織田信長の姪ーprincess cha-chaー悪役令嬢?炎の呪縛と復讐の姫 

本能寺から始める常陸之介寛浩

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①⑦話 万福丸の影

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 冷たい風が廊下を抜け、障子の隙間から忍び込む音が耳に届いた。



 私は畳の上で膝を抱え、じっと息を潜めていた。



 部屋の中は静かで、時折聞こえるのは侍女たちの遠くの笑い声と、母上様の御側に仕える者たちの足音だけだ。



 私の心は、しかし、静かではなかった。



 藤掛永勝が何の話をしに来たのか、それが気になって仕方がない。



 部屋の隅で、侍女のさつきが鋭い目で私を見張っている。



 彼女の視線はまるで鷹のようだ。



 細い眉が少し吊り上がり、口元には笑み一つない。



 さつきは母上様の信頼が厚く、私たち姉妹を厳しく監督する役目を負っている。



 彼女の前では一歩も動けない。



 私は唇を噛み、畳の目を指でなぞりながら、どうにかしてこの部屋を抜け出す方法を考えていた。



 他の侍女たちは今、母上様の御側に仕える者と、昼食を取るために休憩中の者に分かれている。



 母上様の御側にいる者たちは、おそらく藤掛永勝の話を聞いているのだろう。



 広間で交わされるその会話が、私の胸を締め付ける。



 何か大事なことが起きている。



 それを知らずにここに閉じ込められていることが、耐え難いほど苛立たしかった。



 さつきの目を盗む方法はないか。



 私はそっと周りを見回した。



 部屋の中には私の妹たち、お江とお初がいる。



 お江はまだ幼く、昼寝の時間になると決まって泣き出す。



 お初は少し年上で、眠りを邪魔されると不機嫌になってぐずる。



 ふと、ある考えが頭をよぎった。



 もし二人が同時に泣き出せば、さつきは二人をあやすのに手一杯になるのではないか。





 その時、まるで私の企みに応えるかのように、お江が小さな口を開けて泣き始めた。



 最初は小さな嗚咽だったが、次第に大きな声に変わる。



 彼女の泣き声が部屋に響き渡ると、案の定、お初が目を覚ました。



 お初は布団の中で身をよじり、不満そうな顔で「うぅ」と唸り、やがて彼女も泣き出した。



 二人の泣き声が重なり合い、まるで不協和音のように部屋を満たした。



 さつきが慌てて立ち上がる。



「お江様、お初様、どうなさいました?」



 彼女の声には苛立ちが滲んでいる。



 さつきは二人に駆け寄り、お江を抱き上げ、お初の背中を擦った。



 その瞬間、彼女の視線が私から離れた。



 私は息を止め、そっと立ち上がる。



 畳が微かに軋む音を立てたが、二人の泣き声にかき消された。



 心臓が激しく鼓動し、喉がカラカラに乾く。



 私は素早く障子を開け、部屋を抜け出した。



 廊下に出ると、空気が一変した。



 部屋の中の重苦しさから解放され、冷たい風が頬を撫でる。



 広間へ向かう道は長く、薄暗い。



 松の木の影が壁に映り、まるで何かが私を追いかけてくるかのようだった。



 私は足音を殺し、忍び足で進んだ。



 すると、広間から漏れ聞こえる声が耳に飛び込んできた。



 藤掛永勝の低く落ち着いた声。そして、母上様の声だ。



「万福丸が生きているというのですか?」



 母上様の声には、驚きと疑念が混じっていた。



 私は息を呑み、壁に身を寄せて耳を澄ました。



「はい。浅井家家臣・木村喜内之介なる者が越前で匿っているとのことにございます。上様は近い親類のことで心配だと仰せで、お市様に木村喜内之介宛てに万福丸を渡すよう説得する書状を出すようにと」



 藤掛永勝の言葉は、まるで石を水面に投げ込んだかのように私の心に波紋を広げた。



「・・・・・・兄上様は万福丸の命を助けてくれると仰せなのですか?」



 母上様の声が震えている。



 普段は冷静で毅然とした母上様が、こんなにも動揺するなんて。



「はっ、その様でございます」



 藤掛永勝の返答は簡潔だったが、その一言に重みが宿っていた。



「そう言うことなら書きましょう。私が腹を痛めた子ではありませんが、長政様の子です。是非とも助けたい。出来ることなら私が引き取り育てたい」



 母上様の声に決意が滲む。



 私は目を閉じ、その言葉を胸に刻んだ。



 万福丸。兄上様。生きている。



 父上様や他の者たちと一緒に死んでいない。



 涙が自然と溢れ、頬を伝った。



 嬉しさと安堵が混じり合い、抑えきれなかった。



 その時、後ろから突然、大きな手が私の体を掴んだ。



 私は小さく悲鳴を上げそうになり、慌てて口を押さえた。



 振り返ると、そこには前田松が立っていた。



 彼女は私を軽々と持ち上げ、笑いものような口調で言った。



「いけない姫様、大人の話を盗み聞きだなんてはしたない。えっ、茶々様、私そんなに恐かったですか?」  



 私の涙を見た前田松は、明らかに勘違いしていた。



 彼女の顔には困惑が浮かんでいる。



 私は言葉に詰まり、ただコクリと頷いた。



 恐ろしかったわけではない。



 でも、そう思わせておいた方が都合が良かった。



 彼女は私をそっと下ろし、優しく背中を押して部屋へと連れ戻した。

 。

 部屋に戻ると、お江とお初はようやく泣き止んでいた。



 さつきが疲れた顔で二人を見守っている。



 私は畳に座り、先ほどの話を頭の中で反芻した。



 お初には話さない方がいいだろう。



 ぬか喜びになるかもしれない。



 その予感は、私の胸に冷たい影を落とした。



 そして、その予感は後に的中することになる。
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