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第十八章『『竜ノ眼、都に向く──東奥より風は変わる』
第百七十五話『彼岸の灯──白骨街道を越えて』
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春、雪解けの風が白河の山々を吹き抜け、奥州の大地に微かな柔らかさをもたらし始めたころ。
伊達政宗は、敗走した反伊達方の残党を追うべく、わずかな精鋭を率いて北東へ進軍していた。目指すは“白骨街道”──白河以北に点在する敗残兵たちの拠点とされた山路である。
峠を越えた先、静まり返った村の外れに、それはあった。
──処刑場。
折れかけた木杭に、縄がいくつも絡まり、晒し首が吊るされている。だが、肉は既に削がれ、骨と髪が風に舞っている。
政宗は、口元を覆いながら近づいた。
その首の下に、粗末な板切れが打ち付けられていた。
【佐藤兵助】──と、薄墨で書かれていた。
「……名だけが、残るのか」
政宗はそう呟いた。
その名札には、もはや語る者も、語られる者もない。ただ、風に叩かれて、がたがたと鳴るだけ。
「名を刻まれても、声なき死は……墓にも劣る」
政宗は、右手の柄に指を添えながら、晒された白骨たちの列に視線を這わせていった。
【新兵衛】、【三郎】、【名不詳】──。
誰かの家族。誰かの友。誰かの父。そして、誰かの“敵”。
戦に敗れ、名だけを杭に残された者たち。
政宗の脳裏に、ある幻影が浮かんだ。
──十四のころ、初陣で倒した相手の目だ。
「なぜ、俺はあの目を忘れられぬのか……」
夜、黒川城に戻った政宗は、燈明の下で硯を前に座していた。
しかし筆は進まなかった。墨の香だけが鼻腔に染み、胸に澱のようなものが沈殿していく。
静まり返った室内、ろうそくの灯が揺らめく中──
突如、襖が開く音がした。
……誰も、いない。
だが、確かに、そこに「気配」があった。
「政宗……様……」
呻くような声。
背筋にぞくりと冷気が走った。襖の外に、影が浮かぶ。
それは、鎧のままの兵。手には破れた槍。首元からは血の滲んだ布が垂れている。
「……我らに、“名”を……」
その声と共に、政宗の視界が白く染まった。
──夢だった。
だが、夢の中で、政宗は“彼ら”に囲まれていた。
戦場で命を落とした、名もなき兵たち。
伊達の兵も、敵兵も、区別はなかった。
老兵、若武者、農民あがり、女の兵士、僧形の男までも。
「俺たちは、名を持たずに死んだ」
「戦のたびに消えるだけ。名札さえ、風に舞う」
「名を語れる者は、生き残った者だけだ」
そして最後に、誰かが問うた。
「お前の“名”は、誰を救った?」
政宗は立ち尽くしていた。
喉が乾く。何も言えない。
──名を継いだ。家を継いだ。勝った。だが、それが誰を救ったのか、即答できなかった。
「名とは、なんだ?」
政宗が呟くと、目の前の“亡霊たち”は微かに笑った。
「名とは、“残された者”のためのもの」
「我らはもう、“誰か”ではない。だからこそ、お前に預ける──この無名の灯を」
そこで目が覚めた。
冷汗が襦袢を濡らし、政宗はゆっくりと起き上がる。
ふと、机の上に置かれていた紙が目に入った。
そこには、彼が先日書きかけていた書状の一節があった。
《伊達は、ただ強くあるのみならず、民の祈りに応える家であれ──》
その言葉に、ふっと息を吐いた。
「……ならば、俺は“名を語れる者”になろう」
朝、政宗は命じた。
「白骨街道の死者に、名がある者は記録せよ。名のない者にも、石を積め」
「墓か?」
家臣が問うと、政宗は静かに首を振った。
「いや──彼岸の灯だ。生者が見つけて、心に火を灯せるように」
その日から、“白骨街道”の一隅には、小さな石塚と、名札のかけらを納めた祠が置かれた。
旅人はそれを見て手を合わせ、名を知らぬ者のために短い祈りを捧げた。
伊達政宗という男の“名”が、その地に遺したのは──剣ではなく、記憶だった。
名とは、語られることで続く。
名とは、忘れられることで、終わる。
彼岸の灯は、名を持たぬ者たちのために。
政宗の歩みは、名を“継ぐ”戦から、名を“刻む”戦へと、ゆっくりと変わり始めていた──。
伊達政宗は、敗走した反伊達方の残党を追うべく、わずかな精鋭を率いて北東へ進軍していた。目指すは“白骨街道”──白河以北に点在する敗残兵たちの拠点とされた山路である。
峠を越えた先、静まり返った村の外れに、それはあった。
──処刑場。
折れかけた木杭に、縄がいくつも絡まり、晒し首が吊るされている。だが、肉は既に削がれ、骨と髪が風に舞っている。
政宗は、口元を覆いながら近づいた。
その首の下に、粗末な板切れが打ち付けられていた。
【佐藤兵助】──と、薄墨で書かれていた。
「……名だけが、残るのか」
政宗はそう呟いた。
その名札には、もはや語る者も、語られる者もない。ただ、風に叩かれて、がたがたと鳴るだけ。
「名を刻まれても、声なき死は……墓にも劣る」
政宗は、右手の柄に指を添えながら、晒された白骨たちの列に視線を這わせていった。
【新兵衛】、【三郎】、【名不詳】──。
誰かの家族。誰かの友。誰かの父。そして、誰かの“敵”。
戦に敗れ、名だけを杭に残された者たち。
政宗の脳裏に、ある幻影が浮かんだ。
──十四のころ、初陣で倒した相手の目だ。
「なぜ、俺はあの目を忘れられぬのか……」
夜、黒川城に戻った政宗は、燈明の下で硯を前に座していた。
しかし筆は進まなかった。墨の香だけが鼻腔に染み、胸に澱のようなものが沈殿していく。
静まり返った室内、ろうそくの灯が揺らめく中──
突如、襖が開く音がした。
……誰も、いない。
だが、確かに、そこに「気配」があった。
「政宗……様……」
呻くような声。
背筋にぞくりと冷気が走った。襖の外に、影が浮かぶ。
それは、鎧のままの兵。手には破れた槍。首元からは血の滲んだ布が垂れている。
「……我らに、“名”を……」
その声と共に、政宗の視界が白く染まった。
──夢だった。
だが、夢の中で、政宗は“彼ら”に囲まれていた。
戦場で命を落とした、名もなき兵たち。
伊達の兵も、敵兵も、区別はなかった。
老兵、若武者、農民あがり、女の兵士、僧形の男までも。
「俺たちは、名を持たずに死んだ」
「戦のたびに消えるだけ。名札さえ、風に舞う」
「名を語れる者は、生き残った者だけだ」
そして最後に、誰かが問うた。
「お前の“名”は、誰を救った?」
政宗は立ち尽くしていた。
喉が乾く。何も言えない。
──名を継いだ。家を継いだ。勝った。だが、それが誰を救ったのか、即答できなかった。
「名とは、なんだ?」
政宗が呟くと、目の前の“亡霊たち”は微かに笑った。
「名とは、“残された者”のためのもの」
「我らはもう、“誰か”ではない。だからこそ、お前に預ける──この無名の灯を」
そこで目が覚めた。
冷汗が襦袢を濡らし、政宗はゆっくりと起き上がる。
ふと、机の上に置かれていた紙が目に入った。
そこには、彼が先日書きかけていた書状の一節があった。
《伊達は、ただ強くあるのみならず、民の祈りに応える家であれ──》
その言葉に、ふっと息を吐いた。
「……ならば、俺は“名を語れる者”になろう」
朝、政宗は命じた。
「白骨街道の死者に、名がある者は記録せよ。名のない者にも、石を積め」
「墓か?」
家臣が問うと、政宗は静かに首を振った。
「いや──彼岸の灯だ。生者が見つけて、心に火を灯せるように」
その日から、“白骨街道”の一隅には、小さな石塚と、名札のかけらを納めた祠が置かれた。
旅人はそれを見て手を合わせ、名を知らぬ者のために短い祈りを捧げた。
伊達政宗という男の“名”が、その地に遺したのは──剣ではなく、記憶だった。
名とは、語られることで続く。
名とは、忘れられることで、終わる。
彼岸の灯は、名を持たぬ者たちのために。
政宗の歩みは、名を“継ぐ”戦から、名を“刻む”戦へと、ゆっくりと変わり始めていた──。
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