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⑤①話 火薬と過去の影
しおりを挟む蔵の中は、異国の品々が放つ色彩と香りに満ちていた。檀のような香木の匂い、色鮮やかな織物の輝き、見たこともない細工が施された小箱や器具。どれもが、戦乱の世とは違うもう一つの世界を、私にそっと教えてくれているようだった。
私は千宗易が差し出した南蛮のガラス玉の髪飾りを手に持ったまま、その美しさに目を奪われていた。
陽の光に透かすと、赤や青、緑が混ざり合った七色の光が踊り、蔵の壁に小さな虹を映し出す。その光は、まるで私の知らない世界への扉を指し示しているように思えた。
「おお……」
自然と声が漏れた。戦乱の中で育った私にとって、こんなに美しいものが存在するなど思いもよらなかった。心の奥底がふわりと揺れ、温かなざわめきが広がっていく。
さらに歩を進めると、異国の小物入れが目に入った。
木や金属でできたものが混在し、どれも手のひらほどの大きさで、彫刻や細工が施されている。私はその中の一つ、丸みを帯びた木製の小箱に惹かれ、そっと蓋を開けた。
かすかに甘い香りが鼻をつき、どこか懐かしい気持ちが胸に広がった。まるで遠い昔、両親と囲炉裏端で語らった冬の夜のような、柔らかな記憶の一欠片。
「これは何の香りじゃ?」
尋ねると、千宗易は穏やかに答えた。
「南蛮の香木を細かく砕いたものかと。遠く海を渡ってきた品でございます」
私は目を閉じ、その香りを深く吸い込んだ。小谷城で父上様・母上様と過ごした穏やかな日々が一瞬だけ蘇り、胸がほんの少し温かくなる。
次に、異国の薬草が視界に入った。
乾燥した葉や根が麻袋に詰められ、不思議な匂いを放っている。私は一袋に近づき、鼻を寄せた。
すると、苦みと甘さが混じったような香りが広がり、少しむせそうになった。
「これは薬か?」
そう聞くと、千宗易は、
「へい、傷を癒す薬草や、熱を下げるものもございます」
と教えてくれた。
私は一つ一つを手に取り、じっくりと眺めた。どれもが私の知る日本の品とは異なり、遠く海を渡ってきた物語を感じさせた。
岐阜城下で暮らす今、硝煙と血の臭いしか知らなかった私の心に、新しい色彩と香りが染み込んでいくようだった。
そんな風に品々に見とれていると、ふと視界の端に奇妙なものが見えた。
蔵の隅に俵がいくつか積まれ、その中の一つから黒い粉がわずかに漏れ出していた。粉は細かく、まるで墨を砕いたように黒々としていた。
その異様な様子に引き寄せられるように、私はそちらへ近づこうとした。
足音が板張りに響き、私は俵に手を伸ばしかけた。その瞬間――
「それに近寄ってはあきまへん!」
千宗易の声が突然、蔵に鋭く響いた。
私は驚いて足を止め、彼の方を見た。
「え!?」
私の小さな声が静寂を破った。
彼の顔には、先ほどまでの穏やかさが消え、代わりに緊張と焦りが浮かんでいた。
私は一瞬、身体が固まるのを感じた。
千宗易はすぐに表情を和らげ、謝るように言った。
「驚かしてしまいましたな、すんまへん。それは火薬でしてな、危ないものにもおます。おい、ちゃんとしまっておかないと駄目やろ! すぐに片付けなさい」
彼は蔵の隅にいた店の者に鋭く指示を出した。店の者は慌てて俵に近づき、漏れた黒い粉を布で拭い、別の場所へ運び始めた。
私はその様子を呆然と見つめながら、呟いた。
「かやく?」
千宗易は少し落ち着きを取り戻し、私に説明した。
「へい、それを使って火縄銃から玉が勢いよく出ます」
その言葉を聞いた瞬間、私の頭に小谷城の最後の日が蘇った。
天正元年、1573年の夏。
織田信長の軍勢が押し寄せ、火縄銃の音が耳をつんざき、硝煙の臭いが辺りを覆った。
母上様が私を強く抱きしめ、燃える城から逃げ出したあの瞬間が、鮮明に脳裏に浮かんだ。
私は一瞬、息が詰まるような感覚に襲われ、小さく呟いた。
「私はその煙の臭いが嫌いです。小谷の落城を思い出します」
私の声は震え、どこか遠くを眺めるように蔵の中に響いた。
幼いながらも、戦の恐ろしさを知る私にとって、火薬はただの「危ないもの」以上の意味を持っていた。それは家族を奪い、故郷を灰にした記憶そのものだった。
目の前で店の者が俵を運び出す様子を見ながら、私は無意識に手を握り潰していた。
千宗易は私の言葉を聞き、一瞬言葉に詰まったようだった。彼の顔に浮かんだのは、困惑と同情が入り混じった表情だった。
商人として多くの客と接してきた彼でも、私のような過去を持つ少女の言葉に、どう応じればいいのか迷ったのだろう。
蔵の中に気まずい沈黙が流れ、私は少し申し訳ない気持ちになった。目を伏せ、火薬の俵があった場所から視線を外した。
「……茶々様、小谷のことはよう存じております。あの戦は、多くの者を苦しめましたな」
千宗易の声は静かで、どこか労わるような響きを帯びていた。
私は小さく頷き、
「もう、大丈夫です」
と呟いたが、心の中ではまだ硝煙の臭いが消えなかった。
彼は私の様子を見て、少し間を置いた後、そっと口を開いた。
「茶々様、茶を一服、いかがですかな? 心を静めるには、茶の湯が一番でございます」
その提案に、私は顔を上げた。彼の目には、再びあの穏やかな光が戻っていた。
私は一瞬迷ったが、茶室での安らぎを思い出し、「はい」と小さく答えた。
千宗易は微笑み、店の居間に案内すると隅に置かれた小さな炉に火を入れ始めた。店の者が慌ただしく動き回る中、彼の手つきは落ち着いており、まるで戦の喧騒を忘れさせるような静けさがあった。
炉の中で炭が静かに燃え始め、白い湯気が小さな鉄瓶の口からゆらゆらと立ち上った。炭のはぜる音が、どこか遠くの夏の虫の声のように耳に優しい。
私は炉の前に正座し、着物の裾を整えた。目の前には千宗易が座し、茶道具を丁寧に並べていく。
「茶というのは、心の襞にまで沁み渡るものでしてな」
千宗易が柔らかく語る。
私はその言葉の意味を、ようやく少しだけ理解できる気がした。
茶筅の音が心地よく響く中、彼が点てた茶が私の前に差し出された。私は両手で茶碗を包み、そっと香りをかいだ。
「いただきます」
口に含むと、わずかに舌の奥で苦みが広がり、それが喉を通る頃には心までほぐれるような気がした。気がつけば、私の手は震えていた。
「……美味しいの」
私はそう呟いた。
千宗易は微笑みながら、静かに一礼した。
「姫様がお口に合いましたなら、何よりです」
ふと、炉の炎を見つめる。ゆらゆらと揺れる火が、私の胸の奥にある痛みすらも包んでくれるようだった。
「火薬も……火も……人を殺すものばかりでは、ないのだな」
私は、誰に向けるでもなくそう呟いた。
千宗易が穏やかに頷いた。
「使い方次第でございます。命を奪う手にもなれば、命を支える火にもなりましょう。姫様の心が、良き火の使い手となられますように」
私は、その言葉を胸の奥にそっとしまった。
幼い私の中には、まだ消えぬ影がある。だが、影があるからこそ、光の温かさが分かるのだと、この茶の一服が教えてくれた。
そう思いながら、私はもう一度、目の前の茶を口に運んだ。
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