三千世界の鴉なんて殺さなくても、我々は朝を迎えられる

片喰 一歌

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アフター・アフター・レイン・トーク

アフター・アフター・レイン・トーク<XIX>

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「!」

 直前に見た彼は、目をぱちくりさせていた。

(びっくりさせちゃってごめんね……! でも、人目につかない場所まで来たから、もういいかなぁと思って…………って、人前かそうじゃないか気にしてるのはわたしだけだっけ。彼は……むしろ見せつけたいタイプかも。さすがに昨日見たカップルみたいにきわどいことはしないだろうけど、もっとあからさまに恋人っぽい距離感で歩いたり話したり……)

 ふわふわの髪を無意識に撫でながら、彼の理想について想像を膨らませた。ひと撫でするたびに広がる清潔感のある香りは、シャンプー由来のものだろうか。

(考えてみたら、この前は彼と一瞬だけおんなじ香りになってたんだ。急な進展すぎて、別れ際にキスとハグしたときもろくに確かめられなかったけど。……いつかはボディソープもシャンプーも、洗剤も柔軟剤も『同じが当たり前』になるのかぁ)

「……珍しいね? きみのほうから俺に抱き着いてくるなんて……。『抱き着く』というか、この格好だと俺が『抱き着かせてもらってる』って感じだけど…………♡」

 鼻を埋めて、いつか来る未来に思いを馳せていたら、彼がもぞもぞ動いて顔を上げた。

「ごっ、ごめんね……!」

 咄嗟に離した腕をそのまま身体の脇にぴたっとつける。その動作は少しラジオ体操の深呼吸に似ていたかもしれない。

「…………我慢してた?♡♡」

 靴を揃えて脱いだ彼が、わたしの右隣に並ぶ。

「え?」

 束の間の下剋上が幻だったみたいに、わたしより背の高い彼に見下ろされて、残念なようなほっとしたような気持ちになる。いつもの身長差が、上下関係が、やはりいちばん落ち着くから。

「俺はきみのおうちの前でおしゃべりしてるときから、ずーっと我慢してたよ♡♡ 『早くぎゅーってしたいな♡』って♡ きみも俺にぎゅーってしたかったのかなって思えて嬉しかったんだけど、そうじゃなかった?」

 特に指示されたわけではなかったけれど、その台詞を耳にして、身体が勝手に彼のほうを向いた。そんなわたしを見た彼も、整った唇を綻ばせて身体を向けた。
 
「ううん。『早くおうち着かないかなぁ』って思ってた……♡ そしたら、いっぱいちゅってしたりぎゅってしたりできるから♡ 手繋いで歩くのも好きだけど……♡♡」

「そっか♡ …………こんな感じかな?♡ お姫様?♡♡」

 肩に手を置かれて、前髪をどけられて。額に口付けが落とされた。そのあと、ふわっと抱き締められて、胸いっぱいに彼の香りを吸い込んだ。

「…………こっちにはしてくれないの?♡」

 ゆっくりとゆっくりと身体が離された。名残惜しむ気持ちが伝わってきて嬉しかったけれど、わたしにはまだまだ彼が足りなくて、唇を突き出してアピールしてしまった。
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