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第2章 南郡平定戦
第13話 チャリオット
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正直舐めていたのでは、と聞かれればその通りだろう。
俺は王都に帰ったらとか先のことばかり考えていたし、天も領土の確保、さらに拡張といった未来ばかり見ていたところはある。
いや、天もちろん偵察を出したし、俺自身も『古の魔導書』で周囲の地形や敵の動向を見るのに余念はなかった。
とはいえ、『古の魔導書』は俺が知覚しえない敵は表示されないから、現存の敵と味方の動向しかみれなかったわけだけど。
それでも『この戦いが終わったら』なんて台詞は、フラグだなんて現代では常識だし、なんでそんなことを思ってしまったのかというと、やはり緊張感の欠如だろうか。
オムカの独立が成って、シータと良い関係性も築けて、さらに初のエイン帝国侵攻の初戦もあっさりと勝ててしまった。
だから戦場という場所に立ったにも関わらず、どこか弛緩して思考が鈍化してしまったのだろう。一歩間違えれば自分だけでなく多くの人が死ぬ。それが戦場だというのはこれまで多少なりとも経験してきたというのに。
「追撃部隊、敵を追い打ちに討ち、快勝! 5千ほどの敵兵がここから北西5キロの位置にある砦に籠りました!」
「巌隊長よりこれより帰還するとのことです!」
「追撃部隊、敵に強襲を受けました! その数、およそ5万! 支えきれず潰走です!」
「巌隊長、戦死!」
急転直下の内容の伝令が矢継ぎ早に送られてくる。
嘘だろう、と思いたくても次々と駆けてくる敗残兵を見ればそれが真実なのは一目瞭然だ。
「帰ってくる者を収容しろ! ちゃんと人数数えろよ! 怪我の軽い者はここで治療。重い者は小舟で船に戻し、本国に送り返せ! 砦の増築、急げ! 敵が来るぞ!」
天が柔和な態度をかなぐり捨てて怒鳴るように指示を出していく。
「ちょっとやばくない、ジャンヌ?」
ニーアが俺の隣で腰を下ろしながら聞いてくる。
地面に降りたからか、船酔いは回復し始めている。2回目だからか、乗船時間が短かったからか、前よりは回復が早いがまだ本調子ではなさそうだ。
「あぁ、最悪このまま撤退もありうる」
「ぐぇ……また船に乗るのー」
しかし5万か……。
『古の魔導書』には情報がない。新手ということだろう。
地図をにらんでいる俺に天が近づくと声をかけてきた。
「他の砦からの増援でしょうか」
「いやそれにしては早い。狼煙が上がって他から出てきたとしても、5万というのは変だ。多すぎる」
「そうですね。追い散らした兵はおよそ1万強。おそらく近くの3つの砦から出動した部隊でしょうから1つの砦に3千から4千ほどの計算になります。となれば10以上の砦から出撃してきたことになりますが、そこまで近くに砦が密集していることはありません。ウォンリバーは広い。岸辺をまんべんなく守るとなれば、10万以上はある兵力もある程度分散しなければなりません」
確かに『古の魔導書』でも砦は地形として見れる。だから天の言う通り30ほどの砦がウォンリバーの川岸に点在しているのは確認できた。
一見手薄に見えるが、そもそも敵前渡河をする敵を防衛するのは今のように1万そこそこいれば十分なわけだ。
それにもし上陸されてしまったとしても、他の砦から兵力を集めて一気に押しつぶせばそれで済む。少し日数がかかるとはいえ、背水の陣だ。圧倒的物量の前ではそれも虚しい。
ならこの5万はどこから……。
「砦からじゃなく、内陸の方からとか?」
「それでも早すぎますね。我らの船を見つけてから1時間足らずでここに来るなんてのは、我らがここに来るのを前もって知っていたとしか……」
「一応聞いておくけど、渡河計画を知っているのは?」
「気持ちはわかりますがそれはないでしょう。知っているのは私と淡英、そして我らが王のみ。あとはジャンヌさん、貴女です」
だよな。
それを知った誰かが内通して敵に伝えたとも考えたが、それもなさそうだ。
「それに偽装として出発地点と渡河地点をずらしました。だからもし出発時に敵に伝えようにもそれが正確に伝わるはずがないのです」
「ううん、じゃあどこの兵なんだ?」
どれだけ悩んでも答えがでない。
そしてこの5万の敵の謎を深める報告が更に来た。
「総帥様! 兵の収容が完了しました!」
「ご苦労様です。それで、どれほど残りましたか?」
「それが……8千以上は残っております。重傷の者も少なく、100名ほどでした」
「死傷者が1千人かそこら……奇妙ですね」
「ああ、5万の軍に襲われたとしたらもっと被害が出ていいはず。それにそもそもなんで奴らは追撃してこない? こっちには柵と1万がいるとはいえ、5万なら押しつぶしに来れば簡単なはずなのに」
「そうですね。少し話を聞いてみましょうか。巌隊長……は戦死されたのですね。惜しい方をなくしました。彼にはもっと働いてもらいたかったのですが……。撤退の指揮をとった人を呼んできてもらえますか」
「はっ!」
伝令が下がり、数分して1人の男がやって来た。
20代後半といった筋肉質の男で、右目を覆うように巻かれた包帯ににじんだ血の色が痛々しい。
「英史、ただいま参りました!」
「お疲れ様です。まずは無事の生還を、そして多くの兵を生き残らせてくれたことに感謝を。そして巌隊長には哀悼を」
「わ、私は何も……隊長をむざむざ死なせてしまいました」
「いえ、そもそもが敵の動向をしっかり把握できていなかった洞察不足にあります。この責任は私に」
「そ、そんな。総帥様が頭を下げるなんて……恐れ多い」
「不甲斐ない私ですが、私たちが生き残るため、何より巌隊長の無念を晴らすため。教えてもらえますか。一体何が起きたのか」
「はっ、承知しました!」
追撃隊の右翼の部隊長である英史が語ったことはこうだ。
まず上陸して逃げる敵兵を追った巌は、敵が砦に逃げ込むとひと当てして撤退した。
そもそも天からは深追いせず戻ってくるよう言い含められていたのだ。
それでも一度砦を攻めたのは、敵の戦意を見るためと、まさか攻撃してきた相手がすぐに撤退するとは思わない意表を突くための作戦だ。それは功を奏したようで、無事に砦から離れると部隊は周囲を警戒しながら南下していった。
その時、西に敵影を発見したと偵察部隊が戻って報告したという。
その数およそ2千。
その新手と背後の砦が連動して攻めて来れば挟み撃ちになると考えた巌隊長は、新手と背後に警戒を置きながら南下のスピードを早めた。
だが意に反して2千はすぐに攻めかかってきた。1万に対し2千で真正面から攻めてくるのだから自殺行為だ。あるいは後方や東から敵が、と思ったがその姿はない。
巌隊長が攻めて来る2千の撃退を優先したのは間違っていないだろう。
停止して迎撃態勢を取ったところまでは問題がない。
だが異変はその時に起きた。
2千との距離があと100メートルを切ったころ。どこから現れたのか、北西から大軍が突っかかって来たのだ。
どこにそんな兵が、と思うのと同時、誰もが驚愕したに違いない。
最初は騎馬隊だと思った。だが騎馬が二頭ずつに何かを引いている。その何かは馬車のような二輪車で、その上に兵らしき影が複数。
英史が見て取れたのはそこまでだった。
あとは圧倒的な兵力に一撃で食い荒らされ巌隊長は戦死。恐慌に見舞われた味方と共に、ひたすら南に向けて逃げ帰ったというわけだ。
「私は右翼にいたので逃げる際に最後尾にいました。しかし背後からの圧力がないと思い、ふと背後を見ると、その大軍はどこにもいなくなっていたのです。悠々と北上する元の2千の遠ざかる姿が見えるだけでした」
「幻を見た、というわけではありませんね」
「はい。私の副官も見ましたし、兵に聞いても同じ答えしか返ってきませんでした。あの馬に引かれた奇妙な馬車も、証言は全て一致しておりました」
「戦車だ」
「なんですって、ジャンヌさん?」
「古代の主力兵器。馬に乗り物を引かせて、そこに乗った兵が敵を撃破する。騎馬隊と違って速くないし、地形が悪けりゃ使えないし、方向転換が容易じゃないから扱いは難しい。けど突破力は随一だ」
現代にある機械仕掛けの戦車ではなく、古代の戦車はそういったものだ。
1つ1つならそこまで脅威ではないが、それが群れを成して突っ込んでくるんだからその破壊力と突破力は古代の戦争においては主力といってもいいほどに強力だった。
馬を倒しても乗り物の敵兵は健在だし、かといって馬を避ければ乗り物の敵に槍や矢で討たれる。では敵兵を狙えば、と思うが狂奔した騎馬に踏み殺されるのがオチだ。
つまり歩兵相手には圧倒的な威力を見せつけることができるので、紀元前に存在したアッシリア帝国はその戦車と騎馬隊を使ってオリエントを統一したという歴史のお墨付きがある。
ただこの天と英史の反応を見るや、この世界にはそういった歴史がないらしい。
そのことに不審を思いつつも、今は迫った謎の方が大事だと頭を切り替える。
「1つだけ聞きたいんですけど」
「はっ、何なりと」
「地鳴りはしました?」
「は……はぁ。地鳴りですか?」
「それほどの戦車隊が襲って来たんだ。馬や車輪が起こす地鳴りは相当なものだと思うけど」
「あ、なるほど。…………いえ、そういえばそれほど大きな地鳴りはなかったかと」
「分かった、ありがとう」
「いえ、お役に立てるのであれば光栄です」
英史は頬を紅潮させながら頭を下げる。
「私からもお礼を言います英史。しかし貴方もかなりの重傷ではないのですか。一度本国に戻って治療した方がよいですね」
「いえ、私は隊長の無念を晴らすまで、ここで戦います。それでは失礼します」
英史が去っていくのを視覚的にとらえたが、思考は別のところを回り続ける。
「突如現れ、消えた戦車部隊。被害はごくわずか。去って行った2千。少ない地鳴り」
「何かわかりそうですか?」
「その前に聞きたいんだけど、戦車って言葉に聞き覚えはない?」
「はい、あるいは古代の戦史にはあったのかもしれませんが、そういった書物や口伝はほぼ残っていないので何も。あるいはエイン帝国の新兵器なのでしょうか」
「いや、それはないかな。兵器の力で言えば鉄砲の方が断然強いし」
そもそも歴史書がなくなっているというのはどういうことだ。
戦争なんてものは歴史の積み重ねだ。石槍があって青銅器があって鉄器が生まれ、そこから大砲や鉄砲といったように武器が変化していくように、歴史の積み重ねにより発展していったのだ。
だから騎馬隊がいるのに古代戦車という概念がないという状況がいっそう不可思議なものを感じさせる。
あるいは最近感じるこの世界の違和。異なる地方に異なる風土、更に合致しない兵器の時間軸。
それらが指し示すものは……。
やめよう。
今はそんなことを考える時間じゃない。
むしろ今の戦車隊については答えはもう出たようなものだ。ならばあとは対策を講じるだけ。
「おそらくだけど、聞いてくれるかな。いや、不思議なことを言うようだけど聞いてほしい」
「分かりました」
「この5万の兵力。おそらく幻だと思う」
「幻?」
「ああ、軍全体が幻を見せられたというのかな。とにかく実態のない兵だ。被害の少なさと地鳴りがそれを証明している。おそらく幻の大軍に動揺したところを2千が攻撃したため多少の損害を受けた、そんなところだと思う」
というより存在の概念がない世界に戦車というものが急に現れたところからも説明すべきだが、ややこしくなるので省いた。
「1万が全員同時に幻を見た、ですか……」
「見させられた、が正しいな。おそらくそういったものに長けた人間がいたんだろう」
「まるでおとぎ話の魔法ですね。しかしジャンヌさんがそういったものを信じているとは……」
「信じる信じないじゃなく、実際に起きた事象を見てそう判断しただけさ。犠牲が少ないのは本当は2千での攻撃だったから。追ってこないのは腹を据えて迎撃されたら2千じゃ敵わないから。また、追撃がなければ、どこに5万ほどの兵力がいるか分からず、こちらが混乱するのを期待しているから。そうやって時間稼ぎしている間に、他の砦から兵を集めて圧倒的な兵力でこっちを押しつぶす気だろう」
「まさかそんな……いや、でも確かに……」
認めたくないのは分かる。
俺だってこの立場にいなければ信じることはできなかっただろう。発想すらなかっただろう。
軍師という立場ではない。
プレイヤーという立場だ。
つまりこれは敵にいるプレイヤーの仕業。スキルによる攻撃だ。
戦車という概念がないのに戦車が現れたなら、それは戦車を知っている世界の人間が起こしたと考えればつじつまが合う。
戦車も世界史の授業では習うし、少し歴史をかじれば兵器として重要な位置をしめていることは分かる。タロットカードが一般に認知され始めていることもあり、ある程度メジャー化してきているのもある。
ではプレイヤーがそういった兵を召喚した、とかいうスキルかと言われればそれは違う。
やはり被害の少なさと地鳴りがないことがその証左だ。
そこから更に発想を飛躍させる。
急に現れ消えたというのだから実体のない存在ではないか、と考えた。そうなれば被害の少なさも地鳴りの謎も、追撃せずに兵を退いたことの説明にもなる。
こじつけ上等の推論だが、おそらくそう間違ってはいないはずだ。
少なくともプレイヤーのスキルだということは間違いないだろう。
となれば後は対処方法。
それを実行できるかどうかだが……。
天を見る。
今の俺は相談役に過ぎない。だがこのままでは敵の大軍がやってくる。
一瞬の迷い。だが俺は口を開く。
「天、とにかく謎の敵には白黒つけないと士気に響く。信じるか信じないか、判断は任せる。だが先に策を聞いてくれないかな」
「分かりました」
天が重々しく頷く。
これはある意味賭けだ。
想定が間違っていれば死ぬ。
だが信じろ。
俺自身をじゃなく、この世界をじゃなく、100に達した知力のパラメータの力を。
俺は王都に帰ったらとか先のことばかり考えていたし、天も領土の確保、さらに拡張といった未来ばかり見ていたところはある。
いや、天もちろん偵察を出したし、俺自身も『古の魔導書』で周囲の地形や敵の動向を見るのに余念はなかった。
とはいえ、『古の魔導書』は俺が知覚しえない敵は表示されないから、現存の敵と味方の動向しかみれなかったわけだけど。
それでも『この戦いが終わったら』なんて台詞は、フラグだなんて現代では常識だし、なんでそんなことを思ってしまったのかというと、やはり緊張感の欠如だろうか。
オムカの独立が成って、シータと良い関係性も築けて、さらに初のエイン帝国侵攻の初戦もあっさりと勝ててしまった。
だから戦場という場所に立ったにも関わらず、どこか弛緩して思考が鈍化してしまったのだろう。一歩間違えれば自分だけでなく多くの人が死ぬ。それが戦場だというのはこれまで多少なりとも経験してきたというのに。
「追撃部隊、敵を追い打ちに討ち、快勝! 5千ほどの敵兵がここから北西5キロの位置にある砦に籠りました!」
「巌隊長よりこれより帰還するとのことです!」
「追撃部隊、敵に強襲を受けました! その数、およそ5万! 支えきれず潰走です!」
「巌隊長、戦死!」
急転直下の内容の伝令が矢継ぎ早に送られてくる。
嘘だろう、と思いたくても次々と駆けてくる敗残兵を見ればそれが真実なのは一目瞭然だ。
「帰ってくる者を収容しろ! ちゃんと人数数えろよ! 怪我の軽い者はここで治療。重い者は小舟で船に戻し、本国に送り返せ! 砦の増築、急げ! 敵が来るぞ!」
天が柔和な態度をかなぐり捨てて怒鳴るように指示を出していく。
「ちょっとやばくない、ジャンヌ?」
ニーアが俺の隣で腰を下ろしながら聞いてくる。
地面に降りたからか、船酔いは回復し始めている。2回目だからか、乗船時間が短かったからか、前よりは回復が早いがまだ本調子ではなさそうだ。
「あぁ、最悪このまま撤退もありうる」
「ぐぇ……また船に乗るのー」
しかし5万か……。
『古の魔導書』には情報がない。新手ということだろう。
地図をにらんでいる俺に天が近づくと声をかけてきた。
「他の砦からの増援でしょうか」
「いやそれにしては早い。狼煙が上がって他から出てきたとしても、5万というのは変だ。多すぎる」
「そうですね。追い散らした兵はおよそ1万強。おそらく近くの3つの砦から出動した部隊でしょうから1つの砦に3千から4千ほどの計算になります。となれば10以上の砦から出撃してきたことになりますが、そこまで近くに砦が密集していることはありません。ウォンリバーは広い。岸辺をまんべんなく守るとなれば、10万以上はある兵力もある程度分散しなければなりません」
確かに『古の魔導書』でも砦は地形として見れる。だから天の言う通り30ほどの砦がウォンリバーの川岸に点在しているのは確認できた。
一見手薄に見えるが、そもそも敵前渡河をする敵を防衛するのは今のように1万そこそこいれば十分なわけだ。
それにもし上陸されてしまったとしても、他の砦から兵力を集めて一気に押しつぶせばそれで済む。少し日数がかかるとはいえ、背水の陣だ。圧倒的物量の前ではそれも虚しい。
ならこの5万はどこから……。
「砦からじゃなく、内陸の方からとか?」
「それでも早すぎますね。我らの船を見つけてから1時間足らずでここに来るなんてのは、我らがここに来るのを前もって知っていたとしか……」
「一応聞いておくけど、渡河計画を知っているのは?」
「気持ちはわかりますがそれはないでしょう。知っているのは私と淡英、そして我らが王のみ。あとはジャンヌさん、貴女です」
だよな。
それを知った誰かが内通して敵に伝えたとも考えたが、それもなさそうだ。
「それに偽装として出発地点と渡河地点をずらしました。だからもし出発時に敵に伝えようにもそれが正確に伝わるはずがないのです」
「ううん、じゃあどこの兵なんだ?」
どれだけ悩んでも答えがでない。
そしてこの5万の敵の謎を深める報告が更に来た。
「総帥様! 兵の収容が完了しました!」
「ご苦労様です。それで、どれほど残りましたか?」
「それが……8千以上は残っております。重傷の者も少なく、100名ほどでした」
「死傷者が1千人かそこら……奇妙ですね」
「ああ、5万の軍に襲われたとしたらもっと被害が出ていいはず。それにそもそもなんで奴らは追撃してこない? こっちには柵と1万がいるとはいえ、5万なら押しつぶしに来れば簡単なはずなのに」
「そうですね。少し話を聞いてみましょうか。巌隊長……は戦死されたのですね。惜しい方をなくしました。彼にはもっと働いてもらいたかったのですが……。撤退の指揮をとった人を呼んできてもらえますか」
「はっ!」
伝令が下がり、数分して1人の男がやって来た。
20代後半といった筋肉質の男で、右目を覆うように巻かれた包帯ににじんだ血の色が痛々しい。
「英史、ただいま参りました!」
「お疲れ様です。まずは無事の生還を、そして多くの兵を生き残らせてくれたことに感謝を。そして巌隊長には哀悼を」
「わ、私は何も……隊長をむざむざ死なせてしまいました」
「いえ、そもそもが敵の動向をしっかり把握できていなかった洞察不足にあります。この責任は私に」
「そ、そんな。総帥様が頭を下げるなんて……恐れ多い」
「不甲斐ない私ですが、私たちが生き残るため、何より巌隊長の無念を晴らすため。教えてもらえますか。一体何が起きたのか」
「はっ、承知しました!」
追撃隊の右翼の部隊長である英史が語ったことはこうだ。
まず上陸して逃げる敵兵を追った巌は、敵が砦に逃げ込むとひと当てして撤退した。
そもそも天からは深追いせず戻ってくるよう言い含められていたのだ。
それでも一度砦を攻めたのは、敵の戦意を見るためと、まさか攻撃してきた相手がすぐに撤退するとは思わない意表を突くための作戦だ。それは功を奏したようで、無事に砦から離れると部隊は周囲を警戒しながら南下していった。
その時、西に敵影を発見したと偵察部隊が戻って報告したという。
その数およそ2千。
その新手と背後の砦が連動して攻めて来れば挟み撃ちになると考えた巌隊長は、新手と背後に警戒を置きながら南下のスピードを早めた。
だが意に反して2千はすぐに攻めかかってきた。1万に対し2千で真正面から攻めてくるのだから自殺行為だ。あるいは後方や東から敵が、と思ったがその姿はない。
巌隊長が攻めて来る2千の撃退を優先したのは間違っていないだろう。
停止して迎撃態勢を取ったところまでは問題がない。
だが異変はその時に起きた。
2千との距離があと100メートルを切ったころ。どこから現れたのか、北西から大軍が突っかかって来たのだ。
どこにそんな兵が、と思うのと同時、誰もが驚愕したに違いない。
最初は騎馬隊だと思った。だが騎馬が二頭ずつに何かを引いている。その何かは馬車のような二輪車で、その上に兵らしき影が複数。
英史が見て取れたのはそこまでだった。
あとは圧倒的な兵力に一撃で食い荒らされ巌隊長は戦死。恐慌に見舞われた味方と共に、ひたすら南に向けて逃げ帰ったというわけだ。
「私は右翼にいたので逃げる際に最後尾にいました。しかし背後からの圧力がないと思い、ふと背後を見ると、その大軍はどこにもいなくなっていたのです。悠々と北上する元の2千の遠ざかる姿が見えるだけでした」
「幻を見た、というわけではありませんね」
「はい。私の副官も見ましたし、兵に聞いても同じ答えしか返ってきませんでした。あの馬に引かれた奇妙な馬車も、証言は全て一致しておりました」
「戦車だ」
「なんですって、ジャンヌさん?」
「古代の主力兵器。馬に乗り物を引かせて、そこに乗った兵が敵を撃破する。騎馬隊と違って速くないし、地形が悪けりゃ使えないし、方向転換が容易じゃないから扱いは難しい。けど突破力は随一だ」
現代にある機械仕掛けの戦車ではなく、古代の戦車はそういったものだ。
1つ1つならそこまで脅威ではないが、それが群れを成して突っ込んでくるんだからその破壊力と突破力は古代の戦争においては主力といってもいいほどに強力だった。
馬を倒しても乗り物の敵兵は健在だし、かといって馬を避ければ乗り物の敵に槍や矢で討たれる。では敵兵を狙えば、と思うが狂奔した騎馬に踏み殺されるのがオチだ。
つまり歩兵相手には圧倒的な威力を見せつけることができるので、紀元前に存在したアッシリア帝国はその戦車と騎馬隊を使ってオリエントを統一したという歴史のお墨付きがある。
ただこの天と英史の反応を見るや、この世界にはそういった歴史がないらしい。
そのことに不審を思いつつも、今は迫った謎の方が大事だと頭を切り替える。
「1つだけ聞きたいんですけど」
「はっ、何なりと」
「地鳴りはしました?」
「は……はぁ。地鳴りですか?」
「それほどの戦車隊が襲って来たんだ。馬や車輪が起こす地鳴りは相当なものだと思うけど」
「あ、なるほど。…………いえ、そういえばそれほど大きな地鳴りはなかったかと」
「分かった、ありがとう」
「いえ、お役に立てるのであれば光栄です」
英史は頬を紅潮させながら頭を下げる。
「私からもお礼を言います英史。しかし貴方もかなりの重傷ではないのですか。一度本国に戻って治療した方がよいですね」
「いえ、私は隊長の無念を晴らすまで、ここで戦います。それでは失礼します」
英史が去っていくのを視覚的にとらえたが、思考は別のところを回り続ける。
「突如現れ、消えた戦車部隊。被害はごくわずか。去って行った2千。少ない地鳴り」
「何かわかりそうですか?」
「その前に聞きたいんだけど、戦車って言葉に聞き覚えはない?」
「はい、あるいは古代の戦史にはあったのかもしれませんが、そういった書物や口伝はほぼ残っていないので何も。あるいはエイン帝国の新兵器なのでしょうか」
「いや、それはないかな。兵器の力で言えば鉄砲の方が断然強いし」
そもそも歴史書がなくなっているというのはどういうことだ。
戦争なんてものは歴史の積み重ねだ。石槍があって青銅器があって鉄器が生まれ、そこから大砲や鉄砲といったように武器が変化していくように、歴史の積み重ねにより発展していったのだ。
だから騎馬隊がいるのに古代戦車という概念がないという状況がいっそう不可思議なものを感じさせる。
あるいは最近感じるこの世界の違和。異なる地方に異なる風土、更に合致しない兵器の時間軸。
それらが指し示すものは……。
やめよう。
今はそんなことを考える時間じゃない。
むしろ今の戦車隊については答えはもう出たようなものだ。ならばあとは対策を講じるだけ。
「おそらくだけど、聞いてくれるかな。いや、不思議なことを言うようだけど聞いてほしい」
「分かりました」
「この5万の兵力。おそらく幻だと思う」
「幻?」
「ああ、軍全体が幻を見せられたというのかな。とにかく実態のない兵だ。被害の少なさと地鳴りがそれを証明している。おそらく幻の大軍に動揺したところを2千が攻撃したため多少の損害を受けた、そんなところだと思う」
というより存在の概念がない世界に戦車というものが急に現れたところからも説明すべきだが、ややこしくなるので省いた。
「1万が全員同時に幻を見た、ですか……」
「見させられた、が正しいな。おそらくそういったものに長けた人間がいたんだろう」
「まるでおとぎ話の魔法ですね。しかしジャンヌさんがそういったものを信じているとは……」
「信じる信じないじゃなく、実際に起きた事象を見てそう判断しただけさ。犠牲が少ないのは本当は2千での攻撃だったから。追ってこないのは腹を据えて迎撃されたら2千じゃ敵わないから。また、追撃がなければ、どこに5万ほどの兵力がいるか分からず、こちらが混乱するのを期待しているから。そうやって時間稼ぎしている間に、他の砦から兵を集めて圧倒的な兵力でこっちを押しつぶす気だろう」
「まさかそんな……いや、でも確かに……」
認めたくないのは分かる。
俺だってこの立場にいなければ信じることはできなかっただろう。発想すらなかっただろう。
軍師という立場ではない。
プレイヤーという立場だ。
つまりこれは敵にいるプレイヤーの仕業。スキルによる攻撃だ。
戦車という概念がないのに戦車が現れたなら、それは戦車を知っている世界の人間が起こしたと考えればつじつまが合う。
戦車も世界史の授業では習うし、少し歴史をかじれば兵器として重要な位置をしめていることは分かる。タロットカードが一般に認知され始めていることもあり、ある程度メジャー化してきているのもある。
ではプレイヤーがそういった兵を召喚した、とかいうスキルかと言われればそれは違う。
やはり被害の少なさと地鳴りがないことがその証左だ。
そこから更に発想を飛躍させる。
急に現れ消えたというのだから実体のない存在ではないか、と考えた。そうなれば被害の少なさも地鳴りの謎も、追撃せずに兵を退いたことの説明にもなる。
こじつけ上等の推論だが、おそらくそう間違ってはいないはずだ。
少なくともプレイヤーのスキルだということは間違いないだろう。
となれば後は対処方法。
それを実行できるかどうかだが……。
天を見る。
今の俺は相談役に過ぎない。だがこのままでは敵の大軍がやってくる。
一瞬の迷い。だが俺は口を開く。
「天、とにかく謎の敵には白黒つけないと士気に響く。信じるか信じないか、判断は任せる。だが先に策を聞いてくれないかな」
「分かりました」
天が重々しく頷く。
これはある意味賭けだ。
想定が間違っていれば死ぬ。
だが信じろ。
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痩せる為に不人気のゴブリン狩りを始めたら人生が変わりすぎた件~痩せたらお金もハーレムも色々手に入りました~
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カクヨムで先行投稿中!
異世界転移からふざけた事情により転生へ。日本の常識は意外と非常識。
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偶然神のガチャシステムに欠陥がある事を発見したノーマルアイテムハンター(最底辺の冒険者)ランナル・エクヴァル・元日本人の転生者。
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俺は西塔 徳仁(さいとう のりひと)、もうすぐ50過ぎのおっさんだ。
単身赴任で家族と離れ遠くで暮らしている。遠すぎて年に数回しか帰省できない。
ぶっちゃけ時間があるからと、ブラウザゲームをやっていたりする。
大抵ガチャがあるんだよな。
幾つかのゲームをしていたら、そのうちの一つのゲームで何やらハズレガチャを上位のアイテムにアップグレードしてくれるイベントがあって、それぞれ1から5までのランクがあり、それを15本投入すれば一度だけ例えばSRだったらSSRのアイテムに変えてくれるという有り難いイベントがあったっけ。
だが俺は運がなかった。
ゲームの話ではないぞ?
現実で、だ。
疲れて帰ってきた俺は体調が悪く、何とか自身が住んでいる社宅に到着したのだが・・・・俺は倒れたらしい。
そのまま救急搬送されたが、恐らく脳梗塞。
そのまま帰らぬ人となったようだ。
で、気が付けば俺は全く知らない場所にいた。
どうやら異世界だ。
魔物が闊歩する世界。魔法がある世界らしく、15歳になれば男は皆武器を手に魔物と祟罠くてはならないらしい。
しかも戦うにあたり、武器や防具は何故かガチャで手に入れるようだ。なんじゃそりゃ。
10歳の頃から生まれ育った村で魔物と戦う術や解体方法を身に着けたが、15になると村を出て、大きな街に向かった。
そこでダンジョンを知り、同じような境遇の面々とチームを組んでダンジョンで活動する。
5年、底辺から抜け出せないまま過ごしてしまった。
残念ながら日本の知識は持ち合わせていたが役に立たなかった。
そんなある日、変化がやってきた。
疲れていた俺は普段しない事をしてしまったのだ。
その結果、俺は信じられない出来事に遭遇、その後神との恐ろしい交渉を行い、最底辺の生活から脱出し、成り上がってく。
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