誰にも読まれなかった五千話、それでも僕は君のために書き続けた

本能寺から始める常陸之介寛浩

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第21話 『コンビニの「温めますか?」が、やけに沁みた夜』

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 その日も、雨だった。

 夕方から降り出した雨は、夜になっても止む気配はなく、アパートの軒先を濡らす音だけが、静かに、そしてどこか規則的に続いていた。

 傘を差すのが面倒で、近くのコンビニまでの往復にフード付きの薄手の上着だけを羽織った。
 家を出るときには、ポケットにくしゃくしゃになった五百円玉と、クーポンの切れ端。
 それだけ持って、俺はゆっくりと歩き出した。

 別に、腹が減っていたわけでもない。
 冷蔵庫を開ければ、作りかけのパスタと、期限切れ寸前の卵くらいは残っていた。
 でも──今日はどうしても、あの明るい自動ドアと、均等な照明の下に行きたかった。

 コンビニに入ると、店員の女の子が「いらっしゃいませ」と言った。
 それはまるで、機械の音声のように、響かない声だった。

 けど、その“誰かの声”というだけで、少し安心した。

 最近では、誰かと目を合わせることがほとんどない。
 バイトもしていない、在宅の仕事も打ち切られた。
 出すのはWEB小説ばかりで、反応はゼロに近い。

 俺がこの街に“存在している”ということは、たぶん誰にも知られていない。

 けれどこのコンビニの自動ドアだけは、毎回、俺の存在を感知して開いてくれる。
 それが、妙に嬉しかった。

 何を買うかなんて、最初から決めていた。

 レンジで温めるタイプのハンバーグ弁当。
 298円の税込321円。
 味は少し甘くて、どこか懐かしい。
 多分“母親が作ってくれたご飯”の味の記憶に近いからかもしれない。

 おにぎりも、カップ麺も、今日はやめておいた。

 温かいものを、きちんと箸で食べる“食事”がしたかった。

 レジで並んでいると、前の客が若いカップルだった。

 お互いの傘を持ち合いながら、笑い合っていた。
 カゴにはお菓子とアイスと、ビール。
 休日の夜、これからどこかで飲むのか、それとも誰かの家に行くのか──

 そのどれでもない俺は、ただ黙って、順番を待った。

 レジの順番が回ってくる。
 ハンバーグ弁当をカゴに置いたとき、店員が訊ねてきた。

「温めますか?」

 ──その一言が、胸の奥に刺さった。

 たぶん、普段なら気にも留めない言葉だった。
 でも、今夜は違った。

 “温める”という言葉に、“誰かが手をかけてくれる”というイメージが重なって、
 一瞬、涙が出そうになった。

「……はい。お願いします」

 声が少し、かすれていたかもしれない。
 レジの奥で、電子レンジが機械的な音を立て始める。

 じんわりと温かくなる音と、数十秒間の沈黙。

 そして──“チン”という小さな音が、どこか日常の終わりを告げる鐘のように聞こえた。

 ビニール袋の中、湯気が立つハンバーグ弁当を手に、外へ出る。
 雨脚は少し強くなっていた。
 信号の赤が、水たまりに滲んで見えた。

 家までの道の途中で、ふと立ち止まった。

 なぜだろう。
 そのとき、なんとなくこのまま歩きたくなかった。

 だから、近くのバス停のベンチに座って、ビニール袋を膝に置いた。
 誰もいない、通らない夜の道。

 湯気が消えてしまう前に──と思って、袋を開けた。

 割り箸を割ったときの音が、やけに大きく響いた。
 きれいに割れた。
 それだけで、少し笑ってしまった。

 ハンバーグを一口、口に運ぶ。

 ──あったかい。

 体じゃない、心が温まる気がした。

 コンビニのレジで、「温めますか?」と訊ねてくれた彼女の声が、今も耳の奥で残っていた。

 まるでそれは、「あなたが生きていることに、気づいていますよ」と言われたような気がして。

 このまま、誰にも知られずに生きて、
 誰にも読まれずに死んでいくのかもしれない。

 だけど──
 誰かが作ってくれたものを食べることで、
 誰かに言葉を送ったことで、
 ほんの少しだけ、自分が“存在してる”と思えた。

 ハンバーグは、もう冷めかけていたけれど、
 その温もりだけは、胸の奥に残った。

 俺はふと思い立って、スマホを取り出した。
 noteの下書きに、短い文章を打ち始める。

「コンビニの“温めますか?”に、泣きそうになった夜でした」

 たぶん、これも読まれない。
 “スキ”も“コメント”もつかない。
 でも、出さずにはいられなかった。

 夜風が強く吹いて、雨粒がフードの隙間から入ってくる。

 それでも、俺はスマホをしまわずに、
 しばらく“誰かの目に触れるかもしれない言葉”を見つめていた。

 家へ戻る頃には、雨はほとんど止んでいた。

 夜空はまだ濡れていたけど、地面から立ち上る蒸気の中に、
 ほんの少しだけ、“明日”の匂いが混ざっていた。

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