織田信長の姪ーprincess cha-chaー悪役令嬢?炎の呪縛と復讐の姫 

本能寺から始める常陸之介寛浩

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⑥⓪話 朝霧の待機と勝利の使者

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朝霧がまだ庭を包む静けさの中、母上様は太郎左衛門から手紙を受け取られた。

その手紙は泥と汗にまみれ、戦場からの厳しさを物語っていた。

私は母上様の傍らに立ち、その手紙に視線を落とす。
封を切る母上様の手が微かに震えているのが見えた。緊張が、指先に滲んでいた。

お初が私の袖をきゅっと握り、囁いた。

「茶々姉さま……伯父上様が、勝ったんだね」

「……お初、そうです」
そう答えながらも、私の胸の奥では別の感情が渦巻いていた。

伯父・織田信長の勝利。それは確かに、織田の力をさらに高め、母上様には安堵を与える知らせかもしれない。

けれど私には、それはただ、父上様を奪った男がさらに遠く高みに昇っていくことへの――憎しみの炎を燃え上がらせる、苦い知らせでしかなかった。

私は、いつかあの人に報いる日を夢見ている。
その想いが、私の胸に暗く冷たい焔を灯し続けていた。

母上様が静かに封を解き、手紙を広げる。
私は息を呑み、その表情を見守った。

囲炉裏の火が、ぱちりと小さく音を立てて揺れている。
その橙の光が、母上様の横顔を柔らかく照らし出していた。

お江がそっと母上様の裾を握り、御祖母様が茶碗を手にしながら目を細める。
ささつきが襖のそばに控え、背筋を伸ばして動かずにいた。

屋敷全体が、手紙の内容に耳を傾けようと、息をひそめていた。

母上様の唇が微かに動くのを見て、私の心臓が強く鼓動を打ち始めた。

その時――
母上様が、手紙を手に持ったまま、静かに声を発した。

「茶々、お初、お江、御母様……皆で聞くがいい。兄上様からのお便りです」

その声は穏やかだったが、どこか重く響いていた。
私は母上様の瞳を見た。その奥には、勝利の喜びだけではない、言葉にできぬ影が揺れているように感じられた。

母上様が手紙を読み上げ始める。

「読みます――。長篠の戦いは、我が織田の勝利に終わった。武田勝頼の軍を撃破し、その騎馬隊を鉄砲にて壊滅させ、設楽原は我が軍の旗に覆われた。以下にその戦の次第を記す」

その一言に、私は小さく息を呑んだ。
鉄砲隊――あの男、伯父・信長が最も得意とする武の象徴だ。

私は、あの音と光を知っている。
小谷の戦で、私たちの城を焼き尽くし、父上様の命を奪った、あの冷たい武器。

私は唇を噛みしめる。母上様の声が、続いた。

「五月二十一日、我が軍は設楽原に布陣し、武田の騎馬を迎え撃った。武田の軍勢は一万五千。我が軍は三万を超え、鉄砲三千挺を備えた。柴田勝家、丹羽長秀、明智光秀、前田利家、佐々成政、羽柴藤吉郎らを率い、柵を設け、敵の突撃を封じる構えとした」

「武田の騎馬は勇猛なれど、鉄砲の連射に抗えず、次々と倒れた。勝頼は馬場信春、山県昌景ら重臣を失い、敗走した。我が軍の死傷は六千、武田は一万を超える損害を受け、大敗を喫した」

「この勝利により、東国の脅威は大いに削がれ、織田の覇道はさらに開かれた」

母上様の声は静かに、けれど確かに屋敷に響いた。

私は、鉄砲三千挺という数に目を見張った。
その冷たい数字の裏に、どれほど多くの命が消えたのかを、想像してしまった。

設楽原に鳴り響く轟音――泥と血にまみれた地面――倒れていく馬、人、叫び、慟哭。

私は目を閉じた。
その光景を思い浮かべるだけで、胸が締め付けられる。

父上様も、同じように戦場で命を落とされたのだ。
そして、その命を奪ったのは、伯父・信長だった。

私は彼を憎む。
その想いが、胸の奥で鋭く疼いた。

母上様の声が再び響く。

「市よ、この勝利は、織田の力を示すものだ。そなたは岐阜にて我が帰りを待て。武田の残党が動きを見せるやもしれぬ。身辺に気をつけよ。近日中に岐阜へ戻る」

読み終えた母上様は、静かに手紙を畳に置かれた。

私はその手紙を見つめながら、複雑な感情が胸の奥に渦巻くのを感じた。
確かに、織田の勝利はこの国に新たな秩序をもたらすだろう。

けれど同時に、それは私たちを、再び伯父の影のもとに置くことを意味する。

お初が無邪気な笑顔で言った。

「母上様、伯父上様、本当に勝ったのですね!よかったぁ!」

私は微笑もうとしたが、その言葉が胸に重くのしかかり、笑顔をつくることができなかった。

お江がぽつりと呟く。

「茶々姉様……伯父上様、つよいね」

「ええ……お江。とても、強いよ」

その言葉は、冷たい響きを帯びてしまった。

御祖母様が、茶碗をそっと置いて仰った。

「信長の勝利か……。昔から、あの子はここぞという戦では決して負けなかったね。市、お前も少しは安心したろう?」

母上様は小さく頷き、

「はい、御母様。兄上様は、今も変わらず、強い方です」

すると御祖母様は、ふうと息をついてこう言われた。

「……けれどね、市。戦ばかりでは、家族の心が摩耗してしまう。信長も、たまには静かに過ごせばいいのに」

私はその言葉に頷きながらも、心の中では反発していた。
伯父・織田信長が、立ち止まることなどない。

彼の野望は果てしなく、そして冷酷だ。

私は――彼を、許せない。

母上様がふと私の方を向かれた。

「茶々。この勝利は、私たちに何をもたらすのでしょうね?」

その問いに、私は一瞬、言葉を失った。

けれど、目をそらさずに答える。

「……母上様。それは、まだ分かりません。でも、私たちは、共に生きていきます」

母上様は穏やかに微笑み、私の髪にそっと手を置いた。

「そうですね、茶々。私たちは……共に、生きていきますよ」

その温もりが、私の震えを一時的に和らげた。

けれど、心の奥では疑念が消えなかった。
伯父・信長の勝利が、私たちに真の平穏をもたらすのか――それとも、新たな苦しみの始まりなのか。

私は母上様の手をそっと握った。

昼間、屋敷は勝利の知らせに包まれ、いつになく明るい雰囲気に満ちていた。

ささつきが嬉しそうに言う。

「お市様、姫様方、殿のご勝利、まことにめでたいことでございますね」

私は静かに応じた。

「……ええ、ささつき。伯父上様は、確かに偉大な方です」

けれどその言葉の裏で、私は信じていた。

――あの勝利は永遠ではない。
そして、伯父・織田信長もまた、永遠ではない。

庭に出ると、朝霧がようやく晴れ、青空が顔を覗かせていた。

私は桃の木の下に立ち、散った花びらを掌に乗せる。

「父上様……もし、あなたが生きていてくだされば。私は、こんなにも深く、誰かを憎まずに済んだでしょうか」

花びらが風に乗って舞い上がる。
私はそれを見送りながら、そっと目を閉じた。

父上様の優しい笑顔が、脳裏に浮かぶ。
その温もりが、今も私を支えている。

私は、守る。
母上様を、妹たちを、御祖母様を。

そして――いつか、伯父上様に報いる。

その道を、私は探し続ける。
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