガイアの女神マナ、私と一緒に死んでくれるかい?』
『――!?』
今にして考えれば、なんて残酷な言葉だろうと思う。それでも優しい彼女は……、
『……いいよ、アクネリウス。私も一緒に、死んであげる。だって私たち〝お友達〟ですものね』
『……マナ、ありがとう。そうだ、僕らはずっと〝友達〟だ。永遠に――』
大切な友達。
私は人生で二人目の友達をも、犠牲にしようとしている。
『……アクネ……』
今でも彼の、ヴァルマの声が、私の耳に心地よく響いている。私の心を捉えて放してはくれない。
だが、それでいい。私は君に、ずっと囚われて生きていきたかったのだから。
しかしそれも、もうすぐ終わりを告げる。
もうすぐだよ、ヴァルマ。待っていてくれ。
私もすぐに君の元へ行くから……――。
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