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プロローグ
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大きく温かな腕の中で、私は心の底から安心していた。
こんなに安心するのは、きっと数年ぶりのこと。
拒まれないことを確かめるように、私は彼のぬくもりに身を寄せていた。
ほんの数時間前まで、こんなふうに誰かに触れられることなんて、想像もできなかったのに。
_/_/_/_/_/_/
「息抜きくらいさせてくれよ……」
会社からの帰り道、偶然遭遇した同棲中の彼氏に言われたひと言が何度も脳内を反芻する。
彼の隣には、私とは比較をするのもおこがましいほど身なりに気を遣った綺麗な女性が立っていた。
同棲中の彼女。のはずの私は、そんな見知らぬ女性に何を伝えることもできなかった。
ふらふらとその場を離れた私は、信号のない横断歩道に差しかかった。
冷たい雨が残酷に頭も体も冷やしていく、最低な夜道だった。
ぼんやりと歩き出そうとした瞬間、遠くからクラクションの音が響く。
車のライトが近づいてくるのが見えたけれど、避けようという気持ちは湧かなかった。
車は急ブレーキをかけて止まり、運転手が窓を開けて何かを怒鳴る声が聞こえた。
ーーその頃の私は、人生のどん底にいた。
生きていたってこの先に光なんてない、そう思ってしまうほど。
どうしてこんな風になってしまったんだろう。
気付けば自分の気持ちを押し殺し、こんな風に崩れ込むまで限界に気付かないほど、自分の気持ちに疎くなってしまっていた。
「全部、終わらせてくれたら良かったのに……」
過ぎ去っていくトラックを目で追いながら呟いた言葉は、冷たい雨の音に簡単にかき消されていった。
_/_/_/_/_/_/
「……大丈夫?」
耳元で囁かれた低い声に、私ははっとして現実に目を向ける。
目の前にいるのは名前も知らない男性。
絶望に沈む私の手を掴んでくれた、奇跡みたいな人。
隣に座り、静かにこちらを見つめる彼に、ぐっと喉が苦しくなるのを感じる。
ーー大丈夫。
出かかった言葉が出なかったのは、彼の表情が優しかったからだろうか。
こんなにも、言い慣れている言葉だというのに。
「お願い……」
代わりに出た声は、自分でも驚くほどに震えていた。
「今日だけでいいから」
彼の服を掴む指に、力が入る。
理由も、事情も、何ひとつ説明していないのに。
彼は、全てを受け止めるように、私の髪に優しく触れた。
「……わかった。もう、何も考えないで」
次の瞬間、視界が揺れて、背中に柔らかい感触が広がった。
気づけば私はベッドに押し倒されていて、彼の体温が、優しく覆いかぶさってくる。
私は頷く代わりに、彼の首に腕を回した。
この腕の中にいられるなら。
見たくもない私の世界が止まってくれるなら。
それで、十分だった。
_/_/_/_/_/_/
本作品を開いていただき、ありがとうございます_(⑉• •⑉_)
気に入っていただけたら、お気に入りやエールいただけますと励みになります!
次回もぜひお付き合いください。
こんなに安心するのは、きっと数年ぶりのこと。
拒まれないことを確かめるように、私は彼のぬくもりに身を寄せていた。
ほんの数時間前まで、こんなふうに誰かに触れられることなんて、想像もできなかったのに。
_/_/_/_/_/_/
「息抜きくらいさせてくれよ……」
会社からの帰り道、偶然遭遇した同棲中の彼氏に言われたひと言が何度も脳内を反芻する。
彼の隣には、私とは比較をするのもおこがましいほど身なりに気を遣った綺麗な女性が立っていた。
同棲中の彼女。のはずの私は、そんな見知らぬ女性に何を伝えることもできなかった。
ふらふらとその場を離れた私は、信号のない横断歩道に差しかかった。
冷たい雨が残酷に頭も体も冷やしていく、最低な夜道だった。
ぼんやりと歩き出そうとした瞬間、遠くからクラクションの音が響く。
車のライトが近づいてくるのが見えたけれど、避けようという気持ちは湧かなかった。
車は急ブレーキをかけて止まり、運転手が窓を開けて何かを怒鳴る声が聞こえた。
ーーその頃の私は、人生のどん底にいた。
生きていたってこの先に光なんてない、そう思ってしまうほど。
どうしてこんな風になってしまったんだろう。
気付けば自分の気持ちを押し殺し、こんな風に崩れ込むまで限界に気付かないほど、自分の気持ちに疎くなってしまっていた。
「全部、終わらせてくれたら良かったのに……」
過ぎ去っていくトラックを目で追いながら呟いた言葉は、冷たい雨の音に簡単にかき消されていった。
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「……大丈夫?」
耳元で囁かれた低い声に、私ははっとして現実に目を向ける。
目の前にいるのは名前も知らない男性。
絶望に沈む私の手を掴んでくれた、奇跡みたいな人。
隣に座り、静かにこちらを見つめる彼に、ぐっと喉が苦しくなるのを感じる。
ーー大丈夫。
出かかった言葉が出なかったのは、彼の表情が優しかったからだろうか。
こんなにも、言い慣れている言葉だというのに。
「お願い……」
代わりに出た声は、自分でも驚くほどに震えていた。
「今日だけでいいから」
彼の服を掴む指に、力が入る。
理由も、事情も、何ひとつ説明していないのに。
彼は、全てを受け止めるように、私の髪に優しく触れた。
「……わかった。もう、何も考えないで」
次の瞬間、視界が揺れて、背中に柔らかい感触が広がった。
気づけば私はベッドに押し倒されていて、彼の体温が、優しく覆いかぶさってくる。
私は頷く代わりに、彼の首に腕を回した。
この腕の中にいられるなら。
見たくもない私の世界が止まってくれるなら。
それで、十分だった。
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次回もぜひお付き合いください。
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