誰にも読まれなかった五千話、それでも僕は君のために書き続けた

本能寺から始める常陸之介寛浩

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第18話 『アイコンのないアカウントに、返事を書いた夜』

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 それは、ある雨の夜だった。

 カーテンの隙間から薄ぼんやりとした外灯の光が差し込んでいて、
 部屋の中はテレビもつけず、ただノートPCの液晶だけが明るかった。
 ファンの低いうなりと、雨の音が混ざり合って、やけに静かだった。

 その日、俺はいつものように「Web小説投稿サイト」の自分の作品ページを開いていた。

 更新ボタンを押す癖は、もう何百日も前から抜けなかった。

 コメントは、ない。

 いいねも、ブクマも、なかった。

 ただ、一番下に──ひとつだけ、“新着メッセージ”の通知があった。

 それは、灰色の初期設定アイコンと、ひらがなだけの適当なID名。
 「aiueo_4629」──読みづらい、誰かの捨てアカウントのような名前。

 はじめまして。
 このお話、ずっと読んでます。
 最初のころに比べて、すごく文体が変わりましたね。
 でも、私は昔の話も、今の話も、どっちも好きです。

 そう書かれていた。

 淡々と、でもどこか、あたたかい文章だった。

 誰かに読まれてるって、ちゃんと伝わってますよ。
 あなたの話、すごく静かだけど、深いなって思います。
 たまに、泣きそうになります。

 それだけの短いメッセージだった。

 だけど、指が震えた。

 いつからか、読者と名乗る人からのメッセージは来なくなっていた。
 そもそも、最初から「読者」なんて、実在していたのかさえ分からない。

 PVは毎日ゼロに近く、コメント欄はいつも白紙。

 ランキングには、一度も載らなかった。

 投稿数が4000を越えても、変わることはなかった。

 だけど──
 この灰色のアイコンだけが、いま、ここに“存在”を残した。

 まるで、忘れられた漂流瓶が海を渡って届いたような、そんな感触だった。

 返事を書くのは、怖かった。

 もしかしたら、間違えて送られたものかもしれない。
 誰かと勘違いされているだけかもしれない。
 あるいは──ほんの気まぐれか、悪意のない善意か。

 それでも、何かを返さずにはいられなかった。

 だから俺は、メッセージウィンドウを開いた。

 こんばんは。
 メッセージ、ありがとうございました。
 この作品、読んでくださっていたんですね。
 正直、誰にも届いていないと思っていました。

 それでも、何年も書き続けていたのは、
 どこかで“誰か”に伝わるんじゃないかと、
 勝手に信じていたからです。

 今夜、その“誰か”に出会えた気がしました。

 本当にありがとうございます。
 返信が届くかどうかも分かりませんが、
 これだけは、ちゃんと伝えたかったです。

 書いていて、よかったです。

 指を止めて、しばらく画面を見つめた。

 何度か言葉を削っては書き直し、最終的に「送信」ボタンを押した。

 それだけのことなのに、胸が熱くて仕方なかった。

 その夜、眠れなかった。

 久しぶりに、夜中に窓を開けた。
 冷たい風が部屋の空気を撫でていく。

 何も変わっていないはずなのに、
 「伝わる」ということが、これほどまでに世界を変えるのかと思った。

 翌朝、目が覚めたときには、スマホの通知はなかった。

 ログインしなおしてみても、メッセージ欄に新着はなかった。

 たぶん、もう返事は来ないのだろう。

 アカウントも、すぐに消えてしまうのかもしれない。
 名前すらも、本物ではなかったのかもしれない。

 でも、それでもいい。

 あの夜、あのメッセージは、確かに届いた。
 誰かの“読んでます”が、この灰色の世界に、色を落とした。

 俺は今日も、小説を書く。

 たぶん、明日も。

 誰にも読まれないかもしれない。

 でも、
 たったひとつの“灰色のアイコン”が、俺の中の“やめない理由”になった。

 それだけで、今日という日は、少しだけ救われる。

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