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三章

3-2

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「ん?」
 僕以外裏口から出入りする人間等いない筈なのに、ドアの鍵が開いている。
 暑さにぼんやりして、鍵をかけ忘れる様なドジを僕はしない。だいぶ前のバイト先で鍵をかけ忘れたせいで傷害事件の片棒を担ぐ様な事になってから、戸締りには特に注意している。 
住んでいる部屋の戸締りがいい加減なのは、金目の物もないし、何かあっても困るのは自分だけだからと言う理由だ。
出来るだけ深く静かに呼吸をして、音を立てないように中に入る。
人の気配は・・・。三人か・・・。
頭で思い浮かべただけで、完全に嘘である。僕にそんな凄腕の暗殺者みたいなスキルは当然としてない。ナイフとか拳銃とか、はたまたフォークでの殺し方に精通しているわけもなく、僕の武器はこの店を多分侵入者よりは熟知している事と、相手はそれほど僕に対して殺意が高くないって事だ。問答無用で殺しに来ている相手なら、いかに静かに裏口を開けようが、ドアが動いた瞬間に蜂の巣にするのがプロってもんだろう。
 だが、僕はまだ生きている。ドアを開けた先にいる黒服三人、その真ん中に高級そうなスーツを着たボスっぽい人を目の前にして、両手を挙げた状態で。情けない・・・。
「で、そちらさんはどこのどいつ様でらっしゃいますか?空き巣や強盗って輩には見えませんしぃ~、純然たるお客様って感じでもないですよねぇ、そんな黒いブツ持って大勢で来客とかないでしょうしぃ」
 明らかに日本人ではない黒服達の肌の色は黄色人種は一人もいない。ボスっぽいのも金髪碧眼でスーツの似合うスマートさんだ。映画のなかだったらマフィアのボスとか、ナンバーツーが似合いそう。
「ここに失礼したのには理由があります、探し物をしているのです、この店の前に居たと報告されているんです、この人は貴方の知り合いですか?」
 ボスっぽい金髪野郎が片言で聞いてくる。いまどきアプリ使わずに自分の脳と口だけで外国語覚えるとか、この金髪野郎すげぇな。
 それに敬意を評して僕は、心から嘘をつく。
「いいや、知らないねぇ、偶然店に来た時はあったかもしれないけど、ただの一人の客にいちいち拘ってはいられないからねぇ」
 金髪野郎が見せてきたスマホの画面に写されていたのは、いつぞやの自称AI少女と、その保護者っぽい先生だ。能天気な奴等だった気がしたが、あれで逃避行の最中だったとは恐れいる。
「そうか、まぁこんな繁華街の店で、一回来ただけの客は覚えていないか、それは失礼したね、だが、もし貴方が彼女たちを匿っていたり、攫って居たりした時は、きっちり報いが来るから忘れずにいろよです」
「なぁそいつら何やったんだ?」
「貴方には関係ないし、関係したいとも思わないでしょう?だからお互い、話さない、聞かない、おうけい?」
「おっおうけい」
 金髪野郎は懐から茶封筒を取り出すと、迷惑料と言いつつ置いていった。中身の厚さは、まぁ藤代と同じくらいだ。円かドルかユーロで価値には違いがあるかも知れないが。
「なんだか、騒がしい話だなぁ」
 裏口からこっそりと忍び込んだであろう黒服と金髪は、帰る時は堂々と表のドアから出て行きやがった。悪びれもしないって、まったく異文化はこれだからなってないぜ。
 まっそんな事言っても、あいつらとは二度と会うこともないだろう。連絡先も知らないし、あの自称AIコンビがこの店に戻ってくるとかもないだろうし。
 空調を調整し、奴等が座っていた椅子やテーブルを消毒。最後に辛うじてジャズバーとしてのプライドを守っているジュークボックスから、フライミートゥザムーンを流し始めて開店する。
 今日分の客は、もうあの黒服と金髪野郎だけでノルマをこなしている。残りの時間はカウンターで涼みながら寝てても良いんじゃないだろうか?
 そう思いながら僕は無意識でグラスを磨きながら、ぼんやりと外を見る。
 そう、一応こんな店でも窓はある。汚れていたり、窓を開けても隣のビルの壁しか見えないとか、さわやかな気分になれる窓ではないけれど。
 なので、基本窓は締め切り、ニコチンとタールで渋い色合いになったガラス面は紫外線も通さない仕様に成り果ててる。そんな曇りまくった窓に赤い何かが映っている。
 例えるならば、繁華街の裏路地でパトカーの回転灯を見た時の様な不吉感が僕を包む。
 繁華街の裏路地に生息していた頃は、それはそれは警察様に言えない事も一杯してきた。この国の警察は優秀と言われているが、いわゆる繁華街の裏路地なんかは治外法権の様になっているのが普通だ。警察は見て見ぬ振りだし、その場の治安はそれなりの組織が、その組織の理屈で守っている。だから国家権力を振りかざす連中が裏路地で回転灯回しつつ大名行列なんかやらかしたら、それは不吉な事が起きる前触れでしかない。
 僕は実際に経験したことは一度しかなかったけど、その時は死傷者十数名と、その裏路地自体が強制的な区画整理で存在を抹消された。抵抗したのは海外から来て飲食店を営んでいた家族と、その友人だけで地元の普段は威張り散らしている連中や組織も、この時はだんまりを決め込み、自体を受け入れていたのが印象的だった。
 力には抗えない種類の物があるって利口な大人たちは知っていると言う事か。
「さて、どうするか・・・」
 僕は利口な大人かと聞かれれば、そうではないとしか答えようがない。もし利口ならこんな所で燻り続け、安い賃金でぼんやりと生きてはいないだろう。
 一瞬だけ夢みた世界?社会への挑戦?自分たちで世の中の歯車を回してやる?
 やめてくれ、恥ずかしい。
 少し前に流行った言い方で言えば、それはもはや黒歴史だ。
 過去は思い出、決して忘れるべき物じゃないけど囚われて良い物でもない、大事なのは今現在と明日の事。
 何かの小説で読んだフレーズを頭にリフレインさせつつ、怪しい窓を観察する。
 薄く黄色身がかったガラスの向こうで、赤い光が二つ光っている。窓を開けたとしても底には隣のビルの白っぽい壁があるだけで、機能まで光を発する物などなかった筈だ。ならば、この光の原因は先ほど立ち去った黒服と金髪野朗が仕掛けて言った盗聴器とかその類の可能性がある。
 あのAIコンビがまたこの店に来ると踏んで仕掛けていったのかもしれない。
 うん、それはありうる可能性だ。
 ぱっと見て、結構な金持ちっぽい感じだったもんなあいつ等。
「くそっ、怪しいものなんかないけど、覗き見野朗は嫌いなんだよっと」
 普段あけていない窓の錆びついた鍵を力を込めて解錠し、窓を思いっきり開く。
 むわっとした湿度のある空気と、何か油っぽい物を調理している様な匂いが開いた窓から入ってくる。正直言って気分の良い者ではないが、盗聴器を破壊するためには仕方がない。
「ん?」
「ん?」
 窓から身を乗り出して、外側のガラスを確認しようとしたら、その向こうに赤い目を光らせた奴がこっちをみてにっこりと笑っていやがった。
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