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四章

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なんか幻聴が聞こえた気がした。目の前の女性は少しだけボーイッシュに見えなくも無いが、よく見ると僕と同じ年齢くらいのキャリアのきちっとした女性だ。いきなり初対面でそんな強い口調で相手を威嚇するはずが無い。それを僕にしたのは、後にも先にも初恋の彼女だけだ。
「店長!店長!聞こえているのか店長?お客さんだぞ、珍しくも開店前にお客様が来るなんて開闢依頼の大事だぞ店長、何をボーっとしているんだ、すぐに動けっ」
 軽くふくらはぎを秋葉に蹴られる。それまで確かに僕はボーっとしていて、お客様に失礼な態度だったと思う。
「痛っ、あ~はい、お客様ね、まだ中は冷房つけたばかりで暑いかもしれないけど、どうぞ?」
「はい、ありがとうございます、そこのお嬢さんに誘われて、初めてナンパ?されちゃいましたので」
 秋葉グッジョブ。常識としてバーで客引きは犯罪行為であるが、まだ日も高いし風俗系の店ではないからお目こぼし頂こう。第一わが国の警察は軽犯罪に対しては実力発揮しないから。たまに見せしめ的にやりすぎた店が摘発されるが、うちでそれは無いだろう。新規客が来るのも数ヶ月ぶりなのだから。
「どうぞ、まずはこちらでリラックスを」
 南米グアマテラから輸入した豆に、コナの粉を適量混ぜて作った僕オリジナルブレンド、隠し味にモカが少々入っているのが工夫だ。誰もが旨いっとうなるものではないが、毎朝とかでも飲める常習性のある珈琲だ。値段もお安く経済的。かけつけ一杯には最適だ。
「あ、ありがとうございます」
 ふっと飲む瞬間に軽く珈琲に息を吹きかけてから飲むスタイルのショートカットさん。みれば見るほど好みだ。いわゆる画面の向こうで輝く顔というのとは違う。なんていうか、近くの幼馴染とかにいたら絶対惚れてしまうタイプだ。癒しと親近感と、高揚感を与えてくれそうな人。うむ、お近づきになりたいものだ。
「店長、よこしまなことを考えているのが丸わかりで私は悲しいぞ、私のような娘がありながら、このような年上女性の色気にほいほいやられるとは、それでも店長か?一児のパパか?」
「いや店長だが、絶対に一児のパパではないし秋葉が僕の娘になった事も無いぞ、僕は未だに×なしの独身だ!」
「ほほう、それは自慢するところなのか店長?どちらかといえば少子化問題を抱える世界に対しては反逆じゃないか?店長クラスなら相手もいただろうに・・・」
 頭の片隅に百合さんの顔がよぎる。その顔を満面の笑顔ではなく、いつもの百合さんの少し困った様な疲れている顔だった。秋葉に絡まれてしまって以来、百合さんは店に来ない。少しだけ寂しい。ちょっと婚姻届で舞い上がっていた自分がいた事を自覚する。
「ふふっ仲よしさんなんですね、本当に親子でも通じるくらいに・・・私にも娘がいますけど、こんなに仲良しではないから少し楽しそうで羨ましいです」
「どっどうも、でも本当に娘でもなんでもないですからね、ただ少し物知りな口の減らないやつってだけですから」
「おいおい店長、最近お客様の趣味に合わせて原材料をただ集めるだけじゃなく、最適なルートで仕入れるようにしてあげたのは誰だい?まるで私を厄介者扱いとは店長交代を掛け合ってみるかな?」
「やめてくれ、実現しそうで怖い」
 接客も、原材料の仕入れも、マネジメントの一切合財も僕はこの少女に敵わない。まだ勝っていると思われるのはカクテルやお茶などを作る技量だけだ。それだって半年もみっちり修行すれば秋葉は習得するだろう。表面上はとても人類を超えるAI様とは誰も信じないだろうが、一緒に仕事すると判る。秋葉は有能すぎる。
「まぁその後秋葉が僕を養ってくれるなら構わないかな?」
「店長・・・、それが大人の言うことか?いたいけな少女にたかる大人にはならんでくれよ」
 くるっその場でターンしてから、にやりと笑った秋葉は外掃除に戻っていった。軽妙な話術で新規客の緊張をほぐすというスキルだったのだろう。やはり秋葉は恐ろしい奴だ。
「すみませんね、びっくりしたでしょう?あいつが来てからいつもこの調子で、にぎやかなのは良いんですけど、静かな空間が売りだったんですけどねこの店」
「いいえ、あんな若い子が楽しそうに働いているのを見ると、気が晴れますよ、私はちょっとそういう系の仕事してて、皆さんにも秋葉さんみたいになってもらえるといいなって思います」
 う~ん、出来た人だ。そしてたぶん子供向けの仕事に就いている人らしい。保母さんとかには見えないから、行政関係のその手の部署なのかもな。地域の少子化対策とか、引きこもり対策とかの。
「秋葉が一杯いたら相手するほうが大変ですよ?」
 あの調子でクローン張りに増殖したら、僕は相手しきれない。元気なのは良いことだが、程度問題はあると思う。
「あら、そうですかね?」
 その後、少しだけしゃべってショートカットの美女は仕事に向かっていった。珍しく僕はまたご来店くださいなんて普通の接客用語を出したら、彼女は明後日にまた来ますと微笑んで去っていった。いいな、彼女・・・。
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