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ある船乗りの懺悔
壁
しおりを挟む「そうです。人間たちの間では、亡くなった人は『天国へ旅立つ』って思想が一般的でしたっけ? 僕たち人魚の中には、死者は『海の底の底にあるとされる理想郷に還る』って信じてるひとが多いんです」
「へぇ……そうか。海の底じゃ、空の果てとは対極だな」
癖毛の男がなにげなく放ったひと言は、がらんとした無人の島にずっしりと質量をともなって落ちました。
「はい。僕たち、死んだらもっと離れちゃって二度と会えなさそうですね。せっかく出会えて、友達になれたのに」
「……確かに、いまでも遠すぎるくらいだよな。同じ言葉使って話してるのに。人魚と人間の間に見えない壁があるみたいだ……。海はこんなに近いのに、どこよりも落ち着ける居場所なのに……最後のところで仲間に入れてもらえない気がするんだ。海賊になりたての頃からそうだった…………。俺は海が好きなのに、海のほうは俺を歓迎してないみたいで、寂しくてどうしようもなくなっちまう日がある」
消え入りそうな声で呟いた癖毛の男は、いまごろ寒さが堪えたように身震いをしました。
「それは……でも、仕方ないんじゃないですかね。人間のあなたが海の中で活動できる時間は限られてます。しかも、こまめに息継ぎをしに顔を出さなきゃいけない。きっと海は、海の女神は、『まだあなたはこちらへ来るべきじゃない』って追い返してくれてるんですよ。だから、そんなに落ち込まないでください」
「そう…………だな。うん、そう思っておくよ。ありがとう、こんな馬鹿みたいな話に真剣に付き合ってくれて」
人魚の男は躊躇う素振りを見せつつ、ぎこちなく微笑を返す癖毛の男に向かって語りかけました。そっと掘り起こした痛みが壊れないように、彼は記憶の上澄みを掬います。かつて関わった人間たちの顔を一人一人を。彼らとともに過ごした日々を。
「いいえ。僕にも覚えがあります……。陸に上がってしてみたい事がいっぱいあるのに、それはどうやったって叶いませんから。一回死んで、人間に生まれ変わりでもしない限りは。…………だから、簡単にわかられたくないと思いますけど、僕にもちょっとだけわかっちゃうんです。大好きな海に拒絶される感覚と、悲しい気持ち」
人魚の男は癖毛の男の足を、続いて下に広がるコンクリートを凝視します。降り立つ足もない自分が踏みしめることのないのない陸地を。全体重がそこにかかる感覚に、片足ずつを器用に動かす歩き方も……生きている限り、決して知る事はありません。
「わかられたくないって事はねえさ。それにしても、こっちは好きなのに向こうはつれないなんて片思いみたいだ。……なあ、人間と人魚が恋に落ちた例はないのか?」
「人間と人魚の恋のお話ですか。いくつか伝わってますけど、やっぱりどれも悲劇的なものばっかりです。僕からしたら、恋愛なんて別世界の出来事って感じなんですけどね。それでも『もし人間のひとを好きになったら……』って考えちゃいますよ」
「想い合うだけじゃ、どうにもならねえ事は人間同士、人魚同士でもざらにあるだろうが……そういうのとは違うもんな。もっとでかくて、どかしようのない障害だ」
両の手のひらを天に向け、ため息交じりに零す癖毛の男をよそに、人魚の男はわずかに左に視線を寄せて黙考しています。しばらくそうしていたかと思うと、ふいに彼はその薄い唇を控えめに開きました。
「ひとつだけ……」
「ん?」
「僕が知ってるなかでひとつだけ、幸せって言ってもいいかもしれない恋のお話があるんです。人間と人魚の」
癖毛の男は人魚の含みのある言い方を気にしながらも、好奇心が湧き上がってくるのを感じました。
「幸せ……とは言い切れない感じなのか」
「はい。他の人魚と話してても評価が真っ二つに分かれるんです。北の大陸にある小さな国の伝承なんですけどね……」
人魚の男は、癖毛の男の相槌に見え隠れしている続きへの切望を感じ取り、静かに話を始めます。熟練の吟遊詩人にも負けない語り出しはこうでした。
「海の近くの集落に、一人の青年がいました。その青年は幼い頃から海に親しんできて、他の人と過ごすよりも一人で海を眺めたり泳いだりする事が好きでした。その日も彼は一人で釣りをしてて、大物に違いない引きにわくわくしながら竿を上げたんです。でも、針にかかったのは、一人のかわいらしい人魚でした」
「びっくりしただろうな。というか、よく引き上げられたもんだ」
「ああ……針に刺された尾鰭の痛みに驚いた人魚が自分から姿を現したんです」
癖毛の男が素直な感想を述べると、人魚の男は自分の鰭の先を引っ張って言いました。
「二人は互いにひと目惚れしたのか」
「いいえ。当分、食糧に困らないと思った青年はがっかりしたみたいです」
人魚は笑っていましたが、自給自足の大変さが身に染みている癖毛の男はそんな気にはなれず、期待外れの釣果に落胆した青年に同情を禁じ得ませんでした。
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