『三千日目のセーブデータ──アラフォー童貞オタクの人生は、ロードできない』

本能寺から始める常陸之介寛浩

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第17話『ぼくが保存した、ただ一枚の“好き”』

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 画面の中でしか、君を保存できなかった。

 ──でも、それでも。

 ぼくのスマホの中には、まだ“あの一枚”が、消されずに残っている。

 

 *

 

 朝、目が覚めた。

 といっても、眠ったかどうかはわからない。
 ただ、天井が暗くなくなっていた。
 カーテンの隙間から差し込む光が、時計よりも先に「朝だ」と告げていた。

 

 スマホは手に持ったまま。

 バッテリーは13%。

 

 画面は消えていたけど、指を当てると、昨日のまま。

 送らなかったメッセージも。

 送信ボタンの、あの“なんでもない青色”も。

 

 どこにも行けなかった昨日が、まだ画面の裏に残っている。

 

 ──そうだ。
 保存していたはずの“写真”があった。

 

 ホーム画面に戻り、フォルダを開く。

 何百とあるスクリーンショットの中に、
 たった一枚だけ、“現実の写真”が混じっている。

 

 その一枚は──春乃が送ってくれた、最後の画像だった。

 

 *

 

 数年前、まだ“交流”があった頃。

 

 ぼくが送った、ある日常の写真──

 「今日買った本。めっちゃ泣けました」

 

 それに対して、春乃はこう返信してきた。

 

 「わたしも今日、ちょっと泣いた」

 

 そして添えられたのが、“窓辺にマグカップが置かれた写真”。

 

 その写真には、人は写っていなかった。

 でも、柔らかい午後の光と、ココアの湯気。
 そして奥に少しだけ映り込んだ、絵本の背表紙。

 

 ──それだけで、春乃がどんなふうにその日を過ごしていたのか、
 わかるような気がした。

 

 「こういうの、誰かに見せるの、はじめてかも」

 

 そう言って、照れた顔のスタンプをつけて。

 

 ──それが、ぼくにとっての“告白”だった。

 少なくとも、“好意の証”だった。

 

 直接「好き」と言われたわけじゃない。

 でも、誰かに見せるはずのなかったものを、ぼくだけにくれた。

 

 ……ぼくは、それを“好き”だと受け取った。

 

 *

 

 いま、改めてその画像を開く。

 保存日時は、2020年6月14日。

 あれから、もう4年。

 

 マスクが当たり前だった頃。

 社会が不安でいっぱいだった頃。

 

 人と会えない時代に、春乃は画面越しで、
 小さな“ひと息”を見せてくれた。

 

 今になって気づく。

 あの時、ぼくは──
 世界のどこかで、ぼくだけに見せてくれた日常に、救われていた。

 

 画面の明かりが、朝の光と混ざって滲む。

 

 スクリーンショットじゃない、“本物の写真”。

 あのとき、ちゃんと保存しておいてよかった。

 

 画面の中のカップに向かって、ふと話しかける。

 

 「……元気で、いてくれたらいいな」

 

 声はもちろん、誰にも届かない。

 だけど、たった今のこの気持ちは、
 たしかに4年前の写真の中の春乃に、向けられている。

 

 もしかしたら、彼女はもう、このアカウントすら使っていないかもしれない。

 新しい人と出会い、新しい生活に夢中で、過去の写真なんて思い出しもしないかもしれない。

 

 でも、それでも。

 

 ぼくのスマホの中には、**たった一枚の“好き”**が残っている。

 言葉ではなく。

 リアクションでもなく。

 スクショでもなく。

 

 ──日常の、静かな光。

 そのカップの湯気に、彼女の気配がまだ残っている気がする。

 

 *

 

 午後になっても、部屋の温度はあまり変わらなかった。

 スマホの画面を見て、ふと思いつく。

 

 ……この写真を、現像しようか?

 

 手元に残しておくだけじゃなくて、
 ちゃんと“モノ”にして、封筒に入れてみようか。

 

 でも──何の意味があるんだろう?

 誰にも見せないし、春乃にも届かない。

 自分で印刷して、自分でしまって、自分で見るだけ。

 

 ──それでも。

 それでも、消えないようにしておきたかった。

 

 いつか、スマホが壊れても。

 アプリがサービス終了しても。

 ログインできなくなっても。

 

 ──この一枚は、“ぼくの手”に残るように。

 

 *

 

 近所のコンビニのコピー機で、L判を選ぶ。

 店内はBGMが流れているのに、なぜか無音のような気がする。

 ガチャッと音がして、写真が出てくる。

 

 取り出すとき、ほんの少しだけ指が震えた。

 

 ──画面の中では何度も見てきた写真が、
 こうして現実に“紙”として現れると、不思議なくらい息が詰まる。

 

 現実が、重くなる。

 逃げられなくなる。

 

 でも──それでいい。

 ぼくはきっと、この“重さ”が欲しかったんだ。

 

 君とつながっていた証を、
 ぼくだけが覚えているという、その“責任”を。

 

 *

 

 夜、部屋に帰り、机の引き出しを開ける。

 古いスリーブ。

 昔、TCG(トレーディングカードゲーム)をやっていた頃の保管袋が、
 まだいくつか残っていた。

 

 その中に、今日印刷した写真をそっと入れる。

 ……笑っちゃうほどオタクっぽい保存の仕方だ。

 

 けれど、そこにぼくらしさがある。

 ぼくの保存の仕方。

 ぼくなりの“好き”の保ち方。

 

 大切な一枚。

 誰にも見せないまま、
 でも、誰よりも大事に持っている──たった一枚の、ぼくの“好き”。

 

 画面はもう暗くなっていた。

 スマホの通知はゼロ。

 

 でも、今日はちょっとだけ、胸があたたかい。

 

 なぜだろう。

 きっと、それは──

 「好きだった気持ちを、ようやく“保存”できた」から。

 

 画面を閉じて、深く息を吐く。

 

 ぼくは今日、誰にもログインされなかった。

 誰にも見つけられなかった。

 

 でも。

 ぼくがぼく自身を、見つけ直した日だったのかもしれない。

 

(つづく)
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