誰にも読まれなかった五千話、それでも僕は君のために書き続けた

本能寺から始める常陸之介寛浩

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第23話 『返信のない日々に、そっと“ありがとう”を置いていく』

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夕方の空が、少しずつ橙色に滲み始める頃。
 部屋の中にいても、それは静かに壁やカーテンの色を変え、まるで誰かの感情がじわじわと染み出してくるみたいだった。

 スマホを手にしたまま、俺はソファにうずくまっていた。

 ずっと前に送ったメッセージのスレッドを、開いたまま。

 既読にもなっていない。
 もう、何年も。

 たぶん、ブロックされたんだと思う。
 もしくは、アカウント自体がもう使われていないのかもしれない。
 でも、俺はときどき思い出してしまう。
 その人とのやりとり。
 言葉の端にあった、ちょっとした優しさや、夜の勢いのような、あの熱。

 誰にとっても些細な、やりとり。
 でも俺にとっては、それが支えだった時期があった。

 「次の作品、楽しみにしてます」
 「この言い回し、すごく好きです」
 「あなたの書く登場人物、みんな生きてるみたいですね」

 その人は、いつもタイミングよく、そんな風に言葉をくれた。
 とくべつ褒めちぎるわけじゃない、けれど確かに俺の中の“何か”を見てくれているような──
 そんな感想だった。

 あの言葉が、どれほど自分を助けていたかを、俺は伝え損ねたまま、今日まで来てしまった。

 キーボードに手を置いてみる。
 文字は出てくる。でも、どこか足りない。

 “誰かに伝えたい”という気持ちはある。
 でもその“誰か”は、今ここにはいない。

 だから、言葉は空転する。

 ふと、noteのマイページを開く。
 過去に書いたエッセイや掌編が、スクロールの奥で眠っている。

 そのうちのひとつ──たった五人にしか読まれていない記事の末尾に、昔のその人がコメントを残していた。

 「この話、なんだか自分の過去を思い出しました。ありがとう」

 その「ありがとう」を見つけて、俺は息を飲んだ。

 ありがとうって──
 本当は俺が言いたかったのに。

 机の隅、ほこりの溜まったノートパソコンの隣に置かれた古いメモ帳。
 そこには、いつか返信しようとして書いた“返事”が走り書きで残っていた。

 こちらこそ、いつも読んでくれてありがとう。
 あなたの一言が、僕の夜をずっと照らしてくれていました。
 本当に、ありがとう。

 そう、書かれていた。

 “届かない”とわかっている言葉を、
 それでもどこかに“置いておく”ことは、
 もしかすると、俺たちのささやかな祈りなのかもしれない。

 返信のないスレッド。
 更新されないフォロー一覧。
 思い出だけが蓄積されたSNSの記憶領域。

 それでも、俺はそこに向かって、言葉をひとつ置いた。

 たったひとこと。

 **「ありがとう」**と。

 きっと、誰にも気づかれない。
 たぶん、検索にも引っかからないし、通知も届かない。
 それでもいいと、思った。

 伝わらないことと、伝えないことは違う。
 そして、言葉を投げることと、言葉を置くことも違う。

 自分の中に残っていた“届かなかった思い”を、
 ただそっと、言葉という形にして部屋の片隅に置く。
 それだけで、少しだけ、呼吸がしやすくなる気がした。

 夜。
 雨が降り出した。

 ベランダに出て、雨粒の跳ねる音を聞きながら、
 俺はスマホのメモ帳を開いた。

 誰に宛てたわけでもない言葉を、そこにまたひとつ綴る。

 いつかこの言葉が、誰かの孤独に寄り添えますように。
 そして、あなたに届かなくても、僕は言葉をやめません。
 ありがとう。
 お元気で。

 “さようなら”を言わずに、
 “またね”を諦めて、
 “ありがとう”だけを静かに繰り返す。

 それが、いまの俺にできる、たったひとつの祈りだった。
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