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『出張は戦場!ラブもトイレも逃さない』
第194話『出張も青春も、まだ終わらない』
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帰りのバスは、静かだった。
長かった合同出張の研修も終わり、宿を後にした一行は、あの忌まわしき“トイレ地獄”のホテルともさようならを告げ、帰路についた。行きとは違い、全員が妙な達成感と脱力感に包まれている。
ハルカは、バスの最後尾、右側の窓際に座っていた。カーテンの隙間から射す初夏の朝日は、どこか名残惜しいような、旅の終わりを知らせる柔らかな色をしている。
隣には、ケントがいた。
スーツの上着は脱ぎ、腕を組んで浅く寝息を立てている。真面目で融通がきかないと思っていたこの男が、こんなに無防備に眠る顔を見せるなんて。ハルカはちら、と横目で見た。
まつげ、長いな。
思わずそう呟きたくなるほど、きれいな横顔だった。いつも資料の数字ばかりを見つめているその瞳も、今は穏やかに閉じられていて、どこか幼さすら感じさせる。
「……ほんと、ちょっとずるいよ」
ぽつりとハルカはつぶやいた。
この出張中、何度も心が揺れた。ナナの視線、ミキの過去、サバナの天然発言、エミリの意味不明グッズ、そして……ケントの、何気ない優しさ。
研修の会議中、隣の席で何度もさりげなくペットボトルのキャップを開けて渡してくれたり、ナナが立ち往生したときに誰よりも先にトイレ列に並び直してくれたり。無意識にやってるんだろうなって思えば思うほど、それがこたえた。
──もう、好きにならない方が、楽だったのに。
でも、結局。
「もうちょっとだけ、好きでいてもいいかな……」
そう心の中で呟いた瞬間、バスのスピーカーが軽快なチャイム音とともに鳴り響いた。
『まもなく、トイレ休憩でパーキングに寄ります。車内での飲料摂取量にご注意ください』
その一言に、ぐったりしていた女子陣がざわめいた。
「やっとだぁあああああ!!」
最前列あたりからナナの叫びが聞こえる。その隣でエミリが「あと3分……3分耐えれば……」と唇をかみしめているのも見えた。
「お前ら……最後まで変わらねぇな……」
ミキがボソッと呟く。彼女も両手で自分の膝をぎゅっと押さえながら、腰を浮かせるように座っている。トイレが近い話題になるたび、女子たちの顔つきが戦場のようになるのが、本当に面白い。ハルカは笑いをこらえた。
けれど、次の瞬間。
「トイレは、マジで間に合ってほしい!!」
叫びは、ハルカの心の奥からだった。
さっき飲んだスポーツドリンクと、昨夜の温泉での水分補給と、寝起きのコーヒーが合わさって、いまハルカの膀胱は完全に臨界点に達しつつあった。
でも隣には、まだ眠っているケントがいる。
起こすの、もったいない。
ただの移動時間だけど、こんなに近くで彼の寝顔を見ていられる時間なんて、たぶん今後もうない気がする。
「……あんたって、ほんと無神経で、天然で、でも……優しいよね」
誰に聞かせるでもなく、ハルカは呟いた。
ふと、彼の肩に頭を預けてしまいそうになる衝動に駆られる。でもそのとき──
「ん……?」
ケントが、微かに動いた。
やば、とハルカが顔を離す。だけど、ケントはまだ眠っているようだった。ただ、うっすらと目元が動いたような気がして、ハルカの心臓が跳ねた。
(……今の、聞こえてないよね?)
焦るような、でもちょっとだけ期待するような、そんな複雑な気持ち。
まもなくバスはパーキングエリアへ到着する。車内は、前後左右から「早くドア開けて!」「一番で降りるから!」「待って、それは私のバッグ!」という叫びが飛び交っている。
だけどハルカの中では、それすらも心地よかった。
この騒がしい日々、この尿意との闘い、このどうしようもない恋──すべてひっくるめて。
「青春って、やっぱりトイレみたいなもんだよね……」
いつもギリギリで、必死になって、でもそれでも前に進まなきゃいけなくて。
ハルカは、ケントの横顔をもう一度見た。
ほんの少しだけ、口角が上がっている気がする。
(……やっぱり、寝てなかったでしょ。聞いてたんでしょ)
でも、それもいいや。
ハルカはそっと立ち上がり、女子たちの行列の最後尾に並んだ。
出張も、青春も、まだ終わらない──そんな気がした。
長かった合同出張の研修も終わり、宿を後にした一行は、あの忌まわしき“トイレ地獄”のホテルともさようならを告げ、帰路についた。行きとは違い、全員が妙な達成感と脱力感に包まれている。
ハルカは、バスの最後尾、右側の窓際に座っていた。カーテンの隙間から射す初夏の朝日は、どこか名残惜しいような、旅の終わりを知らせる柔らかな色をしている。
隣には、ケントがいた。
スーツの上着は脱ぎ、腕を組んで浅く寝息を立てている。真面目で融通がきかないと思っていたこの男が、こんなに無防備に眠る顔を見せるなんて。ハルカはちら、と横目で見た。
まつげ、長いな。
思わずそう呟きたくなるほど、きれいな横顔だった。いつも資料の数字ばかりを見つめているその瞳も、今は穏やかに閉じられていて、どこか幼さすら感じさせる。
「……ほんと、ちょっとずるいよ」
ぽつりとハルカはつぶやいた。
この出張中、何度も心が揺れた。ナナの視線、ミキの過去、サバナの天然発言、エミリの意味不明グッズ、そして……ケントの、何気ない優しさ。
研修の会議中、隣の席で何度もさりげなくペットボトルのキャップを開けて渡してくれたり、ナナが立ち往生したときに誰よりも先にトイレ列に並び直してくれたり。無意識にやってるんだろうなって思えば思うほど、それがこたえた。
──もう、好きにならない方が、楽だったのに。
でも、結局。
「もうちょっとだけ、好きでいてもいいかな……」
そう心の中で呟いた瞬間、バスのスピーカーが軽快なチャイム音とともに鳴り響いた。
『まもなく、トイレ休憩でパーキングに寄ります。車内での飲料摂取量にご注意ください』
その一言に、ぐったりしていた女子陣がざわめいた。
「やっとだぁあああああ!!」
最前列あたりからナナの叫びが聞こえる。その隣でエミリが「あと3分……3分耐えれば……」と唇をかみしめているのも見えた。
「お前ら……最後まで変わらねぇな……」
ミキがボソッと呟く。彼女も両手で自分の膝をぎゅっと押さえながら、腰を浮かせるように座っている。トイレが近い話題になるたび、女子たちの顔つきが戦場のようになるのが、本当に面白い。ハルカは笑いをこらえた。
けれど、次の瞬間。
「トイレは、マジで間に合ってほしい!!」
叫びは、ハルカの心の奥からだった。
さっき飲んだスポーツドリンクと、昨夜の温泉での水分補給と、寝起きのコーヒーが合わさって、いまハルカの膀胱は完全に臨界点に達しつつあった。
でも隣には、まだ眠っているケントがいる。
起こすの、もったいない。
ただの移動時間だけど、こんなに近くで彼の寝顔を見ていられる時間なんて、たぶん今後もうない気がする。
「……あんたって、ほんと無神経で、天然で、でも……優しいよね」
誰に聞かせるでもなく、ハルカは呟いた。
ふと、彼の肩に頭を預けてしまいそうになる衝動に駆られる。でもそのとき──
「ん……?」
ケントが、微かに動いた。
やば、とハルカが顔を離す。だけど、ケントはまだ眠っているようだった。ただ、うっすらと目元が動いたような気がして、ハルカの心臓が跳ねた。
(……今の、聞こえてないよね?)
焦るような、でもちょっとだけ期待するような、そんな複雑な気持ち。
まもなくバスはパーキングエリアへ到着する。車内は、前後左右から「早くドア開けて!」「一番で降りるから!」「待って、それは私のバッグ!」という叫びが飛び交っている。
だけどハルカの中では、それすらも心地よかった。
この騒がしい日々、この尿意との闘い、このどうしようもない恋──すべてひっくるめて。
「青春って、やっぱりトイレみたいなもんだよね……」
いつもギリギリで、必死になって、でもそれでも前に進まなきゃいけなくて。
ハルカは、ケントの横顔をもう一度見た。
ほんの少しだけ、口角が上がっている気がする。
(……やっぱり、寝てなかったでしょ。聞いてたんでしょ)
でも、それもいいや。
ハルカはそっと立ち上がり、女子たちの行列の最後尾に並んだ。
出張も、青春も、まだ終わらない──そんな気がした。
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