『ブラック企業辞めたら、黒ギャル女将の温泉宿に拾われました──しかも全員、人生拗らせた宿泊客しか来ない件』

本能寺から始める常陸之介寛浩

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【第1章】『“やさしさ”は湯けむりの中に──ギャル女将と人生ほぐれ組』

第1話『ようこそ、迷子の大人たち──“黒ギャル女将”は今日も全力』

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 朝の山は静かだ。

 鳥の声、風にゆれる葉の音、どこからか聞こえる川のせせらぎ。東京ではまず聞くことのない、自然という名のBGMが、宿のまわりに満ちていた。

 俺は縁側で缶コーヒーを開ける。カシュッという音が妙に大きく響いた。

「おっはよーっ☆ まじ早起きじゃん、なおっち!」

 襖をガラリと開けて、今日も全力のテンションでさくらが顔を出した。パーカーにショートパンツ、スリッパのまま庭を走ってくる。

 この宿のギャル女将には“静か”という概念がない。

「おはようございます……なんか、空気がうまいですね」

「ねーっ! うちの裏山の木、まじでオーガニックだから! 呼吸しながら森林浴しながら生き返るってやつ?」

「なんか言葉が重なりすぎて逆に疲れる」

「ウケるー! でもそれがうちの売りなんで!」

 

 ふと、玄関の外に人影が見えた。

 白い髪、よれた上着、そして胸元に大事そうに抱えられた小さな骨壷。

 さくらが「お」とつぶやく。

「あの人、リピーターっすよ。……骨壷ごと」

 

 ◆ 

 

「宮下さん、今日のお客様二名ですっ☆」

 朝食後、半ば強制的に帳場に立たされた俺に、さくらがにこにこと紹介してくる。

「まずは、こっちのおばあちゃん──お名前は?」

「滝本しのぶ、と申します」

 落ち着いた口調でそう言った老婦人の腕には、小さな骨壷が抱えられていた。ずっと持ち歩いてるらしい。

「うちのじいさんですの。……死んでからの方が、旅好きになりまして」

 冗談かと思ったが、目が本気だった。というか、ちょっと潤んでいた。

 

「んで、もう一人は、えーっと、……あんた名前なんだっけ?」

「……田村です」

 うつむき加減で答えたのは、30代半ばくらいのサラリーマン風。ネクタイが少し曲がっている。

「プロポーズ、失敗したんです」

 その言葉に、俺とさくらは一瞬目を合わせた。

「え、まじ? 何があったの?」

「箱根で指輪を渡す予定だったんですけど……その前に“将来が見えない”って言われまして」

「うわぁ……ガチ失恋……」

 さくらが目を細めて首をすくめる。本人の目の前で容赦がない。

 

 宿の帳場は一瞬沈黙に包まれたが、次の瞬間、

「じゃ、ご案内しまーす! 温泉入ってデトックス☆」

 テンションだけで空気を変えるこの女将、やはり只者ではない。

 

 ◆ 

 

 夕食は大広間で。俺は今日から“バイト”という名目で配膳を手伝うことになっていた。

 テーブルには、筑前煮、だし巻き卵、ひじき煮、あんこうの唐揚げ──地味だけどあたたかい料理が並んでいる。

「ほい、骨壷席にどうぞ~♪」

「骨壷席って言わないでください……」

 さくらはあくまで陽気に、でも老婦人の歩調にきちんと合わせて案内する。そこに不思議なやさしさがあった。

 

 料理が運ばれ、一口、二口、静かに時間が流れていく。誰も喋らないのが気まずくなったのか、さくらが唐突に言った。

 

「ねぇ田村さん。失恋したときって、まじ何食べたくなる?」

「……え、あの、急に……」

「うちはね~、コンビニのたこ焼き! 泣きながらチンして食べたら、もう涙もソースもぐちゃぐちゃで!」

「……ははっ」

 田村の顔に初めて笑みが浮かんだ。

 

 しのぶさんも、ふと口を開く。

「私ね、夫が死んだとき、家に帰りたくなかったのよ」

「えっ」

「もうね、家のどこを見ても、全部“この人がいた場所”なのよ。ソファも、茶碗も、バスマットも」

「まじで、それキツくないすか?」

「だから、抱えて出たのよ、骨。そしたら……あら、意外と軽くて」

 俺は茶碗を置いた。

 

 静かに、でも確かに。

 今夜のこの場が、じんわりとひとつにまとまっていく感覚があった。

 

 

 ◆ 

 

 食事が終わり、布団を敷いたあと、さくらが縁側に座って俺に言った。

「なんかねー、やっぱ思うの。人生って“こじらせたもん勝ち”だなって」

「勝ち……ですか?」

「そう。“こじらせてる”ってことは、まだ諦めてないってことでしょ? なんか、グズグズしてるけど、心が動いてんじゃん」

 彼女はそう言って、空を見上げた。

 北茨城の夜空は、星がよく見えた。

「うちの宿、まじ変なとこばっかだけど……でも、変だからこそ、迷子が休めるんだよね。人って、変なとこに安心するじゃん?」

「……そんなもんですかね」

「そんなもんだってばー。ほら、なおっち、顔またマシになってる」

「また“ちょっとマシ”って……」

「明日は“イケてる”って言ってあげる!」

 そんな無茶な──と思いながら、俺は笑っていた。

 

 

 ◆ 

 

 翌朝、しのぶさんが言った。

「私ね、また来ると思うの。来年も、その次も、あの人と一緒に」

「うち、骨壷割引あるんで!」

「それは冗談じゃないでしょうね?」

 

 田村さんは、チェックアウトのときこう言った。

「……この宿、ふざけてるようで、ちゃんとしてますよね」

「ふざけてるからちゃんとできるんだよー。な、なおっち?」

「俺に振るな」

 

 二人の背を見送ったあと、さくらがぽつりと言った。

「……なんか、うちってやっぱ、いい宿じゃね?」

 俺は、思わず口元をゆるめた。

「……あれ、この宿……なんか、いいかも」

 

 それが、迷子たちの、小さな再出発だった。

 

(つづく)
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