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第3章 帝都潜入作戦
閑話3 ジーン・ルートロワ(それぞれの運動会)
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「よぅ、そこの2人」
「ん……あんたは」
100メートル走という競技に参加するため、競技場に足を踏み入れるといきなり大男に捕まった。
「俺はシータの淡英だ。ニーアの嬢ちゃんから聞いてるぜ! ジーンとサカキだろ」
淡英。
この人物がシータ王国の大将軍級とも言われる四峰の1人か。
水軍の戦では右に出るものがいないというほどの猛者だ。
しかもあのニーア近衛騎士団長と互角の腕前というのだから、相当な強さのはず。
「格闘大会の方に出たのでは?」
「ふん、そんな勝負の決まっているものに出て何が面白い。……というか、もうそろそろあの嬢ちゃんの相手は疲れたしな」
「あぁ……うん。なんとなくわかったよ」
サカキが同情的になっていた。
まぁなんとなくわからないでもない。
「というわけでお前らと勝負をしにきた!」
「いや、俺とお前同じ青チームじゃねぇか」
サカキがげんなりしたように言う。
だが淡英はそれを鼻で笑った。
「ふっ、この勝負。あるのはチームの勝利ではない。それぞれのプライドだ! ゆえに負けん!」
勝利ではない?
プライド?
よくわからないが、それに対し反応したのがサカキだ。
「なるほど、つまりそういうことか。つまりこれは愛(主にジャンヌちゃんへの)の勝負だな。分かった、受けて立つぜ!」
「ふっ、決勝で待ってるぜ」
にやりと笑うと淡英は去っていった。
「っし、これはもう負けるわけにはいかねーな」
「一体何の話だ? 第一、お前らは同じチームだろ?」
「お前なぁ、それはもう、ジャンヌちゃんと……いや、お前に言っても分からんねーだろうな」
ジャンヌ様?
いや、まぁ確かに納得はいく。サカキと淡英はジャンヌ様のチームだ。その勝利のため、というのは間違っていない。
だが自分は敵チームだ。
負けたくないが、最終的には負けてもいいと思っている自分がいる。
戦場でそれは致命的。要は死んでも良いということなのだから。
軍人だから死を恐れるわけではないが、どうも何かが違うように思える。
「お前、またなんか変に考えてんだろ。無駄無駄。やめようぜ、どうせお遊びなんだしよ」
「それは分かっているが」
「ま、肩の力抜けよ。そろそろ俺たちも出番だろうからよ」
『続きまして、予選第3ブロック。青チーム、サカキ選手。赤チーム、ジーン選手。黄チーム――』
サカキの言葉を受けたかのように、自分たちの名前が呼ばれる。
「げっ、お前とかよ」
「それなら負けられないな」
この予選から決勝に行けるのは上位1名のみ。
チームの勝敗は別として、同期のサカキには負けたくない。
こうなったらジャンヌ様には悪いが、蹴落としてでも勝たせてもらう。
スタートラインに立つ。
直線距離にして100メートル。
スタートの合図が鳴る。行く。出た。最前線。いや、サカキがいる。すぐ隣。残り半分。予選だ。ここで負けてはジャンヌ様に合わせる顔がない――ならば。
体を倒す。倒れるかどうかの姿勢。だが軸はぶらさない。そこで足を後ろに蹴る。倒れる。その前に次の足を出す。行ける。
『ゴ、ゴールぅぅ! ジーン選手! 予選第3ブロックは赤チームのジーン選手だぁぁぁぁ! いやぁ最後の伸びが素晴らしかったですね!』
「はぁっ! はぁっ! おい、てめぇ……ジーン、マジだったろ!」
「ふっ、ふっ、ふぅ……当然。……ここで負けてはジャンヌ様に申し訳が立たないからな」
「くそっ! お前に勝って、あの馬鹿にも勝って、ジャンヌちゃんにご褒美もらおうと思ったのによ!」
サカキが悔しがるが、それは自分も同じこと。
とにもかくにもこれで決勝だ。
そんな時だ。
話題の人物に声をかけられた。
「お、ジルが勝ってるのか」
「あ、これはジャンヌ様」
振り返り、そしてドキッとしてしまう。
いつもの少し伸びた髪を後ろにまとめている様は、普段と違ってどこか新鮮だ。なにより体操着なるこの服装。彼女の魅力をこれでもかと凝縮した姿は、これぞ一種の芸術と言っても過言ではないだろう。
「どうした?」
「いえ、貴女の美しさに少し酔いしれておりました」
「……そ、そういうことは真顔で言うんじゃない!」
照れていらっしゃるジャンヌ様もお可愛い。
「それで、もう会議は終わったのでしょうか?」
「いや、休憩だよ。最後の話の前に一息入れようと思って、ちょっと見に来たんだけど……」
ジャンヌ様がサカキにチラッと視線を送る。
それだけでサカキはうろたえたようになってしまう。
「……はぁ」
「違うんだよ、ジャンヌちゃん! これは、その……ハンデだ!」
「はいはい。何が違うのか知らないけど。そっかー、サカキは負けちゃったかー。応援しようと思ったのになー残念だなー」
「うわーん、ジャンヌちゃんがいじめるー」
ジャンヌ様はよくサカキをいじる。
少し楽しそうなジャンヌ様を見ていると、微笑ましい思いになりつつも、どこか少し寂しさを感じるのは何故だろう。
「ん、ジャンヌちゃん、そちらの女性は――」
ジャンヌ様の横にいた眼鏡をかけた女性。
ジャンヌ様より年上で、ニーアと同じくらいだろうか。ただどちらかというと知的な落ち着いた女性で、またそれも魅力的だ。
「ん……ジルたちとはニアミスだったもんな。シータ王国の国王付きの水鏡だ」
「あ、ジャンヌ様。私は彼女と同じチームなので」
「あ、そっか」
「挨拶は済んでる。オムカの双璧と呼ばれる人が一緒だと心強い限りよ」
「じゃあ俺、その双璧のもう片方。第2師団長のサカキね! よろしく水鏡ちゃん! ね、どう? これから一緒にご飯でも」
「そういうのはお断りしてるので。というか一応国の代表なので」
「サカキ……馬鹿」
ジャンヌ様の追撃を受けて、がっくりとサカキが肩を落とす。
憐れすぎてかける言葉もない……。
そこへさらにやかましい男がやってきた。
「おう、ジャンヌ殿か! 見に来たのか? おっ、それに水鏡殿も」
「あぁ、淡英。お前も勝ったのか。さすがだな。このまま決勝、頑張ってくれよ!」
ジャンヌ様が淡英に笑顔を向ける。
そうか、去年や正月に何度か会っているんだ。だからこうして楽しそうに喋っている。それに同じチームなのだから応援も当然。
ただ、なんだろう。
その少し、胸の辺りが重い感じがするのは。
「ふーん、あんた。勝ったんだ。ま、いいけど」
「相変わらずドライだなぁ、水鏡殿は。だがそれがいい!」
なかなか感情豊かな男のようだ。
そして私の方を見てくる。
「ん、どうやらジーンとやらが相手のようだな! 見てたぜ、良い走りじゃねぇか。だが負けねぇぞ」
「はぁ……」
「あん? なんだ、そのやる気のない返事は? このサカキってのに勝ったんだろ? もっと張り合いねーと困るんだがよ」
「おい、淡英」
水鏡殿が淡英をたしなめる。
だが淡英は止まらない。
「いいや、これは男と男の問題だ。水鏡殿は黙っててくれ。おい、ジーンとやら。やる気ないなら帰んな。あんたらならイイ喧嘩になると思ったんだがよぉ、勘違いだったわ」
ぐいっと身を乗り出す。
顔と顔が接触するほど近く。しかし、これだけ言われても自分の胸には何も灯らなかった。
「……ふん、じゃあな」
淡英はこれ以上言う気にならなかったのだろう。
鼻を鳴らして歩き去ってしまった。
それに慌てたのが水鏡殿だ。
「ごめん、アッキー。ちょっとあいつに制裁加えてくるから」
「いや、そこまでは……なぁ、ジル?」
「ええ。別に私は問題ありませんよ」
「いや、やっぱり行ってくるわ。ちょっと、淡英!」
水鏡殿は足早に去っていく淡英を追いかけていった。
後にはジャンヌ様が唖然とした様子で残されていた。その後ろ姿がなんとなく寂しそうな気がして声をかけていた。
「あの淡英という人。なかなかな武人ですね」
「あ、ああ。そうだな。あのニーアと互角に競り合ってたんだから強いと思う」
話に聞く感じだけでなく、直接会った時の威圧感はやはり凄いものだった。
あの男が率いる水軍もかなりのものだろう。
敵でなくて安堵している自分がいた。
「あの男はジャンヌ様と同じチームでしたよね」
「ん、淡英か。そうだな。だが遠慮することないぞ。ジル、お前の速さを見せてやれよ」
「そうですか……しかしそうなるとジャンヌ様のチームに迷惑が――」
「おい、ジル。わざと負けるとか考えるなよ」
「え?」
言葉を遮られたことに、何よりジャンヌ様が怒っているように見えて驚いた。
「これはチーム戦だろ。なのに俺のためってのはおかしい。お前はチームのために頑張らなくちゃ」
「しかし、それは……ジャンヌ様をお守りするのが私の誓いなのですから」
「ならなおさらだ。俺が手を抜いて勝たされて嬉しがると思うのか? 俺を守りたいって言うなら、それくらい理解できるんじゃないのか?」
「ですが……」
「じゃああれだ。もし、手を抜いたら……その……ジ、ジルのこと、嫌うからな! いや、ダメだ。そう、ジルじゃなくてジーンって呼ぶからな!」
その言葉は、2つの意味で衝撃だった。
1つは嫌いという言葉に、自分がショックを受けたということ。
2つは、ジルと呼ばれないことにショックを受けたということ。
いつの間にか、自分はジルと呼ばれるのが当然で、彼女に嫌われることが何よりも嫌なことになってしまっていたようだ。
そして、彼女のしたいことが、私のしたいことだと錯覚していた。
私の知るジャンヌ・ダルクという少女は、徹底的に負けず嫌いだ。そして同時に卑怯を嫌う人間である。
それは分かりすぎているほどに知っている……はずだった。
だから、彼女に勝利を贈ろうなどという考え自体が、彼女のその性格に合わない行動だというのは、少し考えればわかることなのだ。
それを今、私は怠ったのだ。
なんて怠慢。
なんて迂闊。
なんて愚行。
猛省すべき失点だ。
こうなったら全力でジャンヌ様の気持ちに応えなくては。
それは自分が身を引く事ではない。
「分かりました。全身全霊で勝負して、ジャンヌ様のチームを負かせてさしあげます!」
「硬い、硬い。気楽にいこうぜ、運動会なんだから」
ジャンヌ様が笑いながら、私の腕をポンポンと叩く。
あぁ、やはりその笑顔。
何物にも代えがたい、その美しさを、自分だけ独占したいというのはなんて傲慢か。
『これより、100メートル走決勝戦を開始します。選手の方は開始線までお集まりください。繰り返します――』
「では行ってきます」
「うん、頑張って」
頑張って、か。
これはもう、本当に負けられない。
ドンッと、背中に衝撃。
肩に手を回されていた。
「お前よぉ、俺がいるのにラブラブしやがって」
「サカキ、別にラブとかは……」
「うるせぇ。もうこうなったらあの淡英とかいうのに徹底的に勝て。そうしないと俺たちオムカの、ジャンヌちゃんへの愛が負けるってことだからな!」
ん……ジャンヌ様へのプライド?
あぁ、そうか。そういえばあの淡英という男もジャンヌ様との関係は良好と聞く。つまり、ここで負ければ他国の者にジャンヌ様への想いが負けるということ。それは……あってはならない。
「そうか……この勝負に賭けられているのは、ジャンヌ様への真実の愛ということか!」
「え、いや。そこまで重い話じゃなく……いや、いいや。お前はそれでいい」
「ああ、行ってくる。ジャンヌ様、貴女のために勝ちます!」
ジャンヌ様に手を振る。
顔を真っ赤にして身を縮こまらせているけど、何かあったのだろうか。
決勝戦。
その開始線のところに淡英はいた。
「なんだ来たのかよ、ジーン。んん? なんだ、さっきとは別人みたいにやる気満々じゃねーか! いいねぇ、その不敵な態度。ニーアお嬢ちゃんといい、オムカは面白いやつがたくさんいる! たまんねぇなぁ!」
「少し黙っていた方がいい。器が知れるぞ」
「へぇ、言うねぇ。今までそんな言葉を吐いた人間は例外なくぶち殺してきたが、あんたは初めて生き延びれる人間かもなぁ」
殺気。
理解した。この男に殺し合いでは勝てない。
上手くいって相打ちだろう。
けど今はその場ではない。
「決着はレースでつける」
そう言うと淡英はニッと笑う。
全員が開始線についた。
けどもう自分には1人しか見えない。
淡英。
圧倒的な威圧感。だが負けるわけにはいかない。
スタートの合図。大地を蹴る。走り出し。上手くいった。あとは一気に行く。余力なんて出す暇はない。すぐ横にあの男がいる。少しでも視界から消えると、言いしれようのない恐怖に襲われる。
殺される。ただのレースなのに、殺気がバンバン飛んでくる。
半分来た。
ここからが勝負。
前傾姿勢。最後の加速に入る。
だが、相手も同じだ。いや、速い。負ける。コンマ数秒、自分の方が遅い。それが分かった。
勝てない。
申し訳ありません、ジャンヌ様。
貴女のご期待に沿えなかった。それが残念で――
「ジル!」
声が聞こえた。気がした。
それだけで十分だった。
そうだ。
彼女は諦めなかった。どんな状況でも、どれほど差があっても、決して諦めず、こうして一国を立て直した。ならばその傍にいる者として、恥ずかしい姿は見せられない。
足を限界まで動かせ。腕がちぎれるまで振れ。二度と吸えなくてもいいから呼吸を止めろ。最後に残った力、その一滴までも絞り尽くせ。
行ける。
理解した。
あの人が背中を押してくれる。だから行ける。まだ走れる。速くなれる。
もう淡英のことは見えなかった。殺気も感じない。
むしろゴールも見えない。
ただ視界が白くなり、そのまま光の中へと入っていく。
あの人の中へ。
そして――
『ご、ゴール! これは……微妙です! 同時にゴールインとしか見えない! なおゴール判定には、写真と呼ばれる新技術が使われていますが、何せ一瞬のことで、どちらが一着か分からないかもしれないのです!』
一気に現実に引き戻された。
ここは……王都バーベルに作られた競技場。青い空。周囲には群がる観客。
「ぐっ……はっ!!」
反動が来た。
手足がバラバラになるような痛み。息が吸えない。血が止まる。こ、呼吸……息が……。
「がっ!」
背中に衝撃。
だがそのおかげで、詰まっていた何かが消えてやり方を思い出したかのように肺が呼吸を始めた。血液が全身を巡る感覚。
「はっ、息をするのを忘れるまで突っ走ったかよ」
淡英だ。
彼が背中を叩いてくれたらしい。
「へっ、どうやら同率1位とかつまんねーことしようとしてるみたいだがよ。ありゃあんたの勝ちだ。負けたぜ。あんだけぶっ殺して野郎って殺気放ったのに、あんたは俺を見てなかったからな」
「そうなのか……」
いまいち実感が湧かない。
というより最後の方は記憶にない。いつゴールしたのか、差がどれくらいだったのかもわからない。
「もしかして気付いてなかったってか?」
「いや、何も覚えてないんだ。ジャンヌ様の声を聴いた気がして、それから……」
何を言ってるんだ、と言われるかもしれない。
だから淡英はしばらくぽかんとした目で見てきて――
「ぷっ、はははははははは! そりゃそうだ。勝てるわけねーわ。あんたには女神がついてんだな! そりゃ勝てん!」
豪快に笑って、背中をバシバシと叩いてくる。
その威力に視界がゆがむが、その中ではっきりと見えたものがあった。
だからその対象に向かって手を振る。
ジャンヌ様が笑顔で手を振ってくれた。
美しい。それが自分の何よりのご褒美。もう、これ以上他に何もいらない。
さぁ、これでもう大運動会も終わりだ。
片づけが終われば、皆でわいわいできる時間も終わる。
去年とはまた違った忙しさがやってくるだろう。
だけど今はもう少しだけ、こうした時間に身を浸したい。
柄にもなく、そんなことを思った。
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ここまで読んでいただきありがとうございます。
それぞれの成長譚の最後の3つ目となります。ジャンヌと出会ってから1年。彼らの頑張りを見守っていただけると幸いです。
また、次回より本格的な帝国との戦闘が開始します。新たな味方も登場しますので、読んでみてください。
また、いいねやお気に入りをいただけると励みになります。軽い気持ちでもいただけると嬉しく思いますので、どうぞよろしくお願いします。
「ん……あんたは」
100メートル走という競技に参加するため、競技場に足を踏み入れるといきなり大男に捕まった。
「俺はシータの淡英だ。ニーアの嬢ちゃんから聞いてるぜ! ジーンとサカキだろ」
淡英。
この人物がシータ王国の大将軍級とも言われる四峰の1人か。
水軍の戦では右に出るものがいないというほどの猛者だ。
しかもあのニーア近衛騎士団長と互角の腕前というのだから、相当な強さのはず。
「格闘大会の方に出たのでは?」
「ふん、そんな勝負の決まっているものに出て何が面白い。……というか、もうそろそろあの嬢ちゃんの相手は疲れたしな」
「あぁ……うん。なんとなくわかったよ」
サカキが同情的になっていた。
まぁなんとなくわからないでもない。
「というわけでお前らと勝負をしにきた!」
「いや、俺とお前同じ青チームじゃねぇか」
サカキがげんなりしたように言う。
だが淡英はそれを鼻で笑った。
「ふっ、この勝負。あるのはチームの勝利ではない。それぞれのプライドだ! ゆえに負けん!」
勝利ではない?
プライド?
よくわからないが、それに対し反応したのがサカキだ。
「なるほど、つまりそういうことか。つまりこれは愛(主にジャンヌちゃんへの)の勝負だな。分かった、受けて立つぜ!」
「ふっ、決勝で待ってるぜ」
にやりと笑うと淡英は去っていった。
「っし、これはもう負けるわけにはいかねーな」
「一体何の話だ? 第一、お前らは同じチームだろ?」
「お前なぁ、それはもう、ジャンヌちゃんと……いや、お前に言っても分からんねーだろうな」
ジャンヌ様?
いや、まぁ確かに納得はいく。サカキと淡英はジャンヌ様のチームだ。その勝利のため、というのは間違っていない。
だが自分は敵チームだ。
負けたくないが、最終的には負けてもいいと思っている自分がいる。
戦場でそれは致命的。要は死んでも良いということなのだから。
軍人だから死を恐れるわけではないが、どうも何かが違うように思える。
「お前、またなんか変に考えてんだろ。無駄無駄。やめようぜ、どうせお遊びなんだしよ」
「それは分かっているが」
「ま、肩の力抜けよ。そろそろ俺たちも出番だろうからよ」
『続きまして、予選第3ブロック。青チーム、サカキ選手。赤チーム、ジーン選手。黄チーム――』
サカキの言葉を受けたかのように、自分たちの名前が呼ばれる。
「げっ、お前とかよ」
「それなら負けられないな」
この予選から決勝に行けるのは上位1名のみ。
チームの勝敗は別として、同期のサカキには負けたくない。
こうなったらジャンヌ様には悪いが、蹴落としてでも勝たせてもらう。
スタートラインに立つ。
直線距離にして100メートル。
スタートの合図が鳴る。行く。出た。最前線。いや、サカキがいる。すぐ隣。残り半分。予選だ。ここで負けてはジャンヌ様に合わせる顔がない――ならば。
体を倒す。倒れるかどうかの姿勢。だが軸はぶらさない。そこで足を後ろに蹴る。倒れる。その前に次の足を出す。行ける。
『ゴ、ゴールぅぅ! ジーン選手! 予選第3ブロックは赤チームのジーン選手だぁぁぁぁ! いやぁ最後の伸びが素晴らしかったですね!』
「はぁっ! はぁっ! おい、てめぇ……ジーン、マジだったろ!」
「ふっ、ふっ、ふぅ……当然。……ここで負けてはジャンヌ様に申し訳が立たないからな」
「くそっ! お前に勝って、あの馬鹿にも勝って、ジャンヌちゃんにご褒美もらおうと思ったのによ!」
サカキが悔しがるが、それは自分も同じこと。
とにもかくにもこれで決勝だ。
そんな時だ。
話題の人物に声をかけられた。
「お、ジルが勝ってるのか」
「あ、これはジャンヌ様」
振り返り、そしてドキッとしてしまう。
いつもの少し伸びた髪を後ろにまとめている様は、普段と違ってどこか新鮮だ。なにより体操着なるこの服装。彼女の魅力をこれでもかと凝縮した姿は、これぞ一種の芸術と言っても過言ではないだろう。
「どうした?」
「いえ、貴女の美しさに少し酔いしれておりました」
「……そ、そういうことは真顔で言うんじゃない!」
照れていらっしゃるジャンヌ様もお可愛い。
「それで、もう会議は終わったのでしょうか?」
「いや、休憩だよ。最後の話の前に一息入れようと思って、ちょっと見に来たんだけど……」
ジャンヌ様がサカキにチラッと視線を送る。
それだけでサカキはうろたえたようになってしまう。
「……はぁ」
「違うんだよ、ジャンヌちゃん! これは、その……ハンデだ!」
「はいはい。何が違うのか知らないけど。そっかー、サカキは負けちゃったかー。応援しようと思ったのになー残念だなー」
「うわーん、ジャンヌちゃんがいじめるー」
ジャンヌ様はよくサカキをいじる。
少し楽しそうなジャンヌ様を見ていると、微笑ましい思いになりつつも、どこか少し寂しさを感じるのは何故だろう。
「ん、ジャンヌちゃん、そちらの女性は――」
ジャンヌ様の横にいた眼鏡をかけた女性。
ジャンヌ様より年上で、ニーアと同じくらいだろうか。ただどちらかというと知的な落ち着いた女性で、またそれも魅力的だ。
「ん……ジルたちとはニアミスだったもんな。シータ王国の国王付きの水鏡だ」
「あ、ジャンヌ様。私は彼女と同じチームなので」
「あ、そっか」
「挨拶は済んでる。オムカの双璧と呼ばれる人が一緒だと心強い限りよ」
「じゃあ俺、その双璧のもう片方。第2師団長のサカキね! よろしく水鏡ちゃん! ね、どう? これから一緒にご飯でも」
「そういうのはお断りしてるので。というか一応国の代表なので」
「サカキ……馬鹿」
ジャンヌ様の追撃を受けて、がっくりとサカキが肩を落とす。
憐れすぎてかける言葉もない……。
そこへさらにやかましい男がやってきた。
「おう、ジャンヌ殿か! 見に来たのか? おっ、それに水鏡殿も」
「あぁ、淡英。お前も勝ったのか。さすがだな。このまま決勝、頑張ってくれよ!」
ジャンヌ様が淡英に笑顔を向ける。
そうか、去年や正月に何度か会っているんだ。だからこうして楽しそうに喋っている。それに同じチームなのだから応援も当然。
ただ、なんだろう。
その少し、胸の辺りが重い感じがするのは。
「ふーん、あんた。勝ったんだ。ま、いいけど」
「相変わらずドライだなぁ、水鏡殿は。だがそれがいい!」
なかなか感情豊かな男のようだ。
そして私の方を見てくる。
「ん、どうやらジーンとやらが相手のようだな! 見てたぜ、良い走りじゃねぇか。だが負けねぇぞ」
「はぁ……」
「あん? なんだ、そのやる気のない返事は? このサカキってのに勝ったんだろ? もっと張り合いねーと困るんだがよ」
「おい、淡英」
水鏡殿が淡英をたしなめる。
だが淡英は止まらない。
「いいや、これは男と男の問題だ。水鏡殿は黙っててくれ。おい、ジーンとやら。やる気ないなら帰んな。あんたらならイイ喧嘩になると思ったんだがよぉ、勘違いだったわ」
ぐいっと身を乗り出す。
顔と顔が接触するほど近く。しかし、これだけ言われても自分の胸には何も灯らなかった。
「……ふん、じゃあな」
淡英はこれ以上言う気にならなかったのだろう。
鼻を鳴らして歩き去ってしまった。
それに慌てたのが水鏡殿だ。
「ごめん、アッキー。ちょっとあいつに制裁加えてくるから」
「いや、そこまでは……なぁ、ジル?」
「ええ。別に私は問題ありませんよ」
「いや、やっぱり行ってくるわ。ちょっと、淡英!」
水鏡殿は足早に去っていく淡英を追いかけていった。
後にはジャンヌ様が唖然とした様子で残されていた。その後ろ姿がなんとなく寂しそうな気がして声をかけていた。
「あの淡英という人。なかなかな武人ですね」
「あ、ああ。そうだな。あのニーアと互角に競り合ってたんだから強いと思う」
話に聞く感じだけでなく、直接会った時の威圧感はやはり凄いものだった。
あの男が率いる水軍もかなりのものだろう。
敵でなくて安堵している自分がいた。
「あの男はジャンヌ様と同じチームでしたよね」
「ん、淡英か。そうだな。だが遠慮することないぞ。ジル、お前の速さを見せてやれよ」
「そうですか……しかしそうなるとジャンヌ様のチームに迷惑が――」
「おい、ジル。わざと負けるとか考えるなよ」
「え?」
言葉を遮られたことに、何よりジャンヌ様が怒っているように見えて驚いた。
「これはチーム戦だろ。なのに俺のためってのはおかしい。お前はチームのために頑張らなくちゃ」
「しかし、それは……ジャンヌ様をお守りするのが私の誓いなのですから」
「ならなおさらだ。俺が手を抜いて勝たされて嬉しがると思うのか? 俺を守りたいって言うなら、それくらい理解できるんじゃないのか?」
「ですが……」
「じゃああれだ。もし、手を抜いたら……その……ジ、ジルのこと、嫌うからな! いや、ダメだ。そう、ジルじゃなくてジーンって呼ぶからな!」
その言葉は、2つの意味で衝撃だった。
1つは嫌いという言葉に、自分がショックを受けたということ。
2つは、ジルと呼ばれないことにショックを受けたということ。
いつの間にか、自分はジルと呼ばれるのが当然で、彼女に嫌われることが何よりも嫌なことになってしまっていたようだ。
そして、彼女のしたいことが、私のしたいことだと錯覚していた。
私の知るジャンヌ・ダルクという少女は、徹底的に負けず嫌いだ。そして同時に卑怯を嫌う人間である。
それは分かりすぎているほどに知っている……はずだった。
だから、彼女に勝利を贈ろうなどという考え自体が、彼女のその性格に合わない行動だというのは、少し考えればわかることなのだ。
それを今、私は怠ったのだ。
なんて怠慢。
なんて迂闊。
なんて愚行。
猛省すべき失点だ。
こうなったら全力でジャンヌ様の気持ちに応えなくては。
それは自分が身を引く事ではない。
「分かりました。全身全霊で勝負して、ジャンヌ様のチームを負かせてさしあげます!」
「硬い、硬い。気楽にいこうぜ、運動会なんだから」
ジャンヌ様が笑いながら、私の腕をポンポンと叩く。
あぁ、やはりその笑顔。
何物にも代えがたい、その美しさを、自分だけ独占したいというのはなんて傲慢か。
『これより、100メートル走決勝戦を開始します。選手の方は開始線までお集まりください。繰り返します――』
「では行ってきます」
「うん、頑張って」
頑張って、か。
これはもう、本当に負けられない。
ドンッと、背中に衝撃。
肩に手を回されていた。
「お前よぉ、俺がいるのにラブラブしやがって」
「サカキ、別にラブとかは……」
「うるせぇ。もうこうなったらあの淡英とかいうのに徹底的に勝て。そうしないと俺たちオムカの、ジャンヌちゃんへの愛が負けるってことだからな!」
ん……ジャンヌ様へのプライド?
あぁ、そうか。そういえばあの淡英という男もジャンヌ様との関係は良好と聞く。つまり、ここで負ければ他国の者にジャンヌ様への想いが負けるということ。それは……あってはならない。
「そうか……この勝負に賭けられているのは、ジャンヌ様への真実の愛ということか!」
「え、いや。そこまで重い話じゃなく……いや、いいや。お前はそれでいい」
「ああ、行ってくる。ジャンヌ様、貴女のために勝ちます!」
ジャンヌ様に手を振る。
顔を真っ赤にして身を縮こまらせているけど、何かあったのだろうか。
決勝戦。
その開始線のところに淡英はいた。
「なんだ来たのかよ、ジーン。んん? なんだ、さっきとは別人みたいにやる気満々じゃねーか! いいねぇ、その不敵な態度。ニーアお嬢ちゃんといい、オムカは面白いやつがたくさんいる! たまんねぇなぁ!」
「少し黙っていた方がいい。器が知れるぞ」
「へぇ、言うねぇ。今までそんな言葉を吐いた人間は例外なくぶち殺してきたが、あんたは初めて生き延びれる人間かもなぁ」
殺気。
理解した。この男に殺し合いでは勝てない。
上手くいって相打ちだろう。
けど今はその場ではない。
「決着はレースでつける」
そう言うと淡英はニッと笑う。
全員が開始線についた。
けどもう自分には1人しか見えない。
淡英。
圧倒的な威圧感。だが負けるわけにはいかない。
スタートの合図。大地を蹴る。走り出し。上手くいった。あとは一気に行く。余力なんて出す暇はない。すぐ横にあの男がいる。少しでも視界から消えると、言いしれようのない恐怖に襲われる。
殺される。ただのレースなのに、殺気がバンバン飛んでくる。
半分来た。
ここからが勝負。
前傾姿勢。最後の加速に入る。
だが、相手も同じだ。いや、速い。負ける。コンマ数秒、自分の方が遅い。それが分かった。
勝てない。
申し訳ありません、ジャンヌ様。
貴女のご期待に沿えなかった。それが残念で――
「ジル!」
声が聞こえた。気がした。
それだけで十分だった。
そうだ。
彼女は諦めなかった。どんな状況でも、どれほど差があっても、決して諦めず、こうして一国を立て直した。ならばその傍にいる者として、恥ずかしい姿は見せられない。
足を限界まで動かせ。腕がちぎれるまで振れ。二度と吸えなくてもいいから呼吸を止めろ。最後に残った力、その一滴までも絞り尽くせ。
行ける。
理解した。
あの人が背中を押してくれる。だから行ける。まだ走れる。速くなれる。
もう淡英のことは見えなかった。殺気も感じない。
むしろゴールも見えない。
ただ視界が白くなり、そのまま光の中へと入っていく。
あの人の中へ。
そして――
『ご、ゴール! これは……微妙です! 同時にゴールインとしか見えない! なおゴール判定には、写真と呼ばれる新技術が使われていますが、何せ一瞬のことで、どちらが一着か分からないかもしれないのです!』
一気に現実に引き戻された。
ここは……王都バーベルに作られた競技場。青い空。周囲には群がる観客。
「ぐっ……はっ!!」
反動が来た。
手足がバラバラになるような痛み。息が吸えない。血が止まる。こ、呼吸……息が……。
「がっ!」
背中に衝撃。
だがそのおかげで、詰まっていた何かが消えてやり方を思い出したかのように肺が呼吸を始めた。血液が全身を巡る感覚。
「はっ、息をするのを忘れるまで突っ走ったかよ」
淡英だ。
彼が背中を叩いてくれたらしい。
「へっ、どうやら同率1位とかつまんねーことしようとしてるみたいだがよ。ありゃあんたの勝ちだ。負けたぜ。あんだけぶっ殺して野郎って殺気放ったのに、あんたは俺を見てなかったからな」
「そうなのか……」
いまいち実感が湧かない。
というより最後の方は記憶にない。いつゴールしたのか、差がどれくらいだったのかもわからない。
「もしかして気付いてなかったってか?」
「いや、何も覚えてないんだ。ジャンヌ様の声を聴いた気がして、それから……」
何を言ってるんだ、と言われるかもしれない。
だから淡英はしばらくぽかんとした目で見てきて――
「ぷっ、はははははははは! そりゃそうだ。勝てるわけねーわ。あんたには女神がついてんだな! そりゃ勝てん!」
豪快に笑って、背中をバシバシと叩いてくる。
その威力に視界がゆがむが、その中ではっきりと見えたものがあった。
だからその対象に向かって手を振る。
ジャンヌ様が笑顔で手を振ってくれた。
美しい。それが自分の何よりのご褒美。もう、これ以上他に何もいらない。
さぁ、これでもう大運動会も終わりだ。
片づけが終われば、皆でわいわいできる時間も終わる。
去年とはまた違った忙しさがやってくるだろう。
だけど今はもう少しだけ、こうした時間に身を浸したい。
柄にもなく、そんなことを思った。
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ここまで読んでいただきありがとうございます。
それぞれの成長譚の最後の3つ目となります。ジャンヌと出会ってから1年。彼らの頑張りを見守っていただけると幸いです。
また、次回より本格的な帝国との戦闘が開始します。新たな味方も登場しますので、読んでみてください。
また、いいねやお気に入りをいただけると励みになります。軽い気持ちでもいただけると嬉しく思いますので、どうぞよろしくお願いします。
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