織田信長の姪ーprincess cha-chaー悪役令嬢?炎の呪縛と復讐の姫 

本能寺から始める常陸之介寛浩

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⑥②話 霧の岐阜と凱旋の準備

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岐阜城下の入り口に、伯父・織田信長の軍勢が到着した。

朝霧がゆるやかに晴れゆく中、晴れ渡る青空の下、赤と黒の旗が風にたなびき、織田の家紋――織田木瓜が鮮やかに空を切っていた。旗が翻るたび、まるで戦場の喧噪の残響が耳元でささやくようだった。

私――茶々は、母上様とお初、お江、そして御祖母様と共に、城下の道端に立ち尽くしていた。勝者を迎えるという名目の下、私たちの心には、それぞれ異なる想いが去来していたはずだった。

町の人々が道の両側に集まり、手を叩き、歓声を上げている。小さな子供たちが跳ねるように走り回り、

「殿が勝ったぞ!」

と叫ぶ声が、春の空を突き抜けていく。老婆たちは感涙を浮かべ、商人たちはほっとした顔で肩を寄せ合い、口々に「これで安心だ」と安堵を洩らしていた。

その歓喜の波の中で、私はひとり、胸の奥に冷えた刃を抱えていた。

伯父・織田信長――。この国を動かし、戦火の中で敵を焼き尽くす男。父上様を滅ぼした、憎むべき人。

その男が、英雄として町の人々から讃えられている。

皮肉だった。あまりにも、皮肉だった。

甲冑に血と泥を纏い、騎乗したまま城下に入る信長の姿は、まるで戦神の化身だった。彼の背後には、柴田勝家、丹羽長秀、明智光秀、前田利家、佐々成政、羽柴藤吉郎といった歴戦の武将たちが控え、誰もが誇りと疲労をその身に纏っていた。

私は唇を噛みしめた。視線を逸らさぬようにしながらも、心の奥底で言い知れぬ圧力に押し潰されそうになる。

母上様が、私の手をそっと握った。

「茶々、兄上様のお帰りですよ」

その声は静かで、揺らがぬ愛情を含んでいた。私はその手の温もりに救われるように頷いた。

「はい、母上様」

私が演じる“素直な娘”は、今日も健在だった。

信長が馬を降り、私たちの前に歩み寄る。朝日に鈍く光る甲冑が、戦の凄烈さを物語っていた。

彼は鋭い眼差しを我らに向ける。視線が突き刺さるようだった。

「市、そなたたちか。無事で何よりだ」

低く、威厳に満ちた声。母上様が一歩進み出て、深く頭を下げた。

「兄上様、長篠の勝利、誠におめでとうございます。ご無事でお戻りになり、私どもも安堵しております」

その姿に、私は言葉にならぬ思いを抱いた。母上様は忠義深く、心から信長を敬っている。けれど私は違う。

私は、彼を許せない。

あの日――父上様を喪ったあの日から、私はこの男の背を見つめ続けてきた。恐れと憎しみ、そして混じりけのある尊敬の念を抱きながら。

「市、武田を破った。鉄砲三千挺が設楽原を制した。もはや東国に脅威はない」

その誇らしげな言葉を聞きながら、私は火を吹く鉄の咆哮を想像した。草原を駆ける馬、砕ける鎧、飛び散る血潮。想像の中の戦場に、父の姿が重なる。

御祖母様が、杖をついて一歩前に出る。

「信長、よくやりましたね。昔から、お前は勝つ子だったよ」

その微笑みに、信長の表情が一瞬だけ和らいだ。

「母上様、長篠は我が織田の力を世に示しました。これで天下への道が開けます」

その声に、御祖母様は静かに応える。

「だがね、戦ばかりでは家族が疲れるよ。少しは、休みなさい」

私の心が、その言葉に微かに揺れた。けれど、彼が休むことはない。あの人は、立ち止まることを知らぬ男だ。

「茶々、大きくなったな。そなたも勝利の喜びを味わえ」

信長が私を見つめた。私はその視線を真正面から受け止め、応じた。

「はい、伯父上様。おめでとうございます」

その言葉の裏に込めたのは、私だけの誓い。耐えること、そして待つこと。

伯父上様、あなたに報いる日を、私は心の奥で待っております。

彼が、

「お初、お江、そなたたちもだ。儂が勝ったぞ」

と笑みを浮かべると、お初が瞳を輝かせて言った。

「伯父上様、すごいね!」

お江も続く。

「茶々姉様、初姉様、伯父上様って、ほんと強いね」

私は微笑みを作り、答えた。

「そうだね、お江」

だが、その笑顔の裏には、冷えた感情があった。

町の人々の歓声がさらに高まり、旗が風にバサバサと揺れた。

「市、城に戻れ。今夜は祝いの宴だ。勝利を城下に知らしめる」

信長の言葉に、母上様が恭しく頭を下げる。

「はい、兄上様」

そのやり取りを見つめながら、私の胸は再びざわめいた。

この勝利の顔の裏に、どれだけの血が流れたのか。彼の笑顔は、私にとっては呪いに等しい。

私は母上様の手を握り、屋敷への道を歩き出した。

人々の歓声が背を押すように響き、子供たちが旗を振って駆け回っていた。

その光景の中で、私は心の中で呟いた。

――伯父上様。あなたの勝利は、私たちに何をもたらすのですか。

やがて屋敷に戻ると、侍女たちが慌ただしく駆け回り、祝いの準備に取りかかっていた。

「お市様、姫様方、殿の勝利を祝う宴の支度を急ぎます」

ささつきの声が響き、私は座敷に座って母上様の横顔を見つめた。彼女の手には、まだ誰にも見せぬ手紙が握られていた。

「茶々、この勝利は織田の力を示すものですよ。兄上様が戻った今、私たちはまた家族として共に過ごすのです」

母上様の声は穏やかだった。だが、私は黙って頷いた。

伯父上様が戻ったということは、私たちは再び、彼の意志の下に置かれるということ。私はその現実を噛みしめながら、静かに唇を引き結んだ。

そして夕暮れ、宴が始まった。

囲炉裏の火が灯り、温かな光が部屋を満たしていく。盃が行き交い、笑い声が響く中、私は母上様の隣で静かに座していた。

信長が言った。

「市、長篠の勝利は天下への第一歩だ。そなたたちも、共に祝え」

母上様が優しく微笑む。

「はい、兄上様」

私はその笑顔を見つめながら、胸の奥で小さく囁いた。

――伯父上様、あなたの天下が、この家族に何をもたらすのか。

母上様の手を握る。彼女の手の温もりに、私はすがった。

宴の喧騒が夜に満ち、私は静かに杯を手に取りながら、心の中で誓いを新たにした。

伯父上様。あなたの背に、私は必ず報いる。

その日が来るまで、私はこの家族を守り、笑顔を捨てずに生きていく。

この静かな夜の光に包まれながら、私は静かに、ただ黙して、待ち続ける。
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