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②①話 織田信長との対面・前編
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足音が響く。
大きくはない。
だが、なぜか耳に触るその音が、どんどんと近づいてくる。
木の廊下を踏みしめる、規則的で力強い音。
まるで私の心臓を叩くように、ひとつひとつが胸に突き刺さる。
私は膝を抱えたまま、顔を上げず、ただその音を聞いていた。
広間の端に座る私の耳に、それは執拗に絡みついてくる。
「廊下が汚れておる、しっかり拭かせよ。我が城で廊下を歩いて足裏が汚れるなどあってはならん」
声が足音と重なる。
低く、太く、どこか苛立ちを孕んだ響き。
私は目を閉じたまま、その声音を頭の中で反芻する。
あの声だ。
あの、記憶の底に沈めたはずの声。
炎と血の匂いの中で聞いた、あの男の声だ。
「はっ、しかと指導いたします」
別の声が恭しく応じる。
家臣だろう。
緊張した声音が、広間の空気を一層硬くする。
私は瞼の裏で、父上様の顔を思い浮かべていた。
浅井長政。
あの優しく、穏やかで、それでいて戦場では鋭い眼差しを放った父上様。
あの人が最期にどんな顔をしていたのか、私は知らない。
小谷城が燃え、母上様が私とお初を連れて逃げ出したとき、私はまだ幼かった。
あの日の記憶は断片的で、炎の赤と泣き声だけが残っている。
足音が止まる。
広間に誰かが入ってきた気配がする。
私は膝の上で拳を握りしめた。
爪が掌に食い込む痛みが、私を現実につなぎとめる。
母上様が隣で微かに動く気配。お初の小さな息づかい。
そして、私の心臓が早鐘を打つ音。
それらが混じり合いながら、広間の静寂に溶けていく。
そして、その男が上座中央に腰を下ろした。
重い衣擦れの音が響き、私は歯を食いしばる。
あの男だ。
織田信長。
私の父を殺した男。
浅井家を滅ぼし、私のすべてを奪った男。
「お市、無事でなによりだ。面を上げて楽にいたせ」
その言葉が耳に届いた瞬間、私は身体が硬直する。
お市。母上様を呼び捨てにするその傲慢さに、胸の奥で何かが燃え上がる。
だが、同時に母上様が顔を上げる気配を感じ、私は仕方なく顔を上げた。
お初も私に倣う。
目の前に広がる光景を、私は睨むように見つめた。
髭を蓄えた男がそこにいた。
父上様より年上に見える。
40歳を超えているはずだ。
鋭い目がギラギラと光り、まるで獲物を捕らえる鷹のよう。
その視線が広間を支配している。
私は唇を噛みしめた。
あの目だ。
父上様の首を見下ろしたであろう目。
私の故郷を焼き払ったその目。
母上様をお市と呼び捨てにしたことから、この男が織田信長であることは明白だった。
私は視線を逸らさない。
逸らせば負けた気がするからだ。
「兄上様のお計らいで織田家に戻れたこと、深く感謝いたします」
母上様の声が静かに響く。私は一瞬、耳を疑った。
「えっ?母上様?」
思わず口から零れた言葉。
声が震えていた。
恨み辛み、そして怒りの言葉ではないのか? 私は母上様の横顔を見つめた。
穏やかな表情。
どこか疲れを含んだ、しかし落ち着いた顔。
あの燃える城で泣き叫んでいた母上様はどこへ行ったのだろう。
「うむ、金ケ崎の陣に陣中見舞いを送ってくれたであろう? 織田家の姫としての振る舞いだ。あれがなければ浅井の者として磔といたしていたがな。それに母上様の願いを聞きたい。格別のはからいを持って織田家帰参を許そう」
信長の言葉が重く響く。
金ケ崎の陣。
あの裏切りがなければ、浅井家は滅びなかったかもしれない。
私は唇を噛みしめた。
母上様が織田家のために動いたなんて、知らなかった。
知りたくもなかった。
「ありがたき幸せに存じます」
母上様が頭を下げる。
私は目を大きく見開いた。
何だこれは? 何が幸せだ? 父上様を殺した男に感謝するなんて、私には理解できない。
頭の中がぐちゃぐちゃになり、熱いものがこみ上げてくる。
「うむ」
信長が頷き、短い会話が終わる。
そして、その鋭い視線が私たちの方へ向いた。
私は息を止めた。
あの目が私を捉える。
心臓が跳ね上がる。
憎しみが、恐怖が、怒りが、渦を巻いて胸を締め付ける。
「ご挨拶致しなさい」
母上様が静かに促す。
私は口を開く気になれなかった。
あの男に挨拶? 冗談じゃない。
父上様の敵に頭を下げるなんて、できるはずがない。
しばらく黙り込んでいると、お初が小さな声で囁いた。
「姉上様?」
その声に、私はハッとする。
お初の怯えた目が私を見ている。
ここで私が感情を爆発させれば、お初や母上様に迷惑がかかるかもしれない。
私は歯を食いしばり、ぐっと堪えた。
はぁ~。
一呼吸吐き、私は立ち上がる気力を振り絞った。
「浅井長政の娘、茶々と申します。どうかよろしくお願いいたします」
声が震えた。
喉が締め付けられるようだった。
お初が続く。
「初と申します」
母上様が腕の中の江を抱きながら言う。
「兄上様、今抱いている姫は江と申します」
「うむ、そうであるか。良い顔をしておるの。お市の小さな時を思い出す。どうです母上様」
信長が笑みを浮かべる。
私は目を細めた。
良い顔? 何だその上から目線は。
お前のせいで私たちはこんな目に遭っているのに。
「そうですね、確かに面影はありますね。きっと美人に育つでしょう」
母上様が穏やかに答える。
私は耳を疑った。
「まぁ~母上様ったら」
お初が小さく笑う。
おかしい。おかしい。
なんで敵味方だったのに、そんなことがなかったように話すんだ? 私は頭の中で叫んでいた。
父上様の死は? 浅井家の滅亡は? あの炎の中で失ったすべては? 私の心が軋む。
怒りがこみ上げ、座ってはいられなかった。
私は無意識に立ち上がっていた。
大きくはない。
だが、なぜか耳に触るその音が、どんどんと近づいてくる。
木の廊下を踏みしめる、規則的で力強い音。
まるで私の心臓を叩くように、ひとつひとつが胸に突き刺さる。
私は膝を抱えたまま、顔を上げず、ただその音を聞いていた。
広間の端に座る私の耳に、それは執拗に絡みついてくる。
「廊下が汚れておる、しっかり拭かせよ。我が城で廊下を歩いて足裏が汚れるなどあってはならん」
声が足音と重なる。
低く、太く、どこか苛立ちを孕んだ響き。
私は目を閉じたまま、その声音を頭の中で反芻する。
あの声だ。
あの、記憶の底に沈めたはずの声。
炎と血の匂いの中で聞いた、あの男の声だ。
「はっ、しかと指導いたします」
別の声が恭しく応じる。
家臣だろう。
緊張した声音が、広間の空気を一層硬くする。
私は瞼の裏で、父上様の顔を思い浮かべていた。
浅井長政。
あの優しく、穏やかで、それでいて戦場では鋭い眼差しを放った父上様。
あの人が最期にどんな顔をしていたのか、私は知らない。
小谷城が燃え、母上様が私とお初を連れて逃げ出したとき、私はまだ幼かった。
あの日の記憶は断片的で、炎の赤と泣き声だけが残っている。
足音が止まる。
広間に誰かが入ってきた気配がする。
私は膝の上で拳を握りしめた。
爪が掌に食い込む痛みが、私を現実につなぎとめる。
母上様が隣で微かに動く気配。お初の小さな息づかい。
そして、私の心臓が早鐘を打つ音。
それらが混じり合いながら、広間の静寂に溶けていく。
そして、その男が上座中央に腰を下ろした。
重い衣擦れの音が響き、私は歯を食いしばる。
あの男だ。
織田信長。
私の父を殺した男。
浅井家を滅ぼし、私のすべてを奪った男。
「お市、無事でなによりだ。面を上げて楽にいたせ」
その言葉が耳に届いた瞬間、私は身体が硬直する。
お市。母上様を呼び捨てにするその傲慢さに、胸の奥で何かが燃え上がる。
だが、同時に母上様が顔を上げる気配を感じ、私は仕方なく顔を上げた。
お初も私に倣う。
目の前に広がる光景を、私は睨むように見つめた。
髭を蓄えた男がそこにいた。
父上様より年上に見える。
40歳を超えているはずだ。
鋭い目がギラギラと光り、まるで獲物を捕らえる鷹のよう。
その視線が広間を支配している。
私は唇を噛みしめた。
あの目だ。
父上様の首を見下ろしたであろう目。
私の故郷を焼き払ったその目。
母上様をお市と呼び捨てにしたことから、この男が織田信長であることは明白だった。
私は視線を逸らさない。
逸らせば負けた気がするからだ。
「兄上様のお計らいで織田家に戻れたこと、深く感謝いたします」
母上様の声が静かに響く。私は一瞬、耳を疑った。
「えっ?母上様?」
思わず口から零れた言葉。
声が震えていた。
恨み辛み、そして怒りの言葉ではないのか? 私は母上様の横顔を見つめた。
穏やかな表情。
どこか疲れを含んだ、しかし落ち着いた顔。
あの燃える城で泣き叫んでいた母上様はどこへ行ったのだろう。
「うむ、金ケ崎の陣に陣中見舞いを送ってくれたであろう? 織田家の姫としての振る舞いだ。あれがなければ浅井の者として磔といたしていたがな。それに母上様の願いを聞きたい。格別のはからいを持って織田家帰参を許そう」
信長の言葉が重く響く。
金ケ崎の陣。
あの裏切りがなければ、浅井家は滅びなかったかもしれない。
私は唇を噛みしめた。
母上様が織田家のために動いたなんて、知らなかった。
知りたくもなかった。
「ありがたき幸せに存じます」
母上様が頭を下げる。
私は目を大きく見開いた。
何だこれは? 何が幸せだ? 父上様を殺した男に感謝するなんて、私には理解できない。
頭の中がぐちゃぐちゃになり、熱いものがこみ上げてくる。
「うむ」
信長が頷き、短い会話が終わる。
そして、その鋭い視線が私たちの方へ向いた。
私は息を止めた。
あの目が私を捉える。
心臓が跳ね上がる。
憎しみが、恐怖が、怒りが、渦を巻いて胸を締め付ける。
「ご挨拶致しなさい」
母上様が静かに促す。
私は口を開く気になれなかった。
あの男に挨拶? 冗談じゃない。
父上様の敵に頭を下げるなんて、できるはずがない。
しばらく黙り込んでいると、お初が小さな声で囁いた。
「姉上様?」
その声に、私はハッとする。
お初の怯えた目が私を見ている。
ここで私が感情を爆発させれば、お初や母上様に迷惑がかかるかもしれない。
私は歯を食いしばり、ぐっと堪えた。
はぁ~。
一呼吸吐き、私は立ち上がる気力を振り絞った。
「浅井長政の娘、茶々と申します。どうかよろしくお願いいたします」
声が震えた。
喉が締め付けられるようだった。
お初が続く。
「初と申します」
母上様が腕の中の江を抱きながら言う。
「兄上様、今抱いている姫は江と申します」
「うむ、そうであるか。良い顔をしておるの。お市の小さな時を思い出す。どうです母上様」
信長が笑みを浮かべる。
私は目を細めた。
良い顔? 何だその上から目線は。
お前のせいで私たちはこんな目に遭っているのに。
「そうですね、確かに面影はありますね。きっと美人に育つでしょう」
母上様が穏やかに答える。
私は耳を疑った。
「まぁ~母上様ったら」
お初が小さく笑う。
おかしい。おかしい。
なんで敵味方だったのに、そんなことがなかったように話すんだ? 私は頭の中で叫んでいた。
父上様の死は? 浅井家の滅亡は? あの炎の中で失ったすべては? 私の心が軋む。
怒りがこみ上げ、座ってはいられなかった。
私は無意識に立ち上がっていた。
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