『ブラック企業辞めたら、黒ギャル女将の温泉宿に拾われました──しかも全員、人生拗らせた宿泊客しか来ない件』

本能寺から始める常陸之介寛浩

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【第1章】『“やさしさ”は湯けむりの中に──ギャル女将と人生ほぐれ組』

第2話『フラれ男と骨壷女将──ギャル流カウンセリング!?』

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 朝の縁側に、淡い湯気の匂いが漂っていた。

 山から差し込む光はやわらかく、どこか遠い世界の話のように、草の葉先に露を落としている。鳥の声が断続的に響き、どこかの民家から味噌汁の香りが風に乗って届く。

 俺は湯上がりの髪をまだ乾かしきれないまま、縁側に座っていた。

 まるで何もかもがゆっくり進む世界のなかで、自分の時間だけがまだ東京の速度を引きずっている気がした。

 

 ──ゆのさき荘。

 昨日、突発的に逃げ込んだこの宿で、俺の人生はほんのすこし方向を変えようとしている。そう思えた夜が明けた。

 そして──昨日と同じように。

「おっはよーございまーっす☆」

 ガラリ、と襖が開き、陽の光よりも眩しいテンションが部屋に流れ込んできた。

「ねぇねぇなおっち~、うちら今朝のご飯、あんこう雑炊にしたよ! 昨日の唐揚げの残りダシで!」

「そんなB級グルメみたいな言い方しないでください……」

「いやでもまじ、ヤバウマだから! あんこう、全身コラーゲンなんだから!」

 さくらはスリッパをパタパタ言わせながら、まるで友達の部屋に遊びに来たようなノリで部屋に入ってくる。

 ……だが、彼女の両手には、きちんとお盆が乗っていた。

 湯気の立つ土鍋に、わさび菜のおひたし、白菜の浅漬け。そして漬けにした鯖の焼き物。

「……これ、全部一人で?」

「うん。しかも火つけたまま寝ちゃって、途中焦がした」

「寝たのかよ!」

「寝ながら料理するタイプなのよ、あたし。夢の中で調味料振ってたし」

 

 目の前に置かれた朝食を一口。……じんわりと、味が沁みる。

 どこか懐かしい、けれど記憶にない味だった。たぶん“優しさ”っていうやつなのだろう。

 

 

◆ 

 

 食後、大広間ではゆっくりとした朝の支度が始まっていた。

 昨日もいた宿泊者、骨壷を抱えた老婦人──滝本しのぶさんは、窓辺の椅子に腰掛け、小さな湯呑みを両手で包んでいた。

 日差しの中で、骨壷の白磁がほんのりと光を返している。

 

「……あれがやっぱり、ご遺骨なんだよな」

 俺は思わずつぶやいた。どうしても視線がそこに引き寄せられてしまう。

 さくらが横から覗き込むようにして、「ビビってんの?」と笑った。

「いや……怖いとかじゃないんだけど……なんか、こう、どう接していいか分からないというか」

「だよね~。でも、うち、ペットの骨も受け入れてるから、まじそういうとこオープンなんで」

「骨壷フレンドリーとか、そういう言い方やめなさい」

「うちのポリシー、“誰にでも湯を”だからっ」

 

 不意に、しのぶさんがこちらに気づいて、微笑んだ。

「よかったら、隣、どう?」

「は、はい。お邪魔します……」

 

 彼女の隣に腰を下ろすと、骨壷が自然と視界に入る。けれど、不思議と怖さはなかった。

「私の息子なの。……去年の春に、こっちで倒れて」

「……そうでしたか」

「“ちょっとだけ海見てくる”って言って出かけたのよ。で、帰ってこなかった」

 

 しのぶさんの声は穏やかだった。けれど、言葉の奥に、時間をかけて滲んだような静かな痛みがあった。

「最後にね、“また明日電話するから”って、メッセージが届いてたの。……結局、それが最後だった」

「……」

「それで思ったのよ。“明日”って、来ないこともあるんだって」

 

 さくらは、湯呑みをふたつ持ってきて、そっと座った。

「じゃあ、なおっちとあたしで、“今”聞きますよ。……おばあちゃん、どこ行ってきたの?」

「え?」

「この一年で、“どんなとこ”行ったの? おじいちゃんと一緒に」

 

 しのぶさんは、少し考えてから、ゆっくりと口を開いた。

 

「京都。お花見。嵐山の桜の時期に行ったの。あと……北海道。富良野のラベンダー畑」

「めっちゃオシャやん!」

「箱根も行ったわよ。足湯カフェ、若い子ばっかりだったけど、骨壷だけ入れたの」

「そこだけホラー!」

 

 でも、笑いながら、三人の間には確かにあたたかいものが流れていた。

 

 俺はふと尋ねた。

「……その、お子さんのご遺骨は……ずっと旅を?」

「ううん。そろそろ、どこかに“置いて”いこうかと思って」

「えっ」

 

 しのぶさんは、優しく骨壷を撫でる。

「この子が好きだったのよ、温泉。毎年、こっそり有休とって、こういう鄙びたとこ探しては一人で来てたの。……私、それ、知らなかった」

「じゃあ、ここに──」

「うん。ここに、置いて帰ろうと思うの」

 

 さくらは、目をぱちくりとしたあと、にっと笑った。

「じゃあさ、明日から、この宿に“もう一人”女将増えるわけだ」

「えっ?」

「だって、そこの戸棚、空いてるし。お子さん、うちで“ゆる副業”してくってことで!」

「まさかの骨壷シェアステイ!?」

 

 しのぶさんは、しばらく笑いながら涙を流していた。

 

 

◆ 

 

 一方で、田村さん──フラれ男は、大広間の隅でスーツの襟を直していた。

 俺が声をかけると、彼は少しだけ顔を上げた。

「……いやー、昨日はすみませんでした。いろいろ、取り乱してたと思うんで」

「いえ。うち、“取り乱し歓迎”なんで」

「女将のキャッチコピー、それでいきましょうか」

 

 彼は苦笑しながら、ポケットから小さな箱を取り出した。昨日と同じ、婚約指輪の箱だ。

「……捨てようかとも思ったんですけどね。なんか、まだ決心がつかなくて」

「……大切だったんですね、その人」

「ええ。まあ、“人生計画”って言葉に憧れてたのかもしれません」

 

 静かに時間が流れる。

 やがて彼は、ぽつりと呟いた。

 

「でも、あの夕食……楽しかったんですよ。思ってたより、笑えて」

「うち、笑いも湯も提供してますから」

「まさか、ギャルと骨壷と失恋が一緒の空間にあるとは思いませんでしたけど」

 

 彼はふっと笑ったあと、しっかりと箱を鞄にしまった。

「……また来ても、いいですか?」

「もちろん。“失恋再発歓迎”です」

「いや、それは勘弁してください……」

 

 

◆ 

 

 チェックアウトの時間。

 しのぶさんは、骨壷を風呂敷で丁寧に包みながら、名残惜しそうに玄関の石段を見下ろしていた。

「ここに置かせてもらって……本当に、ありがとう」

「こちらこそっす! うち、口コミで“安心骨壷宿”って広がっちゃうかも!」

「口コミでその単語は流行らないです」

 

 田村さんは、スーツのジャケットを羽織りながら言った。

「来年……今度は誰かと、ちゃんと一緒に来ますよ。そういう予定を、自分で作るようにします」

「その時は、“再チャレンジ割”つけますから!」

「うちは本当にそういう宿になってるんですね……」

 

 二人の後ろ姿が遠ざかっていく。

 俺とさくらは、並んで玄関の横に立って、しばらく黙ってそれを見ていた。

 

 田村さんが、ふと後ろを振り返った。

 そして一言だけ、

「また来ます」

 

 その言葉に、俺は思わず小さく頷いていた。

 

 

◆ 

 

 夕暮れの縁側で、さくらがボードに書いていた。

 「人生こじらせ歓迎! 湯と笑いと涙の宿へ」

「うちら、ほんと、何屋なんだろうな」

「“人間やり直し所”とか?」

「わー、それ、キャッチー!」

 

 笑いながら、縁側に座って麦茶をすする。

 東京の喧騒から離れたこの場所に、確かに人が流れ着いて、そして帰っていく。

 少しだけ、元気になって。

 

 この宿には、温泉よりも温かい何かがある。

 そう、思えてならなかった。

 

(つづく)
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