うつろな夜に

片喰 一歌

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女神と呼ばれたもの

女神と呼ばれたもの

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 …………おや? 新たな来訪者か。

 ようこそ。ここは深い深い海の底じゃ。それだけ告げれば十分じゃろう。

 わらわが気になるか?

 そうじゃのぅ……。人魚たちには『海の女神』などと呼ばれて親しまれておるようじゃが、わらわの影響範囲はそれほど狭いものではない。ゆめゆめ忘れるな。

 どういう事、じゃと? 簡単じゃ。『運命の女神』が訛って……誤って伝わってしまっただけさな。『海の女神』と。
 
 伝言ゲームと言ったか? 人の手を介するほどに、事実は捻じ曲げられていくものよ。そこに悪意があろうとなかろうと。

 そういうわけじゃから、わらわにとっては、おぬしらの運命をちょちょいと書き換える程度、赤子の手を捻るようなものよ。

 恐ろしいか? 無理もあるまい。人間も人魚も、等しく運命の前には無力なものゆえ。

 『確かに無力だけど、全部自分の思いどおりになるほうが怖い』じゃと? そうかもしれぬな。

 そう思えるのは、驕らずに生きてきた証拠じゃろう。誇るがよいぞ。

 

 わらわはそちを気に入った。のう、お前さんや。

 呼び方が気に食わぬか? なれば、そなたでよいか? いま、わらわを見つめているそなたに話しかけておる。

 そなたは人間のようじゃが……少しばかり海の世界の事情に詳しいようじゃな?

 ん?

 『詳しくなる気はなかった』じゃと? そうであろうな! おおよそ、あやつに吹き込まれたというところじゃろう。

 主にまばゆいゴールドのあやつじゃな。かわゆく、かしこく……いじらしい人魚じゃった。

 安心せよ。いとし子たちはみな、わらわの腕のなかで穏やかじゃ。



 知っておるか、ライムグリーンという色を。

 縁起物と持て囃されるゴールドとは違って、一部の地域では縁起が悪いと忌避されておるようじゃが……まあ、そう言われ出した時代背景に鑑みれば、その理由も頷けなくはない。

 しかし、なんとも美しい色よな。わらわは嫌いではないぞ。他者からの評価がその者の幸福度と密接に関わっておるとは思わぬが、嫌われてばかりでは悲しかろ?

 ……偉大な、偉大な人魚であったよ。最期まで。

 ああ、いや。こちらの話じゃ。すまぬな。



 人間の迷い子も少なくはないのぅ。

 『魔の海域』の餌食になってしまった者から、自ら海で死ぬ事を選んだ者まで、実に多種多様じゃ。

 わらわはそのすべてを歓迎しておる。みな、かわいいかわいい我が子じゃからな。除け者になどはせぬ。

 ……自らの存在を完全に消してしまいたいと願う者には、入水自殺はお勧めできかねるが。

 なにせ、水は記憶してしまうものじゃ。その魂に刻まれた記憶も余すところなく。

 海に生きる知性体――――人魚の事じゃな――――彼奴らの記憶は、溺れかけの人間には幻想のように映るじゃろう。

 強い想いほど強い記憶となり、他者に干渉しうる力を持つ。

 人魚が人間を海に引き摺り込むなどというイメージも、そこから派生したものかもしれぬな。

 時として、妄想すらも真実のように記憶されてしまうのは困りものじゃが。
 
 ……ああ、わらわが絶世の美女の姿を取っておるのもそのせいじゃよ。

 実際に目の当たりにしたわけではなくとも、みな知っておる。わらわの顔も声も、すべてな。遠い昔、『そうであってほしい』と願った誰かがおったのじゃろう。

 怒る? どうしてじゃ?

 勝手に押し付けられたイメージだから?

 確かにそれはそうじゃが、わらわはこの姿も『海の女神』という呼称も気に入っておる。

 海は万物を育む胎であり、また、呑み込む肚でもあり……。

 『命』を『運』ぶ大いなる存在じゃ。

 ただの訛伝で片付けるには、よくできておると思わぬか?

 『運命の女神』たるわらわが『海の女神』と呼ばれるようになったのは、必然だったのかもしれぬな。
 
 


 …………さて、茶飲み話もよいが、そなたはまだここへ来るべきではなかろう?

 先は長く、道は険しい。名残惜しくはあるが、帰してやらねばな。
 
 ヒトの一生など短きものよ。そう遠くないうちに再会が叶わぬとも限らぬ。

 さぁ、地上へお帰り。

 命の限り、息をせよ。足を動かすのじゃ。そなたの命を運ぶのは、そなたの足の他にないのじゃから。



 END

 
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