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第6話 『レトルトカレーに“おふくろの味”を探してしまう午後』
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カレーのにおいが、部屋に満ちていく。
といっても、手間をかけて煮込んだわけではない。
ましてやスパイスから作った本格派でもない。
湯を沸かし、袋ごと温め、あとは白飯にかけるだけ。
レトルトカレー。
近所のドラッグストアで88円だったセール品。
そのパッケージには、「懐かしの、家庭の味」と印刷されている。
朝倉一真は、それを見た瞬間、無意識にカゴへ入れていた。
午後3時。
その日も、何も予定はなかった。
外は少し風が強く、雲が早く流れている。
午前中は二度寝。
昼はインスタント味噌汁だけ。
それでも何か“まともな食事”をしたかった。
その結果が、レトルトカレーだった。
湯を沸かす。
鍋は使わず、電子ケトルのお湯をボウルに張って、パウチを浮かべる。
タイマーなど使わない。
指先で触れてみて、「だいたい温まった」と感じたらそれでいい。
炊いてあった冷凍ご飯をチンする。
器に盛る。カレーをかける。
福神漬けなんて洒落たものはない。スプーンもプラスチック。
それでも、立ち上るにおいは、それなりに“食事”らしさを演出してくれる。
一口、口に運ぶ。
「……あれ?」
思わず眉が動いた。
意外にも、うまかった。
想像していたより、ずっとマイルドで、少しだけ甘い。
子どもの頃に食べた“あの味”が、舌の奥で再生された気がした。
母さんのカレーに、似ている。
ふいに、その記憶が甦った。
あの頃の食卓は、賑やかだった。
テレビの音。兄と口喧嘩。父の小言。母の笑い声。
土曜の昼、母は必ずカレーを作った。
じゃがいもは大きくて、煮込みすぎて崩れていた。
ルーの箱は、甘口と中辛を半々で使っていた。
ごはんはいつも多めだった。
「一真は、すぐにおかわりするから」
母は、そう言って笑っていた。
だが、それは遠い過去のこと。
実家は十年前に売却された。
父は五年前に病で他界。
母も、三年前に突然倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
通夜の夜、一真は一言も泣けなかった。
涙が出なかったわけではない。
その場にいる誰とも、何を共有していいのか分からなかった。
兄とも疎遠だった。
式が終わっても、一言二言だけ交わして、あとは連絡を取っていない。
写真も、形見も、何もない。
記憶だけが、彼の中で“味覚”となって残っていた。
もう一口、カレーを食べる。
食感はとろりとしていて、どこか優しい。
具材の原型はほぼないが、それすら懐かしさを感じさせた。
「……こういうのだったな」
そう呟いた瞬間、喉が詰まりかけた。
涙ではない。
けれど、なにかが胸を押しつぶすように広がっていく。
懐かしさと後悔と、取り戻せない距離の痛みが、腹の底からこみ上げてくる。
そのくせ、スプーンは止まらなかった。
まるで、何かを確かめるように。
あるいは、“今ここに存在している意味”を噛みしめるように。
食べ終えたあと、彼はレトルトの空袋を捨てずに洗った。
そして、机の引き出しの中にそっとしまった。
誰に見せるものでもない。
でも、今日の“心の栄養”として、保存しておきたかった。
その夜、彼は久しぶりに小説の中で“家族”を描いた。
『勇者は、旅に出る前に、母から手作りのカレーを渡されていた。
――これを食べるまでは、死んじゃダメよ。
そう言って、彼女は笑った。
その笑顔を思い出すたびに、戦場で倒れるわけにはいかなかった。』
第3803話、投稿完了。
数分後、画面の隅に通知が現れる。
♥1
runa0213。
彼の“たったひとりの読者”が、今日もそこにいた。
「母さん……俺、今日、ちゃんと食べたよ。
それと、ちょっとだけ、書けたよ」
誰にも届かない、祈るような呟き。
だが、その言葉がある限り、一真はまだここにいられる。
といっても、手間をかけて煮込んだわけではない。
ましてやスパイスから作った本格派でもない。
湯を沸かし、袋ごと温め、あとは白飯にかけるだけ。
レトルトカレー。
近所のドラッグストアで88円だったセール品。
そのパッケージには、「懐かしの、家庭の味」と印刷されている。
朝倉一真は、それを見た瞬間、無意識にカゴへ入れていた。
午後3時。
その日も、何も予定はなかった。
外は少し風が強く、雲が早く流れている。
午前中は二度寝。
昼はインスタント味噌汁だけ。
それでも何か“まともな食事”をしたかった。
その結果が、レトルトカレーだった。
湯を沸かす。
鍋は使わず、電子ケトルのお湯をボウルに張って、パウチを浮かべる。
タイマーなど使わない。
指先で触れてみて、「だいたい温まった」と感じたらそれでいい。
炊いてあった冷凍ご飯をチンする。
器に盛る。カレーをかける。
福神漬けなんて洒落たものはない。スプーンもプラスチック。
それでも、立ち上るにおいは、それなりに“食事”らしさを演出してくれる。
一口、口に運ぶ。
「……あれ?」
思わず眉が動いた。
意外にも、うまかった。
想像していたより、ずっとマイルドで、少しだけ甘い。
子どもの頃に食べた“あの味”が、舌の奥で再生された気がした。
母さんのカレーに、似ている。
ふいに、その記憶が甦った。
あの頃の食卓は、賑やかだった。
テレビの音。兄と口喧嘩。父の小言。母の笑い声。
土曜の昼、母は必ずカレーを作った。
じゃがいもは大きくて、煮込みすぎて崩れていた。
ルーの箱は、甘口と中辛を半々で使っていた。
ごはんはいつも多めだった。
「一真は、すぐにおかわりするから」
母は、そう言って笑っていた。
だが、それは遠い過去のこと。
実家は十年前に売却された。
父は五年前に病で他界。
母も、三年前に突然倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
通夜の夜、一真は一言も泣けなかった。
涙が出なかったわけではない。
その場にいる誰とも、何を共有していいのか分からなかった。
兄とも疎遠だった。
式が終わっても、一言二言だけ交わして、あとは連絡を取っていない。
写真も、形見も、何もない。
記憶だけが、彼の中で“味覚”となって残っていた。
もう一口、カレーを食べる。
食感はとろりとしていて、どこか優しい。
具材の原型はほぼないが、それすら懐かしさを感じさせた。
「……こういうのだったな」
そう呟いた瞬間、喉が詰まりかけた。
涙ではない。
けれど、なにかが胸を押しつぶすように広がっていく。
懐かしさと後悔と、取り戻せない距離の痛みが、腹の底からこみ上げてくる。
そのくせ、スプーンは止まらなかった。
まるで、何かを確かめるように。
あるいは、“今ここに存在している意味”を噛みしめるように。
食べ終えたあと、彼はレトルトの空袋を捨てずに洗った。
そして、机の引き出しの中にそっとしまった。
誰に見せるものでもない。
でも、今日の“心の栄養”として、保存しておきたかった。
その夜、彼は久しぶりに小説の中で“家族”を描いた。
『勇者は、旅に出る前に、母から手作りのカレーを渡されていた。
――これを食べるまでは、死んじゃダメよ。
そう言って、彼女は笑った。
その笑顔を思い出すたびに、戦場で倒れるわけにはいかなかった。』
第3803話、投稿完了。
数分後、画面の隅に通知が現れる。
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彼の“たったひとりの読者”が、今日もそこにいた。
「母さん……俺、今日、ちゃんと食べたよ。
それと、ちょっとだけ、書けたよ」
誰にも届かない、祈るような呟き。
だが、その言葉がある限り、一真はまだここにいられる。
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