97 / 153
第二章(第2巻分目)『戦国を歩む伊達藤次郎、春の烽火』
『虚を衝け、風に紛れて』
しおりを挟む
情報とは、刃よりも鋭く、毒よりも深く、戦よりも速くして敵を蝕む。
城内の静寂が、やけに耳に刺さる朝だった。
目覚めてすぐ、私は書院の障子を細く開けて外を覗く。春まだ浅い米沢の空気は刺すように冷たく、それでいて、肺に満ちると不思議と落ち着いた。
今日という日は、何かを偽ることから始まる。いや、“仕掛ける”というべきか。
「伊佐、黒脛巾(くろはばき)共は既に動いておるな?」
寝間のすぐ脇、柱の陰からすっと現れたのは、黒装束の小柄な影――伊佐だ。黒脛巾組のくノ一の中でも、頭ひとつ抜けた才気と冷静さを持つ。
「はい。今宵、越河の関守に変装した者が佐竹家の間者を誘導いたします。例の『相馬領内で疫病流行』の件、今朝には既に白河方面へも伝わるでしょう」
「でかした。あとは、如何に信じ込ませるか……だな」
私は一息ついて、帳面を開いた。戦は、まず心から崩すもの。敵に『攻めれば勝てる』と思わせるより、『今攻めれば損をする』と思わせる方が、はるかに効く。藤次郎――この名を貰ってから、私はより深く戦を考えるようになった。
「越河の商人たちの会話にも、偽情報を混ぜました。『相馬の兵たちは疲弊して、兵糧も底をつきかけている』と」
「“侍女の世間話”も忘れるなよ。井戸端こそ最強の戦場だ」
「心得ております」
伊佐が静かに笑う。
私は机の脇に置いていた地図を広げた。相馬、佐竹、蘆名――すべてが繋がる土壌をこの地に築きつつある。情報とは網のようなもので、一筋でも巧く織れば、獣は自然と罠に嵌る。
「定綱は、相馬からの牽制が始まっていると報告してきたが……こちらからは何もせずとも、敵が疲れていく、そんな戦をしたい」
実際、相馬の軍勢は定綱の旧領に向けて兵を動かしてはいる。だがそれは、我らの『沈黙』という強かさの前では、焦りの現れに過ぎぬ。
◇
その日の午後、片倉小十郎が報告に来た。
「御前、佐竹方の小姓が密かに馬を飛ばして白石へ向かったとのこと。どうやら例の噂、信じ込んだ様子にございます」
「早いな。相馬の疫病と、内部対立の件、どちらが効いた?」
「内部対立の話でしょうな。『金澤城で家老と若侍が刀を抜いた』との作り話、案外真実味があると……」
「はは、やはり“本当っぽい嘘”が一番効く」
私は机に肘をついて考え込む。相馬、佐竹、蘆名の三者に不信を植えつけること。それが目的だ。実際、誰かが信じればいい。その“誰か”が別の“誰か”を疑い、やがて疑念は拡がる。
「次は、佐竹と蘆名の間にも種を蒔け。『蘆名が相馬と密かに和睦』という形でな」
「了解しました。黒脛巾組を分けて、小野の僧侶に扮した者が会津へ入り込ませます」
「……見えぬ矢こそ、最も恐ろしい」
私はそう呟いた。敵の胸を射抜くのは、刀や槍ではない。見えぬ疑心と、聞こえぬ噂話だ。
◇
その夜、私は書院の灯火の下で、一人、硯に筆を落とした。
“戦わずして勝つ”――それは夢ではない。
父上ならば、否と言っただろう。
「誇りなき勝利に、何の意味がある」と。
だが、私はまだ六歳の子供だ。
正面からぶつかって、勝てるほどの兵力も、経験もない。ならば、知恵と工夫で、戦を操るしかない。
黒脛巾の者たちは、また闇に紛れて出て行った。
誰にも気づかれず、風のように現れ、風のように去りながら、敵の心を穿つ。
そして私は、彼らの足音の消えた先に思いを馳せながら、筆を置いた。
勝利は、目に見えぬところで始まっている。
それを知る者だけが、次の戦で血を流さずに済むのだ。
城内の静寂が、やけに耳に刺さる朝だった。
目覚めてすぐ、私は書院の障子を細く開けて外を覗く。春まだ浅い米沢の空気は刺すように冷たく、それでいて、肺に満ちると不思議と落ち着いた。
今日という日は、何かを偽ることから始まる。いや、“仕掛ける”というべきか。
「伊佐、黒脛巾(くろはばき)共は既に動いておるな?」
寝間のすぐ脇、柱の陰からすっと現れたのは、黒装束の小柄な影――伊佐だ。黒脛巾組のくノ一の中でも、頭ひとつ抜けた才気と冷静さを持つ。
「はい。今宵、越河の関守に変装した者が佐竹家の間者を誘導いたします。例の『相馬領内で疫病流行』の件、今朝には既に白河方面へも伝わるでしょう」
「でかした。あとは、如何に信じ込ませるか……だな」
私は一息ついて、帳面を開いた。戦は、まず心から崩すもの。敵に『攻めれば勝てる』と思わせるより、『今攻めれば損をする』と思わせる方が、はるかに効く。藤次郎――この名を貰ってから、私はより深く戦を考えるようになった。
「越河の商人たちの会話にも、偽情報を混ぜました。『相馬の兵たちは疲弊して、兵糧も底をつきかけている』と」
「“侍女の世間話”も忘れるなよ。井戸端こそ最強の戦場だ」
「心得ております」
伊佐が静かに笑う。
私は机の脇に置いていた地図を広げた。相馬、佐竹、蘆名――すべてが繋がる土壌をこの地に築きつつある。情報とは網のようなもので、一筋でも巧く織れば、獣は自然と罠に嵌る。
「定綱は、相馬からの牽制が始まっていると報告してきたが……こちらからは何もせずとも、敵が疲れていく、そんな戦をしたい」
実際、相馬の軍勢は定綱の旧領に向けて兵を動かしてはいる。だがそれは、我らの『沈黙』という強かさの前では、焦りの現れに過ぎぬ。
◇
その日の午後、片倉小十郎が報告に来た。
「御前、佐竹方の小姓が密かに馬を飛ばして白石へ向かったとのこと。どうやら例の噂、信じ込んだ様子にございます」
「早いな。相馬の疫病と、内部対立の件、どちらが効いた?」
「内部対立の話でしょうな。『金澤城で家老と若侍が刀を抜いた』との作り話、案外真実味があると……」
「はは、やはり“本当っぽい嘘”が一番効く」
私は机に肘をついて考え込む。相馬、佐竹、蘆名の三者に不信を植えつけること。それが目的だ。実際、誰かが信じればいい。その“誰か”が別の“誰か”を疑い、やがて疑念は拡がる。
「次は、佐竹と蘆名の間にも種を蒔け。『蘆名が相馬と密かに和睦』という形でな」
「了解しました。黒脛巾組を分けて、小野の僧侶に扮した者が会津へ入り込ませます」
「……見えぬ矢こそ、最も恐ろしい」
私はそう呟いた。敵の胸を射抜くのは、刀や槍ではない。見えぬ疑心と、聞こえぬ噂話だ。
◇
その夜、私は書院の灯火の下で、一人、硯に筆を落とした。
“戦わずして勝つ”――それは夢ではない。
父上ならば、否と言っただろう。
「誇りなき勝利に、何の意味がある」と。
だが、私はまだ六歳の子供だ。
正面からぶつかって、勝てるほどの兵力も、経験もない。ならば、知恵と工夫で、戦を操るしかない。
黒脛巾の者たちは、また闇に紛れて出て行った。
誰にも気づかれず、風のように現れ、風のように去りながら、敵の心を穿つ。
そして私は、彼らの足音の消えた先に思いを馳せながら、筆を置いた。
勝利は、目に見えぬところで始まっている。
それを知る者だけが、次の戦で血を流さずに済むのだ。
10
あなたにおすすめの小説
友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。
石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。
だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった
何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~
ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。
王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。
15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。
国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。
これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。
勘当された少年と不思議な少女
レイシール
ファンタジー
15歳を迎えた日、ランティスは父親から勘当を言い渡された。
理由は外れスキルを持ってるから…
眼の色が違うだけで気味が悪いと周りから避けられてる少女。
そんな2人が出会って…
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
薬師の名門ブレルスクに入学した私は、退学するまで暴れます。〜少年アレクの倫理で殴る学園ファンタジー〜
鮒捌ケコラ
ファンタジー
入学式から3週間目にして『退学」を言い渡された。
(早くない?RTAじゃないんだからさ。)
自分で言うのもアレだけど、入学してからは結構真面目に通ってた。
けど、どうやら教員の不況を買ってしまったらしい。
幸か不幸か、退学まで1週間の執行猶予が与えられた。
けど、今更どう足掻いても挽回する事は不可能だろうし、
そもそも挽回する気も起こらない。
ここまでの学園生活を振り返っても
『この学園に執着出来る程の魅力』
というものが思い当たらないからだ。
寧ろ散々な事ばかりだったな、今日まで。
それに、これ以上無理に通い続けて
貴族とのしがらみシミッシミの薬師になるより
故郷に帰って自由気ままな森番に復職した方が
ずっと実りある人生になるだろう。
私を送り出した公爵様も領主様も、
アイツだってきっとわかってくれる筈だ。
よし。決まりだな。
それじゃあ、退学するまでは休まず毎日通い続けるとして……
大人しくする理由も無くなったし、
これからは自由気ままに、我儘に、好き勝手に過ごす事にしよう。
せっかくだし、教員達からのヘイトをカンストさせるのも面白そうだ。
てな訳で………
薬師の名門ブレルスクに入学した私は、退学するまで暴れます。
…そう息巻いて迎えた執行猶予満了日、
掲示板に張り出された正式な退学勧告文を
確認しに行ったんだけど……
どういう事なの?これ。
戦場の英雄、上官の陰謀により死亡扱いにされ、故郷に帰ると許嫁は結婚していた。絶望の中、偶然助けた許嫁の娘に何故か求婚されることに
千石
ファンタジー
「絶対生きて帰ってくる。その時は結婚しよう」
「はい。あなたの帰りをいつまでも待ってます」
許嫁と涙ながらに約束をした20年後、英雄と呼ばれるまでになったルークだったが生還してみると死亡扱いにされていた。
許嫁は既に結婚しており、ルークは絶望の只中に。
上官の陰謀だと知ったルークは激怒し、殴ってしまう。
言い訳をする気もなかったため、全ての功績を抹消され、貰えるはずだった年金もパー。
絶望の中、偶然助けた子が許嫁の娘で、
「ルーク、あなたに惚れたわ。今すぐあたしと結婚しなさい!」
何故か求婚されることに。
困りながらも巻き込まれる騒動を通じて
ルークは失っていた日常を段々と取り戻していく。
こちらは他のウェブ小説にも投稿しております。
戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、
わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。
彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる