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《桜下の政変と、恋する小姓たち──“前田家くノ一戦線”始動!》編
第139話『名とは、誰のものか──“白露と志乃、香談の夜”』
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京の空に、薄く霞がかかる夜。
前田家の屋敷にある香室──その静けさは、まるで時を留めたかのようだった。
「……“香談”の準備が整いました」
香棚の前に跪いた志乃は、手元の香木をそっと香炉にくべた。
目の前に座る白露は、依然として無言のまま。その身からほのかに漂う“桜と血の香”──それは誰の心にも、安寧を許さない。
「香談とは……言葉なき対話」
志乃の声は、微かに震えていた。
「あなたの“名”を知るには、この香りと……向き合わねばなりません」
白露は黙ってうなずき、手元の香を焚いた。
漂ってきたのは、清らかな梅の香に、わずかに混じる沈香。だが、その奥に潜むものは──激情。
「この香は……忠義、ですか」
志乃が問うと、白露は小さく頷いた。
「私の香は……将軍家より預かった“命”の香」
「利家様を守り、支え、その未来を照らす。それが……私の“名”の意味です」
志乃は静かに目を伏せた。
香炉の香を一息吸い、その背筋をぴんと伸ばす。
「……あなたの香は、美しい」
「けれど、それが全てであってほしくはない」
次に志乃が焚いたのは、蘭と白檀を重ねた香だった。
優しく、それでいて芯の強さを秘めたその香りに、白露の瞳が揺れた。
「その香は……」
「……恋です」
志乃は言った。
「胸に秘める想い。けれど誰にも告げられない。なぜなら、私の“名”は、利家様を支える“従者”だから」
白露が口を開く。
「それでは、あなたも……彼を?」
志乃は、わずかに微笑み──首を縦に振った。
「はい。私は……好きなのです」
「彼の、不器用で真っ直ぐで、優しさを抱えきれぬほどの強さを」
しばし、香だけが室内を満たす。
二人の吐息さえ、まるで香に飲まれてしまいそうなほど、張り詰めた空気。
「では……」白露が言った。
「私が彼を想う香は、志乃殿にとっては……毒、ですか?」
志乃は一瞬、言葉を失った。
香を嗅ぎ、思い出し、そして胸の奥を見つめる。
「……毒でしょうとも」
「だって、私も……同じ香を、胸に隠しているから」
白露は目を見開き、そして初めて、小さく笑った。
それはまるで春の終わりに舞う白露のように──儚く、清らかだった。
「では、これは戦(いくさ)ですね」
「香で、名で、心で……彼を巡る戦」
「ええ、覚悟はしています」
「でも、私はあなたを嫌いたくない。あなたの香は、まっすぐで、優しかったから」
白露は立ち上がり、香室を後にしようとする。
「あなたも、どうかご無事で」
「……そちらこそ、利家様を支えるなら、風邪など召しませぬよう」
ふたりの少女。
香りを媒介に、言葉にならぬ想いを交わしながら。
夜の帳に包まれていく。
そして──
「名とは、継ぐものでも、逃げるものでもない。“残す”ものよ」
松の言葉が、どこか遠くから、静かに響いた気がした。
その夜、前田家の香炉は、いつまでも消えることなく燃え続けていた。
前田家の屋敷にある香室──その静けさは、まるで時を留めたかのようだった。
「……“香談”の準備が整いました」
香棚の前に跪いた志乃は、手元の香木をそっと香炉にくべた。
目の前に座る白露は、依然として無言のまま。その身からほのかに漂う“桜と血の香”──それは誰の心にも、安寧を許さない。
「香談とは……言葉なき対話」
志乃の声は、微かに震えていた。
「あなたの“名”を知るには、この香りと……向き合わねばなりません」
白露は黙ってうなずき、手元の香を焚いた。
漂ってきたのは、清らかな梅の香に、わずかに混じる沈香。だが、その奥に潜むものは──激情。
「この香は……忠義、ですか」
志乃が問うと、白露は小さく頷いた。
「私の香は……将軍家より預かった“命”の香」
「利家様を守り、支え、その未来を照らす。それが……私の“名”の意味です」
志乃は静かに目を伏せた。
香炉の香を一息吸い、その背筋をぴんと伸ばす。
「……あなたの香は、美しい」
「けれど、それが全てであってほしくはない」
次に志乃が焚いたのは、蘭と白檀を重ねた香だった。
優しく、それでいて芯の強さを秘めたその香りに、白露の瞳が揺れた。
「その香は……」
「……恋です」
志乃は言った。
「胸に秘める想い。けれど誰にも告げられない。なぜなら、私の“名”は、利家様を支える“従者”だから」
白露が口を開く。
「それでは、あなたも……彼を?」
志乃は、わずかに微笑み──首を縦に振った。
「はい。私は……好きなのです」
「彼の、不器用で真っ直ぐで、優しさを抱えきれぬほどの強さを」
しばし、香だけが室内を満たす。
二人の吐息さえ、まるで香に飲まれてしまいそうなほど、張り詰めた空気。
「では……」白露が言った。
「私が彼を想う香は、志乃殿にとっては……毒、ですか?」
志乃は一瞬、言葉を失った。
香を嗅ぎ、思い出し、そして胸の奥を見つめる。
「……毒でしょうとも」
「だって、私も……同じ香を、胸に隠しているから」
白露は目を見開き、そして初めて、小さく笑った。
それはまるで春の終わりに舞う白露のように──儚く、清らかだった。
「では、これは戦(いくさ)ですね」
「香で、名で、心で……彼を巡る戦」
「ええ、覚悟はしています」
「でも、私はあなたを嫌いたくない。あなたの香は、まっすぐで、優しかったから」
白露は立ち上がり、香室を後にしようとする。
「あなたも、どうかご無事で」
「……そちらこそ、利家様を支えるなら、風邪など召しませぬよう」
ふたりの少女。
香りを媒介に、言葉にならぬ想いを交わしながら。
夜の帳に包まれていく。
そして──
「名とは、継ぐものでも、逃げるものでもない。“残す”ものよ」
松の言葉が、どこか遠くから、静かに響いた気がした。
その夜、前田家の香炉は、いつまでも消えることなく燃え続けていた。
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