『三千日目のセーブデータ──アラフォー童貞オタクの人生は、ロードできない』

本能寺から始める常陸之介寛浩

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第21話『今日という日は、どこへも届かない』

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 何も起きなかった日って、たしかにある。
 目が覚めて、何かを食べて、画面を見て、また夜になって。
 誰にも会わず、誰にも話しかけられず、通知はゼロ。

 でも、それは「何もなかった」んじゃない。
 「何もなかったことが起きた日」だった。

 それに気づいたのは、今日だった。

 *

 朝。
 アラームは鳴らなかった。設定していなかったのだ。
 目が覚めたのは、午後二時半。カーテンを開けていない部屋は、時間の感覚を失わせる。

 冷蔵庫に昨日買った弁当が残っていた。チルド弁当の賞味期限は「6月12日」。
 今日は「13日」だ。
 でも、腐ってはいないだろう。色も匂いも変わっていない。

 ──食べられる。たぶん。

 チンして食べた。味はよくわからなかった。
 そのまま机に突っ伏して、しばらく目を閉じた。

 何か夢を見ていた気がする。
 でも、思い出せない。
 ぼんやりと、誰かの後ろ姿が見えていた気がする。
 髪が揺れていた。
 風が吹いていた。

 たぶん、それは春乃だった。
 ぼくが、ずっと思い出せずにいる後ろ姿。
 最後に見た本当の春乃は、教室で笑っていた──たしか、そうだった。
 「じゃあね」って言って、軽く手を振って。
 それっきりだった。

 高校卒業して、大学も別々になって。
 そのあと、SNSで偶然つながったのが、十数年後のこと。
 あの奇跡みたいな再会から、ぼくはずっと、彼女を画面越しにしか知らない。

 ……それでも、好きだった。
 変わっていても、変わっていなくても、好きだった。

 *

 夕方。
 アパートの壁が赤く染まっていた。
 誰かが遠くで洗濯物を取り込んでいる音がした。
 「ガラガラッ」という、窓を開ける音と、サンダルの音。

 日常が、隣の部屋には存在していた。
 けれどぼくの部屋には、音だけが響いていた。
 ぼくの世界は、今日、動かなかった。

 誰にも会わなかった。
 メールもLINEも来なかった。
 タイムラインに春乃の名前はなかった。
 ニュースも、芸能人の話題も、流れていくだけだった。

 それでも一日が過ぎていく。
 カレンダーは、今日を一日分めくる。

 「生きてる」ってことの重さは、たぶん、こういう日にいちばん沁みる。
 何もなかったことが、記録されないことが、
 逆に、胸の奥をざらざらと削っていく。

 *

 夜。
 久しぶりに日記アプリを開いた。

 「今日の気分は?」と聞かれて、選択肢を選べなかった。
 「悲しい」「疲れた」「穏やか」「イライラ」……どれでもない。
 ただ、
 「何も感じたくない」だけだった。

 自由記述欄に、ぽつぽつと文字を打った。

 ■2025年6月13日(金)

 起きたのは14時半。
 冷蔵庫の弁当、ギリ食べられた。
 タイムラインは静か。
 通知ゼロ。LINEゼロ。
 夕焼けがきれいだったけど、誰にも言わなかった。
 この気持ちは、どこにも届かないと思う。

 保存ボタンを押すと、「投稿しますか?」と聞かれた。
 ──いいえ。

 この日記もまた、誰にも見られないまま、
 クラウドのどこかに埋もれていくのだろう。

 *

 春乃。
 きみは、こういう日をどう過ごしていたんだろう。
 誰にも会えない日、誰にも話しかけられない夜。
 ただ時間だけが過ぎていく日を。

 きみは、うまく笑えたんだろうか。
 それとも、きみもまた、画面の向こうで言葉を探していたんだろうか。

 もう、知るすべはない。
 きみが、アカウントを削除した理由も、
 ぼくと距離を置いた理由も、もう確かめられない。

 でも、今なら少しだけ、わかる気がする。

 何もない日をひとりで過ごす痛み。
 誰かに伝えたくても、伝えられない苛立ち。
 「こんな日もあったよ」って、言葉にすらできないまま、過ぎていく一日。

 *

 今日という日は、誰にも祝われなかった。
 誰にも覚えられなかった。
 記念日でもなかった。
 特別な瞬間もなかった。

 でも、それでも、
 「今日を生きた」ということだけは、
 たしかに、ここに記録されている。

 ……それが、何になるのかは、わからない。

 でも、ぼくは今日も、保存ボタンを押す。
 どこにも届かないと知りながら──
 それでも、\n\n 「ここに、いた」と記録するために。
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